太陽に憧れる男
「今日こそはっ倒してやるぞコラァ!」
「テメェじゃ役不足だって言ってんだよコラァ!」
下層街区の人も近づかない溶鉱炉。今日も煮えたぎる釜の陰で、褐色肌の少年が浴衣を羽織った男に跳びこんで殴りかかる喧嘩を始める。
大人ならジャブ程度の軽さしかない正拳突きを掴んで捻り上げれば、遠心力を使って少年が身体に絡みついて背中に回る。
頭を狙った分かりやすい横殴りに首だけ動かして避けた。着ている服ごと掴み剥がして捨てるように投げる。
飽きもせず正面から突進してくる少年。有り余る体力が羨ましい限り。
楽しそうに回し蹴りしてくる細い足を脇腹で挟んで捕獲。捕まえられたことに分かりやすく少年の頬が引き攣った。
指をモゾモゾと動かし、にやけながら準備運動する男。少年は足を引き抜こうと踏ん張るがそこは大人と子供の力の差でビクともしない。
「いつまでも同じようなカチコミで俺に勝てると思ってんのか?あ?分からねぇヤツには…」
「ま、待て!ストップ!!ふひっ、やめ、ぎゃぁああああああ」
擽り地獄へと誘われた少年の悲鳴が、溶鉱炉の広い部屋の隅まで響き渡った。
ようやく解放されてぜーはーと呼吸を整える少年。男は着崩れた浴衣をほどほどに直し階段に座る。
ひとしきり遊ばれた少年もすぐに復活して男の隣に座りながら嬉しそうに喋り始めた。
「師匠聞けよ。さっきここ来るまでにドロボーが居たからとっちめてやった」
「聞いてくださいだろうが。あん?いい事したじゃねぇか。天理教会はどうした」
小指のない手でガシガシと隣に座る褐色金髪少年の頭を撫ぜる。
ある日ゴロツキ共に絡まれ片付け終わった後に、いつから見ていたんだか分からないこの少年がカチコミにきたのだ。
今日はイヅナのスクールに行った、と得意げに笑うコイツはハルカ。女みてぇな名前だと言ったら怒りだしたので歯切れよくハルと呼んでいる。
いつの間にか師匠と呼び定期的に遊びに来るようになったハル。
下層の一部では有名らしく、喧嘩負けしたことがないとか。その場で負けても次の日勝つから勝ち、という暴論タイプ。まあ負けん気が強いのはいい事だ。
ここしばらくこの溶鉱炉下を根城にしている自分の噂を聞きつけて挑みに来たようだ。
流石に10歳過ぎそこらの子供と30半ばの男では体格差がありすぎて負けることはないが、ハルは身体が柔らかく使い方も上手い。反射神経も抜群。少しくらい年上の野郎ならやり方次第で伸せるのだろう。
喧嘩ばっかりしている割に周りには恵まれているようで、素直で馬鹿正直にやたらと自分の真似をしてくる。
ハルがいると暇にはならないのだが、喋り方を始めとしたあれこれを全部真似してくるので困る。
お陰であまり常識はずれなことまで真似されないように必死に今まで使わなかった頭を使わざるを得ない。
「まだこの時間なら日が出てんな。上行くか?」
「連れていってもいいぞ、あん?」
「真似するところがおかしいだろうが、はっ倒すぞコラ」
師匠が何故溶鉱炉の近くなんて暑い場所に居るのかは分からないが、こうして遊びに行くとよく太陽を見に中層や上層の端っこに連れて行ってくれるのが好きだった。
何でわざわざ太陽を見に行くのか聞いたが、暖かいからと言われた。師匠は寒いのが嫌いらしい。
だからハルも太陽が好きだった。
首や背中の入れ墨を隠すようにきちんと浴衣を着直して、外に出る。
師匠は出かける度に喧嘩を吹っ掛けられる。昔のやっかみだか何だか、らしい。詳しくは話してくれないのでよく知らない。
だが師匠はすごかった。相手が刃物だろうと何だろうと、
初めて見たその潔さ、武器による不利を感じさせないカッコよさがずっと目から離れないのだ。
「いい加減その首置いてってもらうぞテメェ!」
「組長とは小指で話ついてるだろうが。しつけぇぞ下っ端ァ」
師匠の技を見るのも、楽しそうに喧嘩に応じているのを見るのも好きだ。こっちまで楽しくなる。
気持ちに火が入るのに時間がかかるらしく、最初はあの動きにくそうな服装で捌いて避けるばかり。それからだんだんスピードが上がり、拳鍔をはめた手で刀を弾いて鳩尾に拳を入れる。
8人もの男を一発K.O.で伸してしまう師匠の動きは鮮やかだ。
まだ手を出すなと言われているので眺めているだけだが、急に師匠が履いている下駄を飛ばしてきたので屈んで避ける。
ハルの後ろに迫っていた敵もそれを避けるが今度は同じ軌道で左手の拳鍔まで投げる。
これには対応できなかったようで、顔面ヒットした拳鍔と共に最後の敵が倒れ伏した。
「あー、ハル。下駄取ってこい」
「俺は犬じゃねェんだぞ!」
ハルが投げ返した下駄を履いて何事もなかったように上の層に行く。
いつもの太陽鑑賞ポイントに座り、二人して日光浴に興じる。
稽古をつけろ、見て盗め、じゃあ喧嘩付き合え、帰ってからな。そんなやり取りを行って過ぎる月日。
暇さえあれば師匠とじゃれ合い、喧嘩という名のコミュニケーション。
時には背中合わせで共闘して師匠譲りの戦闘スタイルが出来上がる。
性格まで似なくてもいいだろう、怠そうに辟易していた。そんな自覚はないのだが師匠にはそう見えるらしい。
「師匠って何かしたいことあんのか?」
「あー、せっかく足洗ってフリーになったからな。いい加減バードにでも登録して食い繋ぐとしようかねぇ。ハルは大人になったらどうすんだ」
