季節のワインと
靴底で石畳を打つ音を響かせて、一人の男が現れる。
ほんの少し吹いた向かい風が纏うボロ布に入り込み、そのひやりとした冷たさに肩を強張らせる。
今日は十一月の第三木曜日。
日が落ちて街並みをライトが飾る頃には気温も十分落ちていた。
こんな時間にアルトゥールが出歩いているのは、手持ちのラップトップに入ってきた一件のメールに従ったから。
バード商会所属傭兵、アルトゥール。
普段は企業が依頼リストを掲載する掲示板から受ける仕事を選択する。もっぱらアルトゥールは私怨で選り好みするのでいつもはここから選ぶ派。
だが人によっては個人宛に依頼が届くこともある。ご指名というやつだ。
そんなご指名メールを営業所伝手にもらったのだが、記載されていたのは集合場所と集合時間、依頼人名のみ。
無視してもよかったのだが、自分宛の依頼というのがあまりにも奇妙でちょっとした好奇心が疼いたのでこうして目的地へと向かっている。
アルトゥールはあまり他人と関わることをしない。
ターゲットでもない人間の名前など興味がなさすぎて一々覚えても居られない。依頼人の名前を見てもパッと記憶から顔は浮かんでこなかった。
内容は現地で聞け、ということだろう。しかし何をさせられるかが一切分からないので、最低限自分と依頼人くらいを守れる程度の武装は用意した。
やがて指定されたポイントへと到着。
建物に入ると、そこは静かでしっとりした空気の流れるラウンジだった。
併設されたバーカウンターは、当たり前だが酒と軽食を提供する場所。
小洒落た場所に使い古したボロ布を纏う自分は不釣り合いに思えた。だが依頼人はここを指定したのだから仕方あるまい。
ソファに座っていた男が入り口を振り向き、明らかにアルトゥールに向けて指を動かして呼び寄せる。彼が依頼人か。
座っていても分かる高身長、落ち着いた佇まい。
読み途中の紙本にしおりを挟みテーブルの隅に置いた。
男は近くまで来たアルトゥールを見て怪訝に眉を顰める。
「……なんで武装してきた?利用料は払ってあるから座れ」
「いや、そりゃ内容書いてないから何するのか分からなかったんで……ってか武装してるってよくわかったな。アンタそういう仕事?」
万が一のために武装しているだけだ。素人が見えるところに武器はないし、外套としていつものボロ布だって被っていた。
どうやら歩き方で武器の所持が知られたらしい。どこかの企業私兵かと聞きながら向かいのソファに腰掛けたアルトゥールに、男は眉を寄せた顔のままさらに首を傾げる。
「……、
「あ、あれって
依頼人の名前だ、と理解する。
名前のイントネーションを実際に聞いて、どこか覚えのある響きをアルトゥールが復唱した。
このどことなく無遠慮な喋り方にも、知り合いらしいヒントがあった。
「ンン、もう一声、ここまでは来てる」
「I.P.E.法務部一課」
「ハッ……、
「まあ、確かにあれ以来だから随分久しぶりではある」
ようやく思い出して指を鳴らしたアルトゥールに、蓮は彼と初めての遭遇から本日の再会までの空いた月日を数えた。
アルトゥールの様子に納得して、テーブルに置いてあったワインボトルを手に取る。
依頼人が酒に弱そうとは思えないが、アルコールが入る前に依頼は聞いておきたい。
「ちょい、まだ依頼聞いてないんだけど」
「依頼?ああ、そういう形だったな。だから武装してきたのか」
「そっちだけで勝手に納得しないでくれないかねえ?あー思い出してきたこんな感じのやりとり、クソめ」
「バードだから依頼として呼べばいいのかと思ってた。謝ればいいのか?」
本当に申し訳なく思っているのか、声色からは窺えない。
事務的な通達をされている気分になる。初めてこの男と共闘した時の傍若無人な振る舞いで終始ペースを崩されていたのをハッキリ思い出した。
蓮はテーブルに置かれたワイングラスにボトルから赤ワインを注ぐ。
グラスのあるテーブルを囲んでいるのは蓮とアルトゥールしかいない。だが彼は続けて二つ目のグラスにも赤色を満たす。
