第一話 ラジオ③
「みなさん、今日の放送はどうだったでしょうか?番組へのお便りは、この番組のホームページからお送りください。
送られてきたお便りは『フツオタ』のコーナーや『唯斗が聴きます!』などで使用します。どしどし送ってください。
それでは皆さん、今日も一日、頑張ってください!それではまた明日の同じ時間にお会いしましょう。
この時間はGBプログラムFM『茜音唯斗のしたいこと』。お相手は小谷事務所所属の茜音唯斗でした」
レバーを下ろして、席を立つ。
時間はぴったり予定通りの七時五十九分三十秒。
番組内でCMを流す時間はその日によってまちまちだが、この時間はほとんど狂ったことがない。というか、この時間を見ながら、最後のトークで時間を調整している。
「唯斗くん、お疲れ様。よかったよさっきのトークは」
さっきと同じように、マイク越しにディレクターが話しかけて来た。
「お疲れさまです。明日の打ち合わせは明日やれば良いですよね?」
「うん。それで良いよ。それじゃあ、僕は会議があるから。これで失礼するね」
「お疲れ様です」
ブース越しに声をかけると、振り向かずに颯爽とスタジオを出て行った。
「さて、メールの確認しながら朝食食べますか」
僕は持ち帰るものを鞄に入れながら呟いた。
入れ終わると、近くにいたスタッフの人たちに一声かけてからスタジオを出た。
GBプログラムは日本全国にラジオを発信している民間のラジオ局。ラジオはAMとFMの二種類があり、GBプログラムはどちらの放送も行なっていた。大きな違いは、FMはAMに比べて、一つの送信アンテナから電波を届けられる範囲が狭く、その分音はクリアに聴こえやすいという特徴がある。
そして、民間のラジオ業界のなかで一二を争う有名局だ。今時、ラジオに絞っている会社は少ないが、番組の多くが人気のあるタレントを起用しているせいもあって生き残っている会社だ。それ以外にも、東京に拠点を置き、東京の本社でほとんどの番組が取られているせいもあって、他の支社は規模が小さい。その証拠に、今唯斗がいる本社は、本で有名な神保町のある神田駅前で、十三階建ての建物で、大小合わせて、全三十五のスタジオがある。他の支社は多いところで三のブース、少ないところは一つしかない。
とは言っても、その全てのスタジオを使っているわけではない。東京本社には公開録音用の小ホールや外からも収録風景が見れるガラス張りのスタジオ、曲などを録音するための貸しスタジオもある。それらを含めて三十五だ。他の支社のスタジオは基本的には使わず、ローカルニュース以外の時間帯は他のローカル局に貸している。
唯斗が放送していたのは八階の大通りに面しているスタジオだった。
スタジオを出てから、エレベーターで一階まで降りて、ビルを出てすぐの信号で向かいのビルに向かう。
「やっぱり朝はまだ寒いし、あったかい飲み物を飲みたいよな」
呟きながら一階にあるスタバに入る。時間は八時十分ということもあり、席はまばらに空いていたが、レジに並ぶ列は長かった。
大人しく列に並び、自分の番がきたので、安定のキャラメルマキアートのショートを頼む。
受け取って、ココアとシナモンのパウダーをかけて、蓋をしっかり閉める。
それから店を出て、早いながらも次の現場に行こうと思っていたところで、赤崎さんが信号待ちしているのを見かけた。手にはコンビニの袋があるので、二つ隣にあるコンビニで何かを買って局に戻る途中らしい。
そんな普通の光景でも、僕は思わず心配になった。
番組のやっている時間が一般的に朝食を食べる時間と重なるから、コンビニの袋を持っていることには何の違和感もない。健康面は本人が一番わかっているだろうから違う。
僕が気になっったのは赤崎さんの後ろ姿が少し悲しそうだったからだ。
と、そこで信号が青になった。
もちろん、赤崎さんは信号を渡り始めた。
「追いかけなきゃ」
そう気づいたのは彼女が信号を半分ほど渡ろうとしたときだった。
「赤崎さん!」
「……!?」
