鬼に逢うては鬼助け
崩れるぞ! と仲間の声が上がったのが大体十数秒前。
それより先にハルは安全な場所の見当をつけるために周囲を見渡した。その視界に、この場に居ると明らかにマズい一般人を見つけてしまったのがその二秒後。
奇しくも崩壊する建物の下敷きになるような場所に運悪く立っていたその男に、反射的に駆け寄ったハル。
男は頭上の瓦礫を見ていた。
下敷きになる未来を避けるために、男に手加減なしの体当たりをする勢いで確保。
ハルの体当たりに男はそれを受けつつ数歩下がり、降り注ぐ瓦礫の特に重量のあったものが立っていた場所を更に押し込んで崩落した。
そのせいで助けた男諸共もつれ込んだハルは一階分落とされる。
「いってぇ……マジか、やられたなこりゃ」
幸いフロアをぶち抜いただけで引っ掛かった大きな瓦礫が傘となり、中小様々な瓦礫は多く降ってこなかった。
偶然ぽっかりと出来た空間にハルは孤立させられる。
自分の状態を確認しているとふと大事なことを思い出した。
一緒に落ちた男はどこだ?
「ゴホッ、全く……床抜けするとは。定期点検を怠ったな、不真面目なのは建築か、企業か?」
「おいお前大丈夫か? 怪我は」
一緒に落ちてきた不運な男も近くに居た。
こちらも幸い意識はしっかりあるようで、顔をしかめて文句を垂れていた。
「その標章はI.P.E.の二課か。貴公こそ健勝か?」
「あー、けん……なに?」
「大事ないかと聞いた」
「それ俺が先に聞いたんだろうが! クッソ最悪、なんで
一般人と言われて男は思い出したように口を噤む。
彼も念のためもう一度自分の身体を確かめた。
ハルは腰に差していた無線機を手に持ち接続を試みる。
しかし圏外か故障なのか、何度か操作を試しては腹立たしそうに舌打ちを繰り返した。
「ダメだなイカれてやがる。はー、救助待つしかねェか」
「職務中だったのだろう? 内容までは聞かぬが、そちらはいいのか?」
「いい。どうせチームメイトがなんとかする。連絡は行ってると思うが、俺らの救助はもう暫く掛かるぞ。この状況で大した怪我しなかったのはよかったけど」
ハルには少し不満があった。
この男を瓦礫の崩落から押して救った後、床が抜けて落下する最中。
事もあろうかこの男はハルをつき飛ばしたのだ。
彼の近く周囲に散乱している上の床を形成していた瓦礫たちを見れば、ハルからは見えていなかったそれらに巻き込まれるのを防いだのだとは思う。
この男が実際のところ何者にせよ、助けた人間に助けられたというのがちょっとムカついた。
「巻き込んだのは悪かったよ。お前、名前は?」
「……タロスだ。貴公のおかげで助かった、私も名を知りたい」
「ハルカ。ハルでいい。そこ瓦礫退かすときに居たら危ねェから、立てるか?」
「それもそうだな。ふむ……」
タロスはハルに同意したものの、目の前の瓦礫を眺めて腕を組む。
一向に動かないタロスを不思議に思って傍によれば、崩落した瓦礫に肌色の足が潰されていてサッと血の気が引いた。
「なっ、あ、脚! 大丈夫かそれ!? 潰れてね!!?」
「そうだな、右脚が巻き込まれた」
「なんでそんな冷静なワケ!? 痛ェだろうが、感覚は!?」
なんでこんなにタロスが冷静なのか理解できない。
自力で引っこ抜けないなら順当に瓦礫を退かしていくのは危ない。
救助が来る前に状況を説明しなくてはせっかく助けた彼が今度こそ瓦礫に潰されてしまう。
無線は繋がらないし、いやもう一度リトライしてみようと無線を叩く。
「さしたる問題ではないぞ。右脚の感覚はない」
「感覚がないのは大問題だろうがよ! お前頭も打ってたのか!?」
