その名を口にする時(二)


事に気づいたのは同じ部署の社員。

彼女は滅多に体調を崩すことはないのだが、数年に一度くらいはそういうこともあるし崩した時は結構酷い。

長年共に仕事をする周囲の社員には知れているので、今回も盛大な体調不良ではないかと言われていた。

しかし誰かしらに何の連絡も入らないのが半日以上になることは今までなかった。

報告を受けた上役が灰田は体調不良の連絡を受けてあるとして不必要な混乱を波及させないようにその場を取り繕ったものの、実際の真意は不明。

当然、彼女の住む部屋を確認したものの人のいる気配がない。


ある程度の仕事は自動化されているとはいえ、彼女が居ないことによる一番の障害はイレギュラーや危険因子への対応。

仮に今イヅナのセキュリティがサイバー攻撃を受けたとして、多少の不祥事は対応の出来る社員が居るには居る。

しかし防衛・反撃・解析における判断と実行がすべて同時に行える実力。それに機密データのある部屋を開けられるセキュリティ権限を持っているのは灰田を含めた数名しかいない。

そこまで重要な役割を任せられるほどの実力と信頼をもぎ取った彼女の今までの行い、仕事面に限らず日頃の何気ない努力の積み重ねは決して一日で語りきれぬもの。

一般社員として収まるのも隠れ蓑としての意味が強い。

一部界隈にはイヅナのスーパーコンピューターは人間ではないなんて噂されてはいるが、外部に漏らせば灰田とそれが紐づけされる可能性がある。

混乱を波及させるわけにはいかなかった。




蓮は会議室に行ったその足で、いつも優が居るデスクを訪ねる。

問答無用で積み重なる頼み事に対しての愚痴をよく聞くが、この日に限って机上は綺麗に片付いていた。

机の中央で何やら手の平サイズの人形が看板を両手で持って掲げている。

“ただいま仕事の依頼は不可!”と書かれた板を持っているのは、スーツ姿のデフォルメされた彼女。

よく特徴を捉えたフィギュアだ。3Dプリンタか何かで作ったのだろう。

わざわざ作って置いておくだけで印籠として機能するのだから、こういう些細なところでも彼女が普段からしっかり周囲の人間を教育出来ているのが窺える。

いい大人たちに教育なんて言うと言葉は悪い気もするが。




「えっ、ひ、一色さん、どうしてこんなところにっ!?あっ、灰田ちゃんに用事ですか?彼女、体調不良でお休みなんです…」

「……彼女の他の席は?」




よほどのことがない限り法務部や特務部はここには来ない。

上擦った声で目を瞬かせながら驚いた女性社員の声を皮切りに、フロアがざわつく。

女性社員の中では何やら盛り上がっている場所もある。

フードだけ取り払ってあるので普段見えない自分の顔が珍しいのだろう、と適当な解釈をして黄色い声を意識の外に押しやった。

声をかけてくれた彼女の同僚らしい女性に他の席を案内してもらう。

何としてでも優の行方や行動のヒントが欲しい。

仕事場か自室のどちらかに、彼女が何かを残している。

そんな情報は聞いたことがないが、そこは10年来の付き合いだ。

蓮はどことなく確信めいた自信があった。


あの場所と此処と、そうやって指をさしながら教えてくれた社員に礼を言って示された席を見に行く。

離れたところにある一つは通信機やモニターが多く搭載されている、戦闘支援専用の席。

もう一つは一見変わりないので何のための席かは分からないが、足元にしまわれたパソコン本体が他より大きかった。

そして今何故かその席には男性社員がコーヒー片手に座っていた。

蓮に気づいた男が驚いて噎せる。

きちんと手で押さえて機械に水分がつかないようにしているのは、パソコンの価値が高いのを知っての事だろう。




「ゴホ、一課がこんな場所に何か用が?えふん、」

「探し物。……それは?」

「これですか?灰田が暇なときにプログラムしたゲームなんですよ。単純ですけど、結構ハマります。やってみますか?」




この席は彼女が使わないときは誰が使ってもいいらしい。

