スパイスを添えて


季節限定のお酒が飲めるからおいで!

そんな珍しいメッセージが灰田から入っていた。

彼女が酒盛りに誘ってくるのは初めてのことだ。そもそも彼女は自ら酒を用意して飲むタイプではないと思っていた。

不思議には思いつつも、誘われたこと自体は悪い気はしないので指定された場所に向かっているのがオフのタロス。



「……やけに入り組んだ場所を指定してきたな」



薄暗い治安の悪そうな奥まった路地の中。

彼女が本当にこんな場所を指定してくるのか?思わずメッセージに記載された住所と現在地を照合するが間違いはない。

送られてきたメッセージからは彼女のSOSを感じ取れなかったので非武装で来たがこれは警戒した方がいいのではないか?


タロスは念のため彼女に到着した旨のメッセージを返して、自身を緊張させた。







ピロン、とテーブルに置いていた端末が新着のメッセージの到来を知らせる。

お酒で濡れた唇を舐めて灰田が内容を確認する。



「あ、来たみたい。ドア開けてくるね」

「はいよ、グラス追加か」



灰田と一緒に酒を楽しんでいた作務衣を纏う中年の男も一旦陶器のグラスを置いて、追加のグラスを取りに行くために席を立った。

重ための扉を押し開ければ、少し離れたところにタロスが居る。

扉が重いので頭だけ出して声をかけた。



「タロスさんここー」

「む、大事ないか?今行く」

「うん?先に始めてたよ。この扉重いんだ、早くおいで」



灰田の声を聞いて安心したような表情をするタロスを不思議に思う。

タロスが扉の取っ手を持ったのを確認して座っていたソファに戻る。

天井近い高さの棚にぎっしり物が詰め込まれた薄暗い倉庫のような場所の一角。


タロスが中に入り、灰田と一緒に居る男を視認し驚愕に目を見開く。

男が中に入ってきたタロスを見て、反射的に灰田の肩を掴む。

肩を掴まれた灰田は遠ざかってしまったグラスに向けてあー、と緊張感のない声を漏らした。



「ッ貴公、どういう事だ!何故彼女と共にいる?彼女を解放しろ……!」

「ちょいちょいちょい、お嬢、説明しろ。俺は確かにお前の帰りの迎えに身内でも呼んどけって言ったがな、何でスサノヲの狗が来るんだ?」

「蓮さんもハルさんも連絡つかないから第三候補のタロスさん呼んだんだよ。タロスさん、今年のボジョレーなんだって、三人で飲も?」



男、カリン。灰田の肩を取ったのは彼女を人質として盾にしているからだ。

タロスも長年の癖でオフとはいえ小刀は見えない位置に携帯している。しかし今はカリンが圧倒的に灰田に近い。

カリンの握力であれば彼女の細首くらい一瞬で折れるだろう。

先手を取られている以上タロスに下手な動きは出来ない。



「ねえ、あの」

「この場所は貴公のセーフハウスか?貴公が居るなら、まさか雷術師シグマも健在か」

「さァね、あんま暴れてくれるなよ商談にも使う大事な酒が多いんでな」

「ちょっと、聞いてる?」



睨み合いけん制し合うタロスとカリン。

タロスは國に仇なす反逆者などの粛清を行うスサノヲの九番隊隊長。

カリンは資金洗浄事業によって各方面の悪事を助長する洗い屋。

二人とも國の日陰に息づく者同士ではあるものの、行いも思想も正反対だ。



「まさか街中に隠れ住んでいたとは。此度の油断ばかりは上に苦言を呈する」

「ハッハ、仕事サボってるのがいんだろ。テメェも見逃してやってもいいんだぞ」

「見逃す?呆けたことを言うな。貴公を見逃して我々に損失こそあれ、利することなど微塵もあり得ぬ」

「寝言は寝て言え。事が起こらないと裁けもしない法の飼い狗が」

「んんん、二人ともお座りー!!!」



いがみ合いに夢中で無視されていた小さな癇癪が爆発し、それがようやく耳に入ってタロスとカリンは停止する。

ただでさえ非力で怖くもない存在なのに、お酒のせいで若干顔を赤らめて覇気の欠片もない灰田が頬を膨らませる。



「お座りだよ!せっかくお酒あるのに喧嘩してたら味わかんないでしょ」



彼女が居ようが居まいが、今やり始めれば双方無傷では済まない。

この場は和平を講ずるが吉。タロスもカリンも同じ思考に行きついた。

カリンが自分の反対側のソファを顎で指す。



「座れ、今日の飲みこれは嬢ちゃんの席だ。こいつの顔を立てる」

「……良かろう、この場は彼女を尊重する。では、邪魔するぞ」

「ん?私の席なの?はい、これタロスさんのコップね」



二人が殺気を引っ込めて大人しく席に座ったので、灰田も満足顔で二人の側面のソファに座った。

間に置いているローテーブルからボトルをとってタロスの分を注ぐ。

灰田のための席、という言葉の意味が分からなくて首を傾げた彼女に、カリンが呆れた声を出す。



「あのなァ、今年のボジョレー飲むかって聞いたら今日行くって真っ先にお前が食いついて一人で来たんだろうが。俺は帰りの面倒までは見ねェから迎え呼べ、って言って来たのが鬼面ハチ公とかどういう状況だよ」

