9月27日(1)
朝だ。
昨日シオンがいる病院から帰った俺は、珍しく睡眠を必要としなかった。
どこか無意識にここで寝れば後悔すると思っていたのかもしれない。
「そろそろ病院で面会していい時間かな」
スマホで時刻を確認する。
時刻はあと五分ばかりで八時を迎えようとしていた。
「じゃ、行きますか」
誰に向けてか自分でも分からないが、その言葉を言うことで何故だか気力が溢れ出るようだった。
軽く準備をして俺が家から出ようとすると。
「おはよう。あんた休日だってのに、こんな朝早くからどこ行くの」
「…母さん」
普段は家に居ることが多い母さんに、玄関口で発見されてしまう。
「別にどこだっていいだろ」
「どこ行くかぐらい言いなさいな」
別に怒っているわけでもない、普段の会話。
高校生にもなってまだこんなやりとりをすることが恥ずかしい。
「…シオンのとこに」
「あぁー…シーちゃん入院してんだって?ちょっと待ってな」
そんなことを言うと何やら台所の方に向かって行く。
どうでもいいけど早くしてほしい。…という念が伝わったのかものの数分で母さんは台所から姿を現した。
「これ持って行って」
と、手渡されたのは籠に入ったフルーツの詰め合わせ。
何でこんなもの用意してんだよ、と目で訴えていると。
「シーちゃんによろしくね」
背中を押されて家から出されてしまった。
変な風に荷物が多くなってしまったのは気にしないでおこう。それにしてもこの籠重いなぁ。
俺はそのまま道路に出て、隣の家に行くと昨日と同じようにインターホンを押す。
一人で行っても良いのだが、一応確認だけしておこう。
出なくてもいいと思っていたので、期待はしていなかったのだが反応がないとなぜか寂しくなるよな。
そのまま立ち去ろうとすると、外にいてもギリギリ分かるぐらいの足音が近づいてくる。
そして玄関の方に目をやっていると、カスミさんが扉を開けて出て来てくれた。
「おはよう。アサギリ君」
急いで来てくれたのだろうか、少しだけ呼吸を乱したカスミさん。
「おはようございます。今日もシオンのところに行こうかと思って。あの、それでこれ」
俺は手に持っている籠を少しだけ高く上げてアピールする。
「そう。ちょうど私も行こうかと思っていたところだから、一緒に車で行きましょう。ちょっと待っててね」
「はい。では、お願いします」
病院まではそこまで遠い距離ではないが、車で乗せてってもらえると助かる。
家の中に戻っていくカスミさんを見届け、待つことしばし。
外出用に格好で家から出て来たカスミさんは、何やら少し大きめのトートバックを持っていた。
「お待たせ。それじゃ行きましょう」
そう言って車に乗り組むカスミさんの後をついて行く。
家が隣とはいえ、普段交流のない人の車に乗せてもらうって何だかドキドキしてしまう。
どうぞと誘導してもらったので助手席に座ると、カスミさんはエンジンをかけ車を発進させた。
「アサギリ君、昨日はありがとう。楽しそうに話をしていたって、病院の先生に聞いたわ。今日もいっぱい話してあげてね」
「いえいえ、昨日は突然申し訳なかったです。それに面会時間ギリギリまで居てしまって」
半日経って頭を冷やしたら、昨日は多少強引な部分があったかもしれないと思うようになった。
そんな俺の反省にカスミさんはしっかりと進行方向を見ながら、でも目元だけで笑っていた。
「あの子が急に入院することになって、私たちも心配で。だから元気な姿をしていたって聞いただけでも何だか安心できるの」
「そう、ですよね」
言葉に詰まってしまった。
カスミさんはおそらく知らないのだろう。
シオンにはもう時間がないってことを。
「シオン、おはよう。アサギリ君が来てくれたわよ」
個室の扉を開けるとシオンは半身を起き上がらせ、テレビを見ていた。
「あ、お母さん。それにアーちゃん、おはよう!」
病室に入るなり挨拶が交わされたがその様子を見て俺は少しだけほっとしていた。
昨日の夜には話すのも辛そうだったシオンが、会話をする元気を取り戻していたからだ。
ただ、体の方は完全に回復しているという訳ではなく、やはり目で見ても分かるぐらいには衰弱していた。
「おはよう。シオン、これ母さんから」