「いいや、そちらも無事だ。そうだな、巻き込まれたのが右脚でよかった。今後移動が困難になる故、肩を拝借できると助かる」
カチャン、と機械的な音がした。
タロスが服をずりながら今までいた場所から一歩分身体を引く。
……右脚を置き去りにして。
「脚!! あし!!??」
「こちらは義足だ」
「それを最初に言いやがれトカゲ野郎 !!!!」
心臓に悪いショッキングな映像だと思ったのに、しれっとされたネタバラシに勢いのままハルがキレる。
丁度タロスが装着していたのが人工スキンの義肢だったのが勘違いの原因であった。
サイバネ化された右半身の定期メンテナンスと術後の経過観察のため、普段利用している國の施設ではなく6大企業系列の複合施設にやってきていたタロス。
手続きで何か不手際があったのか、予約がされておらずロビーで待ちぼうけを食らうこと一時間弱。
ようやく中待合に通され診察と接続部のオーバーホールを受けたが、会計でトラブルでもあったのか再び待たされること30分余り。
いつの間にか周囲からは人影は消え失せ、西日の差し始めたロビーにぽつんとただ一人になっていた。
「会計はツクヨミ宛に領収書を提出すればよいはずだが、いったい何をしているのか……」
おまけに施術を行ったサイバネ技師の腕も二流がいいところ。肩の接続もだが、右脚の神経伝達に支障を来す有様だった。
こんな施設で再調整を受ける気にもならない。
一刻も早く会計を終わらせ、スサノヲお抱えのサイバネ技師の元へ向かうしかあるまいとタロスはため息を吐きながら手元の端末で今日の整備を手配した者への恨み文をしたためる。
「人口スキンの義肢は、どうもしっくり来ぬな。神経伝達がデリケートなのか、もしくはワンオフであるが故の弊害か。技術部に掛け合うのも致し方ない……か」
手配者への恨み文、サイバネ技師へのスケジュール確認、スサノヲ技術部局への提言をさらさらと書き上げ、それぞれ送信する。
文章にしたことで多少溜飲が下がったのを感じ、ふと違和感を感じて顔を上げた。
「風?」
周囲を見回しても発生源は見当たらず、頬を撫でる僅かな風にタロスは首をかしげた。
タロスが今いるのは、空調管理の行き届いた屋内施設。そして屋外との出入口がある階ではない。間違っても自然の風が入り込むような場所ではないはずだった。
「室温が低下している。とすると風ではなく温度差による外気の流入か?」
ぐるりと周囲を見回したタロスは壁面のガラスに映る複数の黒い影を見つけた瞬間、背筋を氷塊が滑り落ちるような悪寒にその身を竦ませる。
タロスが今まで座っていた長椅子の下に身体を滑り込ませるのと、吹き抜けになった上部から無数のガラス片が降り注ぐのは同時だった。
鋭利な刃となったガラスが床を穿つ。細かく砕かれ飛び散った破片から急所を守りながら、タロスは面倒なことになったとため息を零した。
床に押し付けた耳に聞こえてくる、複数の振動。長椅子の隙間から見上げれば、懸垂降下してくる複数の黒い影。
どこかの企業同士の紛争に巻き込まれたのだろう。予約の不手際といい。機動義肢の不具合といい、鉄面皮であるタロスでも今日は厄日かとボヤきたくなる程だった。
ロビーに降り立った黒い影の連中と走り込んできた別企業の私兵部隊との戦闘が始まったのは、それから間も無くのこと。
メンバーの殆どを物資か何かの確保のために分散させた黒い影の連中は、ロビーに突入してきたもう一つの部隊との戦力差によって徐々に押され始めていた。
「こちら側の連中は装備に見覚えがない……小規模なテロ組織? いや、生体至上主義派の連中か」
間の悪さに辟易しながらも両者の装備から所属企業のアタリを付けていくのは、タロスが特務機関スサノヲの隊長なればこそ。
