清純へ送る弔詞


下層街区、とある区画を二人が歩いている。

女の子の方は大人になろうとしている過程の、まだまだ子どもらしさが残る顔。

男の方も若く活発そうな印象を受ける。それでも女の子に付き添うように歩いている今は大人しくしているようだが。



「ハルさんは、この辺も詳しい?」

「いいや? でもどこも同じようなもんだろ。何もねェじゃん、オモテには」

「ひとりで奥には行っちゃだめってお父さんもお母さんもいつもいってた」



彼女、灰田優を保護してだいぶ経つ。

ハルとは違い、彼女には明確に血の繋がった両親が一緒に居た。

生き別れ、父母の生死も不明な状態だ。過ぎた時間が彼女を癒やし、その寂しさを紛らわせた今、彼女が両親の事を口にするのは随分珍しくなった。


ハルが彼女の表情を見るが、何気なく口にしただけのように見える。

記憶を述べただけなら、深く気にしなくていいか。



「お前んとこは何の商売があった? 一人じゃなくとも行ったことくらいはあんだろ」

「わたしのところはけっこう治安よかったんだよ? 配給と交換で情報屋がいたくらい」

「ドラッグ屋くらいは居ただろォ? 質はともかくとして」



下層街区出身者ならではの会話だ。

ひと口に下層街区と言っても地形的な高さや区画、配給所の場所などにより住民たちが何となく区別しているエリア分けがされ、うっすらとした不可侵条約のようなものがある。

だから同じメディオ地区の下層街区出身でも、生活様式や常識が異なる。


まあ彼女の両親は良識ある人だったから、そういう場所に初めから近寄る用事もなかったのだろう。



「んで? 満足したかよ、お散歩ってヤツは」

「えー、まだぜんぜん何も見てないのに」

「奥に行くならまだしも、こんな何もないとこ歩いて何かあるワケねーだろ」



早々に飽きたハルがそれとなく帰宅を促す。

ハルの言葉はもっともで、下層街区にはわざわざ来るほどの目的もないしアミューズメント的なものも一切ない。

じゃあ何故二人がこんなところを歩いているかというと、灰田優の気晴らしの提案だった。

他人を気にせず気の向くままに歩ける場所に行きたいと。



「それはそうだけど、ん?」

「あっ、オイどこ行くん……」



不意に彼女が道を逸れようとして、一応蓮から彼女を頼まれているハルはその急な動きに焦る。

だが彼女はただ歩いている道の隅に何かを見つけて近寄っただけで、目の届かない場所に消えるわけではなかった。


ゴミ箱と壁の隙間に蹲るようにしてしゃがんでいる。

ハルは彼女の肩越しに何があるのかを覗き込んだ。



「死んでんぞ、ソレ」

「……そうだね」



素人目でも既に数日は経っているであろうと分かる、野良猫の死骸。

濡れる事なく乾燥した場所で緩やかな腐敗を辿っているからか、虫に食い荒らされ凄惨な姿になっていない良い状態なのはせめてもの救いか。

ただ砂埃に汚れ隅っこに転がっている、命の入れ物。


死骸を見つめたまま優の唇は何かを言おうとして開き、何も言わずに閉じる。

言うべき言葉が纏まっていないような、そんな様子。

数度同じ動作を繰り返し、ようやく言葉が音となって吐き出される。



「寿命かな」

「傷らしい傷もないしそうなんじゃねェの。病気とか衰弱死も寿命に数えるならな」

「それは……、苦しくないおわり方だったらよかったのかなって」



彼女の言葉をその通りに捉えるなら同意してもいい。

このご時世、天寿を全うできるというのはかなり崇高な願いになりつつある。

既に取り戻しようのない野良猫の命の重さをイチとして数えている彼女にとって今、適当な気持ちの同意はあってもなくても同じだろう。

だからその言葉には何も返さなかった。


ハルはれっきとした大人であり、そういう意味で優はまだ子供で、彼女には色んなものに優先順位をつけられるほどの経験がないと言える。

だからひとつの物事に迷う。悩む。考える。この時間の使い方は子供の特権でもある。

ただの野良猫の死に何かを感じてやれるのは今の彼女が持ちうる博愛の美徳。

彼女との歳の差、たった10年弱そこらの間でハルが失った眩しいほどの無垢だった。



「どうすんだソイツ」

「……お祈りだけする。この子がまた幸せになれるように」

「ハッ。そうかよ」



それは外野が願うにはあまりにも不躾な祈りじゃないか。

また、なんてもう死んでるのに次を願う行為に意味などないだろう。

そう思ったが、下心の感じられない真摯な横顔にハルは口を噤んだ。


命の終わりなんて何通りも、様々な角度から解釈できる事象のひとつ。

弔う方法だって多種多様に存在するらしい。

なら彼女の答えもアリとして数えるのだろうか。


帰ろっか。言いながら立ち上がった優の表情はすっきりしたものだった。

少し疑っていたが、ハルから見れば無意味だと思っていたあの行為も、送る側に意味があるのだと彼女は言っているように見えた。







そんな、懐かしい記憶。

すっかり忘れていた思い出を、路地の隅に落ちていた塊を見てハルは思い起こす。

過去も現在も、管理すらされない野良の動物の死骸を道端で見つけるのは珍しいことではない。

よく見るはずのものだが、こうして意識したのは何だか久しぶりだった。



「ハルさん、何かあったの?」



不意に足を止めたハルが不思議に見えたのか優も同じくハルの後ろで止まる。

昔の記憶では細っこくて小さかった彼女も今では女らしく、まあ基本的に童顔でチビのままではあるが。

立ち止まった理由を答えるより先に、ひょいっとハルの身体の横から頭を出す。


野良猫の死骸。

彼女もそれを認識した上で何を言うでもなく、ハルの背を押して先を促した。



「行こ、蓮さん先に行っちゃったし」

「何もしないのか。すっかり大人になっちまったな」

「はい?」



脈絡のない返答に面食らい、きょとんと呆けた彼女と過去の彼女を重ねてハルはひとり感慨に浸る。

過ぎた年月の最中はあの頃の純真さを保ち続けられないほど多様な暴虐を見せた事だろう。

感受性豊かな年頃だった思春期の彼女は特に多く考えた筈だ。


成長とは決して良い面ばかりではないかもしれない。

良いか悪いか、それを量るのは時代を独り歩きしている小綺麗な道徳心というやつの趣味に依るが。



「なんか面白いことあった? どういう顔なのそれ」

「……いんや?」



言われて自分の顔に触れる。怪訝な顔をされるくらいには唇が弧を描いていて、確かにこのタイミングでは随分と猟奇的な表情に見えたか。

彼女の背を押し前を行かせるようにして今度こそ歩みを再開する。


つい笑んでしまったのは、あの眩いほどの白さを持っていた彼女が不浄を許容できるようになっていたことに。そしてそうなった彼女に、少なからず自分が影響を与えていることに。

罪悪感など微塵もない。あるのは背徳による悦びだ。



「つうか蓮、俺たち置いて先行くとか酷くね? どうするよ」

「確かに。じゃあ……いたずらしちゃう?」

「それ賛成」



振り向いた優がにひ、と小意地の悪い笑みを見せる。これも昔はしなかった表情だ。

昔の彼女より、妹分として楽しめる今の彼女の方がハル好みである。



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