持っていたフルーツの入った籠をベットの横に添えてある机の上に置くと、シオンは目を輝かせて。
「うわー。すごい!ありがとう。こういうの一回貰ってみたかったんだ。お母さん、今食べたい!」
「はいはい。アサギリ君、ありがとうね。頂くわ」
「はい。どうぞどうぞ」
シオンの元気な姿が見れただけで持ってきた甲斐があったってもんだ。心の中で母さんに感謝しながら、シオンが選んでいる姿を見ていた。
「お母さん、リンゴ!リンゴがいい」
「…そう言うと思って、家から包丁を持ってきたわ」
カスミさんはトートバックからマイ包丁を取り出すと椅子に腰掛けリンゴを剥いていく。
俺が一瞬籠を見せただけで、包丁を家から持ってくるあたり、カスミさん流石です。
と、俺の目がそう告げていたのかシオンは俺の服の袖を引っ張り、もう一つある椅子に座れという合図をだしてきた。
その合図に従い、椅子に腰をかける。
「ねぇ、アーちゃん。今日はお母さんと一緒に来たってことは車?」
「あぁ、乗せて来てもらったんだ」
「お母さんの運転、怖くなかった?」
「いや全然」
至って普通の運転だった気がするので、シオンがそんなことを聞いてくるのが疑問だった。
「そっか。今日はアーちゃんが乗っているから、スピード抑えて――」
「うっうん!」
シオンの話を遮りカスミさんは大きく咳払いをした。
「リンゴ剥けたけど、食べたい?」
「…食べたい」
何やら家族間でのやりとりがあった気がするが、ここは知らぬフリをしておこう。
「アサギリ君もどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
俺もカスミさんからリンゴを受け取りムシャムシャと食べつつ、つつがなくシオンとも会話をすることしばし。
安堵もあり少し緊張がほぐれてきたのか、急な尿意に気が付いた。
「喉渇いたので自販機に買いに行きますが、何かいります?」
ついでに飲み物もと思い、二人に聞く。
「それなら私が買いに――」
「じゃ私、甘いカフェオレで!」
シオンはカスミさんの言葉に被せるように注文してきた。
「了解。カスミさんはどうしますか?」
「…私は持ってきているから気にしないで。ごめんなさいね、これで買ってきてもらえる?」
財布の中から千円札を取り出し俺に渡そうとするが。
「これぐらいいいですよ。それに車で送ってもらってますし」
まくし立てるようにカスミさんの厚意を断って部屋を出ようとする。
「アーちゃん。じっくり選んできて。…甘いのだからね!」
「?…分かったよ。出来るだけ甘いの買ってくる」
そんな注文を受け付けて俺は部屋を出た。
「ちょっと遅くなっちまったか」
自販機という自販機を探し、牛乳成分が大半のものを買ってみたが、はたしてこれは美味しいのだろうか。
念のため自分のをコーヒーと書いてあるのに何故か甘い飲みものにして、どっちを取っても良いようにしておいた。
シオンがいる部屋に入ろうとドアハンドルに手を伸ばそうとした時。
部屋の中がやけに静かなことが気になった。
そんなことを気にしてもどうしようもないので、部屋の扉をゆっくりと開ける。
「…飲み物買ってきたぞ」
「おかえりアーちゃん。…ちゃんと甘いの買ってきてくれた?」
返事をするシオンに飲み物を渡すため隣まで行きながら。
「カスミさんは?」
静けさの原因について問う。
「お母さんは…ちょっと風に当たってくるって」
「そっか」
元気を取り戻したように見えたカスミさんも、どうやらまだ気分転換が必要らしい。
「もうすぐお昼だけど、アーちゃんはどうする?」
もうそんな時間か、と時計を見ると確かに正午を回っていた。
「どうしようか…流石に一旦帰るか」
顎に手を置きながら考えていると。
「そうだね。それがいいよ」
「じゃ一旦帰るわ。また飯食べたら来るよ」
「あ…っと、待って。アーちゃん」
帰ろうと席を立った際に呼び止められる。
「今日、星が見たいの」
シオンは唐突にそんなことを言い出す。
そんなわがままは普段なら、何言ってんだよ、と茶化すところだろう。
でも。
「分かった」
「うん」
そう言って俺は病室をあとにした。
廊下に出た俺は一度自宅に帰るためにカスミさんを探すことを考えた。
しかし俺の考えが読まれていたかのように目的の人物はすぐそばにいた。