大声で仲間に指示を出す指揮官らしき壮年の男の顔に浮かんでいるのは、明確な焦燥感。
どうやら部隊を率いた経験はあり懸垂降下の訓練は十二分にさせたが、肝心の戦闘訓練までは手が回らなかったらしい。
「おい! 爆薬は仕掛け終わったのか!?」
「今、連絡がありました! もう間もなくだそうです!」
「よし、なら撤収するぞ。煙幕とグレネードをありったけぶちまけろ!」
テロ組織の指揮官の号令で、陣形を組んだ相手部隊めがけて複数のグレネードが投擲される。
タロスが長椅子の隙間から様子を伺うと、向こうの部隊は盾兵を前面に展開し爆発をやり過ごそうとしているところだった。
立て続けに爆ぜるグレネードの爆風と衝撃から身を守るタロスの目には、大慌てで撤収していくテロ組織の背中が写っていた。
「間に合わなんだか。つくづく厄日よな、今日は」
煙幕が収まるのを待ち、自由に動かない
テロ組織の仕掛けた爆弾の爆発は施設内の設備を破壊するだけにとどまらず、ロビーの天井を破壊して大量の瓦礫となってタロスに襲いかかった。
(瓦礫の落下地点を予測すれば、致命傷だけはさけられるか?)
頭上を見上げながら安全地帯を探し動き始めようとしたその時、ドンッという衝撃と共に視界が揺れた。
思わずたたらを踏んで視線を戻せば、崩落の危険を察知して逃げたはずの私兵部隊の一人。
「おいテメェ! ボサっとすんな死にてぇのか!」
フルフェイスのマスクで顔は見えないが、必死の声音でタロスを降り注ぐ瓦礫から守ろうとしていた。
大きな瓦礫が二人を潰すその瞬間、予定していた安全地帯に向けてタロスは男を突き飛ばす。
その反動を利用し、タロス自身も頭上の瓦礫の直撃範囲から離れることに成功する。
「てンめ、今ッ――!?」
想定外だったのは、大きな瓦礫が床に直撃した衝撃で立っているフロアまでもが崩落したこと。
突き飛ばした男の口から瞬時に吐き出された悪態に、タロスは状況把握の早い男だ。などと場違いな感想を浮かべる。
タロスと男はもつれ込むように下のフロアへと落下していった。
救助を待ってる間ほかに出来ることもなく、なんでタロスがこんなところに一人寂しく居たのかを暇つぶし話半分に聞いていたハルが間の抜けた相槌を打つ。
あんまり途中の考察は聞いていなかった。分かったことといえば義肢は義肢で大変なことがあるようだ、とだけ。
文字通り天井まで積み上がる瓦礫に潰された、今は置いてけぼりにされたタロスの義足を見て、ハルはそれに近づく。
「何をする気だ?」
「脚だけあるのも気色悪いし、どうにか引っこ抜けねーかなって」
「崩れるようなら止めておけ。もはや回収は不要だ」
瓦礫から離れた壁際に座り背を預けたタロスは見慣れているのだろうが、普段義肢を使わない人間からするとこういった精巧な人工スキンの義肢には縁がない。
お化け屋敷でもあるまいし、わざわざ人の四肢だったものを置いていくのは見つけた人を困らせるだけだろう。
潰れた義足のそばにしゃがみ、上に重なる瓦礫を見上げる。
軽く義足を掴んで動かせるか感触を確かめる。
瓦礫同士がしっかり折り重なっているようだ。これなら義足が抜けた程度で大きく崩壊はしまい。
「お、イイ感じに抜けんじゃね? もうこれ使わないんだっけ」
「そのつもりだが、引いてもびくともしなかったぞ」
「体勢の問題だな。こういうのはコツが要るんだよ」
ちょっとパーツ削れるけど、と言いながら瓦礫を気にしつつ細かく掴んだ義足を揺さぶる。
少し時間をかけて、ようやく抜き取ることに成功した。
……脛から先が欠損して、ホラー映画の小道具のような生々しい形状になっていたが。
「ウワァ……」
「爪先側はどうしても部品が細かい分、耐久性も低い故。まして非戦闘用義肢であれば尚更よ」
