9月27日(2)

「じゃあ、アーちゃん。また後で」

「おう。裏山で待ってるな」

 カスミさんが運転する車で病院を出た俺達は、まっすぐ各々の家に帰宅した。

 約束通りこの後、裏山で星を見ることになっている。

 その準備をカスミさんとともに行ったのだが、晩ご飯だけは家族で食べさせてほしいと提案があった。

 事情を知るカスミさんだからこそ家族団欒で過ごしておきたかったのだろうと思い、俺はそれを迷うことなく承諾した。

 晩ご飯を食べる気もしない俺は、荷物だけ整理してから自宅を出ようと思っていた。

 だから自宅のドアを開いた時、そこに立っていた人物に驚いたのだ。

「おかえり。アサギリ」

「お、おう。ただいま」

 仁王立ちで待ち構えるその風格はまるで最終クエストのラスボス感さえあった。

「か、母さん。俺、またこの後出るから」

 要点だけ話す俺を見て母さんはハァ、とため息を吐く。

「今日は出たり入ったり出たりで忙しいやつだねぇ。ちょっと待ってな」

 デジャブさえ感じられるその光景にただただ突っ立っていることしか許されない。

 そして今朝と同じぐらいの時間を掛け、母さんは台所から姿を現した。

「どうせ、晩ご飯家で食べないんだろ?だったらこれを持っていきな」

 なぜ食べる気がないことが分かったのか、とジト目で訴え。

「…サンキュ。今日遅くなる」

 業務連絡的に伝えたいことを伝えると。

「分かったよ。気をつけて行ってらっしゃい」

 母さんはまた台所に戻って行った。

 そんな母さんの不器用な優しさを感じられる程に、今の俺は人の気持ちを考えられていた。

 自室から必要な物と母さんから受け取った荷物を持って俺はまた家を出る。

 玄関を開けるとヒュウという音とともに風がぶつかってきた。

「…やっぱ夜になるとちょっと寒いな」

 夏も終わり秋本番と言ったところだろうか、夜の冷え込みが感じられる頃になった。

シオンは今頃家族で晩ご飯を食べているのだろう。

そこまで焦らないといけない訳ではないが、俺は足早に裏山へと向かったのだった。

その道中色々なことを考える。

今まで生きた十数年、気付けばそこにシオンがいた。

幼なじみだから、という理由抜きにしてお互いがお互いのことを引き寄せ合っていた。

 それはコノハが言っていた魂を半分に分けたからという説明を当てはめられるかもしれない。

 そんなものがなくたって俺はシオンを。

 シオンを……。

「愛してる。シオン」

 己に問いかけた最終確認を胸に、俺は裏山で一番星が見える約束の場所へと向かった。


 裏山に着いてから二時間ほど経っただろうか。

 母さんから渡された荷物を片付け待っていると。

 自然の音ではない機械音が微かに聞こえ、遂にその時が来たと分からせてくれた。

 今日は体調が良かったとはいえ、昨日の姿を知っているがゆえにここまで送ってきてもらったのだろう。

 その人物がくるまで落ち着いて目でも瞑って待っていようか。

 すでに星を見れるように地面にシートを引いて寝転がって待っていると。

「お待たせ」

 待ちわびたその瞬間が声とともに訪れる。

 ゆっくりと閉じていた目を開くと、星空をバックにしていても十分見劣りしない姿のシオンが俺をじっと見ていた。

「大丈夫。今来たとこ」

「ふふ。嘘ばっかり」

 そんな軽いジョークが通じるぐらいにはシオンも心が豊からしい。

「隣いいかな?」

 そんな聞くまでもない確認に。

「どうぞ」

 自然と笑みがこぼれてしまった。

 俺の言葉を聞いてから、シオンはシートに乗り隣に座る。

「藪用ってこれのこと?」

 質問をしながらシオンは目でそれを指す。

 その目線の先には、俺とカスミさんが昼間に用意していたプチキャンプ用品。

 急なことだったので、背もたれ着きの椅子や小さな机、テントと家にあったものをそれっぽく置いただけの簡素なものだけれど。

「これぐらいがちょうどいいだろ?」

「うん。ちょうどいい」

 シオンは笑って答えてくれた。

「んじゃ、まずこちらにどうぞ。お嬢様」

 寝転んでいた体勢を起こし、エスコートするようにシオンに手を伸ばす。

 返事をすることなく、俺の手を握ったことを確認し、備え付けている椅子の方に誘導する。

