第5話 小説
「郁斗君。今日は生徒会の用事がないから一緒に帰りましょう」
六時間目が終わって、翠が声を掛けてきた。
周囲の目があるので、郁斗は君付けだ。
郁斗の座っている椅子の隣で、立っている翠がにっこりと微笑む。
「悪い」
悪いとは思っていなかったが、一応そう返す。
「俺今日、部活の文芸部だから」
「そうだったわね」
翠が残念そうに答える。
「で……」
翠がずずずいっと顔を近づけてきた。
「小説」
「小説がなんだ?」
ちょっと圧倒されて、郁斗は翠から顔を離そうとして背を反らす。
「私、小説とか書いてるの」
「そうか。小説か」
「そう。私、書いてるの」
大真面目な顔を郁斗に押し出してくる。
文芸部のわりに軽いエンタメ等しか読まない郁斗だったが、ちょっと興味をそそられる。
「で、どんな?」
聞いてみる。
「恋愛小説」
返答してきた翠が、ぽっと頬を染め両手を添える。
「私も年頃の女の子だから、そう言った事には憧れたりするの。本当は恥ずかしいんだけど、郁斗には私の趣味の一部も知ってて欲しくて」
郁斗がそうかと頷く。
「まあ、現代国語学年一位のお前なら素敵な小説が書けるのかもしれないが……」
「それでお願いなんだけど、郁斗に読んでもらって感想とか聞きたいの。ファンの女の子はいるんだけど、その子以外からあまり感想とかもらえなくて……」
翠が頼み込むという顔を向けてきた。
「私結構真剣に書いているから率直な感想とか聞かせて欲しいの。こんなこと郁斗にしか頼めないから……」
翠がじっと郁斗の反応を待つ。
翠の気持ちは分かった。
郁斗もたまにだが小説っぽいものを書くし、同じ部の同僚に読んでと言われたりするから翠の心情は理解できる。だから、
「分かった。読んでみるよ」
素直にそう答えた。
「ありがとう、郁斗……君」
翠が破顔する。
「やっぱり持つべきものは友達……じゃなかった、恋人よね」
「恋人じゃねーよ。あと、俺は専門家でも何でもないから素人感想しか言えねーぞ」
「それで充分よ。実用性とか聞かせてくれるとすごく嬉しい」
「はいはい」
郁斗はわかったわかったという様子で翠に答える。
『実用性』という言葉が少しだけ引っかかったが、そのまま流した。
まあ国語の実績のある、枕草子とか全文暗記している翠が書くのだろうからかなりレベルの高い恋愛小説なのだろうとは想像する。少し嫉妬してしまうかもしれない。
「今晩、すぐ読んで」
翠が楽しみだという笑みを満面に浮かべる。
そのまま。
十分程どうということはない会話をして、郁斗と翠は別れた。
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