失われた足首から先の部分は恐らく本当に瓦礫の下でぺちゃんこなのだろう。
人工スキンの触感や、潤滑オイルの湿り気が余計に気色悪さを演出していた。
まあそれでも太腿から脛くらいの大部分は回収できたことだし、瓦礫を取り除く作業員が人体パーツに驚いて作業事故を起こすことはこれでなくなっただろう。
しかしやることもやって本当に暇になる。
こういった閉塞空間で自由を奪われている状況というのは、ハルにとって嫌な思い出がある……とかではなく単純にイライラしてくる。
嬉々として喧嘩をしているときはフィールドを存分に活かして、狭い空間に誘ったり死角からの強襲など行うものだが、自分の力でどうにもならないで制限されることは忌避すべき事柄である。
「うっし、救助来ないし自力で出るか」
「救助が来るまで時間がかかると言ったのはハルだろうに。考えでもあるのか?」
「もともと居たのが五階だ。ワンフロアくらいしか落ちてねェからまだ地下じゃねーし、何とかなんだろ。さっきから気になってたけどそれドア?」
「どれだ? ああ……いやそうだろうが、八割瓦礫に埋もれているぞ」
立ち上がったハルが近づいたのは上のフロアから共に降ってきた家具備品の残骸に埋もれた扉。
ドアセンサーは勿論損壊、見えているのはフロアに近い一部分のみ。
しかも高さにして床からせいぜい50cm弱。仮にそこに穴が開いたとしても成人男性の肩幅が通る大きさではない。
「もしかしたら一生出れないかもしれないだろ? 嫌じゃんそんなの。俺明日女の子とデートの約束あるし」
「随分理由が能天気だな……」
ハルが扉と瓦礫の隙間に手を入れて何やら弄っている。
タロスからは何をしているのかが見えないが、やがて作業に満足したらしいハルが立ち上がって扉から距離をとる。
「タロス、道空けてな」
腰周りの装備など動きに邪魔な装備を一旦外し、ヘルメットも置く。
あー息苦しかった、なんて言いながら手癖で袖を捲るハルの初めて見る素顔がタロスの目を引いた。
年の頃は自分に近そうだ。
特徴的な褐色肌、垂れ目気味の目尻とグレーの虹彩。こめかみから後ろ髪が刈り上げられたツーブロック。
違和感のない風貌だと考えていた次の瞬間、壁を蹴る勢いで飛び出したハルが露出している扉の下部分に思い切りスライディングで蹴りを入れた。
突如すぐ側で発生した大きな衝突音に、身構えていなかったタロスは驚きで肩を跳ねさせる。
一度の蹴りで入った扉の歪みの程度を確かめ、二度、三度と同じ要領で扉を歪ませる。
何度も蹴りを入れれば、扉は吹っ飛ばないまでもその部分だけが折れ曲がり向こう側の空間を見せた。
「あ? 思ってたのとちげーな。よっ……あー、こっち側にも天井崩れて降ってきてんのか」
「……何と、野蛮な」
ハルは扉そのものが外れると思ったらしいが、同じように反対側からも瓦礫が蓋をするように積み重なっていることを頭を突っ込み確認する。
ともあれ、通れるようになったぞとハルが得意げな顔で報告してくる。
だが現在片脚のない不自由なタロスが通るには少々無理のある大きさだ。
「馬鹿な、とてもではないが私の身体はその小さな穴では抜けられん」
「イケるイケる、押してやるよ」
折れ曲がった扉の、子供が通れる程度の穴の前に座らされたタロスが怪訝な顔のままハルの指示を受ける。
「穴から出たら右に行ってほしいから、身体突っ込む向きはこっち。片腕上げて、寝っ転がって、押すぞー」
「ちょ、ま、うぐっ」
「はい上体曲げてそっち行け。次、骨盤が引っ掛かるから傾けてどっちか先に通せ」
腰を折ってなんとか這いつくばり身体を引き出す。
