雨と配給食のはなし
工業街区外縁部。
そこかしこの建物に反響し、未知なる怪物が唸っているかような轟音。
年に数回あるかないかのゲリラ豪雨が建物や地面を抉る勢いで叩きつける。
オフシーズンなのか廃棄されているのか、人気のない工場の窓を黒マントの死神が蹴破って転がり込む。
彼に続いて二人ほどその窓から中に入り込んだ。
「うーわ、汚ったね!マジでサイアク」
「今日のは特に酷いですね……5m先すら見えませんでしたよ」
「屋根のある場所に入れただけマシだろう、装備品の確認が先だ」
蓮がフードだけ取り払い、雨に濡れた肌を携帯していたボトルの水で簡単に洗い流す。
ハルもマスクだけはとらずに頭から水を被っていた。
そしてもう一人、この中で唯一の二課である男、ベナトルもヘルメットを外し丁寧に不調をきたしていないか確認をしている。
仕事自体は既に終えていてあとは帰還するだけだったのだが、まるで狙ったのかと思うようなタイミングで降ってきたゲリラ豪雨。
NWKにより汚染された海水が蒸発して雲になる。更に盛んな産業が生み出す負の遺産、窒素酸化物などの大気汚染物質が纏めて雨として降ってくるのだ。
下層で育った者は特にその弊害を身に染みて知っている。
「帰還次第、身体を流して装備のメンテナンスを行うこと。 ……二人とも仕事での負傷やその他傷口はないか」
「ねェけど、これいつ止むのかもわかんねェぞ。もっと奥行こうぜ、窓ブチ破ったからこの辺でマスク取りたくねーし」
「I.P.E.の所有してる建物でもないのにいいんですか?窓壊して土足で汚して」
「お前真面目チャンだな、非常事態だったしこういうのは後で報告書入力すれば済む。しかも一枚でいいんだぜ?ちょろいもんだ」
そういうものですか、とハルの独特な価値観に首を傾げるベナトル。
どうせ報告をあげるのはハルだからと蓮は知らん顔を決め込んだ。
しかも今回の件で書くべきは始末書だ。始末書を報告書と一緒くたにしてちょろいもんだと提出に慣れてしまっているハルが問題である。
フロアに靴跡を付けながら簡単に寛げそうな場所を探す。
それぞれ作業台やフロア、積まれた資材の上に腰掛けた。
蓮とハルはそもそも戦闘を伴う任務ではなかったため、装備品も簡素なものだ。動作に支障がないかの確認はすぐに終わる。
たまたま帰還中に合流したベナトルの今日がどんな仕事内容だったのかは知らないが、汎用的な対応が求められる二課は装備品も多く確認に時間がかかっているようだ。
特段この後急ぎの予定もないため、真っ先にやることのなくなったハルがぼーっと彼の手元を見ながら雨上がりを待つ。
動作チェックなどとうに終わっているだろう蓮が携行しているハンドガンを弄っているのは手持無沙汰の証拠。
こういうとき、他に誰かが居ようと居なかろうと話題を提供するのは大体ハルの役目。
「なー、腹減らね? 冷えたせいでなんか小腹空いた」
「……今は何も持ってない」
「配給食ならいくつか持ってますよ。食べますか?」
「うわ懐かし! あったあったそのブロックバー! 他に何か持ってんの?」
ベナトルがポーチから出して見せた食べ物にハルが嬉しそうな反応をした。
久しぶりに見る配給食のパッケージにテンションを上げてベナトルに歩み寄る。
現代の食事の形というのは生活レベルにより大きな差がある昨今、かなり多様なものとなっている。
その格差を埋めるため、大衆向けに市場に多く出回っているのが機能栄養食品。
昔は不足しがちな栄養を補完する補助食品をそう呼んだらしいが、現代は食材を加工した完成品、食事を代替できるものも呼ぶようになったためより広義的になった。
認識レベルも様々で、料理を食べることのみを食事と呼ぶ人もいれば栄養補給すらも食事としてカウントする人もいる。
ひとえに育ちの認識差によるものだが、蓮は前者、ハルは後者に含まれるだろうか。
中層以上で暮らす蓮たちが普段目にするエネルギーバーなどの機能食は他の栄養素やカロリー、味付け、食感などがかなり改良進化されているものだ。
配給食は下層街区民に送られるもので、味付けや食感などは二の次。その分コストカットされた安物。
食事の楽しみという概念は一切ない。
見慣れない配給食に蓮の興味も惹かれる。
「……なんで機能食ではなく配給食なんだ?」
「なにかあったときに恐らく残るのは配給食でしょうから、食べ慣れておいたほうがいいかと思いまして。こちらならわざわざ買わなくともイヅナに居る限り下層支援課で貰えますし」
