想う白、見つける灰



【一生の最もすぐれた使い方は、それより長く残るもののために費やすことだ】


古い昔、よもや顔も分からぬ誰かが言ったその言葉は、何世紀も先に生きる女性の胸に刻まれていた。


タワーが整然と立ち並ぶ世界。

世界がどれほど広くとも、結局個人が把握し干渉できる世界は自分が見えているこの範囲でしかない。

なら今の私の世界とは、十歩と歩けぬこの狭いひと部屋が世界か。


もっと広い、この外の世界へ行きたい。今の私には、それができるだけの力はある。

世界を隔てる扉のドアノブに手を置き、ひと呼吸。

ひねり、押し開ければ二倍に世界は広がった。

この世界という名の部屋に居たのは、朗らかにほほ笑む父。



「おお、私の大事な愛娘。まずは卒業おめでとう。学年主席で合格できたこと、白沢家として実に鼻が高い行いだ。座りなさい、お茶をしながら話そうじゃないか」

「ありがとうございます。お父様、まずは今後のことについてお話が…」

「今夜は企業パーティーに私と共に出席してもらうよ。すでに白沢の優秀な長女として噂は広がっている。今後の就職先としても四方八方から声がかかっているからね」



國での発言力の強さは、それを支える各企業の他にいくつかの上流階級にも与えられている。

特に古来より神や信仰を大事にしてきたこの國にとって、四神を表す色を何らかの形で名に持つ家柄はそれだけで特別に扱われた。

白沢は西をつかさどる白虎の色として、その名を大切に受け継いで今がある。

勿論、それだけではなく実際に白沢家は代々長男が護帝機関アマテラスへと所属する慣わしがあり、現在兄は上位隊員として確固たる地位を築いている。

こうして過去から積み重ねた努力によって十分な富と名声と権利を保有しているのが白沢家であった。


ブロンズじみた明るい茶色でふわふわとした髪。育ちの良さを体現する恰幅。

父は白沢としての振る舞いに関して完璧と言っていい。

発言には隙がなく、不穏な話には耳が早い。采配は抜け目なく、観察力は随一。

間違いなくその血は私にも流れている。

ふわふわと癖の強い髪は似ているのが嫌でストレートパーマをかけて一つに束ねているが、その程度。

立ち振る舞いを父に教わったことで無駄なことなどは何もない。


父は歴史ある摂家として國を守ることが使命だと昔から言っている。

今ではこんな見た目ではあるが昔は父もアマテラスへと勤め腕を振るっていた。

父の言うことが間違いではないことは重々分かる。

しかしこの國の歴史を学べば学ぶほど、自分の無力さを痛感せざるを得なかった。

だからこそ、膝の上で握る拳は震えている。




「…お父様、私も成人して幾年。この國を支えるために更なる学びを重ねて参りました。その中で、気づいたことがあります」



染み一つない真っ白なテーブルクロス、知らぬ間に置かれていた紅茶はぬるく冷め始める。

淹れ直そうと進み出たメイドを制し、父は先を促すようにテーブルの上で手を組んだ。



歴史とは、過去の積み重ね。

過去とは、先人たちの行動。

行動とは、一人一人の想い。


國を数多の争いから守らなくてはならないのは承知。

だがこのまま進めばいつか、この國は内部から崩れ落ちてしまう。

崩すのは國民だ、小さなヒビである内に手を打たなくては取り戻しが付かなくなる。



「歴史が、物語っています。私たちのように学ぶことで防げる争いがある事を。ですが下には天理教会へと行けない、今日を生きることで精一杯な人が多く居ます!彼らにも平等に学びの場を与えることが、必要なのです!」

「ならばI.P.E.にでもそう進言すればいいだろう。あそこは下層街区への支援も手厚い。必要なら予算を増やせばいい」



簡単に物を言う父に愕然とする。この人は今私の話を聞いていたのか。

ダメだ、それでは遅い。力があるからこそ、私が始めなくてはならない。

白くなるほど手を握り、父を睨みつける。



「権力のある我々が始めるからこそ意味がある!だから私が…っ、」

「たわけ!!摂家の一角である白沢が貧民層などに足を踏み入れてみろ!他家だけではなく下のゴミ共にまで後ろ指をさされ笑われるわ。お前は白沢の名に泥を塗るつもりか!?」



