その名を口にする時(一)
イヅナ精密電子。國を支え、今も尚発展を続ける一企業として誰もが知るその存在。
事務方や製造部も合わせれば社員の数は馬鹿にならないくらいに多く、社内ですれ違う人間が誰だかも分からないことなどブラストにとっては当たり前だった。
元より覚える気もない、というのも否定できない。
まあ普段関わりもしないようなイヅナの末端社員を覚えたところで何かある訳でもないし、そういう人間関係の馴れ合いは面倒臭くてやってられない性格だ。
メンテナンスしたばかりの機動義手を試運転したくて部屋から出てきたが、社員が廊下の窓周辺でたむろしている。
仕事中の時間にも関わらず珍しい。しかもよく見れば窓ごとに事務だけでなく二課や一課のメンツも窓から下を見ていた。
女性陣がなにやらはしゃいでいるのと、単純に見慣れない人の群がりでブラストは無意識のうちに眉が寄る。
さっさと通り抜けてしまおうと急ぎ足で先を行こうとすれば、同じく一課で同期のネーベルがブラストに気づいて手をあげた。
「ネーベル、何か祭でもやってんのか?」
「まあ、そんなところ。珍しい人が訓練スペースにいるんだよ」
射撃訓練や社員同士の手合わせ、戦闘におけるスキル向上などで使われる広めのスペースが高い塀に囲まれた屋外に作られている。
稀にイベントスペースとして使われることもあるその場所は予約制。
いつも誰かしらに有効活用されていた。
珍しい人。そう言われて数秒だけ考えてはみるが、冒頭の通りの性格だ。
パッと思い当たる人間はいない。
察したネーベルが器用に片方だけ眉を上げて見せる。
「正解は
「あー、
「アタシも最近まで知らなかったけど、正しくは
法務部一課は通常個人に当てられる仕事がほとんど。
必要に応じて誰かを連れていくこともあるが、そこはやはり知り合いに声をかけるので、同じ所属でも関わらない人間がいるのがデフォルト。
自分の性格からして辛うじて名前を知っていただけでも褒められたものだ。
ここは人が増えてきたから一つ下の階で観戦しようと提案された。
人の多さには辟易とするが、あの男の戦闘には興味がある。
場所を変えて見られるなら悪い話じゃない。
下の階は意外と穴場で、人もさほど多くはなかった。
細かい動きがよく見えると言えるほど近くはないが、それでも上よりは快適だ。
さて落ち着いて観戦を、と窓の淵に手をかけたところでドタドタと駆けてくる足音が聞こえる。
なんだか聞いたことのあるパターンにブラストとネーベルは顔を合わせてから短いため息をついた。
「ブラスト!ネーベル!そこよく見えるか!?」
「……煩いのが来た」
同じく同期のブリッツが
肩で息をして呼吸を整えながらすでに窓にへばりついている。
そんなになってまで見る程か?とは思うものの、目を皿にして訓練スペースを見下ろす彼を倣って窓の外に視線を移した。
よく見れば手にしている刀剣は訓練用ではない。
恐らく一色の専用武器だろう。
双方同意の下、申請した上であれば専用武器を使う許可も降りることがある。
ブリッツが珍しく静かに、相変わらず綺麗な剣だなと呟いた。
口ぶりからしてあの男の模擬戦を観るのは初めてではないのだろう。
少なくとも自分よりは知っていそうだ、とブラストが一色について聞いてみる。
「アイツの剣、なんか透けてね?」
「オレも近くで見たことはねえんだけどさ、水晶剣なんだと。120cmくらいの、鍔のない片刃の直剣。角度によっては光で透けちまって見えづらいんだ」
「思い出した。前に手合わせしたって言ってたヤツがやりにくいとか、もうやりたくないとか嘆いてた」
ブリッツの説明にネーベルが付け足す。
2対1で相手になっているのは二課の社員だろうか。一色は一課の制式鎧だが相手は違った。
なんだか二課の二人は遊ばれているように見えてしまう。当の本人たちは真面目に食らいついているつもりなのだろうが。
一色が三歩と動かず受け流している。
二人の行動の未熟さもあるが、対比効果を抜きにしても彼の動きには無駄が感じられない。
ひとえに熟練度の現れだろう。確かブラストたちよりも一課に長く所属していた筈だ。
ブラストが”蒼き突風”と呼ばれるように、一色もまたその名で呼ばれることがある。
ブラストの異名はその戦闘におけるスタイルからその名が浸透し、畏怖されることとなった。
まんざらでもないし、割と気に入っている名前である。
だが一色のその異名は、直接彼の戦闘を見たことがないブラストにとっていまいちピンとこないものだ。
「
「それ聞いたことあるぜ!アイツの剣、制限解除すると普段よりもっと見えなくなるんだってハルが言ってた」
ハル、とは一色とよく組む褐色の肌の男の事だったか。
歳もそこまで差はない。何となくブリッツに似ている気がする。
