『宝塚市役所放火事件で談議ヌス』(ジャンル:犯罪)

 私たちは休憩中、いつものようにお茶を飲んでいた。本日の茶菓子はソラマチで購入してきた餅と緑茶だ。美味しくいただいていたら、ヒヨコが興奮しながら言った。


「すごい事件があったでーす」


「どんな事件ぽこ?」


「宝塚市役所放火事件でーす」


「そういう事件もあったぽこねー。ヒヨコは今、それを採録している最中ということぽこね」


「どんな事件っち?」


 ラッカセイは知らないみたいである。森の女神様がラッカセイに説明した。


「簡単に言ってしまえば、ある男が宝塚市役所内に火をつけたという事件でおじゃる。死人はでなかったけど風の吹く方向によっては、全員死んでいたかもしれない大事件になっていたでおじゃる」


 『宝塚市役所放火事件』。2013年7月12日。その経緯は、阪神大震災で家を損壊した容疑者が新しい住居を購入することから始まる。容疑者は住居のローンの支払いに追われる毎日を送り、固定資産税を支払う余裕がなかった。そんなある日、市役所からの催促状が届いた。容疑者は市役所に、支払う余裕はないと相談に行くも、財産を差し押さえる、との説明を受ける。後日、容疑者の口座が凍結され、容疑者の日々は困窮したものになる。怒った容疑者は市役所を放火した。


「なんで火をつけたっち?」


「とあるマンションを購入したおっちゃんがいたらしいのでーす。購入後、おっちゃんは、固定資産税を払わずに、滞納していたのでーす」


「ちょ、ちょっと待ってほしいっち。その固定資産税って、なんだっち?」


「税金の一種でーす。固定資産税というのは『土地・家屋』などが課税対象となる地方税の事なのでーす」


「ちなみに日本側のゲートは、お役人に認識されないように『術』をかけているから、わらわたちは払う必要がないでおじゃる。そもそも、わらわたちは日本の住民ではないのでおじゃる。次元の狭間に住んでいるのでおじゃる」


「ふーん」


 ここって次元の狭間だったのか。初めて知った……。たしかに住宅の入口のドアから外に出たら迷いの森だし、裏口から出たら門前仲町に出る。だから、狭間といえば狭間か。


「おっちゃんは、固定資産税を払わなかった事で、資産を凍結されたわけでーす」


「預金凍結……こ、怖いっち」


「このおっちゃん、預金凍結された事に激昂したのでおじゃるよ。そして、宝塚市役所に文句を言いに行ったのでおじゃる」


「ただし、手ぶらではなかったのでーす。おっちゃんは、市役所で職員が働いているところを目掛けて焼き瓶2本を投げつけたでーす。そして、火を更に燃え上がらせようと、ガソリン入りのポリタンクを床に、ジャバジャバジャバーっとして、出口をふさいじゃったのでーす」


「そして6分13秒の脱出が始まるわけでおじゃるね」


 私も会話に混ざった。


「出口である階段に通じる道が火の壁になって、職員と市役所に来ていた人々は閉じ込められたぽこ。ガソリンの燃え上がり方って、すごいぽこよ」


「絶対絶命っちね。そのおっちゃん、狂ってたっちか?」


「どうでおじゃるかね。ただ、近年のニュースを見ていたら、近頃の若いもんはっ! ではなくて、近頃の若くないもんはっ! って言いたくなるでおじゃる」


 これも時代の変化である。


「そういえば、老人が老人を騙す詐欺も横行してると報じられていたぽこ」


「老人が詐欺を働いているのでーす? 老人は被害者になるというイメージが強いでーす。日本では加害者になるケースもあるのでーす?」


「例えば会社勤めをしていた人が退職したら、何もすることが無くなって、一気にボケる傾向にあると聞かないぽこ?」


「たしかに一気に老けたり、元気がなくなるとか。それだけじゃなく、妻が死んだら夫もすぐに死ぬ傾向がある事も、よく聞くでーす」


「夫って、どれだけ寂しがりだっち!」


 これはどういうメカニズムなのだろう。


「おそらく奥さんに作ってもらっていたバランスの摂れていた食事が、男一人になると偏りのある食事になるというのも、その一因だと思いますわ。逆に、女は夫が死んだら元気になると言われております」


「ガセ情報であってほしいっちー。夫が不憫すぎるっち!」


 本当に不憫すぎる。


「退職した老人の多くは、会社勤めがなくなると同時に、やりがいがなくなるぽこ。そんな老人たちに甘い声で近づく組織があるぽこ。そして、暇を持て余した老人が、仏像を買わないか等と、同年代の高齢者に電話をするようになるぽこ。まさか、電話を受けた人物も、自分と同じ老人に騙されるなんて思ってもいないから、コロリと信じてしまうぽこ。その結果、不当に高い物を購入してしまうぽこ。安く仕入れた像を1000万円で売ったりとかしているぽこ」