「帰りましょうか」
壁を背に腕を組んで立っていたカスミさんは優しい笑みで言う。
「…はい」
先手を取られたように引きつった返事をしてしまう。
何でそんなところに立っていたんですか。とか聞く雰囲気ではなく、カスミさんの後ろを付いて行って病院を出る。
そうしてようやくカスミさんは口を開いた。
「アサギリ君、ごめんなさいね。シオンったらわがままばっかりで」
「いや、そんなこと全然」
右手でジェスチャーも入れつつ謙遜する。
そんな俺の様子を見て。
「ありがとう。どうぞ、乗って」
「すみません。送ってもらっちゃって」
カスミさんの車の助手席に乗り込みシートベルトをした時。
「ねぇ、アサギリ君」
「はい?」
「何か隠していること、ない?」
「……ッ!!?」
突然の質問に言葉ではない音が口から出た。
カスミさんはまっすぐ俺の方を見ている。
「…隠し事って何がです?」
必死に言葉を考える。
カスミさんからは妙なプレッシャーのようなものを感じる。
「何ってシオンのことで何か言ってないこと、ないかなって」
試すような質問に。
「一つ、言っていないことがあります」
「うん」
「驚かないで聞いて下さい」
「うん」
しっかりと前振りをしておいて。
「シオンは明日死にます」
しっかりとそのことを告げた。
突拍子のないことで動揺しているかとカスミさんの方を向くと。
「やはり、そうなのね」
冷静に、何もかも分かったように頷く。
「驚かないんですか?」
俺が言ったことに対して驚けと言うのも変な話ではあるが聞かずにいられなかった。
「そうじゃないかなって思っていたの」
「それは…何故ですか」
「母親の勘ってやつかしら」
「勘、ですか」
また曖昧なことを、と思ったが俺が言ったこともカスミさんからしたら根拠のない曖昧なものなのかもしれない。
「あの子がね…わがままを言ったのは何年ぶりかしら」
つぶやくように言うそんな言葉につい反応してしまう。
「わがままですか」
「そう。だからね、アサギリ君。最後まであの子のわがままに付き合ってあげてほしいの」
カスミさんがどんな思いでそんなことを言っているのか、俺には分からない。
でも決して楽観的に考えてものを言っているようには思えなかった。
だからそんな投げかけに。
「はい、もちろんです。…えっと、実は俺からもお願いがあって」
「ありがとう。何かしら?」
「シオンが星を見たいって言っていて。今日の夜、病院を出たらまずいですか?」
「…そうねぇ。何とかしてみるわ」
一瞬悩んだように見えたが、すぐに結論を出して何とかすると言ってくれた。
「ありがとうございます。じゃ――」
「色々準備が必要ね」
俺が言おうとした言葉を先取りしてからカスミさんは車を走らせた。
時刻は午後四時を迎えようとしていた。
再びシオンの待つ病室に足を踏み入れ、シオンの顔色を伺うと大層ご立腹であった。
「遅い!何してたの」
「すまんすまん。ちょっと藪用が」
「あー、そうなんだ。藪用っていうのがそんなに大事なんだ」
いじけるように言うシオンに頭が上がらず。
「そんなことなくはないんだが…ごめん。ちょっと時間かけすぎた」
素直に謝る姿を見て、シオンは堪えられなくなったのか。
「ふふ、嘘。でも、もう戻ってきてくれないのかと思った」
からかうようにそれでいて少し寂しそうに言う。
「戻らない訳ないだろ。それより星、見に行けることになったから準備してくれ」
「え、本当?」
「おう」
さっきまでの悲しそうな表情から一変、あからさまに嬉しそうな表情を見せる。
その表情が見れただけでも。
「詳しくは家で話すわ」
タイミングを見計らっていたかのように、カスミさんが姿を現す。
まずは俺だけで病室に入れって言われて疑問もなく入ったが、まさか遅れたことを俺にだけ謝罪させるためではないよな。
「お母さん、いいの?帰って」
「えぇ」
短い返事の中にはどれほどの思いが詰まっていたのだろう。
カスミさんの返事を聞き、シオンは少し寂しそうに笑った。
「じゃ帰ろっか」
意を決したようにそう言ったシオンは病院を出る支度を済ませ、病室を出る一歩を踏み出した。
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