そう呼ぶと、後ろを振り向いた彼女は心底驚いた表情をしていた。
思いっきり走ると転ぶので、小走りよりも遅かったかもしれない。それでも、すぐに彼女に追いついた。
「あ……唯斗さん?」
「今から少しだけ時間もらえる?」
「え、あ、はい。良いですけど、あ!と、とりあえず信号渡っちゃいましょ」
信号を見ると、すでに青のライトが点滅していた。
二人して急いで残り半分を渡る。
「ふ……間に合った」
「すみません。呼び止めちゃって」
「あ、いえいえ。それよりも、唯斗さんが私に用ってなんですか?」
そういえば、まだ何も言っていなかったな。
「まあ、たいしたことないんですけど、赤崎さんの後ろ姿がすごく悲しそうに見えて、少し心配になったので」
そう言うと、「ふふっ……」と笑った。
「そうですね。三十分ぐらいは休憩に使っても良いと思うので。よかったら、私の話を聞いてくれますか?」
「もちろん、そのために呼び止めたので」
そう言うと、肩が下りたような笑顔で笑って言った。
「じゃあ、ついて来て下さい」
僕は彼女についていった。
二階にあるラウンジに行くのかと思ったら、エレベーターで十三階まで行ったあと、階段を使って屋上まで上がっていった。
「そういえば、このビルって、屋上に上がれたんですね」
「ここの社員の間だと有名な話なんですけどね。滞在時間の短いパーソナリティーの方はあまり知らないかもしれません」
確かにそうだなと思った。
あくまで僕はパーソナリティー。自分で言うのもなんだけど、仕事が詰まっていることも多いから、あまりゆっくりとこの建物に滞在しない。それは知らなくて当然だろう。
屋上に着くと、そこには小さな花壇が合わせて四つ。それと、四脚ほどのベンチ。その上には雨の日でも使えるようにと言う配慮なのか、雨よけがついていた。
「どのベンチも毎日掃除をしてもらってますが、どこに座ります?」
「それじゃあ、あのベンチでも良いかな?」
どれも同じならと、僕は一番近くのベンチを指差した。
僕の問いに対して、赤崎さんはうなずいた。
一つあたり四人ほど座れるのか、ベンチは異様に長かった。
「それじゃあ、隣を失礼します。あ、私、朝ごはん食べながらになりますけど、良いですか?」
「あ、うん。まだ仕事はあるよね。気にせず食べて。僕もカロリーメイト食べさせてもらうので」
そう言って、カバンの中から適当に一箱を摘み出す。出て来たのはオーソドックスなメープル味だった。袋を開けて一本を口に咥える。
「それじゃあ遠慮なく」
赤崎さんは袋からおにぎりを取り出した。その、三角形に包装されたおにぎりの袋を破きながら話し始めた。
「私、今年からこの会社に勤め始めたって言うのは知ってると思うんですけど、慣れないことが多くて。まだまだ新人だから仕方ないのかもしれないけど、私、他のスタッフさんに気を使わせてばかりで」
「ああ、そう言うことだったんだ。新人のうちはそうだよね」
「そうなんです。しかも、私の場合は同期が男性しかいなくて。女性の職員は大体が事務方の仕事とかで。唯一頼れる石崎さんも、研修が終わてすぐに別の番組のADになっちゃって」
僕にはその気持ちがよくわかった。
頼れる人がいない、知らない人ばかりの中に突然放り込まれて、仕事をするのは心細かったりする。
食べていたカロリーメイトをキャラメルマキアートで無理やり飲み込む。それから、話始める。
「ものすごく、その気持ちわかるよ」
多分、彼女は不安なだけなんだと思う。
自分がきちんと仕事をやれているのか。
それは自分だけでは分からない。少なくとも、客観的な視点で見ることができないと分からない。しかも、絶対似合っているマニュアルがある仕事ならまだ良い。
だが、彼女も僕の職業も、セオリーやコツはあっても、必ず正解があるとは限らない世界だ。
例えば、一つのラジオ番組を作るのには、ラジオでどんな情報を流すかや、何の曲を流すのかを決める必要がある。これをするのは主にディレクター。
それをアシスタント、助けるのがADの仕事なら、曲を流す許可を取ったり、情報を集めたりはADの仕事。他には、ゲストの出演依頼、ゲストへの案内などもあったりする。
