新春・新人研修の巻
等間隔に栽植された桜並木が見事な薄桃色の花をつける季節。
綺麗に手入れがされた、いっそ芸術的とも称せる程の桜の木があるのは國の駐屯施設。
はらりと花弁が舞い落ちるその場所に聳え立つのは美しい桜に劣らない、荘厳な朱塗りの建物。遥か昔からヒノモトにある”神社”という木組みの建築物をモチーフにした天理機関ツクヨミのものだ。
まだ身体に馴染んでいない真新しいスーツに包まれた人々が自身にあてられた席に座っている。
大半が成人したての子供らしさが顔に残る青年期の男女。ツクヨミは特に天理教会での成績優秀者が推薦され勤めるケースが大部分を占める。
性根も真面目でまさにお役所勤務向き。そんな彼らに教育係として先輩や上司が日々の仕事を教えていく時期。
今はそれぞれがパソコンと向き合い膨大な情報処理の鱗片に触れているところだった。
たまたま所用でツクヨミに足を運んだタロスが、ツクヨミ時代からの同期と喋りながら彼らの背を眺めていた。
「此処の新人受け入れは今日だったか。忙しい時に済まないな」
「いや、忙しくなどないさ。ようやく人事異動のデータも片付いたところだ。この時期は他の企業も似たような状況で流石に”灰かぶり”も邪魔しに来る余裕はないだろう」
灰かぶり、と苦虫を噛みつぶしたような表情でその名を口にした同期。度々彼から愚痴としてその名を耳にしているタロス。
ハンドルネーム、シンデレラ。ネット界隈でひと際有名なハッカー。
ハッキングとはコンピューターについて高い技術を用い、調査や研究する事を指す。この言葉自体には悪い意味はない。
しかし、シンデレラは随分な気分屋で知られている。
ハッキング技術を用いた
だからこそ、ツクヨミの面々からは"灰かぶり"と煙たがるように呼ばれていた。
「しかし先日その対策をしたと耳にしたが」
「ああ……すぐ破られたよ。しかもお返しに45分間、半分の機械が使用できなくなった」
「妨害のやり方が絶妙だな」
これでも天理機関ツクヨミは國中の情報統制を行う行政の組織。高い情報処理技術と設備を保有しているこの場所に、まるで友人の家に遊びに行くような気軽さで来られるとしたら思い当たるのは……
同じく充実した設備、そして技術を持つとされるイヅナ精密電子。
かのスーパーコンピューターだけ、とツクヨミは睨んでいる。
だがここまで紐づけてしまうと定期的にI.P.E.にも、スーパーコンピューター当人にも仕事を依頼している関係であるツクヨミからすれば強く取り締まれなくなるのが道理だった。
灰かぶりとしてもそれが分かっているからこそ、國の核心に迫るような情報には一切手を出してこない。まさに手の届かないむず痒さである。
研修中の一人が何かに気づいて手をあげる。
「あの、さっきからそっちの使ってないコンピューター……モニターが勝手に動いているようなのですが」
「まさか……おい、灰かぶりに入られてるぞ!」
落ち着いた新人研修会も一変、ネズミを追い出す為に部屋中の面々が躍起になる。
侵入がこちらにバレた瞬間、灰かぶりのイタズラによって部屋中のモニターの表示がアナログなゲーム画面に変わる。
いつものパターンに皆が腹を立たせる中、新人の一人が手を上げてひとつ提案した。
外野で見ていたタロスも彼の理にかなった提案内容と度胸にほう、と興味を引かれた。
灰田は画面をスクロールしながら表示されている情報を斜め読みしていく。
イヅナも新人を数多迎える季節。総務部にもかなりの人数が入ってきたようだが、細かい班の振り分けはまだこれからだ。
それに灰田自体は実力こそあれど身分はただの平社員。部下を抱えるほど偉くもないし、根っからの末っ子気質。
つまり今日はいつもの一日。
いくつか仕事を片付けて、そういえば時期だなぁとまるでお花見に出かけるような気分でツクヨミのサーバーにアクセス。ツクヨミが独自に纏めているデータを新聞代わりに眺めていた。