片足がない不便性は勿論なのだが、案外ハルの補助と指示も的確だ。
きっとハルは身体の使い方が巧い。
「よーし、腰さえ通ればもうクリアだぜ」
「ここが崩れないからいいもののッ、何と無茶な要求を押し付けてくる事か。他の國民に同じ事はしてくれるなよ……!」
若干無理やり押し込まれながら、タロスが苦しくも部屋の外側へと脱出する。
ハルの言う通り体幹の骨の向きに気を配ればこんな小さな穴も通ることが出来たが、タロスにはかなりギリギリでキツかった。
置いていくとマズい装備品だけ携帯し、ハルも同じく穴に身体を通して抜けてきた。
タロスより様々な装備をつけた状態でもぬるりとスムーズに出てきたので、もしかするとハルは液体かもしれない。
「さーてと、エレベーターは動いてない。階段は潰れてる。どーすっかなァ」
「ああ、拾ってくれたのか済まない。 ……いや待て、何故私の
「なんとなく」
タロスが通るときに引っ掛かって外れたメガネをハルから受け取るが、もう片方の手には何故か先ほど瓦礫から抜き取った義足を担いでいた。
いくら配給品とはいえヘルメットを置き去りにして使えない義足を持ってくる意味がわからないが、ハル的にはその重量感や長さが気に入っているらしい。
もう使わないとはいえ、自身の肢体だったそれを連れ回されるのはタロスとしては複雑な心境だった。
「だからと言って装備品を置いていくのはどうなんだ」
「邪魔だったし、今日着てるの全部借りモンだからいいや。俺今日ヘルプで入ってるだけなんだよ。いつもは別部署にいんの」
「借り物を……。いや、別部署と言ったか。普段は一課などに?」
「そりゃぁナイショ」
落ちたとき壊れたって言えばいいや。持ち主も次は新品が貰えるし最高じゃん? なんて上手い言い訳ばかり思い浮かぶのは頭の回転が速いというかなんというか。
I.P.E.の二課以外の部署と言えば一課か。ヘルプで現場に、ともなれば特務部や事務方なんてことはまずないだろう。
おおよそ確信めいた質問だったが、ハルは明言を避ける。
彼としては職務上の機密もあるのだろうが、その表情はどちらかというとちょっとした意地悪のようなものが大部分を占めていたように見えた。
「チッ、この先もダメか」
崩落した通路の瓦礫の隙間から這い出してきたハルが毒づく。これで何箇所目だろうか、先導するハルの後ろに付いて来た道を戻りながら、タロスは大きなため息を零した。
「どうした、疲れたか案山子ちゃん」
「案山子はよせ、別の意味に聞こえて自分の役立たずぶりに嫌気がする」
「いいじゃねェの。それとも愛する者のキスで王子様に戻りたいってか?」
ケラケラと笑うハルが後ろを振り返れば、タロスが何やら壮絶な表情で固まっていた。
冗談に決まってンだろ、とハルが肩をすくめる。
タロスも更にひとつ追加でため息を吐き出してから、ハルの後に続いた。
「古いファンタジー小説の登場人物なぞよく知っているな。動く城に住む魔法使いの話だった気がするが、人は見かけによらない……と、これは無礼だったか」
「別に気にしやしねーよ。物知りな妹分がそんな話してたんだよな」
「時代は変われど、女子は皆白馬に乗った王子様に憧れる。ということか」
「俺はファンタジーっつうのは肌に合わねえけど。泥啜ってでも生き延びてやるってんだ。……こうやって、なァッ!」
辿り着いたのは先ほどとは別の行き止まり。タロスの義足を使って壁を叩いていたハルが、徐に大きく振りかぶる。
見事なフルスイングで打ち込まれた義足が崩落した瓦礫を弾き飛ばす。
そこに現れたのは、外部へと繋がる非常階段の表示だった。
「っしゃ、ビンゴ!空気の流れ的にこっちだと思ったんだよ」