「こちらにも言いたいことがあるのだが更に言いたいことを増やすな。なんだその絶妙に腹の立つ呼び名は。定着したらどうしてくれる、私はタロスだそれ以外認めん」

「だって、蓮さんもハルさんもどっか行っちゃうから寂しかったんだもん。それに私もボジョレーって飲んでみたかったから!」



先に飲んでいたからか、カリンはともかく灰田はふわふわと酔いが回っているようだ。

噂のボジョレーを今年こそは飲んでみたいと狙っていたらしい。カリンが手に入れたワインを上機嫌で飲んでいる。

タロスもグラスを手に取って中身を覗く。



「そして、貴公らは葡萄酒をロックグラスで飲むのが通例なのか?」

「普段ワインなんて飲まねェからな。お前にやったグラスが一番マシだろうが文句言うな」

「ちゃんとしたワイングラスあってもお師匠割っちゃいそうだもんね」



確かにカリンが持っているのは趣ある不透明な陶器の焼酎グラスだし、灰田のも磁器かステンレスのタンブラーだ。

タロスに渡されたのは底の厚いガラス製のウイスキーグラス。

まあ確かにこの男がワインを嗜んでいるイメージはない。ワイングラスは似合わなそうだ。

雑な扱いで壊すくらいなら手持ちのグラスで飲もうというのは正しい判断か。



「時に、貴公らは一体どういう関係だ?ちぐはぐすぎる、どこに共通項があるというのか」

「こんな時くらい素直に酒楽しんだらどうだい隊長さんよ。素性調査は仕事だけにしときな」

「生憎仕事が趣味のようなものでな。心配されずともタダ酒は心から楽しんでおるよ」

「二人とも喧嘩腰なのはどうしてなの……。タロスさんそれ自慢にならないからね」

「これは失敬」



放っておいたら勝手に始まる舌戦に灰田が水を差す。

カリンにも煽らないのと待てをかけて、軽く腰が浮いていたタロスに再びお座りを命じた。

二人に喋らせると戦争が起きるので、なるべく灰田が喋ることにする。

飲みやすいワインで舌を潤して、タロスの疑問について考えた。


しかしこの関係をどう形容したらいいのかは灰田にもよくわからないものだ。

詳しく説明しようとするとどうも面倒な気持ちが勝るのでアルコールのせいにしたくなる。



「うーん、うーん?何て言ったらいいのかな、改めて聞かれるとよくわかんないね。友達?」

「判定ガバかよ。意外と好意的で悪い気はしねェが」

「彼女の友人関係に口を出すつもりはないが何故貴公なのか。貴公との繋がりは彼女にとって有益とは思えぬ」

「おい、このワンコちょっと過保護すぎじゃねーか?そりゃ俺だって四六時中悪事働いてる訳じゃねんだ、もう少し評価改めてくれたっていいだろ」



カリンがご機嫌をとるようにタロスのグラスにワインを注ぎ足す。

タロスは灰田が居る手前、拒絶こそしないもののカリンには侮蔑の眼差しを向けていた。

自分に向けられる眼差しさえ楽しむような顔でカリンは無い小指以外の指を組む。



「だいたいお前らの方だって普通に暮らしてたら接点ないだろ、何繋がりだ?」

「タロスさんはねぇ、お師匠より長いんだよぉ。むかーしむかしあるところに……」

「友人だ。時折食事を共にしたり必要とあらば情報共有をする」

「へェ?」