「えーと?もしかして、付き合えってことか?」
「……そのつもりだが。赤は飲めないか?」
「お前さん言葉足らずってよく言われるだろ。飲めなくはないが、味を表現できるお上品な舌は持っとらんぜ」
「貰い物だから気にしなくていい。一人で一本空けるのは多いと思ったから飲み手を探してた」
インポートワインを貰い物だと言う程の伝手があるなら、もっといい酒飲み仲間は居るだろうに。
成り行きで進んでいく事柄に片眉を上げて、アルトゥールは自分の前に置かれたグラスの華奢な脚を摘まむ。
二人で目線の高さに掲げたグラス、注がれた液体を同じタイミングで口に含んだ。
赤ワインの割に重たくないさっぱりした味、軽い口当たり。その意外性にアルトゥールは瓶のラベルを見る。
細い模様のようなデザインをした筆記体の文字は読めないが、西暦で書かれた今年を表す数字の部分は読み取れた。
「これがボジョレーってやつ?初めて飲んだ」
「今日が解禁日だからな」
「へぇ」
沈黙。
二人とも自分から話を広げるタイプではないからこうなるのは必然。
同じ酒を飲みながら無言で向かい合っているのはなんとも奇妙な光景ではないか。
いくら酒の力があるとはいえ、この一本を空ける間ずっと無言というのも無理がある。
とアルトゥールが思っていると、蓮がテーブルに備え付けられたパネルに触れた。
「チーズ、サラミ、ミックスナッツ」
「ミックスナッツ」
注文パネルらしい。
蓮の呟いた品目を選択肢として認識、気分のものを選ぶ。
トントン、と数タップでオーダーすれば、数分後にウエイターがミックスナッツの盛られた皿を置きに来る。割合は少ないがドライフルーツも混じっていた。
しかし、こちらが忘れてしまうほど前にたった一回会っただけの自分が何故選ばれたのか。それだけが不思議だ。
「何で俺を呼んだわけ?」
「……他は暇が合わなかった」
「よく選択肢として俺が出てきたもんだよ、友達じゃあるまいし」
「知らない人よりいい。呼べば来ると思った」
実際呼ばれて来てしまっているので、彼の思惑通りの展開ではあった。
解禁日に入手して飲みたい性格なのか?いや、貰い物と言っていたから、毎年の習慣なのかもしれない。
蓮のことはあまり知らないし、大して興味もない。
憶測は色々出来るが、わざわざそれらを尋ねて答え合わせをしようとも思わなかった。
ただ手元の赤ワインが減っていく。
時折ナッツを摘まみ、グラスが空けば求めてもないのに次の分が注がれる。
蓮はこういう沈黙に慣れているのか、自分から喋るような気配はない。
自分のグラスを飲み減らしながら蓮がじっと正面に居るアルトゥールを見ていた。
「そう見つめられると居心地悪いんだけど?」
「……それは謝る。こういう時、何を話せばいいか分からない」
「壊滅的な口下手の方かよ。はーどうりで」
それがあっての今までのやりとりか、とアルトゥールは後頭部を掻く。
自分がそういったことに器用なタイプだと思ったことはないが、どうにもこの男はそれすら凌駕するドヘタクソらしい。
思えば、あの時出会った女の子がこの不器用な男のフォローをしているような関係だった気がする。
周りに恵まれているのだろう。それだけ温室で育てばこのコミュ障にも頷ける。
せっかく酒も飲ませてもらってるし、アルトゥールはワインで口を潤して蓮に話しかけた。
「そういえば、あれからあの女の子どうなった?元気でやってる?」
「彼女はいつも通り、元気だな」
「メンタル強そうだったもんな。アンタ、あの子と好き合ってんだよな?」
「す、……否定は、したくない」
何だその答え、と手を伸ばしていたナッツから思わず顔を上げる。
急に奇妙な言葉の選択をして
なるほど、どうやら丁度いいところを踏み抜いたらしい。
アルトゥールが思わず口角を上げながら蓮のグラスにワインを注ぎ足す。
そういう趣味はないが、生真面目な顔しか見たことがないこの男の表情を崩せるのは悪くなかった。
「何だよその答え。じゃあどういうところが好きで一緒に居るワケ?長いんだろアンタら」