人工スキンが所々剥がれややグロテスクになった義足で、ハルは非常階段の扉をこじ開けていく。
時折飛んでくる小さな瓦礫の破片を払い除けながら、タロスは最早何も言うまいと心を無にしていた。
しばらくして、人ひとりが通り抜けられる程の大きさの穴が完成したのか、やり切った笑顔で額の汗を拭いながらハルはタロスの方を振り向く。
「これで非常階段から外に出れるな。先に行って外の様子見てくるから、イイコの案山子ちゃんはそこで待ってろよー」
「承知した。どの道ひとりでは身動きもままならぬ身、大人しくここで待って……」
「なぁタロス! 紐無しバンジーとラペリングどっちがいい!?」
「人の話を聞いておったか貴公!?」
崩落した瓦礫の向こう、非常階段から外に出たハルが興奮気味に捲し立てた。
即座にツッコミを返すあたり、どうやらタロスも大概ハルに毒されてきているようだった。
ハルによって非常ドアから引っ張り出されたタロスは、数時間ぶりに埃っぽくない外気を浴びて一息ついていた。
隣ではハルが着ていたベストに収納されていたザイルロープを取り出してタロスの身体に巻きつけたり長さを確認している。
「最早何をしても驚かぬが、念の為問おう。貴公は何をしている?」
「んぁ? そりゃタロスを地上に降ろそうと思って。このザイル多分50mくらいあるしイケんだろ」
片足無い分体重も軽いしな、と慣れた手つきでタロスの身体を縛り上げていく。
「っと間違えて亀甲縛りしちまったぜ」
「手際が良過ぎて疑問に思う暇すら無かったぞ? 解け」
「や・だ・ね」
狭い非常階段の上で縛り上げられたまま器用に跳ねたタロスがハルに蹴りを見舞う。
しかし、無理な体勢から放たれた一撃ではハルは小揺るぎもしない。楽しそうに笑って、ハルはタロスを縛るザイルを結び直した。
タロスの腰にザイルを括り付け非常階段の骨組みに滑車のように通し反対側を手に持ったハルは、ザイルを握りしめたまま黙り込んだ。
タロスが剣呑に目を細めていると、ハルはザイルを握る手を緩めて顔を上げる。
「なぁタロス、結局アンタは何者だったわけ?」
「どうした、藪から棒に」
「いやさ、下まで降りればタロスは救急隊に引き渡せるし、俺は部隊に戻るじゃん。その前に聞くだけ聞いておこうと思って」
「なるほど。だが、その質問は真意を些か測りかねるな」
今日初めて会ったハルの真剣みを帯びた表情にタロスも口元を引き締める。
敵か味方かを測るような目に、タロスは僅かに口端を持ち上げた。
「貴公の推察の通り、私もとある組織の私兵が一人よ」
「だと思ったわ。崩落したビルに閉じ込められてるのにパニックひとつ起こしゃしねぇし、そもそも崩落する時に俺を突き飛ばしたろ。よっぽど周囲を見てなきゃできねぇよ」
「あのままでは二人とも瓦礫の下敷きになると思い咄嗟に手が出てしまったからな」
思い出して皮肉げな笑みを浮かべたタロスは、とは言え……と続ける。
「私はこの通り非番。更に言えば今日は義肢の定期検診を受けに来ていて体調もままならぬ身よ。最初はどちらかが私の命を狙ってきたかとも思ったが、そうでも無いようだったからな。巻き込まれた後、ハルに助けられたのは本当に不幸中の幸いだった」
「はァ……? いや情報量多すぎンだろ。てかお前そんな喋れたならもっと早くから喋れよ。無口なヤツかそういうキャラ設定かと思ったぜ、ってなんだよオートマタが機能不全起こしたような顔しやがって」
情報量が多過ぎる。という謎の一言で片付けられた私のカミングアウトはなんだったのか。と葛藤するタロスだったが、残念なことに縛られていて地団駄すら踏めなかった。
いや、片足がないのでそもそも踏む足すらなかった。
「全く、考えるのが面倒になってきたわ」
