灰と色と休日



白の少女が黒色の男に出会い、灰に染まったその日から10年。

その長い月日は傷を癒し、少女を大人に成熟させた。


ベッドの上でシーツと共に丸まる彼女の意識を、デジタル時計のアラームが引き上げる。

数秒ですぐに音は止められて、10年以上繰り返してきた習慣は身体がすぐに実行する。

ベッドから降りた足が洗面台へと向かい、顔を洗う。

タオルに顔を埋めて水気を取りながらクローゼットの扉を開ける。

部屋着を脱ぎ捨て、手癖でハンギングされたスーツに手をかけてから今日は休日だと気づいて引っ込めた。

下着姿で私服を悩めるのは一人部屋の特権。とはいえ悩むほど私服に種類もないので適当に手に取ったものに袖を通す。


習慣ついでに引き出しからいつものセットを取り出して、目的のものがないことに気づく。

最近忙しかったせいでストックし損ねていたか。

そういえば昨日使い切った記憶がある。

困ったように鼻頭を掻いて今日のスケジュールを組み立てる。




「……んー、でもなんか今日はいいことありそうな気がする」




彼女の勘という名の電波が何かを掴み、浮かんだ人の顔に思わず顔を綻ばせた。





普段よりも適当に朝食を済ませ、社員居住区をほっつき歩く。

途中の談話スペースで二課や一課の社員がたむろしていた。

自分に気づいた人にはおはようございますと挨拶しておく。

といっても仕事中はPCと共に缶詰になっていたり戦闘支援班として奥まったところに居る自分だ。

挨拶をくれた人だって灰田優なんて人物を知らない人もいるだろう。

総務も様々な部署や人がいる。


ふと奥に見知った背中を見つけて、顔だけ出そうかと近づき声をかけた。




「ハルさん、珍しいね。今日は非番?」

「おう、おはよ。被ったか、確かに珍しいな」




自分から行かない限り日光に当たらないはずのこの國で、なぜか肌の色が日焼けを思わせる特徴的な褐色。

彼は昔からこの色で一年中変わらないので、きっとそういう遺伝子なのだろう。

肌の色も相まって金髪の刈り上げた健康的な容姿はスポーツマンを連想させる。


いつもはお互い仕事が忙しく、滅多に休みが被ることはない。

お陰で会うたびに珍しいと言い合うのが定型文となっていた。

二言、三言、短いやり取りで互いの近況を話して解散する。

忙しいわりに彼は友人が多く、若い人からは兄貴分のように慕われていた。

あまり邪魔をするのも悪いだろうと思っての早期退散だったが、言い損ねたとばかりに背中に声がかかる。




「俺も用があるからあとで行くけど、蓮も休みだから。部屋に居るんじゃねえか?」

「ほんと?わかった、ありがと!」




それが聞きたくて俺のところに来たんじゃないのか、と首を傾げるハル。

そんな彼には目もくれず、勘が当たったと嬉しそうに目的の部屋を目指した。

彼らは昔馴染みらしく、特にハルは仕事以外で蓮を呼ぶときはフランクに名前で呼んでいる。

仕事中はリーダーと呼ぶので、見かけによらず律儀なところがある人だと聞く度に思うのは秘密だ。


エレベーターで上の階へ。一課の人の部屋は自分の部屋より高い位置にある。

高所恐怖症とは違うが、窓からの景色は見慣れなくてついチラ見してしまう。

到着のベルに自然と気分も上がる。

部屋の扉を叩こうと手を上げて、横から感じた気配に斜め上を向いた。




「蓮さん!部屋に居ると思ってた」

「…朝食行ってた。入っていいぞ」




すぐ横に立つと見上げるほど背の高い彼と、平均よりだいぶ小さな彼女。

アンバランスな二人は並ぶとどう見ても巨人と小人だった。

休日だからかいつもの黒ローブではなくラフでシンプルな私服。

短すぎず長すぎず、耳が出るように整えてある黒髪。

前髪は少し目にかかって邪魔そうだ。忙しくて切る暇がなかったのだろう。

最近は会えるのもレアなのに、休日オフモードの朝の蓮が見られたのは超ラッキー。


デジタルキーは本人が近くに居れば勝手に開く。

部屋主の代わりに扉を開けて一緒に入った。

蓮の部屋は平社員の自分より広い。待遇差というやつだ。

とはいえ極端に物が多い人でもないし、単純に忙しい人なので普段は寝るだけの部屋と化しているような気もする。

