『美味しいカレーで談議ヌス』(ジャンル:生活)

 私たちは電車の中で、ダシについて話しながら、門前仲町のゲートに戻ってきた。ぬいぐるみに憑依していた森の女神様が、本体に戻ったようで、カクンとぬいぐるみの顔が倒れた。わずかに軽くなる。


「ふぅー。ダシについて語っていたら、それらのダシで作った、カレーが食べたくなってきたぽこ」


「今さっき、食べに行ったではありませんか」


「あれは、カレージュースぽこ?」


「ほとんど同じだったような……」


「全然違うぽこ! ダシでカレーを作るぽこ!」


「カレーは、ダシよりも、野菜ジュースを買ってきて、それを水やダシ汁の代わりに使うのが、いいですわよ?」


 え? え? 今、ソラが衝撃的なことを言った。


「はあっ? なにを言ってるぽこか? ジュースでカレーを作れるぽこか?」


「カレーの有名店はたくさんの野菜を使って作っています。野菜ジュースを使えば、わざわざ野菜の原型が無くなるまで煮込む必要もありませんし、美味しいカレーができるのは、道理にかなっているのではないでしょうか」


「あ……頭がいいぽこ」


 ダシで作るカレーも美味しそうだけれど、野菜ジュースで作るカレーの方が美味しそうに思えた。完全な盲点であった。


「それでは今日は野菜ジュースでカレーを作ってみるでおじゃるよ」


 ドタドタと裏口のドア前までやってきた森の女神様の鶴の一声で、晩御飯のメニューが確定した。そして私たちは、今後は調理の知識を共有することを確認し合った。


「カレーを作るのなら、カレーに入れる食材を美味しくする方法を知っているでーす。それを使ってみるでーす」


 さっそくヒヨコがノウハウの一つを提案してくる。


「カレーの食材を美味しくするやり方でおじゃるか?」


「このやり方は50度洗いというやり方でーす」


「それは、なんだぽこ?」


「名の通り、食材を50度のお湯で洗うという簡単な方法でーす。50度のお湯は、沸騰したお湯と、水道水を半分ずつ入れたら完成するでーす。大体50度になればいいのでーす。温度計があれば、間違いないけど、測らなくても作れるでーす」


「50度のお湯で食材を洗うだけで、味が変わるっち? カレーに入れる具材は50度のお湯で洗った後、結局はフライパンで炒めるっちよ? そして煮込むっちよ?」


「ぜんぜーん味は変わるでーす。洗う時間は野菜なら2分間でーす。50度という温度に刺激されて細胞が拡張し、ミラクルな旨さになるのです。野菜なら日持ちもするようになるのでーす」


「うっそー」


「嘘ではないでーす。ただし、肉類はその日のうちに食べないといけないでーす。肉類は50度洗いをすると、腐りやすくなるのでーす」


「何だか信じられないぽこ」


 50度で洗った食材を再び火にかけるのだ。50度で洗ったからといって、味が変わるとはとても思えない。私の表情から心情を察したのか、森の女神様が言った。


「低温蒸し調理法でおじゃるよ。50度洗いをした野菜を、カレーの具材にして食べるでおじゃる。一度食べてみれば、納得するでおじゃる」


「しかし一度熱を加えて、冷まして、再び熱を加えるだなんて。それが美味しくなる理由が論理的に分からないぽこっ!」


「もしかしたら、土鍋の原理かもしれないっち」


 土鍋? 私は懐疑的な目を向けていたが、ラッカセイには、思い当たる節があるようだ。


「それはなんだぽこ?」


「鍋物は土鍋で作った方が、鉄の鍋で作るよりも美味しいっち」


「それって見た目で、印象が違うだけなんじゃないぽこか? 高そうな器で食べると、料理が美味しく感じるのと同じ原理ぽこ」


 食とは味覚だけではなく、視覚、嗅覚の総合点でその価値が決まる。ゆえに、料理を美味しそうに見せる器を使った場合、本来の味よりも美味しく感じることがある。


「そういうところもあるかもしれないっち。けれど、鉄の鍋よりも、土鍋の方が実際に味が美味しくなるっち」


「本当ぽこか~」


「本当っち! そこにはカラクリがあるっち」


 私たちは皆でカレーの準備を始めながら、ラッカセイの話を聞いた。


「土鍋と金属鍋の違いは熱の伝導率っち。火にかけると、土鍋は中々熱くならないけど、金属の鍋はすぐに中身を熱くするっち」


「それを聞くと、金属の鍋の方が優秀に思えますわ」


「早く熱くするよりも、ゆっくりと熱くする方がいい場合もあるっち。というのも、野菜というのは60℃程で一番、『酵素』が働いて味が美味しくなる、と言われてるっち。つまり一瞬で60℃を通過するよりも、じっくりゆっくりとと60℃を通過させた方が、野菜は美味しくなるっち。ちなみに、鍋ものによく使われる食材『白菜』には、肉類を美味しくする酵素が含まれているっちよ。白菜を入れるとその酵素で肉まで美味しくなる。だから、鍋には白菜が欠かせないっちねー」


「なるほど、そういう理屈があるぽこね。いったん50度洗いをした野菜を、カレーの具材にしても美味しくなるという科学的なメカニズムは理解できたぽこ」


 低温蒸し調理法――50度洗いは覚えておこう。


 それから30分後、カレーが完成した。森の女神様は鍋のカレーをお玉でよそっていく。


「わらわたちは低価格でより美味しく、健康的な食事を日々食べていきたいものでおじゃる。それには、このカレージュースが一番でおじゃる」


「あれれ? ルーをコップに入れるのですか? ライスにかけて食べるのではないのですか?」


 森の女神様は皿にカレールーをよそっているのではなく、私たちがお茶をする時に使う、それぞれのカップによそっていた。


「カレーライスを食べる前にカレージュースを飲もうでおじゃる。さっきのカフェで刺激を受けたのでおじゃる。実は、あの時、おかわりを所望していたでおじゃる」


「えええええー」


 森の女神様はカフェでは何も言わなかったが、おかわりが欲しかったのか。


「今度はホットジュースでおじゃる。さあ、みんなで、献杯と洒落込もうでおじゃる」


「……はーい」


「けんぱーーーい」


「けんぱあああああーーーい」


 私たちは、みんなでアツアツのカレージュースを飲んだ。


 舌を火傷してしまった。


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