「いいんじゃね? そんくらい砕けてた方が俺は好きだぜ」
「私はただの要救助者、貴公は」
「ハルだ。キコウとかよく分かんねぇからハルって呼べ」
「……ハルはイヅナの救助隊。今日のところはそれで良かろう」
タロスの答えに満足したのか、ハルが頷く。
元より面倒を嫌う性格のハルだ。タロスに敵意がないことだけ理解すると、意地悪そうな笑みを浮かべた。
「あいよ。んじゃ、話もついたし降ろすぜ」
「承知し……待て。なんだその顔は。ゆっくりとだ、ゆっくりとおぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおぉぉぉっ!?」
俺様をちょっとでもおセンチな気分にさせたい罰だと言わんばかりに、ハルはタロスを非常階段の縁から蹴落とす。
骨組みに引っ掛けられたザイルがシャーっと音を立てて滑っていく。見る間に小さくなるタロスを見下ろしながら、ハルは手に持ったザイルの長さを微調整する。
落下していくタロスから文句だか悲鳴っぽいものが聞こえてくる気もするが、ハルの耳には届いていても聞く気はないようだった。
「ほい、さんにーいち、今ッ!」
ビンッ!とザイルが張り詰める瞬間、ハルは反対側を思いっきり引き上げる。
その一瞬だけ加えられた力によって、タロスは地面のシミになる人生の終着点を回避できたらしい。下から怨嗟の声が聞こえてきているのがその証拠だった。
最後にゆっくりとザイルを緩め、タロスを地面に着地させる。
周囲に危険物がないことを確認して、ハルは骨組みに通していたザイルを外して今度は外れないようにしっかりと結びつけた。
何度かグイグイと引っ張って外れないことを確かめたハルは、慣れた要領でザイルに捕まりラペリングで降下し、ビルからの脱出を果たしたのだった。
「タロスそこ退かねェと踏むぞー」
「縛られたままで退けるか馬鹿者が!」
「ハハッ、知ってた!」
ビルの下で重し代わりになっていたタロスの頭の横にわざわざ着地して、ハルはイタズラ成功と笑い声をあげた。
身動きの取れないまま垂直落下したタロスは流石に堪えたのか、今日一番の渋顔を見せるものの、10歳ほど老け込んだようなその顔はハルの腹筋を更に崩壊させるだけだった。
遅れて到着した救急隊によって、タロスがストレッチャーに乗せられていく。
運んでいこうとするのを手で制したタロスは、その様子を眺めていたハルを手招きした。
「あんだよ。男にお別れのキスはしねぇぞ」
「死んでもいらんわ。全く、貴公と……ハルといると調子が狂うな」
「憎まれ口叩くだけなら俺ももう行くぜ? ジンメーキュージョしてましたって言ってたらお咎めもねーだろうしな」
「ああ、感謝している。ではまた会おう、息災でな」
「うぃ、この義足は土産話にもらってくぜ」
好きにしろと肩をすくめたタロスが、救急隊によって運ばれていく。
その場に残されたハルは人工スキンがほぼ剥がれ落ちて素体が剥き出しになった義足を両手で弄んだ。
くるくると回していると、どこからか小さな紙切れがハルの足元に落ちてきた。
「紙切れ? ……ぅあっち!」
首を傾げたハルがそれを拾い上げてみれば、紙切れはハルの手の中で火花を放ち発火。一瞬だけ炎をあげると、そのまま灰になって燃え尽きた。
思わず取り落とした義足を拾い上げたハルは、不服そうに眉根を寄せて手に残った灰を握りしめた。
「やりやがったなタロス。俺様に一杯食わすとはいい度胸してやがる」
紙切れが燃え尽きる瞬間に形作った鬼面を模したエンブレムに、ハルは口端を釣り上げた。
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