連載

過去と邂逅


國の歴史を考えれば、生まれた時から工業街区や商業街区に居た者、下層街区から何とか上にのし上がってきた者様々だ。

他社から流れてきた人だっている。

いつ裏切られるかも分からないこのご時世おいて、胸を張って過去を語れる人は稀だろう。



かく言う灰田も滅多に過去を語らない人間だ。



出自自体は何も珍しいものではない。下層街区出身で現在はイヅナに就職。

ただ彼女もまた、國に運命を曲げられた一人だった。





父はプログラマー、母は心理学者。

生まれた時から下層街区にいたため、本当にそうだったかは分からない。

ただ、教えてくれた知識から言っていたことが嘘ではなかったと思う。


両親は共に聡明だった。

天理教会に通い基礎知識を学んで帰れば、ジャンクから拾ってきたらしいパソコンで父はそれの仕組みや広がる世界を教えた。

母は事あるごとに何故あの人は怒るのか、どういう対応をすれば切り抜けられるのか処世術を伝えた。

そんなにも知識の多い両親が何故下層街区で生活していたのかは謎だ。

それでも両親の教育があったからこそ、イヅナでこのポジションに就けたのだろう。





天理教会の帰り道、寄り道をして帰るのが好きだった。

近づいてはいけないと言われた場所を避けて毎日違う道で帰る。

母の影響で他人の観察が日課だったし、使えそうなジャンクやスクラップを持ち帰れば父が喜んだからだ。


ちょっとばかり遠回りして帰った日、なんだか周りの様子がおかしい気がした。

人影がない下層街区、初めての経験に首を傾げて住処に帰った。

いつもは仲良し同士でたむろしてたり悪いことをしている子供や大人がその辺に居るはずだ。

しかし誰もいない。あまり外に出ない両親が住処に居ないのも初めてのことだった。

外に出て両親を探す。

少し離れたところで、路上で寝てるおじさんがいつもと違う場所で寝ていた。

踏まれちゃうと思って声をかけるために近づいて初めて、おじさんが死体だということに気づく。

周りを見れば、そこら中に死体が転がっているのが見えた。

こういう時、どの種類の大人に声をかければいいかわからなかった。

そもそも何が起きているのか、あの時の感情は不謹慎だが好奇心に分類されるものだったろう。




子供さながらの勘で騒ぎの方へと足を向ける。

駆け付けた先で、いろんな種類の大人が争い壊していた。

軍人、警察、見たことのない服を着た大人が武器をもって殴り合う。

丸腰の下層街区の人も巻き込まれて、地面に倒れ動かなくなる。

初めて見る大量の血。

騒ぎに紛れて人の家に入り、物を盗る人だっていた。

仕事の服を着た警察の人さえ泥棒をしている。




「おいでお嬢ちゃん、そこは危ない」




小太りの男が背中に手を添えて騒ぎとは反対方向に押してくる。

片手には金色の変な太い指輪をはめていた。

母からの教えだ。下層街区でアクセサリを見せびらかすところにつける人間はいない。見つけたら近づかないで逃げなさい。

振り切って逃げようとすれば男に手首を掴まれる。

大人の力には敵うわけがなかった。




「逃げるのか?無理だよ、こんな時にはぐれた子供の面倒なんて、ヘブァッ!!?」




誰かに男が顔面を殴られ吹き飛ぶ。急に解放されてその場に尻餅をついた。

手を差し出され見上げれば、黒い鎧。

伸びた男を一瞥してその人は大層汚いものを見たかのように、吹き飛んで伸びた男を人攫いがと酷評する。




「…グリムリーパー、」

「知ってるのか。名前はあるか」




淡々としたやり取りが新鮮だった。

いつも先生や大人は子供に対する扱いをするし、そうされれば今まで自分もそのように返した。

なぜならその方が有利だと母から教わったからである。

白沢しろさわ 優”と名乗ったとき、男が息を呑んで固まった気がした。

お守りだと持たされた銃弾を握らされて撫でられる。




「俺たちから離れるな」

「リーダー、やっぱり下層までは止められないぞ。下手すれば俺らも巻き込まれる。」




殴った男ともう一人同じような格好の死神グリムリーパー

二人とも若めの声色だったと思う。

周囲を警戒するその人が少し機嫌悪そうに愚痴をこぼした。

それを聞いて立ち上がる男が騒ぎの方に向き直り、事も無げに言ったのだ。




「―それがどうした。これが俺たちの仕事だ。」




凛としたその黒い背中に吸い込まれるような気がした。