「甘い言葉で近づいてきた黒幕は、老人の『やりがいを欲する』という心理につけこむのでおじゃる。老人は詐欺を成功させることで黒幕に褒められ、やりがいを感じるでおじゃる。もっともっと騙して褒められたい、と気合がはいるのでおじゃる。悲しい現実だけど、ある医師は言っていたおじゃる。歳をとった老人の頭はボロボロで、手術が出来ないと。これが老いというものでおじゃるね」


 はぁ。と私たちはため息を漏らした。


「今回の宝塚市役所に火を放ったおっちゃんも、悲しいかな頭がボロボロだった……もしくは、ただの馬鹿だったのか、火に囲まれて死に直面していた職員と市民が困っていた時、どうしていたと思うでーす?」


「さあ、逃げてたんじゃないっちか?」


「違うでーす。階下の自販機の前で、ペットボトルのお茶を飲んで、タバコをふかしていたらしいでーす」


「自分の取った行動で、人が死にそうになっているのに、信じられない行動だぽこ!」


「それで火の壁に閉じ込められた人々は、どうなったっち?」


「ベランダに逃げたでーす」


「なーんだ、ベランダがあったっちね」


「とはいえベランダから脱出するための通路も黒煙で覆われていたのでーす。なので再び、彼らは立ち往生するはめになったでーす」


「黒煙なんて、ただの煙っち? つっこまなかったっち?」


「ラッカセイなら、何の考えもなく、突っ込みそうですわね」


「ソラ姉さま、私を馬鹿にするなっち!」


「とはいえ、それも選択肢でおじゃるね。確かに、黒煙に向かって突っ込んだら助かる可能性もあるでおじゃる。けれど、気を失う可能性もあるでおじゃる。なんといっても、ものすごい二酸化炭素の濃度だろうでおじゃる。二酸化炭素というのは猛毒なのでおじゃる」


「他の選択肢は何だっち?」


「助けが来るまで待ち続ける、という選択肢でおじゃる。消防車が来れば、梯子で1人1人ノーリスクで下に降りられるでおじゃる」


「それがいい案に思えるっち」


「わざわざ黒煙に突っ込んで、二酸化炭素を吸う事で中毒を起こしたら、たまったものではありませんしね」


「しかし『待つ』という行為は、万全な策ではないぽこよ」


 私がそういうと、みんなが注目した。


「韓国のセウォル号という船の沈没船事故があったぽこ! 船長が、主に学生である乗客たちにその場で待機するようにアナウンスしてから、パンツ一丁で逃げ出したぽこ。学生たちは船長のアナウンスに従って、沈没する最中も部屋で『待つ』という行動をとったぽこ。そのおかげで、救助がやってきてもすでに脱出できない状況になっていたぽこ。船が傾いて、出口通路が真上付近に移動していたから、そりゃ脱出は無理ぽこ。そして、死んじゃったぽこ。助かったのは『待つ』ことをせずに、逃げた者のみ。今回だって『待つ』ことで、ベランダの通路に完全に火が到着して、逃げ場を失うことで焼け死ぬ、という可能性もあったぽこよ。さあ、どうする? 進むか、待つか?」


「難しい問題っち。同じ事例があれば成功率がより高い方が分かるけど、みんな、初体験っち」


「ただ、今回についていえば風向きが変わったおかげで、運よく黒煙だらけの通路から煙が消えたでーす。そして、そのままベランダを突っ切ることで、全員無事に脱出できたでーす。でも、もしベランダがなかった場合。そして、風向きが変わらなかった場合、彼らは今ごろ、この世からいなくなっていたかもしれないでーす」


 この事件での死者は0人ではあるものの、もしかすると多大な犠牲が出ていた可能性もある。


「日本の人間たちは平和ボケしているところがあるぽこ。でも、唐突に事件に巻き込まれ、日常が非日常になる場合があるぽこ。生涯は一寸先は闇だぽこ。だから、今を思いっ切り楽しまないと、損だと思うぽこ」


「で、おじゃるな」


 一寸先は闇。私たちも平和だったねぐらをある日人間に見つかり、迷いの森の深層部まで足を踏み入れることになったのだ。どんなことが起きるのか、誰にも分らない。そのために私たちができることといえば、毎日を悔いのないように、感謝しながら生きるのみである。

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