ネコと和解せよ
魎月は細い路地を駆け抜ける。
身の丈程ある重厚な大剣を背負っているとは思えぬほど軽やかに。
ただ、時折背後を気にしているのは何かに追われているからか。
路地の交差点を直感で右に曲がった途端、足元に居たものを見て思わず急ブレーキをかける。
勢い余ってたたらを踏む魎月に、人影がかかる。
追われる羽目になった、事の始まりは突然だった。
のんびりと散歩がてら下層の住居の間を歩く。
この辺りに居る小さな子供たちは皆元気に遊んでいて、子供好きの魎月は暇があればその様子を見守っていた。
古いコンクリート造の家屋の外壁は汚れや老朽化も目立つが、住居としては現役。その壁や支柱にはときどき黒色の薄い鉄板が打ち付けられている。
天使教団の教会が近い場所では、天使教団の元となった古い宗教信徒が昔々設置したらしい聖書看板が散見される。
とはいっても長い年月により赤錆びて、文字は剥がれ内容が読み取れるものは少ない。
啓発の役割は失われ、人々の生活の中でいつもある風景の一部として馴染んでいるように思う。
変わらない景色、元気に走り回る子供たちを眺めながら教会に向かう。
わざわざ大通りではなく入り組んだ道を進むのには理由があった。
数ブロック先に小さな空地があり、そこは魎月が密かに気に入っているもう一つの場所。
ぽっかり空いたスペースで開かれている、薄茶色、黒色、白黒ブチ柄、灰サバトラ、様々な野良猫の集会。
と、猫たちに囲まれじゃれ合っている……先客。
猫に背をよじ登られ、胡坐をかいた脚に何匹も乗せた猫まみれの褐色肌の男。
彼も気配を感じたか、猫たちを侍らせたまま魎月を見上げる。
こんな場所に人が居るとは思っていなかった魎月。こんな場所に人が来るとは思っていなかった男。
何故か男は魎月を見て、まるで宝物を見つけたように段々目を見開き口角を上げていく。
魎月は彼の表情の変化に比例するように、怪訝な顔で眉を寄せていく。
「……あー!お前!」
「なんですか用件があるならまず止まって述べなさい!?」
猫を一匹手にしたまま急に立ち上がった男が魎月に向かってくるので思わず来た道を戻る形で逃走する。
嬉々として追いかけてくる男。追われたら逃げたくなるし、逃げられたら追いたくなる。
どちらが先かなんてよく分からないきっかけで突如始まった鬼事だが、止めようにも止まるきっかけがない。
振り返って男を見れば相変わらず猫を抱えたまま魎月を追跡してくる。
片手だけで住居から伸びるパイプを掴み勢いで屋根に上がったのを見て、平穏な生活を送る一般市民ではないと察する。普段からそういう動きをしていないと出来ない身体遣いだ。
入り組んだ路地で撒こうとしている魎月を見失わないように、自然と高い場所へ行った男。追跡する事に慣れているように感じる。
何か狙われるような事をした覚えはないが、裁定者としてなら過去にいくらでも恨まれる事はあるだろう。
だが追いかけてくる男に恨まれるような事はしていない、はず。
どちらかと言うと好奇の目で魎月に狙いを定める彼の居場所を把握しつつ、細い路地を駆け右に曲がる。
「にゃー」
「っ!?」
足元に居た野良猫に驚き、蹴飛ばさないように無理矢理足を止めた。
失速した魎月を見逃さなかった男は屋根の上から飛び降り距離を詰める。
「っしゃあ貰ったッ!」
「詰めが甘い、……!?」
魎月とて天使教団に属する一介の戦士。
足が止まったとしても簡単に捕まる訳がない、のだが。
褐色肌の男は着地寸前に抱えていた猫を魎月にパスしてきた。
予想の斜め上を突いてきた行動、真っ直ぐ胸に飛び込んでくるキジトラ猫を思わず抱きとめる。
次の瞬間、腰に突撃された衝撃で魎月が倒され、敢え無く捕まった。鬼ごっこ終了。
「やーっと捕まえたわ。何で逃げんだよ、俺何もしてねェじゃん」
「君が追いかけてくるからでしょう、一体何の用ですか……」