下層街区の一部を制圧した男二人に、これは天理機関ツクヨミのお家騒動だと聞いた。

被害を減らすべく非公式に二人は一部騒動を制圧しに来たらしい。これが"法闘争"なる出来事の一部分だと後に知る。


おまもりをくれたリーダーにはその後、"灰田 優"と名乗るように言われる。

何故か理由はそのとき聞けなかったが、幼いながらにも両親が下層街区に暮らす理由が関係していることだけはなんとなく察した。




「その歳ならもう一人で生きられるはずだ、また様子を見に来る。わかったかシンデレラ」

「灰かぶり姫?」




賢すぎるのも問題だとその日初めて男に笑われた。

シンデレラでさえずいぶん昔の絵本だというのに、文献さえ限られたところにしかないシンデレラの原作を引き合いに出してくるとは。

恋のような尊敬のような、甘く複雑で大切な心を抱いたのはこの人が初めてだった。





それからイヅナ精密電子の総務部に未成年のうちに入社の伝手を作ってもらい、大きな年齢のハンデや周りの見る目を父母からの教育と知恵で乗り越える。


後日、新聞記事にて数多の死傷者が出た事件として取り上げられる。

ツクヨミに管理されていた区域とはいえ、下層街区の死者の名前など逐一取り上げることも確認されることも無かった。

悲しくないといえば嘘になる。

新聞は涙に濡れてふやけてしまった。一人の夜は何度も不安に負けそうになった。

だが父も母も、この國では別れは突然来るものだと常々言って聞かされていた。

これは想像に過ぎないが、もしかしたら何か知っていてそう言い聞かせていたのかもしれない。




もし、万が一。億が一にも、父と母が生きていたならば。

伝えねばなるまい、貴方たちのおかげでこの地位まで上ってこれたと。








けたたましいアラートで夢の国から緊急帰還。

今の班に所属して初めは眠りの妨げに怒りが湧いたものの、今では自然と足がオペレータールームに向かうほど順応してしまった。

ずいぶん懐かしい夢だったなと思いながらガラスに映った自分と目が合う。

ついた寝癖、髪をかき混ぜ誤魔化して周りの様子から現状を把握する。

灰田に気づいた一人が早口で現状を報告する。




「セクター63に正体不明の侵入者です!建物が一部破損、法務部と特務部に向かうよう指示、すでに戦闘が開始されている場所もあります!」

「一課も出てます?」




他と比べるとモニターも機器も多い机。

ここはいくつかある彼女の席のうち、イヅナを守るための席だ。

各隊員の位置を把握し各々に指示を出しながら一方でイヅナのシステムにログインする。

こういうときは火事場泥棒する輩が必ず居るものだ。

案の定、ほとんどが最初のファイアウォールで脱落している。

それを突破できた何人かが、次に灰田の組んだシステムの迷路メイズで悪戦苦闘しているらしい。

このペースならあと2時間は放置しても問題なさそうだ。

そもそも流出すればイヅナの存続に関わるような情報は厳重管理の下、オフラインで別の部屋とシステム系統をとってある。


現段階で付近にいる全員に連絡している、とのこと。

法務部の一課も例外はなく駆り出されているようだ。

彼らが出ているならばその中にあの人も勿論居る。


システムの防衛とバード商会の傭兵たちの戦力分析と把握、ドローンの操縦元の解析やできればバード商会に振り込まれたコストから依頼主を割り出したいところだが、そこまでは難しいだろうか。

バード商会あそこも単直に依頼主が割り出せるような受け方はしていないはず。

灰田を中心に戦闘支援班が連携して現場のサポートに回る。

ドローンの襲撃、バード商会と思われる傭兵らの降下。

戦闘や襲撃に慣れていないのであろう、他の班の社員が毎秒ごとに悪くなる戦況に顔を青くして「こんな状況で防衛なんて無茶だ…」と呟いた。

確かに本社を襲撃されたのは灰田も初めて。

しかしどこが戦場となろうと灰田の戦場は変わらないし、ましてや今”あの人”も現場にいる。

灰田は記憶をなぞり、青ざめた社員に笑いかけた。




『―それがどうした。これが私の仕事だ』




同じ戦闘支援班の何人かが珍しい口調の灰田を一瞬見てまた仕事に戻る。

ヘッドセットを装着しモニターを映したその目に、いつものふわふわとした彼女は居ない。


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