馬鹿馬鹿しい、と声を荒げ豹変した父にぐっと奥歯を噛み締める。

鼻を鳴らして冷めた紅茶を口にした父は、それ以上いらないというようにティーカップを押し退けた。

再び出された父の声は、先ほどの怒りなど嘘のように落ち着いたものだった。



「今夜の会食は19時からだ。遅れないように準備をしなさい」



はい、という返事はきちんと音となっただろうか。










「今日の会食ではあの白沢家も出席する。つい先日、高等教育を首席で卒業したらしい」

「天理教会の高等教育ってエリート中のエリート集団だろ?それを首席って化け物かよ…」



噂は会場の末端にまで行き渡る。

上様は中身まで高貴なようだ。自分のように一般層に所属する人間とはやはり出来が違う。

イヅナのプログラマーとして順調に歩んできた自分の過程など、上流階級にとっては当たり前どころか生まれた時に持っていて当然。

それどころかすでにそれを超える条件を持ってこの世に生まれてくるのだ。

今日ばかりは豪勢な食事を前にしても食指は動きそうにもなかった。


つまらなそうにしているのがバレたのか、一緒に来ていた別部署の同僚に肘で小突かれる。



「なぁ、なぁ。白沢のお嬢って今年で20歳だろ?歳近いし灰田、チャンスあるんじゃね?」

「やめろよ、俺達みたいな一般人を相手にする訳ない。それに今日はお見合いじゃなくてお嬢さま就職のための説明会だろう」



特注の仕立てで、滑らかに体にフィットするスーツのポケットに片手を突っ込む。

これが今日この日のために作られて、しかも代金はイヅナの経費というのだから驚きも一周回って感心すらしてしまう。

ほかの企業も同じような感じなのだろう。こなれた自前スーツのような人は見る限り目に入らない。

誰も彼もが仕立てのいい、埃一つない高級スーツに着られている。

つまり、一人のお嬢様をいい大人たちが取り合う争奪戦という訳だ。

あながちお見合いと言っても過言はなかったかもしれない。

説明会とは名ばかりの、上流階級が企業を見定めるお見合いとして。


落とすのも大変そうなカチカチワックスに固められた自分の黒髪に辟易しながらドリンクを流し込む。

高級品なのだろうが、味が複雑すぎて美味しいのかも正直分からない。

庶民が一生に一度飲めるかもわからない酒の味など、振る舞って誰が得をするのだろうか。



会場がより騒めいた。それだけで見なくともご入場なさったとわかってしまう。

ちらりと目線を上げれば、事前に容姿の情報がなくとも他とは一線を画した立ち振る舞いから先頭に立つ彼女が白沢家だと判断できた。

意外と小柄で、芸術品のようなブロンズの髪を流して澄ました表情の彼女に続いて何人かのお嬢様お坊ちゃまがご入場。

他の家はまるで白沢を引き立てるためのお飾りのよう。

白沢家の噂で持ち切りではあるものの、今日は白沢家以外の上流階級も参加する。

何なら本人が居なくとも親が企業を見に来ているケースもある。

全く、どっちの面接なんだか分かったもんじゃない。



「灰田君、始まったぞ。縮こまってないでしゃんとしろ」

「……はい」



身なりを整えろと上司に言われ、形ばかりのネクタイを整えた。

イヅナ精密電子のプログラマーを代表して、今日この場に立っている。

それもこれも、今まで着実に真面目に仕事をしてきた結果だ。

深く気にしたことは無かったがこれで今日白沢のお嬢様をイヅナに引き入れたともあれば、それだけで出世街道まっしぐらというやつか。


逆にうっかり変なことを口走ったら首が跳ね飛ばされそうだ。

自分は嘘がつけないタイプという自覚があるので、せいぜい余計なことを言わないようにしようと同僚よりも半歩だけ下がって息を潜めることにした。



「こちらが、イヅナ精密電子。國を代表する半導体や電子技術の…」