「ツクヨミちゃんの纏めるデータは早いし見やすいなぁ。ふむふむ、やっぱり今年は天理教会卒業した人数が多い。お國の人事異動もまあまあ……あ、バレた?」
いくら性能がいい機械を持っていても、サーバーはアクセスが一極集中すれば少し動きが重くなる。灰田にとっては慣れた手ごたえで、いつものように本日のゲームを送ってツクヨミに遊んでもらう。
もう少し散策したかったところだがバレてしまったら仕方ない。お手製ゲームで遊んでもらっている間に安全な脱出を図る。
足跡を消しながら手順を踏んでサーバーから離れるゲージの消化を待つ。
いつもならこれで散歩は終わり。だが消化中のゲージが途中で消えてエラーメッセージが表示された。立て続けに別のインストールゲージが表示される。
「おや?いつもとやり口が違う。サーバーも軽い。はっはーん、チャレンジャーだね?」
サーバーが軽いということは灰田のゲームをプレイしている人が少ないと言うことだ。サーバーが必要な処理速度をプレイ人数を減らして物理的に確保したか。
これまでと違う非常に柔軟な思考展開、スーパーコンピューター様に挑戦する無謀な姿勢。大変好ましい。
にっこりとした灰田が妨害を跳ね返し、再度離脱を試みる。
しかも次はトラップをばら撒いて。
灰田の別のパソコンで外部からツクヨミのサーバーにダミーも用いて高負荷をかける。トラップひとつの解除にかける時間は少々長くたどたどしい。やはり相手は自分に慣れたいつもの人ではない。時期も鑑みて、画面の向こうは大型新人といったところか。
ならば挨拶をしなくてはならないと思いついてメッセージを作る。ゲージの消化が終わる頃、それを送信して今度こそ灰田はツクヨミのサーバーから帰ってきた。
「初めまして、
画面の向こうで落ち込むツクヨミを想像して上機嫌になる。光る原石が数多見つかる素敵な時期。
これから先何度も自分の相手をすることになる。いい新人研修になったではないか。
アマテラスやスサノヲの人事配備も見た限り個人的に気になるところもなかったので、裏で何か動いている事も無さそうだ。
「灰田ちゃん、手が空いたら法務部から上がってくるデータ整理、頼んでいい?」
「はーい、今行きます」
そういえば蓮も法務部に入隊した新人に向けて射撃訓練をしている時間だろう。
訓練スペースの方向を見ながら灰田は想いを巡らせた。
普段の制式鎧を着込んだ蓮は、他の一課や二課の射撃訓練担当と同じように回ってくる新人に向けて教鞭を執る。
担当はアサルトライフル、M16A4。銃器を構える姿勢、射撃までの手順など基本的なところを教えながら各個人の適性を見て点数をつける時間。
「……左足をもう半歩下げる、的の延長線上を見る」
自分のところに来ている新人たちの構えを直しながら撃たせる。
例年はひとつの集団に最低でも担当が二人ついていたのだが、今年は回転率を上げるためか蓮のところには人が回らなかった。
よく言われるのだが、体格や身長のせいで特に初対面の相手にはそんなつもりはなくとも威圧感を与えてしまう。ただでさえ愛想が良くないと言われ、人付き合いの苦手も自覚しているのだ。
これでも一応最初の方は一人一人に緊張しなくていいと言っていたものの、結局は緊張されるのでそれもとうに諦めた。
「あれ、引き金が動かない?」
「……
「すっ、すみません!」
別に怒っている訳ではないのだが。
上手く新人と接することが出来ない自分に吐いた短い溜息も、近くに居た彼らを怖がらせてしまう始末。
いつもはハルや優がフォローしているので、一人だと余計に不器用が目立つ。
この場に居ない人の有難みを沁みるように実感した。
自分と仲良くはならずともいいがせめてこの射撃訓練だけは形にしてやりたい。
この一回のせいで苦手意識を持たれると困る。アサルトライフルは基本中の基本だ。円滑に扱えないと今後に支障をきたす。しかもこの射撃訓練で使っているのは実銃だ。扱いを覚えきれなければ危険だってある。