絶対にその始まり方は長く面倒であやふやなものになりかねない、とタロスが灰田を遮って結論を返す。

灰田は何も言わないが、唇を尖らせて不満顔を全面に出していた。

さっきから会話のキレとレスポンスが悪くなっている灰田の手から零す前にタンブラーを抜きとってカリンが机に置く。



「タロス呼んだし眠いなら寝てろ」

「えー……」

「上衣を貸そう、席も替わる。こちらの方が座面が広い故横になれるだろう」

「ここが、エデンか……」



割と限界ではあったのか、タロスと席を交換して横になった瞬間にパタリと灰田が力尽きる。

タロスが羽織をかけてやればすぐに動かなくなった。


灰田の寝息をBGMに暫くカリンとタロスは無言でワインを飲み進める。

先に静寂を破ったのはタロスの方だった。



「彼女の顔を立てるのはこの建物を出るまでだ。分かっているな」

「仕事熱心だなァ。しゃーねー、とっておきも開けてやるか」



カリンが席を立って背後の棚に追加の酒を取りに行く。

持ってきたのはセヴェル地区の酒造の日本酒一升瓶、タロスも何度か口にしたことのある銘柄だった。

だがカリンはそれを開けようとはしない。

深くソファに腰掛けて凭れ、タロスを見下したまま残っているワインを煽る。



「何のつもりだ?」



カリンの行為の意味を聞くが、カリンは笑みを深くするだけ。

そっと日本酒の一升瓶を観察すると、些細な違和感を覚えた。

タロスが詳しく観察するため瓶を手にし、封を切る。鼻をつく刺激臭から中身を理解し、この行為の意味が繋がったタロスは悔しげに下唇を噛む。



「開けたな」

「貴様……」

「お前らが探してんのはそこだ」



タロスの部隊ではないが、とある事件を追っている別の部隊の捜査が難航している話は聞いていた。

この瓶に入っているのは事件に関わる爆薬の材料。

カリンがどう入手したかは知り得ないが、この情報は持ち帰るに値するもの。

解決の糸口をカリンから受け取ってしまった事実は、封を切った時点でもう覆せない。



「貴公の捕縛にも繋がるぞ」

「それが俺に繋がるならわざわざ出さねェよ。俺はとっくの昔に取引終えてる」

「チッ」

「教えてやるよクソガキ。コストはな、テメェらが駆けずり回るよりもずっと先に動いてんだ」



一升瓶は土産に持っていきな、と目尻にシワを寄せ人好きそうな表情でカリンが笑みを向けた。

終始不快そうな顔でタロスは瓶を小脇に抱える。



「おい、帰りの時間だ。起きろ」

「んー、帰るのめんどくさい……」

「そうなるからタロス呼んだんだろうが。ほらコイツも持って帰れ」

「帰るぞ。居住区まで送る」



寝足りなさそうに半目状態でふらつく灰田を支えてタロスたちを外に出す。

最後に一杯食わされたタロスがカリンを睨んだ。

扉に凭れて支えながらカリンはタロスに余裕の笑みを浮かべる。

洗い屋カリン様のネットワークを、どうぞご贔屓に。






「機嫌がいいな、良いことでもあったか?」

「ああ、犬と遊んできた」

「お前が犬好きだったとは初めて知った」



帰宅後、シグマには誤解されてしまった。



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