「分かっているわ。イヅナの皆様、どうぞ本日は宜しくお願いいたします」



来た。白沢家。

執事バトラーを従えて、落ち着いた白いワンピースに上着を羽織り腰から折って完璧なお辞儀をして見せた。

決して形だけではなく、貴族特有の見下したような雰囲気も感じられない。

まさかお嬢様から頭を下げられるなど思っても見なかった一同は揃いも揃ってテンパった。


しかしここで思わぬところから怒りのお声が飛んでくる。



「何をしている!こんな奴らに頭など下げるな。座りなさい、椅子は用意されているだろう」

「……申し訳ありません」



どうみても今のは白沢の現当主。いわゆる彼女の父親だろう。

髪質は面白いほどそっくりだ。

こちらに聞こえないように小声で叱ったつもりだろうが、もれなくしっかり聞こえていた。

父に対してというよりもこちらに対して申し訳なさそうに目を伏せて見せる。

そのまま父親について壇上に設けられた高級な椅子へと戻っていった。


ひょっとしてこちらが思っているよりも本人は馴染みやすい性格を持っているのかもしれない。

どこか疲れたような、しかし何かを成し遂げたそうな強い目の色が見える。

ともあれ、名家の圧力というやつに揉まれているのだろう。



「お嬢様も人間ってか。大変そうだわな…」

「お嬢様がわざわざウチまで挨拶にくるなんてな!他の企業には行ってないんだぜ、もしかしてチャンスあるんじゃね?」

「ムダ口を叩くな。手順どおり行ってこい。粗相はくれぐれもするなよ」




白沢のお嬢様を始めとして椅子に座る上流階級のお嬢様お坊ちゃまに、幾分か内容を盛ってお綺麗に纏めたイヅナの資料で説明に伺う。

手土産や一年に何度も使わない名刺も添えて、全員にゆっくり説明し終われば緊張も相まって口の中がパサパサだ。

一緒に説明に来ていた同僚なんかは緊張しすぎて訳のわからない場所で噛んだりと使えなかったので予定にないフォローも強いられた。

その癖壇上から離れられたら調子がよくなってペラペラ喋るし、普段飲めないからと酒をハイペースで空けている。

十中八九、30分もしないうちに潰れて面倒くさいやつだ。


酒よりも馴染みいいミネラルウォーターを口にして渇きを潤しながら手ごたえを上司に報告する。

とはいえ、上流階級はどうせどこも子供の意向より親のご機嫌。

今回の説明を受けたところで参考資料のサの字程度にしかならない。

あちらもバックにいる親と話し合い就職先が決まるのだ。

難儀なものだと小さなため息を送っておく。





「灰田ぁ、へへへ、なんでプログラマーなろうと思ったのぉ、教えるのうまいしさー」

「これで帰り自分で歩けないんだったら道端に捨てていくからなお前…」



ぺろんぺろんに酔い潰れた同僚を引きずって、目立たないテラスへ風に当てに来る。

帰り自力で歩けないなら本気でその辺のゴミ捨て場に置いていこうと思う。

大丈夫、この辺りであれば貴重品が盗られるくらいで命の危険は無いはずだ。


大変気分が良さそうな様子で、目の前にいる自分のことをハチャメチャな文脈で褒めて笑う同僚に呆れる。

残念ながら今まで別部署のお前に何かを教えた記憶も事実もない。

まあ唯一の救いはコイツが酔いつぶれたときに泣いたり怒ったり方面に面倒くさくなかったことか。


話しかけてるようで答えを聞いていない同僚に適当な相槌を打ちつつ、風景を見て時間を潰す。

この階層はいわゆる上流階級の人が住まう層。

中央に寄るほど歴史は古く、外側に行けば行くほど新しい家。

一般人も入れる程度の場所にしか来てはいないが、タワーは上からも下からも綺麗に整って生えている。

下向きに、例えば商業街区の天井側から生えているような家などはちょっとした訳ありの場合がある。

汚いものは下に落として隠す風習はいつの時代も変わらないということだろう。