散々新人たちとの接し方に四苦八苦している蓮が、こういう時他の仲間ならどうするのかを想像しながら眉間に指を添えた。
中々射撃姿勢が決まらない新人の構えていた銃を借り、場所を代わる。
順番待ちしている新人たちに数言呟き背中を向けた。
「……手本を見せる、好きな位置に移動しろ。見て分からなければ聞けばいい」
なるべく分かりやすく、足を肩幅ほど開き姿勢を作る。一つずつ新人たちが分かるように動作を意識し射撃までの構えを取る。
照準を合わせ一呼吸。的の先を見据えたままトリガーを引けば、放った銃弾は遠く離れた目標に当たる。
銃を返して再開させればぎこちなかった運用も随分マシになった。
今日の今日で的に当てるまでは求めていない。一人ずつ見ていき、改善点があれば伝える。
集中している彼らを見ていれば整った姿勢できちんと的を捉えている一人の新人が目に入った。
「ひとつ奥の的が撃てるか」
「はい、やってみます」
蓮から与えられた課題を了承して頷く。
きちんと落ち着くのを待って、再び照準を合わせた。トリガーに掛けられた指、目線。
銃弾が放たれた瞬間、この一発は当たらないと察した。
実際に的から逸れた弾道に新人は悔し気に下唇を噛む。だがこの新人は恐らく化ける。
感じた伸び代の大きさに蓮がフッと笑った。
「筋がいい。……そろそろ時間だ、戻して次の場所に行くように」
それはあまりにも短い誉め言葉だが、それだけでも新人の表情は和らいだ。
持ち場に居た新人たちにアサルトライフルを戻させ次のハンドガンやサブマシンガンの講習場所に送る。
タブレットに点数を打ち込みながらこのワンクールがひとまず終えられたことに蓮は些か安堵した。
数十分後には次の団体が来てしまう、それまでにM16A4を全て調節しておかなくてはならない。人数が欲しいからと言われ、近接訓練の方にハルを貸してしまったのがほんの少し悔やまれる。
向こうの方が教える側の人数も多いし、割り振られる新人の数も多い。ないとは思うが何かがきっかけで盛り上がりすぎて問題を起こさなければいい。
端から置いてあるM16A4に手を掛けながら、蓮は一瞬だけハルたちがいるであろう方に目を向けた。
訓練用の刃のないカットラス。人差し指一点で柄の底をバランスを取りながら支え時間を過ごす。
完全に待機に飽きて手遊びし始めたハルカを、二課のシオンの部下である竹ノ内が呆れたように隣で見ていた。
割り振られた30人くらいの新人に向けてシオン隊長が、これから行う近接における制圧術の重要性や考え方などを説明している。
最初の3分くらいはきちんと聞いていたのだが、さほど我慢強い性格でもない。これでも一応隣の竹ノ内にちょっかいを出さず一人暇を潰しているのは彼なりにわきまえているつもりだ。
「竹ノ内、ハル。犯人役と分かれて組んでみてくれないか?」
「あん?何の話だ」
「やれやれ。じゃあ俺が武装解除するから、ハルは大人しくやられてくれ」
話を聞いていれば何のことだかすぐに分かったのだろうが、案の定急に振られた話に疑問を浮かべたハル。竹ノ内が肩を竦めた。
シオンからの指示と竹ノ内の一言、上に向けられた手の平と呼び寄せるようにくいくいと動かされた指。
いくら話を聞いていなくてもこれだけの情報で自分が取るべき行動を理解した。
今日はしかも新人研修。事前の打ち合わせを思い出し、普段の手合わせよりもずっと遅いとろとろ歩くスピードで竹ノ内を刺しに行く。
剣を持った右手をとられ、剣を弾かれると共に外側に捻られ自然と痛みで立てなくなり地面に膝を着く。流れるように地面に倒され竹ノ内がハルを押さえた。
「分かっているとは思うが実際はもっと早いし複雑だ。だが基本が成っていないと出来る動きも出来ない。いくつか盾や武器に応じた動きも見せるが今回の基本の形が今の動きだ、身体で覚えるように」
「おいコラ竹ノ内、早く退けっつうの。痛ェ」
「お、悪い悪い」
