第7話 嫌いな人というカテゴリーと無縁になった




しょうもなかった私はこんな事がないと

両親に感謝できなかった。


友達に対しても、どうせ裏切られるからと

今まで上辺の存在で付き合い方を知らなかった。


家庭内と家庭外は鏡のようなもので

小さい社会と大きい社会

小さい社会でうまくやっていけない人が

大きい社会でやっていけるわけがない。


小さい幸せに気づけない人が

大きな幸せに気づけるわけがない。


いじめはもちろん悪い事。

でもすべては鏡の法則や引き寄せの法則で

現実は自分自信でしかなかった事。

私は常に冷めていて心の底から誰かと向き合おうとしていなかった。

優しさや思いやり、感謝する事に欠けていた。


身近な所から感謝していくと面白いくらいに

自然と現実が良い方向に向かう。


自分は孤独だと思い込んでいて、


もし本当に孤独だったらわざわざ

こんなにいじめの標的になって注目をあびない。

今思えば自分は主役で悲劇のヒロインとでと思えば良かった。と思ったので、それからは

何事にも自分に辛い事があれば

「私は悲劇のヒロインだ☆」と主役気分で楽しんでいる。

私の経験上、"辛い"の方が私から逃げて行く。


好きの反対は嫌いではなく

好きと嫌いは紙一重で

好きの本当の反対は興味すらないことです。


私はポジティブな方なので

いじめている側は歪んだ愛情表現だったんだと捉えています。

人それぞれです。


この経験があったからこそ今の自分の事が好きな私があり、その後の人生の辛い事も簡単に乗り越えられた。もの凄い強いお守りだった。


この時、無理矢理大きく成長させてもらっていたから辛かったんだと。


社会に出て視野が広がってしまえば、

学生時代にしか味わえない

世界中から嫌われ居場所がなくなった経験を

なかなか味わう事ができない。


世界中から嫌われ1人ぼっち

なんてなれるわけない事を知り

なれたら逆にとんでもなく世界最大の大物。

もちろんありえません。


いじめられた側の特権は

いじめる側は何一つ得をせずなおかつ、その人達を踏み台にしいじめられた側の人格が成長できてしまうこと。


私はせっかくのこの辛かった件で学べる事を隅から隅まで完全に吸収してやろうと思い、

寝る前に何回も誰かに話すように

細かく思い出して記憶の中の自分を強くさせ

泣いてる自分を笑ってる自分に切り替えて、

もっとこうしとけば良かったんだと気づいた事は

その記憶の中でさせる。

そして、よく頑張ったね昔の自分。感謝してるよ。と言ってあげる。


私をいじめていた主犯の子に対しても

私に対して凄い経験をさせてくれてありがとうと心の底から思えます。もし出会えてなく、私が得られてなかったらゾッとする。出会えて良かったと心から思った。

きっと私が復讐なんてしなくても何かしらどこかのタイミングでバチは当たっていると思う。


わざわざ私の時間を割いて関わる事はもう一生無いけど歳を取ってお互い天国に行った時でも暇だったら今世の出来事を思い出して笑いながら語るかもしれない。


暗い過去を明るい過去にしっかり書き換えた。

未来は変えられないけど過去は変えられる。


そのおかげで"嫌いな人"というカテゴリーは永遠に私は無縁だった。

過去も現在も未来も本当に嫌いな人が未だに存在しない。


好きか大好きか、興味がないか。









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