綺麗な、ある意味生活感のない部屋には蓮の趣味で紙の本が並んでいる。


前回来たときより何冊か増えていた。

古物商で見つけてくるという、様々な大きさや色の背表紙。

ジャンルも豊富な中から惹かれたタイトルを一つ手に取る。

意外とインドアな彼の趣味。

すでにベッドの淵に腰かけ読んでいる蓮の隣に座って、同じように本を開いた。


ちらりとこちらを見たのは、自分のために椅子を開けておいたのだからそちらに座ればいいのにといったところか。

勿論、優は分かっていて蓮の横に座るのだ。

この部屋ではいつも行われる無言のやりとり、行動。

聞こえる音はページを捲る時の紙が擦れた音、二人分の深く静かな呼吸のみ。

時折体勢を変えながら静かに過ぎる時間。

傍から見れば非生産的な休日だが、二人にとってはこれが充実した一日の過ごし方だった。


ベッドの上で足を伸ばす蓮の太腿に重みが乗る。

転がった優が頭を乗せたようだ。

時折ページを捲ってはいるが、さっきよりも速度は遅い。恐らく眠くなってきたのだろう。

自分の読み物のページを捲り次に行くまで、小さい肩に手を乗せた。

足と手に温もりを感じていると、力尽きたようにぱたりと本の重さも太腿に加わる。

寝落ちた彼女の邪魔をしないように動かずいれば、反対側に寝返り頭が落ちる。

すう、と今まで彼女の温もりのあった場所が冷めていく。

蓮の右手は体温を追って、その柔らかな黒髪を梳いた。


深く没頭した意識を短いノック音が引き上げる。

蓮が返事をして、開かれた扉の向こうではハルが顔を見せた。




「パトリオットの修理終わったらしいから、明日にでも取りに来いって。…アイツ来なかったか?」

「わかった。……ここにいる」




アイツが示すのは優のこと。

蓮が半身ずらして見せれば、本を抱いたまま夢の世界へ旅立った彼女が小さく丸まっていた。

本を抜き取って健やかな寝顔の彼女を撫でる。

うっすら浮かんだ隈は最近多忙だったのだろうことが窺える。

きちんと休めれば隈は残らないタイプだったはずだ、休めるときは休ませるのが吉だろう。


昼飯をどうするのかと聞かれて蓮は時計を確認する。

とっくに12時は過ぎており、さすがに起こすかとその肩を揺すった。




「うん……ねてた気がする……」

「蓮に隠れると小さくてホント見えないな。そのうち踏まれるぞ」




そんなに小さくないやい、と目を擦りながら欠伸を零す。

呆れたようにハルはこれがイヅナのスパコンとはなぁと寝起きの彼女を憂いた。

蓮に昼だと言われると優の代わりに彼女のお腹がぐぅと返事をした。

コントのような彼女の反応にハルは思わずがっくりと肩を落とす。


ぱちりと目を覚ました優は思い出したように手を叩く。




「あ、蓮さん。テープ切らしてたから買いに行きたい」

「それは最初に言うべきだろう…今から行くぞ」




用事が終わったハルは一人で休日を満喫するため戻り、薄手の上着を羽織る蓮が昼は外食でいいか聞いてくる。

蓮と食べるならどこでもなんでも、と優は嬉しそうに返答した。

実際に食べるのが大好きな彼女だが、やはり誰かと共にする食事は格別だ。

それが長年慕っている人とならば尚の事。


電車を使って商業街区の目的地周辺に到着する。

時間帯的なものか、何かイベントが行われているのか、前にここに来た時よりも人が多い。

行きたい店は少し奥まったところにあり、この人の波を進まねばならないだろう。

優が何か閃いた顔で、今まで斜め前に居た蓮の真後ろまで移動する。

ちらりと優を見た彼はすぐに彼女がしたいことを察して前を向いた。


蓮はとても背が高い。

前の定期健診では確か190cm超えと測る度にハルがドン引きしているほど。

そんな巨人が通った道は自然とスペースが空くので、そこに滞在しようというせいぜい150cm程度の小人の悪知恵だ。

コンパスの差を気遣いゆっくり歩いてくれる優しい巨人の後に続いて快適に進む。




「わ、」

「おっと、ごめんねお嬢さん」




蓮を避けた男の人がその後ろにいた優とぶつかる。

転ばないように咄嗟に支えられたが、大丈夫とわかればすぐに離して行ってしまった。