つまり、ADの仕事はコミュニケーションが必要になる。もちろん、だいたいが決まった形式通りにやれば大丈夫なはずだ。
だが、だからこそ、自分がきちんとやれているのか不安になってしまう。
「僕もさ、この活動を八年ぐらい続けて来たけど、いまだに正解がわからない時もあるもん。多分、赤崎さんは不安になっているだけだと思うよ」
「そうなんですかね」
「うん。もちろん、頼れる人がいれば心強いかもしれないけど、いつかは自分だけでやらなくちゃいけないこともあるんだから」
一呼吸おいて、気持ちを落ち着かせる。
「赤崎はさんはきちんとした会社員じゃん」
「はい。そうですけど……」
「声優ってさ、別に職業の名前じゃないんだよね。あくまでタレントが自分の声だけでお芝居をする活動をしているだけなんだよね」
赤崎さんを見ると、まだ話の筋が見えないのか、少し首を傾げていた。
「つまり、活動をしているだけで正式な職種じゃないし、事務所に所属しているのは活動を手伝だってもらっているっていう考え方が正しいんだよね。だから、会社員と違っていつ自分が無職になるかも分からないんだよね」
そこまで言うと赤崎さんも僕が何を言いたいか分かったみたいだ。
「だから、僕もいつも不安なんだよね。いつ自分に仕事が来なくなるか。仕事は来ても、例えば僕のラジオ番組みたいに長年続けて来たことが急に取りやめになったら。そんなことを考えるとキリがないんだよね。ああ、だからって、赤崎さんの悩みはしょうもないなんて思ってないからね?」
赤崎さんが今にも泣きそうな顔をしていたから、すぐに訂正した。
「こういう生き方を選んだのは僕だし、この悩みは声優とか、それこそ俳優とかには共通の悩みだから」
俳優も、あくまで事務所と契約している一人の活動家。ただ、一つのドラマで得られる収入が段違いに高いだけ。だから、俳優の苦労話をあまり聞かないだけ。
俳優と声優にはあまり違いがないと僕は思っている。
もちろん、全身を使って演技をするのか、声だけで演技をするのかという違いはある。
でも、個人事業主なのは変わりないし、人気の出ない人はすぐに業界から去って行くのも事実。
歌手も、芸人も、小説家も。彼らもあまり大差ない。
それこそ、彼らも自分を商品として会社と契約をしたりしている。まあ、小説家の場合は自分の作る作品を商品にしているから、少し違うと思えるかもしれない。でも、本質は同じだ。
「それじゃあ、茜音さんはどうやって不安を乗り越えて来たんですか?」
赤崎さんは直したばかりの呼び方が、また元に戻っていた。
「そうだね……」
思い当たる話はあるけど、誤解を生まないように言葉を選ぶ。
それと同時に、今更ながら、自分が呼ばれる時は必ず『唯斗』の方で読んでと言っているのに、他人のことは『〇〇さん』と読んでいることに気がついた。まあ、同じ業界の後輩と同期には使わないけど。
「あのさ、ふと思ったんだけど、芸歴とか関係なく、年齢的な問題で僕は赤崎さんより年上じゃん。それでさ、『さん』付けでも、僕だけ下の名前っで呼ばせているのもなんか変だなと思ったんだけど、僕は赤崎さんをどう呼べば良い?ああ、今のままが良いなら、このままにするけど」
「へ?……あ、ああ。そうですね。あの、じゃあ、小春でお願いします。苗字よりも名前の方が好きなので」
あ……。うん。
いや、まあ、うん。
「流石に呼び捨ては誤解を生みそうだから、『小春さん』から始めて良いですか?自分で言っておいて何だけど」
「え?あ……フフッ」
首の後ろに手を当てながら、ちょっと上目に赤崎さんを見ると、彼女はさっき待っでの暗い顔が嘘のように明るく笑っていた。
「良いですよ。私もちゃんと『唯斗さん』って呼びますんで」
「あ。うん。分かった。それじゃあ、小春さん、少しだけ僕の昔話に付き合ってね」
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