シオンの説明を聞きつついつまでも退かない竹ノ内の脛を肘で殴る。ずっと体重をかけられてると流石に痛い。
軽い謝罪と彼の手を借りて立ち上がり、攻守を替えながら色んなパターンの制圧の型を見せる。
いつもならつい盛り上がってしまうところだが、誰もが見えるようにスパースローにした動きでは上がる気分も上がらない。一段と大人しい日だ。
一通りの緩いエキシビションを終えて新人が10人ずつ分かれ集まった。
訓練用の剣、盾、それぞれが扱いやすいと感じた得物を好きに持たせる。
見ただけでは分からなかっただろうという事で、一人一回ずつ先ほど見させた技をハルが実際にかけていく。
体感させた上で、今度はハルが犯人役で新人たちに襲い掛かるフリをした。
「力技でどうにかしようとすんな。力に頼るとそれ以上の力のあるヤツと当たった時に勝てねェぞ。余裕があったら人体構造でも勉強してろ」
「どうしても自分では勝てない相手だったらどうするんですか?」
「そもそも一人で行く必要はねェだろ。まず仲間呼んで、囲んで潰せ」
地面に転がされながらさも当然のように答える。今日この時間は確かに一対一で取り押さえる講習だが、仮にこういうシチュエーションになってしまった場合の緊急的対応であって、ひいては自分が生き残るための訓練。
流石にシオンの話を聞いていなくともこの新人研修がどういうテーマになぞらえたものかはハルでも理解している。これでもイヅナに入社して5年以上は二課に居たのだ。
手合わせと喧嘩の違いはよく混同するが、喧嘩と仕事の違いくらいは分かる。
喧嘩は時と場合によって色々な形があるが、仕事は結果が唯一だ。
正々堂々やる必要はない。まず第一に一人も死傷者を出さないこと。たとえ卑怯と言われても、意地を張るべきはその一点に限る。
國民は勿論、自分や仲間、仕事の指示内容によっては犯人も含まれるのだと、その昔二課に居た頃にハルも耳にタコが出来るほど聞かされた。
「別の日には違う武器の扱いもやるし、動きなんて嫌でも身体に染みてく。……っつーことで、そろそろギア上げていくぞ。好きに動きなァ」
ハルのやる気のなさそうな顔が一変、本当に悪役のような顔になり、怖くない普通の先輩だと思っていた新人の何人かがヒッと短い悲鳴を上げた。
あくまで今日教えた動きで対応できるように、ほんの少し実戦に寄せつつハルなりに新しい動きも教えながら新人に捌かれることに徹する。
さっきから一人、気になる新人に目を向けた。
昔の蓮ほどではないが結構体格がよく、手頃な中盾を選び手にしている新人。
さっきのハルの表情の変化で一番大きく悲鳴を上げるほどには体格に見合わず小心者のようだ。
盾は特に制圧するという一点に対して絶大な効力を発揮する。
構えるだけで相手からの攻撃方向を制限し、暴徒程度なら盾ごと押し倒して検挙も出来る。
自分には盾を使用している心理的安心感、相手側の士気の低下さえも狙える。
それらをこの新人が理解しているかはさておいて、さっきから睨まれていることに特に小さくなって盾に隠れていた。
「隠れてるだけじゃ護れるモンも護れねェぞ新人。盾も武器だ、扱ってみせろ!」
「うっ……!」
盾の側面からカットラスを差し込むように振り下ろす。
一度下がって盾ごと押し込まれ制圧されるならそれで負けてやろうと思っての一撃。
しかし新人は盾を構えたまま横へ振った。
右手を殴られ、カットラスが手から離れる。そもそも強く握っている訳でもなかったが、じんと来る痺れに思わず感心した。
「ヘェ……その盾でシールドバッシュが出来るか」
「あっ!すみません大丈夫ですか!?」
「今の、イイねェ。動き覚えときなァ、役に立つぜ」
殴られた手をぶらぶら揺らしながら満足げに、次の新人の相手をしに行く。
はらりとどこからか舞い込んできた桜の花びらを見て、春だもんなァと新人たちを重ねて見た。
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