ロック画面でゲームが出来る。もちろんロックを解除するパスワードを知るのは彼女だけなので手前の画面が遊べるだけだが、その画面は蓮の興味を惹くものだった。


最新の宙に投影されるモニターの中、2Dのドットで構成された古めかしい絵柄。

それこそ資料でしか見たことのないような旧型のアーケードゲームによくあったらしい、アイコンを上下左右の四方だけで動かし操作する迷路追跡系ゲーム。

水色のドレス、長い金髪、ティアラのような飾り。すべてドットで描かれているため細部は分かりにくいが、的確な配色にニュアンスが伝えられる。

それは蓮が幼少期に母がベッドで読み聞かせてくれたシンデレラの絵にそっくりな配色だった。

古くからある子供への読み聞かせるコンテンツとしてポピュラーな作品、國民の大半が知っているもの。

だからこそ、こんな古めかしい描かれ方でも理解できたのか。


画面の隅に居るシンデレラが涙を流し、悲しそうな顔をしていた。

席を代わってもらいゲームをスタートさせる。

一定の速度で迷路を怒り顔の女の子のアイコンが二つ動いている。

こちらが操作できるのは王冠を被った男の子…ということはプレイヤーが王子役か。




「意地悪な姉たちに捕まらないように道に落ちてるドットを全部集めて、そしたらガラスの靴が現れるんです。それを拾ってシンデレラに届けたらゴールなんですよ」




アイテムを拾えば色々な効果が付加されたりと、ルールも分かりやすく万人受けしそうなゲームだ。

総務の様々な部署を走り回る彼女にこんな才能まであったのかと感心する。

蓮にシンデレラと呼ばれる時の本人は、そろそろその呼び方を辞めてほしいとよく顔を顰めるが、モチーフとしては意外と気に入っているのかもしれない。

エネミーである二人の妹はランダムに動いているようで的確に王子に詰め寄ってくる。

逃げ道を塞がれないように気を付けながら落ちている星型のアイテムを拾うと、急に王子が虹色に光って姉たちは王子と反対に逃げ始める。

……この効果は別のゲーム作品のものだったような気がした。

この状態なら彼女らに接触できるらしい。ハイスコアを出したいときに取るのだと教わった。

ともあれ、落ちている全てのドットを拾い集めると画面の中央にガラスの靴のアイコン、迷路の行き止まり部分に涙を流すシンデレラが表示された。


靴を拾ってシンデレラと合流すれば、悲しそうな顔がたちまち嬉しそうな顔に変わりブラックアウト。

パッと画面が切り替わり、今プレイしたスコアの下に幸せそうに手をつなぐ王子とシンデレラの姿があった。

その日のスコアトップ3が表示されていたり、リトライやエンドが選べたりと、割と手の込んだプログラムだ。

ロック画面としては複雑すぎるので、決まった入力を行えばパスワードの入力が可能になる…とは思うが、そこまでの過程は分からない。


仕事の合間休憩で遊んでいただけだから、と男は自分の席に戻った。

ひとまず画面を閉じようかとカーソルをエンドまで動かした時、一瞬何かが表示された。

一瞬過ぎて読めなかったので、今動かした逆順を辿る。

また一瞬、表示されるポイントがある。

何度かカーソルを往復させれば、それがシンデレラの靴部分にカーソルが当たった時だと分かった。

相変わらずほんの一瞬だけなのだが、何度も繰り返し通過させて文字を読み取る。


やがて画面を戻した蓮は装備を確認しつつ、フードを被り会社を飛び出した。








息を乱しながらも商業街区の目的地付近に近づく。

あの時見た表示は短いアルファベットと数字だったが、その組み合わせ方が住所の表記とよく似ている配列だった。

商業街区の下側、中心街から外れたその場所。

元々一人で色々な場所をふらつくので、彼女がここに来ていても特におかしいとは思わない。

保護した頃から人間観察が癖になっていて、一人で居ても退屈そうに見えることはなかった。


細い路地を覗きながら彼女の影を探す。

通過しかけた路地に気になるものがあった。その細道を再び覗いてみる。