少なくとも下の階層はここまで整然とした建ち並び方はしていない。言い方は悪いがもっと汚くて無作為な並びだ。


動かない景色を見るのも早々に飽きた時、小さい影がテラスにもう一つ割り込んだ。



「あら、先客ね。お邪魔するわ?」

「えっ、あ、すみません勝手に…」

「いいのよ。私だって勝手に使っているんだもの」



お付の人も連れずに姿を現したのは白沢のお嬢様。

潰れた同僚を見せるのが恥ずかしくて足元に押し込むが、お酒が美味しかったのねと笑っただけだった。

上流階級、しかも摂家として重要な家柄であるエリートお嬢様の彼女がこんなにも寛容な人間だと誰が知るだろう。

彼女の父の感じを見る限り、汚いものには関わるなという教育を受けて育ったはずなのだ。

呆気にとられるとはまさにこの事だろう。


聞けば他家の地位争いの雰囲気に疲れたらしく、適当な理由をつけて少しの間抜け出したらしい。

根掘り葉掘り聞くのもなんだか失礼な気がして、大変なんですねと当たり障りのない返事をする。

テラスに肘を置いて微風に髪をなびかせる彼女が、これは独り言だけど、と前置きしてつらつらと話し始めた。



「私、やりたいことがあるの。下層の天理教会に行けないような子供たちにもチャンスを与えたい。学習の場がなかったせいで一生這いつくばる生活をしていたら、何が正しいのかも分からなくなってしまう」



先の見えない小さな不安は、やがて必ず大きな不満となり、爆発する。

歴史を紐解けば過去に何度だって繰り返し、人々の想いから悲しい事件が起きている。

教えたいのは何が起こったのか、その事象ではない。

自力で考え、自身が抱える小さな不安を解消するその方法を教えてあげたいのだ。


決して簡単なことではないとは理解している。

だが誰かがいつか始めるならば、私から始めたっていい筈だ。


そう語る彼女の目は先ほど見えたものと同じ強い色を現す。

ああ、彼女の腹はもう決まっているのだろう。

多分これ以降、誰にどんなに反対され難色を示されたところで、彼女は小さな体ひとつで下層に降りきっと成し遂げる。

灰田は彼女の家柄をも忘れ、ただ単純に素敵な女性だと思った。



「決めた!私、家出する。準備ができたらお父様と喧嘩して出てくるわ」

「はは、喧嘩ですか。そしたらまずどこに行くんです?女性の一人住まいは危ないですよ。上質なお洋服は、召されているだけでカモにされますし」



あれもこれも、といくつか考えられたポイントを伝えればきょとんと意表を突かれたような顔をした。

しまった。部外者のくせにあれこれ言いすぎたかもしれない。

だがくすっと小さく笑った彼女は思ってもみなかったことを言う。



「ふふ、灰田さん。面倒見がいい性格なのね。……ねぇ、一緒に先生をやらない?」

「え?名前…ああ、名刺。……先生、ですか…」



今日の説明を聞いてて一番話し上手だと思ったこと、相手に合わせた言葉の選択ができるのは一つの才能だ。

何より面倒見がいいことも欠かせない。

足元の寝てしまった彼、連れて帰ってあげるんでしょう?と笑われた。


……今までの自分の行動を鑑みるに、確かに口では文句を言いつつも結局捨て置けなくて部屋までは押し込むことになるのだろう。

先生。これまでそのような道を考えたこともなかったが、彼女をみていると人道支援の道も悪くないと思えてきた。

なら彼女のために、今の自分の地位を使ってスクールを開くのはやりがいがありそうだ。








数ヶ月後、灰田は部署移動を申し出てイヅナの名のもとに小さなスクールを創立。

白沢の長女家出事件は当主が大事にしたくなかった為にその権力で噂を揉み消したが、実際に彼女は父親と反発する形で家出をやってのけたのだった。



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