「にゃーん」
猫を持ち上げて男のアタックから守った魎月。腰の低い位置に巻き付いて魎月を押し倒した褐色肌の男。
腹の上から退いて手を差し伸べてくるので、猫を解放しその手を借りる。
一瞬、魎月と大剣の重さによろめくが持ち直して立ち上がらせてくれた。
「何か見たことある気がしたから声掛けた。名前なんつーの?」
「……魎月です。君は?」
「俺ハルカ。呼ぶならハルって呼んでくれよな。そのすげーでかい剣ずっと背負ってるのか?重くね?強ェの?」
見たことがある気がした、という人を追いかけまわした割に不確定で中身のない理由に力が抜けそうになる。
また来た道を戻りながら、好奇心の趣くまま魎月を質問責めにするハル。
詳しく答えたくないような質問は当たり障りなく流しているが、どうも悪気があるようには見えない。
ハルも魎月が答えたくなさそうな空気を発すると即座に質問を変えてくれる。
探っているのではなく本当に好奇心で近づいたようだ。
やがて追いかけっこの始まった空地に戻れば、再び遊んでくれる人間が来たと認識した野良猫たちが魎月とハルカに群がる。
しゃがんで手を出せば胴体や顔を擦り付けて来るのが可愛らしい。
ハルのせいでひと悶着あったが、当初の目的である猫との触れあいが出来て満足だ。
「ここめっちゃ猫いるよな。人慣れしてるし。みんな野良か?」
「この辺りは遊んでくれる子供も多いので、野良猫と言ってもこういう子ばかりなんです。初めてですか?その割に随分懐かれていますが」
「おう、猫と和解したからな」
「……はい?」
頭の天辺までよじ登ったトビ柄猫が落ちないようにバランスを取りながら、ハルが不思議な事を言った。
猫と和解とは、猫と会話でも出来ると言うのだろうか?
疑問符を浮かべる魎月に、ハルはあれに書いてあると抱き上げた猫の手で聖書看板を指した。
珍しく看板の中でも文字が比較的残っている一つ。
"神と和解せよ"と書かれている看板だが、例外なく文字が欠けている。
誰かが意図的に一部だけ書き直しているのか、看板の欠けた"神"の文字がカタカナの"ネコ"と読めないこともない。
原型を知らない人間にはそのまま"ネコと和解せよ"と読めるようだ。
「あれ、元は神と和解せよという啓示ですよ。教団の源流となった信仰の教えです」
「ネコじゃんどう見ても。そっちのが良くね?」
「……そもそも比較するものではありませんが、言いたいことは理解出来ます」
猫を崇拝する宗教というのも悪くない。
愛くるしく魅力溢れる彼らが優遇され生きられるなら魎月も喜んで尽力しよう。
構われて満足したら去っていく。すると次の猫がやってくる。
終わらない猫の行列をいつ見限ろうか。本当なら時間が許す限り構っていたい。
そんな後ろ髪引かれる思いを抱きつつ、いい加減行こうかと覚悟を決める。
「さて、名残惜しいですが僕はそろそろ……」
「しかーし、俺にも構えとハチワレ選手。猫ミサイル……発進!」
「うぐっ」
タイミングよく魎月を狙っていた一匹の猫に合わせてハルが実況を付ける。
背後から頭部に向かって勢いよく飛んできたハチワレ猫が魎月の帽子を叩き落す。
ひっくり返り落ちた帽子を拾うより先に猫が入り込み、隙間を埋めるようにもう一匹が侵入する。
そうなってしまえば帽子の所有権はもう猫たちのもの。
「ハッハッハ、盗られてやんの!まだ解放してやらねェってさ。残念だったな」
「そろそろ行こうかと思ったんですがねぇ……仕方ない。これも我が神の思し召し、ということで」
「ネコ?」
「……今回に限り、それでいいです」
神よ、今日だけは猫を崇めることをお許しください。
魎月の膝に乗ったトビ柄の猫が、満足そうにのびのびと鳴いた。
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