身体を道に滑り込ませ、落ちているものを拾い確認。


片方だけの靴。

彼女が普段仕事中に履く少し踵のあるビジネスシューズに酷似している。

あのスコア画面中での表示は靴にカーソルが合った一瞬だけ表示された。

出来すぎた偶然にまさか、と蓮は顔を顰める。

捨てられたものかもしれないし、まだ彼女のものと確定した訳では…。

気になって靴を裏返すが、見た目におかしい場所はない。

コツコツと指の関節で裏をノックして音を聞く。

ヒールの部分は素材が違うが、何かを隠すならあとはここしかない。

無理やりソールを捲り剥がせば、空洞になるように削られたその部分に合わせてぴったりと発信機が埋まり点滅していた。


緊張で詰めていた息を苦し気に吐き出して、その事実を認識する。

……これは、彼女の靴で間違いない。

この発信機はあのゲームと同期している。少なくともこんな手の込んだ設定をするのは彼女くらいしかいないからだ。

外に居てしかもこんな場所でわざわざ発信機を埋めた靴を脱ぐ用事などないだろう。

何らかの事件に巻き込まれた。…攫われた、という考えが妥当。

靴が脱げるような状況たれば、少なくとも友人についていくなんていう生易しいものではない。




「………優に、何かあってみろ」




長く瞼を下ろし、これからやるべき行動を浮かべた。

睫毛を震わせ再び開かれたその目には、強く暗い光が宿る。











………寒い。

脚や頬で触れている地面が冷たい。

徐々に奪われていく体温に本能的な危機を感じたのか、意識だけが浮上する。

改めて頬から感じるコンクリート質の冷たさに、ここは屋内らしいことだけは分かった。


頭がぼうっとする。

優は重たい瞼をもう少しだけ開いて、視覚で得られる情報を増やす。

つま先が見えた。これは男性のものだろうか。




「おい、起きたみたいだぞ。動かねえけど」

「結構薄くしたつもりなんだけど、その子薬に弱いみたい。まだ当分動かないから放っておいていいです」




知らない人の声がする。何人かいるのか。

声がするのは分かるが、今はまだ内容まではよく理解できなかった。

とりあえず動きたいのだが、全く身体に力が入らない。指の一本さえ言うことを聞いてくれない。

弛緩剤か何かの類だろうか。


どういう状況なのか、思い出せそうな部分から徐々に記憶を辿る。

愛用しているボールペンのインクが切れて、帰りがてら替え芯を求め会社を出たのは覚えている。

欲しかったのは中々見つからず、三軒目の店で見つけられた。

いつもは消耗品なんてネットで買ってしまうので、取り扱っている店探しに苦労した記憶がある。

その後どこかに寄った記憶は思い出せないし、普通に帰ろうとしたんだろう。


誰かの影が被る。首さえ動かないので顔の向きも変えられないが、こちらを観察しているようだ。

声も出ないのか。

肺から呼気を送ってみるが、ただ息を吐いただけになってしまった。

ギラギラした指輪が沢山ついている指が優の顎を掬い、頭を持ち上げる。

ひときわ大きな指輪に、キサラギ化成のマークが見えた。

綺麗に化粧をした男が視界に入る。覚えがある顔だ。

……ああ、この男を見たのが最後の記憶。


薄暗くなってきた商業街区の一角で、佇んでいたこの男と目が合った。

ドラヴァグクイーンというほど派手ないでたちではないが、綺麗にまとめた女装だな、なんて思った気がする。

近づいてきたこの人に、路地に押し込まれながら口と鼻を塞がれて、…そこで意識を失った。




「フフ、思い出した?お話したいけど、まだダメそうね。……次行くわよ、準備なさい」




また床に倒される。と、思ったら大きな毛布に包まれてそれごと誰かに担がれた。

息苦しいけど、こっちの方が今は温かくていい。

優は柔らかな暗闇にまた意識を落とした。



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