「師匠のステゴロ、どこでも通じるって証明してみたい」
「可愛くねぇな、喧嘩って言えよ。じゃあ先に教えてやる、茨の道だぜ。柔軟にやんなァ?」
成長した金髪をぐしゃぐしゃと混ぜる。
こうして師匠はバード商会へ、ハルは成人してイヅナ精密電子へと身を置くことになる。
場所が変われば、人も変わる。
強いやつは沢山いるし、特に一課の面々の強さには素直に憧れた。
スクールに居た頃に散々先生たちにたしなめられたので、下層で生活していた頃に比べれば喧嘩も減ったが、ついつい未だに手が出てしまうことも多い。
いまいち手合わせと喧嘩の違いもよくわからなかった。
そんな中スクールで出会った、
下層では見たことのないタイプで、癪に障らない返しが一緒に居て気楽で気に入った。
大人しい顔で、性格で、今まで殴り合うような喧嘩なんてしたことがないような人間。
まさかそんなヤツが…
「今に見てろよ、ぜってー勝ってやるからな…!」
「……じゃあずっとハルの目標になれるように頑張る」
地面に転がされ、首に刃のない手合わせ用の刀を押し付けられている状態でハルは自分に跨る蓮を睨む。
イヅナに入社して剣を持つようになってから、信じられない速度で技量を上げる蓮。
悪魔でも飼っているのか、偏に才能の開花によるものか、気づけばハルが扱う師匠の型はこの男には通じなくなっていた。
蓮は易々と一課に転属。
ずっと格闘技に拘るハルを見て蓮がある日、カットラスを持って訪ねてきた。
拳ひとつでは一課には行けない。だから剣を教える。
昔慕った師匠ごと自分を否定された気がして、気づいたら手が出ていた。
ハルに殴られた蓮が唾に血を混ぜて吐き捨て、カットラスを地面に置く。
「…そうやってすぐ頭に血が上る。話は最後まで聞いたらどうだ」
「煩ェな今日はその顔すげー腹が立つんだよ!」
一発殴らせればクールダウンするかと思ったが、これは一度血を抜かないと何も聞こえないと判断した蓮が素手での立ち合いに応える。
苛ついたまま繰り出される攻撃は甘いが、徐々に集中してくれば一撃に鋭さが増していく。
重い一撃だけもらわないように気を付けながら防御に徹しつつ、時折確実に入れられそうなタイミングで拳や蹴りを交えた。
素手での戦闘は勿論今まで喧嘩ばかりしてきたハルの方が上。とはいえここで負けると説得力がなくなる。
そこでずっとハルを観察していた蓮がスタイルを変える。
拳ではなく手の平で、顔面を掴むかのように迫る蓮の手に驚いて軌道から逸れる。
「ハル、反射神経任せなのが改善点」
「っ…!?」
上体を逸らして避けたおかげで踏ん張る足を払われ掬われる。後転で立ち直ろうにも、地面に到達する前に胸倉を掴まれ地面に押さえつけられた。
また負けた。深く溜息をついて脱力、そのまま地面に寝そべる。怒りの感情も上手い事消化させられた。
蓮も口元を拭いつつ胡坐をかいてその場で座る。
「……ベースはしっかりしてる。だが一課に来るなら、そのままだと使いどころが限られる。ハルが応用すればいい」
「あー。………柔軟にやんなってそういうことか。確かに、茨の道だわなァ…」
彼に返事をするわけではなく、空中を見つめながらポツリと呟いたハル。
あの日師匠の選んだ言葉の意味、極めると拘るの微妙な違いを今更ながら何となく察した。
極めるには様々なことを知らなければならないことを、師匠は言ったのだろう。
それから悪魔のようなスパルタ指導の元、剣術と体術を組み合わせて一課向きの形に伸ばしていく。
蓮に啖呵を切った手前、彼だけではなく二課の班員にも付き合ってもらいながら一年半かけて試験に合格。その頃には蓮が見慣れない剣を携帯していた。
慎重に手入れをしている蓮を頬杖ついて観察しながら話しかける。
「なんか、お前らしいわ。そのイヤらしい感じ。俺から今切っ先しか見えねェし」
「……長さと形だけ言ったら出来たのがこれだった。イヅナお抱えの武器職人は素性が知れないな」
「制限解除したらどうなるんだ?」
「……少し使い方が難しい。今度見せる」
こと戦技方面には器用な蓮に、難しいと言わせる水晶剣。こんなのを作る職人が凄いと素直に思った。
眉を寄せながら片刃の危ない方に気を付けて刀身を拭き上げる蓮が、ハルなら何を作るかと聞いてくる。
ナックルが作りたいと言えば、手入れに集中している蓮から生返事が発せられた。
暫くしてハルの制限武器が作れる許可をもらい、変な顔をする蓮を半ば無視。鍛冶職人に頼み込んで作ってもらったナックルダスター。
カットラスはそもそもハルに合わせて素材を軽いものに変えニクヌキしたある意味専用武器なのだが制限までは付いていない。
素手のように振り回しやすいものとして加工したのだが、やはりナックルという形に拘るハルに蓮は微妙な顔をしている。
「やっぱ手に馴染むねェ。軽いし、すげー喧嘩はかどりそう」
「……武器として使いどころはあるとは思うが…わざわざ奪ってまで使うメリットがないから、制限つける必要なかった気がする」
「…………う…」
これを極めるのが目標だから!と蓮を丸め込む。
いつか一色蓮に勝つ、というのが当面のハルのマイルストーンとなった。
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