「彼女は俺にとっての恩師の子で、守る対象だから傍に……」
「あーそういうめんどくさそうな過去話イラネ。今のあの子の好きなとこ」
出鼻を挫かれた蓮があからさまな時間稼ぎで咳払いをし、ゆっくりとワイングラスを傾ける。
とはいえそんな小技で稼げる時間などはたかが知れている。口に含んだワインを飲み下し、観念してぽつぽつと白状し始めた。
「……庇護欲が湧くというか、休日で一緒に居るとたまに抜けてるところとか、可愛い」
「へぇ、安心してんだな」
「安心……、そういう考えはなかった。……そうか」
照れくさそうに唇に指の横腹を置く。
新しい解釈を得られたことで彼女の愛らしさを再確認したのか、隠しきれてない口角が蓮の気持ちを表していた。
「……相手に合わせて細かい気配りが出来るところは、尊敬してる。仕事中彼女が着いてくれればまず困ることはない」
「オペなんだっけか。味方なら心強いわな」
「前に他の法務部に補助でついたときのやりづらさの愚痴を聞いていたが、少し優越感を覚えた。贔屓されているようで」
「そりゃされるだろ、あの子もアンタのことは特別だろうし」
「…………少しタイム」
一度見かけただけの二人だが、当時を思い出せば赤の他人のアルトゥールでさえ分かりやすかった。適当に肯定しているだけだが、蓮が言葉を詰まらせるところを見るとあながち間違いでもないだろう。
ラウンジを照らす雰囲気のある照明のおかげで顔色が変わっているようには見えないが、アルトゥールからの肯定は効くらしい。
片手で顔を隠すように押さえているのは自分が特別扱いされていると知った羞恥心か。
普段こちらのペースを崩してくる、マイペースすぎる男の主導権を握っている感覚は悪くない。
「ちゃんと気持ち伝えてんのか?女ってのは言葉も形も欲しがる生き物だろ?」
「気持ち?」
「好きだ、カワイイ、キレイ、……あとなんだ?そういう系の褒め文句」
ワインで唇を濡らす蓮が記憶を辿る。
アルトゥールもそういうボキャブラリーは持ち合わせていないが、何かの特集だかトピックスだかで女とはどうこうなんていう見出しはたまに目に入っていた。
口下手なこの男も女の扱いが上手そうには見えないからこその質問だったが、どうだろうか。
「……自信がない」
「あんまそういうのは言わないのか」
「彼女のことは好きだし可愛いとはよく思うが、口に出して伝えているかはあまり記憶になくて」
「おう……」
ちなみにそれは蓮の記憶違いである。
想い人の所作の端々が蓮の琴線に触れるたび、もはや無意識で可愛いと言葉を零しているし、言葉にせずとも傍に寄ったり身体に触れたりと明らかな反応を示していた。
恥ずかしいと彼女に言われても無意識なので全く効き目のない自然現象。二人きりの時にはダロム地方の雨季の如く頻発している。
まあ帰ったら言ってやれば、と蓮の惚気モードに直面したアルトゥールは引き気味でワインを煽った。
手癖のように蓮が持っているグラスをスワリングする。神妙な面持ちのまま彼は言った。
「一旦整理させてほしい」
「んあ?」
「優は、頭の回転も速いし色々なことに同時に気を回せる。俺を理解して支えてくれる数少ない人で、俺にとって特に大事な人でもある。素直に着いてきてくれたり、オフで気が抜けている彼女は特に可愛いし、表情豊かな彼女を見ているのは飽きなくて……」
帰って彼女に伝える前に、とアルトゥール相手に壁打ちしながら思考を整理し始めた蓮。
酒の力で喋っているのかと思ったが、見た感じ酒に酔っているように見えないのが一層怖い。
逃げる間もなく始まった自覚のない惚気の連射に、アルトゥールは唖然としながら手元のワインを減らすしかできない。
蓮にサンドバッグにされ、解放されたのはボトルが空いた頃。アルトゥールがペースを上げてなんとか飲みきった。
暫く甘いものは控えよう、と感じている胸焼けに誓った。
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