ブリッツも実際に彼の制限解除は見たことがないらしく、ネーベルもどんな効果なのか聞いたことがないという。
滅多にやらないのだろうが、あれだけ基礎が出来ていれば確かに制限解除まですることも少ないのかもしれない。
そもそも見えづらい剣がさらに見えなくなるなんて悪質にも程があるだろう。
通信が入ったのか、一色が二人を捌きながら左手を耳元に添える。
それでも体幹が全くブレないのは正直恐れ入ったものだ。
二課の片方が一色に向かって斜めに切り上げ、もう片方が一色の死角から突きを繰り出す。
今までで一番息の合った攻撃に、ブラストたちは思わず窓に顔を寄せた。
通信を終えた一色が左手に剣を持ち替え前方からの切り上げに対してその水晶の刃を当てる。
流しながら身体だけを反転。
渾身の突きを繰り出す相手の剣を手ごと握り、自分の身体を軌道から逃がせば危うく二課の社員同士がぶつかり合う構図が出来上がる。
予想していなかった一色の動きにブリッツとネーベルは揃ってうわ、と声が出る。
ブラストもこれにはピュウと口笛を吹いた。
しかも突きの一撃を受け流しておきながら、ヒットしないギリギリのところで止めている。
珍しいといわれるくらい訓練スペースを使うのが久しぶりらしいが、あの芸当は簡単に出来るものではない。
恐らくブラストたちの知らない頃は、相当鍛錬を積んできたのだろう。
手合わせをした二人に数言何か伝えて訓練スペースを後にした一色。
その背中を見ながらブラストは次の機会があればもっと近くで見てみたいと密かに思った。
蓮が二課に居た頃に世話になった先輩から、若手に指導をつけてほしいと頼まれ指定された時間に訓練スペースへと顔を出す。
実戦経験に近いものを積ませたいとのことなので、自分の専用武器を手にして来れば少し緊張した面持ちの二課の若い男が二人。
コミュニケーションを取るのが苦手な自覚があるので、事前にハルに相談してみたところ”ゲーム形式にしてみれば”とアドバイスをもらう。
考えた結果、地面に円を描いた外に出せれば勝ちというルールの下に好きに攻撃させて、太刀筋や身体の使い方を蓮なりに教える。
伝えたいように伝わっているかは正直分からないが。
変わらない高い塀の圧迫感や、昔ここで何度も色々な人と剣を合わせた記憶が思い起こされる。ここに足を踏み入れるのは久々だった。
何度も受ける甘い攻撃に、せっかく二人いるのだから連携する選択肢もあることを言ってみる。
一度互いに顔を合わせただけで意思疎通を図る辺り、きっといいコンビなのだろう。
徐々に良い動きになっていくのを感じていると、無線がノイズを拾い指先を耳の後ろの骨に添わせる。
「一色蓮。至急、第四会議室まで来られたし」
首にかけてある咽喉マイクから了承の旨を伝え、申し訳ないが手合わせは中断せざるを得ない。
今までで一番息の合った攻撃を躱して止めさせる。
今まであまり動かなかった蓮の急な身体捌きに目を白黒させる二人に、いくつか良かった点や伸ばしてほしいポイントを伝える。
後で先輩にも最後まで付き合えなかった詫びもしなくてはならないと思いながら急ぎ指定された部屋へと向かった。
短いノックと名前を伝えれば、エアーの抜ける音と共に自動でドアが開かれる。
薄暗い部屋に今日は片手で数えられる人数の上層部役員。
何人かホログラムとして投影されている。あれもまた参加の形だ。
「一色蓮。君に、任務を頼みたい」
どのみち蓮には拒否する道理も理由もない。だがひとつ気になることがある。
わざわざこの重役が集まる部屋に呼びつけるほどの理由とは。
いつもならメール、緊急なら総務からの通達が主流の方法。
呼び出されたのは自分ひとりで、口伝ということは一課としての任務の内容の中でも特に公にしたくない事柄。
社内でスパイを見つけたか、はたまた人知れず暗殺の話か。
窓がない部屋だからか、少し息苦しく感じる部屋で別の役員が重い雰囲気を纏い口を開く。
「連絡が付かなくなった社員がいる。…わが社に不可欠の極めて重要なカギだ。万が一危険な状況であるならば一刻も早く取り戻したい」
「……社員の捜索、ですか」
呼び出したわりに予想より毛色が違う任務だ。普段受けるようなものとも違う。
役員や重要人物であるなら一課である蓮には名指しする筈だ。
社員と形容されると少し予想がつかない。
カギと言われるまでの社員、となるとプラントの腕のある技術者だろうか。
まさかとは思うがもし事務となれば…
運命は時に無慈悲。そして、突如としてその瞬間は訪れる。
誰かが言った名前に、蓮は呼吸を忘れて固まる。
イヅナ精密電子のカギと冠するに相応しい ――灰田 優、その名を。
カギをモチーフに描かれた社章を掲げる大旗が、静かに小さくゆらめいた。
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