「あーそうかも。蓮とか食ったことないんじゃね? ブロックバーはよくあるやつだからこれ食ってみろよ」
ニヤニヤと悪い顔のハルが包装を剥いで取りやすくしたエネルギーバーを蓮に差し出す。
ちなみにブロックバーは下層民の俗称で、商品名としては國民栄養食三号……だかなんとかという名前があるようだが基本的にブロックバーで通じる。
何かを言おうとしたベナトルを止めてハルは二人で蓮の初体験を見守った。
蓮が受け取ったそれに前歯を立てる。噛めない。
もう少し奥の歯を使う。噛めない。
奇妙そうな顔で一度口の外に出したエネルギーバーを確かめる。うっすらとしか歯型がついていなかった。
「……これ、食べ物の固さか?」
「フッハッハハ! お前最高、予想通りすぎてウケる! 笑いすぎて腹痛ェ」
「本当に食べたことない人でしたか。それ、先に水を口に含んでふやかしながら食べるといいですよ」
「甘い甘い、緊急で水もなかったらこのまま食うしかないんだぜ?」
ハルが犬歯でガリガリと文字通り削りながら食べ進めている。
蓮の体感だと石そのものを口にしたような感覚だったが、食べ慣れているとそのまま食べられるらしい。
不可解な気持ちで教えられた通り水と一緒にそれを食べきる。味はほぼ無味。
機能としては同じかもしれないが、蓮の食べたことのあるエネルギーバーとは全く別の代物だということだけは分かった。
「これなら配給食の経験がない人にも食べやすいと思います。どうぞ」
「高タンパク糖源。……こっちは柔らかいのか」
ベナトルに渡された10cm程度の縦長の細い包み。
弾力のある感触だ、ブロックバーとは随分違う。
端から包装を裂けば水分を含んだ白いゲル状のものが出てくる。
「モチじゃん。それ甘いから人気でいつも争奪戦になるんだよなー」
「餅? それにしては随分感触が違うような」
「ホンモノの餅は下層に出回らないんだよ、俺も大人になってから初めて食ったくらいだ」
「下層の人には商品名より俗称の方が浸透してるんですね。だから下層出身の人がお餅見て驚くのか……」
あんなん下層民に出したら喉に詰まらせて全員死ぬぜ、とハルが言う。
蓮が高タンパク糖原を口に入れた後、但しすごく歯にくっつくという遅すぎる注釈をハルから貰い、蓮は眉を寄せた。
ちなみに、やはりタンパク質の含有量が優先されているおかげか甘いとはいえうっすらとした甘さ程度の味だった。それでも下層民には貴重な味覚なのだろう。
ベナトルも実際に配給を受ける人たちとの認識差を面白いと感じたのか、次の配給食をハルに見せてみた。
飴玉よりふた回りくらい小さくしたような白色のタブレット。透明で小さなビニールに数個パッキングされたそれを見てハルが答える。
「シロマル」
「シロマルですか? 同僚はハクガンって呼んでました」
「人によって呼び方違うんだよ、俺の周りはシロマルだった。それ味しないけど何の役割があんの?」
「……必須アミノ酸混合タブレット」
「なんて?」
口の中にまとわりつく高タンパク糖源がやっと満足に剥がせたのか、蓮がようやく会話に参加する。
自分が呼んでいたシロマルという俗称とはとてもかけ離れた複雑な名前を、ハルは一度では理解できなかったようだ。
配給を受ける人たちにとっては効果効能などは二の次にされるものなのだな、とベナトルも再認識させられる。
ワイワイと配給食のエピソードで盛り上がっていると、ハルがふと入ってきた方向を振り向く。
「お、もうすぐ雨上がるぞ」
「ハルさん、雨上がりまで分かるんですか?」
「降る時も同じこと言ってたな」
「分かるだろ、空気の匂いが全然違ェ」
ハルの宣言から一分も経たないうちに、一帯の建物を叩きつけていた雨音が静まる。
三人が入ってきた窓から外を覗けば雨は上がり、オイルの浮いた水溜りが出来上がっている。
汚染物質の溶けた雨がもたらす空気、その悪臭は相当なもの。社会問題として國が扱うほどだ。
メディオ地区で降る雨は別格で汚ェ、とはハルカ談。
再び三人は防護装備を身に着け帰投する。
帰って即座に浴びたシャワーで流れた湯水は薄茶色かったし、濡れた黒マントをブチ込んで洗濯したランドリーのウォッシングマシンは一台壊したし、ベナトルはドローンの調整にめちゃめちゃ手間取った。
弁償だパーツ代だで危うく暫くの食事が配給食になりかけた三人だった。
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