「こちら母さんからでございます」

「わぁ。クッキー!それに…これは紅茶?」

 クッキーが入った小さな籠と水筒から紅茶をコップに注ぐと、控えめな湯気と香りが立ち上がる。

 ありがとうと心の中で思いながら、自分の分も用意する。

 それを少しずつ口に含めて。

「シオン、ありがとな」

 開口一番、そんなことを言ってみた。

「ん、何が?」

 純粋に何のことか分かっていないようだったので、ハッキリと理由を言う。

「俺を生かしてくれて」

 その言葉に一瞬本当に分からない表情をするが、ハッと気付き確認をしてくる。

「会ったの?…山神様に」

 そのワードが出たということは俺の言っていることを理解出来ているらしい。

「聞いたよ。全部」

「そっかぁ…そっか」

 シオンは文字通り遠くを見ながら頷いている。

 俺もそれ以上は言うまいと思っていた矢先。

「山神様って可愛い姿してたよね」

「可愛いか?」

 ついこの間会ってきたところだがその容姿は性別の理解が難しい感じだった。

「小さな男の子だったでしょ」

「男の子なのか、あれは」

「絶対そうだよ!」

 シオンは喜々として話しているが、この山のどこかでこの会話を聞いているかも知れないということを考えると下手な発言が出来ないんだよな。

 と、俺も星を見ながら耽っていると。

「ねぇ、アーちゃん」

「どした」

 いつも聞くその前振りにいつも通り返事をする。

「生きていてくれてありがとう」

「………」

 唐突にシオンがそんなことを言うものだから俺は咄嗟に言葉がでなかった。

 それと同時に胸の奥がジーンとする。

 気が付くとその言葉を発していた。

「シオン、大好きだよ」

「………!」

 今度はシオンが言葉を失ったらしい。

 口をパクパクさせながら、恥ずかしそうにそっぽを向いてしまった。

 いつもその意思表示をしているのでこんなことを言っても動じないと思っていたのだが。

「アーちゃん、今のは反則」

 何故か注意をされてしまった。

「じゃ、愛してる?」

「それも!…うぅ」

 遂にシオンは手で顔を抑えてしまった。

 そんな可愛らしいところも、と追撃してやろうと思ったがそれはやめた。

 ふざけて言っているのではなくて、この気持ちが伝わってほしいから。

「ふぅ。…私も大好きだよ、アーちゃん。って、目泳ぎすぎ」

「そそそ、そんなこと…ない、ぞ」

 これは動揺している演技であって実際に動揺しているかはどうかはまったくもってそうじゃない。嘘です。動揺しました。

「面白いなぁ、アーちゃんは」

 いつの間にか形勢が逆転しているが、今はそれどころじゃない。早く冷静さを取り戻さなくては。

「…横になって、星見ないか」

 とりあえずそんなことを言ってみた。

「うん。そうしよ」

 俺の動揺隠しをどれほど分かって同意しているのかは分からない。

 だけどシオンもそれを望んでいることは分かった。

「うわぁ。一面星空だ」

 シオンの言う通り寝てそれを見上げると、視界には星空しか見えない。

「きれいだな」

「うん」

 そんな感想しか出てこなかったが、そんな感想しか当てはまらなかった。

 夜空に圧倒されしばらく言葉がでなかったが、ふと思い出したかのようにシオンは口を開く。

「死んだらどうなるのかな」

 それは問いかけというよりつぶやきに近かった。

 シオンの気持ちが伝わりすぎてグッと胸が痛くなる。

 だけどこのつぶやきには答えないといけない。よく考えてから口を開く。

「きっとまた何か新しいことが始まるんじゃないか」

「そうかな…そうだといいな」

 力の無い声の方を見ると目を閉じてじっとしていた。

 こんな時にどんな言葉をかけていいのか分からない。

 だから。

「シオン。そのままでいいから聞いてくれ」

「うん」

 俺の思いを歌に乗せて伝えよう。

 昨日からずっとシオンのことだけを考えていた。

 この状況になることもおそらく本能で分かっていたから歌を作ることにしたんだ。

 すぅと小さく息を吸ってから口を大きく開く。

「今まで歩いてきた道を辿ってみるといつも君がいた」

 思い出すのはいつもシオンとの思い出。

