大切なものの話をしよう
カーオーディオから流れるラジオが、夜の時間に合わせてしっとりとしたバラードを届ける。
自動運転モードにより勝手に動くハンドルが、薄く添えている手のひらを撫でる。
蓮はチラリと助手席側を見た。
車内から見える街並みに夢中になっている
その横顔が綺麗で触れてみたいと思ったが、運転中は止めておこうと蓮は指先を丸めて握り込んだ。
「……眠くないか?」
「うん、平気。こんなに静かだと、なんだか悪いことしてるみたいでドキドキするね」
「優は夜中にあまり外出しないからな」
女の子ひとりで遅い時間に外出なんて、いくら遠くに行かなかったとしても何があるかわからない。
優もそれがわかっているから、ひとりだけで変な時間に出掛ける事はしなかった。
今日は蓮が一緒に居る。それに車移動だ。
もうすぐ着く、と蓮が言えば彼女は聞き分けよく頷いた。
夜遅い時間ともあれば往来も少なくスムーズに移動ができる。
着いたのは蓮の気に入っている上層街区の隅っこだ。近くの道路脇に車を停めて外に出る。
「蓮さん待って」
「ん……」
同じく車から降りた優が蓮の傍に寄り手を繋ぐ。
知らない場所に行くときや慣れない道を使うとき、彼女は蓮の袖を引いたり近くに来たりする。
それが内心嬉しくて、堪らなく愛おしかった。
さっきは触れられなかったが、今はそれが出来る。
空いている手で優の髪に指を通し、頭を自分の胸元に抱き寄せる。
ぽす、と蓮に倒れてきた彼女もその温かさを数秒だけ堪能して一緒に歩き始めた。
車を置いたすぐ近くに、外縁部特有の湾曲した壁とささやかな休憩出来る広場がある。
広場と言ってもベンチが数個、子どもが指先を濡らせるような小さな噴水、仮想花壇があるのみ。
仮想花壇もソーラー充電式で夜の間は何も映さないただの箱である。
真ん中のベンチの傍にはバイクが1台。先客がその愛車に寄っかかっていた。
「早いな、俺より後に出なかったか?」
「ハル様のドライビングテクを舐めてもらっちゃ困るね。
「近所迷惑になってなきゃいいけど」
昼間のハルの運転しか知らない優が爆音響かせかっ飛ばす彼を想像して眉を寄せた。
だがハルはバイクのマフラーを靴の側面で緩く叩き答えとする。
首を傾げた優に、流石に通じないかと諦めて静音モードに出来るんだと端折った回答で納得させた。
蓮がハルの傍のベンチに座り、さっき買った缶ジュースを手渡す。連れてきた優にも2本のうちから選んで貰った。
優がプルタブを起こしながら空を見上げる。
「今日のはまん丸?」
「これは数日過ぎたな。満月ではない」
「蓮クンよ、月見にゃ酒じゃねーのかい。コーラは違うんじゃねェかなァ」
「飲酒運転はさせられないだろう」
夜色の帯が敷かれた空にやや丸い月が浮かんでいる。
蓮が偶々月齢表と月が昇る予定時刻を見て、偶々その日が休日で、何となく月見に行こうかと声を掛けたら集まって。
頼られる、応えてもらえる、助けてくれる。
蓮にとって隣に居てくれるふたりが、とてつもなく貴重でかけがえのない存在である事を噛みしめる。
こんな事を考えさせるのは夜の空気か、月が本心を照らすからか?
こういうのも偶には悪くない。偶然の一致で今夜こうして月を見上げているのだから。
「やっと目慣れてきたかも。細かい星も見えるようになってきた」
「リージョンから見える星なんてたかが知れてるんだとさ。砂漠で見る星は別格だって師匠が言ってた」
「ふぅん」
普通の人は砂漠で星を見る経験はしないよ、と優が至極当然の発言をする。それはそうだが、相手が相手だけに否定しきれないのが苦しいところ。
だがカリンはそういうところで嘘を付くタイプではない。そこまで言うからには本当に綺麗だったのだろう。
砂漠に行く用事なんてないし、その時は誰かが何某かの罪を負うときか、はたまた今の自分には想像もつかない理由になるか。
蓮はこの三人でなら砂漠に行くことになってもいいと思った。
それよりもし誰かが砂漠に行くシチュエーションだったとしても、不思議と誰かが欠けた状態と言うのが想像できなかった。
それだけこのふたりとは長く共に居る。
今となれば過去のことと笑われるかもしれないが、昔は時折考えていたことがある。
もしもあの時ハルが手を差し伸べてくれていなかったとしたら、
優が居場所を与えてくれていなかったとしたら、
今頃俺はどんな風に生きていただろうか。
「……思い出した」
「何を?」
「思い出さなくなった理由」
おもむろに呟いた蓮の発言を優が拾う。
だが返答の不明瞭さに、優とハルは顔を見合わせる。
昔は事あるごとに、もしもふたりが居なかったらどんなに退屈で恐ろしいかと考えていた。
しかし何度想像してみても記憶の中の優は何度だって寄り添ってくれた。
ハルはどんな時も見放さずに居てくれた。
だから見ることも無い触れることも出来ない曖昧な”もしも"を恐れる時間が無駄に思えて馬鹿馬鹿しくなって、いつからかあまり考えなくなったのだ。
「おいもっと寄れ。俺も座る」
「バイクに座ってたろうに」
「いいだろ別に。夜は長ェんだ」
ハルがベンチの方に移動してくる。
蓮が詰めてきた事で近くなった優が蓮の腕に寄りかかり頭を預けた。
手の中の缶を遊ばせながら、三人は空に散りばめた星たちと月をその目に映す。
こういう他愛ない時間すら共有出来る関係がどれほど尊いか、今なら沁みるように分かる。
この関係は蓮にとって今後二度と得ることの出来ない大切なものだ。
「冷える前に戻ろうか。明日もある」
「明日なんか予定あんの? ないなら集まって呑もうぜ」
「私は空いてる! じゃあスナックとかも買って帰ろうよ」
「……そうか。そうだな。俺も、ふたりと呑みたい」
暗に、蓮の望み通りこの関係が続くのだと言われたようで心が満ちる。
同じ願いをふたりも抱いてくれていたらいい。
何でもない日常に、蓮は想いを込める。
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