まあこれだけ人が多いとそういうこともある。

チラリとこちらを見た蓮に問題ないと伝えて先へと進む。


商業街区の上部に構える、下向きに生えた雑貨屋さん。

主に日用品を中心としたそれこれを売っているお店だ。

定期的に通っているので顔見知りな店主に挨拶をしていつも購入する肌色のテープをカウンターに置いた。




「デート中かい?心強い護衛だねぇ」

「でっ……そういうのでは…でも確かに最強の護衛ですよ。…あ、ちょっと今使いたいからハサミ貸してください」




入り口で待つ蓮を見て店主が不意打ちの冷かしを送る。つい優は耳を赤くした。

左手首のICチップから代金を支払い、借りたハサミで購入したテープ一回分を取る。

このテープは昔から彼女が使う絶縁素材のもので、貼り付けたのは右手首。

國民の9割が手首に入れているICチップは財布としての機能と、個人情報が入っている。

優の身体には過去にあった事情より、特別に両手首にそれぞれICチップが入っていた。

ひとつは白沢優のもの。もうひとつは灰田優のもの。

蓮と出会い左手首に灰田優として作られた過去情報のものを入れてあった。

もっぱら現在使うのは左手首。右手首のICチップは一応何かの拍子に読み取られないように、と昔から肌色の絶縁テープでマスキングしていた。


毎度あり、と店主が見送り蓮と店を出る。

少し時間が過ぎてしまったが、昼食を取れば本日の予定は完了だ。






中途半端な時間だからか、程よく空いているパスタ屋さんに入る。

案内された席で向かい合わせに座れば、そういえば正面から顔を見たのは今日初めてかもしれないなんて考えてしまう。

内心照れた優が思いついた話題を提供する。




「やっぱりテープだけだと色が浮いちゃうね。ファンデ必須だなぁ…もう少しバリエーションあればいいんだけど。………蓮さん?」

「…不便だろうな、と。悪いことをした」




滅多に聞かない彼の独白に目を丸くする。

優とてそういう意味で振った話ではないのだが、彼と話すのが久しぶり過ぎて少し話題のチョイスをミスったようだ。

もう慣れたから平気だと明るく振る舞えば、蓮の雰囲気も微かに柔らかくなる。

テンションが暗くならない内にタイミングよく注文した料理がテーブルに届いた。


蓮はトマト、優はクリームをベースとしたパスタ。

好きな人と一緒に食べる食事は本当に格別だ。

口に広がる幸せの味に自然と笑顔になる。

彼がテンポよく回すフォークが皿の上で踊れば、魔法のように綺麗にパスタが纏まる。

綺麗に巻くなぁ、と彼の手元から視線を上げればパチリと目が合った。

つい噎せそうになるのを何とか堪え、脳みそが言い訳を整える。

この間0.2秒。




「そっちも食べてみたい」

「……ん」




タイミングを計る機能だけは本日絶不調のようだ。

巻き終わったパスタを見ながら言ったからなのか、蓮はおそらく深く考えずに手に持った一口分のフォークを優に差し出す。

デート中かい、なんて冷かした店主の顔が浮かぶ。

ダメだ。ここで照れたら肯定しているのと同じである。


緊急脳内会議を開催する彼女はなるべく顔には出さないように、何でもないフリをしてフォークから一口を戴いた。

美味しい。それが蓮の選んだものだからか、蓮が食べさせてくれたからなのかは判断できないのだけれど。

優のクリームパスタも一口あげようと、フォークと皿を明け渡す。

流石に優は丁度よい一口分を蓮のように綺麗に巻ける自信はなかったからだ。

元々感情の起伏があまりない彼なので、この行為に何か思うことがあるのかは読み取れない。

優としては実は何も考えてない説を推している。


自分の皿をおおよそ食べ終わる頃、蓮がぽつりと言葉を発した。




「さっき、きちんと後ろにいたのにぶつかったのは何でだ?」

「……んー。でも、知ってる人ではなかったから、あまり気にしなくていいと思ったけど」




優やハルのように付き合う長さに比例して、蓮の投げかける文章から本来必要な言葉が抜けていくのはきっと蓮の特性だろう。

優もハルももれなく彼のテンポに順応しているのが余計に助長しているような気もする。