「嬉しい時も悲しい時も一緒にいてくれた」

 どんなことがあってもシオンがいてくれるだけで元気になれた。

「こんな当たり前のことが一番幸せだって今気付いたんだ」

 いつまでもこんな当たり前が続くと思っていた。

「ありがとう。一緒にいてくれて」

 シオンじゃなきゃ駄目なんだ。

「ありがとう。生きる力をくれて」

 シオンとだからここまで来れた。

「ありがとう。大好きだよ」

 シオン、君が大好きだよ。

「ありがとう。ありがとう」

 シオン、今までありがとう。

 歌い終わってゆっくりと目を開けて、シオンの方を見る。

 閉じられているシオンの目から涙がこぼれていた。

 そんな目がゆっくりと開かれ。

「アーちゃん、ありがとう。嬉しいよ」

「それは良かった」

 歌など作ったことがない素人なのでかなり拙いものだっただろう。

 それでも俺の気持ちをちゃんと乗せて作った。

 全部伝わっていたらいいな。

「今まで歩いてきた道を辿ってみるといつも君がいた」

「ちょ、おま!」

 さっき歌ったシオンへの歌を今度はシオンが歌い出す。

 一度聞いただけなのに一字一句間違えなく。

「やめろ。恥ずかしい」

 そんな俺の言葉を聞かず、シオンは歌い続ける。

 何を言っても聞かない雰囲気なので黙って聞いていると、自然と涙が出ていることに気が付いた。

 全て歌いきったシオンは少し笑って。

「どう?私の気持ち、伝わった?」

 そんなこと言わなくても分かるだろ。

 俺はこぼれ落ちた涙を拭き取って。

「全部伝わったよ」

 真実だけを口にした。

 まさか自分が作った歌を自分が聴くことになるとは。

「あぁ、幸せだなぁ」

 シオンはゆっくりとそんなことを言う。

 そしてすぅ、と大きく息を吸った。

「私、生きている意味あったのかな?」

「何言ってんだ?あったに決まってるだろ」

 意外な言葉に反応が遅れてしまう。

「私まだ何も出来てない。やるべきことも、やりたいこともいっぱいあったのに」

「……」

「せっかく産んでくれて、今まで生かしてくれた両親にも恩返しできてない」

「……」

「これから…これから、だった、のに。うぅ」

「シオン」

「…?」

「俺はシオンが産まれてきてくれて、そばに居てくれて本当に良かったと思っているよ。俺がいつも、いつでも必要としてる…ってのじゃ駄目かな?」

「…アーちゃん」

 仰向けだった体勢をシオンの方に向け、シオンの体を引き寄せる。

 突然のことにシオンは驚いた様子だったが、次の俺の行動によってさらに動揺した。

「な、ななな。急に、キスは!反則だよ」

 いつもだったらこんなことはしない。

「他にやりたいことは?」

 少し意地悪にそう言ってみる。

 その言葉にシオンは遠慮がちに。

「…じゃもう一回していい?」

 その問いに意義を立てる必要すらなかった。

 今度は突然ではないので、俺も変に緊張してしまった。

 その行為自体に意味があるのかは分からない。

 でも二人が必要だと思っているのなら、意味があるのかな。

「ねぇ、アーちゃん。一つだけ聞いてもいい?」

「何だ?」

「もし…もしも生まれ変わるとしたら――」

「またシオンとずっと一緒に居たい」

 最後まで聞くことなく即答する。

「そっか。私も同じ気持ちだよ」

 シオンは嬉しそうに微笑む。

 そして。

「良かった。最後にアーちゃんと一緒に居れて」

 その言葉を聞いて俺は心が締め付けられたように痛くなる。

 ついにその時が来たのだと直感で分かってしまった。

「俺も、俺もシオンと一緒に過ごした今までが…すごく幸せだった」

「うん」

「ありがとう、シオン。こんな俺と…一緒に居てくれて」

「…うん」

涙が出そうになるのを必死に抑える。

最後まで心配させたくないから。

「…私、何だか眠くなってきちゃった。ちょっと、寝てもいいかな?」

 まだだ。まだ泣くな。

 最後の言葉まで耐えろ。

「…おう。ありがとう。おやすみ…シオン」

 俺の言葉に返事はなかった。

 その代わり俺の泣き声だけがこの静かな山の中で響き渡った。

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