彼が投げかけたのは質問ではなく、議題。

故意の出来事か否かという話。

あの時ぶつかった男は正面から来て蓮を避けて真後ろに居た優にぶつかった。


確かに不自然な個所も多いが、不自然と決めつけるには不確定要素も多い。

恐らく正面から見たら体格差で自分の事は見えないだろうし、まさか蓮の真後ろを歩いているとも思わなかったのではないかとその時考えたことをそのまま伝える。

レアな事故といったところだろう。

それに誰かにつけられたり恨みを買うようなことをした覚えもない。

後をつけられたら蓮が気づいてくれると信用している。

考え込む彼に偶然が重なっただけだと言って帰路に着くことを促した。







帰り道、あと半日もすれば一緒に居られる時間が終わってしまうことに寂しさを覚える。

イヅナに入社したての頃は彼から会いに来てくれた。

徐々に環境に慣れ、互いに責任が伴うようになってきて一緒に過ごせる時間は目に見えて減っている。

ただあの日見た背中だけは10年経った今も変わらず、広く大きくてかっこいい。

思わず零れたため息に、彼がこちらを向いた。

人付き合いではちょっと察しが悪く不器用な面もあるが、元からそういう性格だ。

真面目だし、大概のことはやらせれば出来てしまうセンスの塊。

精鋭揃いの1課の中でも5本指に入るくらいの強さ。

おかげで滅多に休みも被ることがない。

ひそかに総務部の女性の間では各隊員のファンクラブやランキングがあるとかないとか。


そんな彼が今、自分のためだけに横に居てくれる。

もっと沢山会えたら、なんて欲張りか。

隣に居て自然で心地よい距離感。

これと言って聞いたことはないが、彼は自分をどう思っているのだろう。

長年抱く恋心はとっくに飽和して彼女の身体に馴染む。

たまに彼に対して返事を要求したくなる気持ちが頭をもたげるが、そこは10年も飼いならしてきた彼女の勝ち。




「私、死んでもいいわ」

「……それは、困る」




古いこの國の文学だったのだがさすがにマイナーすぎたか。

本当に困ったように眉を下げるのがちょっと面白い。

冗談だと笑えば何か言いたそうにしていたが、程なくして居住区へと到着する。


バタバタと正面から走ってきた人に優はあからさまに嫌そうな顔をした。

サッと彼女は蓮の後ろに隠れやり過ごそうとするが、しっかりと相手は優を認識していたらしい。




「灰田ちゃん!休みなのに悪いんだけど、セクター29のシステムエラーがずっと止まらないんだ!すぐ来てほしい!」

「えー、よりにもよってその場所…あのコ機嫌悪くなるとめんどくさい……」

「…行ってこい」




蓮の服の裾を握ってイナイヨーと呪文のように唱えていたが、伝えられた内容にがっくりと項垂れた。

嫌々、と子供のように蓮の腰にぐりぐりと頭を押し付ける彼女の背を押せば、盛大なため息と共に呼びに来た社員とトボトボ現場へと向かっていった。


暫くその場に立ち尽くしていると、偶然ハルと鉢合わせる。




「おかえり。あれ、アイツと一緒に出なかったっけ?」

「………仕事」




ぽつりと呟いてエレベーターに乗ってしまった蓮の背中を見送って、今度はハルがその場に立ち尽くす。

ハルとて鈍感な訳ではない。

長年共に居た無口な相棒の機嫌の良し悪しくらいは分かる。


蓮は意外とガードが堅い。

自分の気持ちを表現することが不得意で、こと人付き合いに関しては割と不器用。

ベタベタされるのは恐らく苦手。

その癖唯一、優だけは自然と蓮のパーソナルスペースに出入りが出来てしまうし、蓮も彼女が傍に居て何か気にする様子もない。

一課のメンツがその光景を目撃すると大変物珍しい目で見られるほどだ。


今だってせっかく被った休日で彼女が仕事に取られ、相棒の機嫌は下降気味。




「あれで付き合ってないっつうんだから、不思議なもんだ」




エントランスで呟かれたハルの言葉は誰にも届かず空気に溶ける。

まあ本人たちの問題は本人たちがどうにかするだろう、とハルも街へと繰り出していった。


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