マーレ地区防衛戦 後日談
先日行われた鳳仙会末端の膿を排除するため、砂漠の民を相手にした大規模合同戦線。
國の呼びかけによりマーレ地区防衛のために各企業や団体が今までにない大きな戦闘を各所で繰り広げた。
サポートとして各団体のオペレーターも協力して、マーレ地区のツクヨミ支部にて戦士たちや補給部隊、ありとあらゆる場所に連絡を取った。
灰田は少なくとも社員以外でイヅナのセキュリティの核だと知られるわけにもいかないので、目立ちすぎないようイヅナの他のオペレーターたちとより一層の協力分担も行った。
オペレーターたちで休憩交代をしつつ、二日に渡る激しい戦いにようやく終止符を打った。
が、オペレーター班はこれで終わりという訳にはいかない。
イヅナ精密電子の社員としてマーレ支部と連絡し被害状況確認や、マーレ下層街区の避難民のサポートなどやらなくてはならないことがてんこ盛りである。
依頼主である國のツクヨミへと報告書も上げなくてはならないし、個人的に気になった砂漠の民が使用した兵器の数々の出どころや総数も精査し合わせて報告している。
他企業も同じ状況に置かれているので、せっかく同じ場所にいるうちにと情報共有や連絡先交換などを行い、ようやく灰田が戻ったのは戦士たちが先に帰った翌々日だった。
灰田は本社の仕事も空けられないため2日で済んだが、他の人がすべてを終えて帰るのは一週間かかるだろう。
私に置いてかれた京極ハイテックスのオペレーター結月ちゃんは涙目だった。
ごめん。今まで仕事してたけど私も帰ったら帰ったで仕事なんだ。私も泣きたい。
本社に帰り数人からの労いの言葉と、過去見たことのない他の社員から助けてメールの件数、机に積みあがる設計図や物品はまるでリージョナルタワー。
そこからは正直あまり記憶にないのだが、納期別に分けて突っ返すものは跳ね返し、分別だけで半日かかった気がする。
緊急を要するものは光の速さでさばいてその日のうちに。
定期的に組み替えるセキュリティは敢えて簡素なものにして、仕事の合間に八つ当たり用で侵入してきた誰かをすり潰すなどした。
さすがに夜には差し替えたが、よい子は真似してはならない。
そしてそこからは本当に、本当に覚えていない。
だが現在の灰田は自分の座り慣れた椅子ではない場所に居るのは確かだった。
ちら、と組んだ指の間から今いる部屋の内装を窺う。
赤を基調とした見慣れない豪華な装飾。濃い茶色でつやつやの木製テーブル。
遠くで調理器具同士がぶつかる景気のいい音。ホール担当なんだろう、チャイナドレスという一般的には珍しい服を模した制服の綺麗なお姉さん。
油で炒められた野菜や肉の香ばしい香り。
…思い出した、直前の記憶はこの香りだ。
作戦中からまともな食事をとれていない灰田は限界だった。
空腹と心を満たす何かを求め、ゾンビのごとくずるずると目的地も分からず歩いていた。
細い路地を抜け、目立たない場所に建つ煌びやかな扉に奥から漂う美食の香り。
食欲に支配され理性のないゾンビ・灰田はまるで花の蜜に吸い寄せられる蜂のように、店に吸い込まれる。
この”中華料理店”に。
「ご注文はお決まりですか?」
「ひっ!あ、えっと…初めてなので、何かおすすめってありますか?」
ザワッ
そう、灰田が入ってしまったのは中華料理店。
まだ記憶に新しいのではなかろうか。マーレ地区にもあった鳳仙会の息のかかった中華料理店。
灰田が居るのはあれと同じメディオ支店バージョン。
鳳仙会は先日の一件のお陰でピリピリしているのだ。
それなのにまさか、こんなところにメディオ支店があるなんて…
着席してしまった以上、何も食べずに帰るなど出来ない。
そんなことしたら余計に怪しい女である。
…まだ灰田は状況的に見れば何も知らない一般人として振る舞えるはずだ。
熟考していた灰田を見かねてスタッフが声をかけ、ついメニューを見ずに当たり障りのない返答をしてしまう。
それがフロアの店員をざわつかせた原因とも知らずに。
声をかけたお姉さんが料理長に確認してくると言って厨房に下がった。
ひとまずの難を乗り越えた灰田はカロリーの枯渇したろくに働かない頭でフロアを観察する。
上の階に行ける階段がある…ということはきっとここは一般人向けのフロアで、大事なお客さんなどはここより上のフロアを使って話したりするんだろう。
より美味しい食事ができたりするんだろうか…いいなぁ。おっとヨダレが。
その頃、厨房では先ほどのスタッフと料理長があたふたと話し合っていた。
「私ほんとうにあの女性見覚えがないんです!一般客かと思って1階に案内したんですが中々注文しないので、声掛けたらメニューを見ないでおすすめ聞かれちゃって」
「俺も記憶にないぞ…誰かの紹介か?それとも偶々合図を知っているだけか…」
「今日は上の階の予約も入ってませんし…あっ、料理長!彼女、上の階に行く階段見てますよ!どうしますか!?」
どうやら灰田のメニューを見ずにおすすめを聞く行為は内部的な何かの合図を意味するらしい。
当たり前だが鳳仙会と灰田自身は一切関係がない。
だから面識がないのは当然のことなのだが、灰田は先日のマーレ地区の事情を知っているのが苦しいところ。
武器を隠しているようにも見えない。だが今は警戒しなくては、と直々に料理長が応対することにする。
「お客様、ご来店ありがとうございます。当店はすべての料理に自信をもって提供させていただいております。何か苦手な食材などはありますか?」
「実はお店で中華料理食べるのが初めてで…でも、何でも美味しくいただきます」
「…!!そ、そうでしたか。ではもう少々お待ちくださいませ。」
再び厨房へ下がった男性に首を傾げる灰田。
もしかして今の方は料理長とかだったりして?…わざわざそんな重役が出てくるなんて、私は何かやらかしてしまったのだろうか。
一方、厨房では
「本当に上客かもしれない…しかし、初めてと言っていたし会話の流れも一般客としても通じる…」
「一体どっちだったんですか料理長?」
近くで見ても武器らしいものは見られなかったが、あのセリフは裏の意味なら全員潰すという意味だ。
だが発言してからはまだ彼女は動かなかった。
こちらの警戒も伝わっているかもしれないのでもし動くなら食事中…幸い今なら店に他の客も多くない。
つきっきりで観察してもよいだろう。牽制にもなる。
ひとまずスタッフに武装の強化を命じて、完全に黒と割れるまでは料理長がタイマンで相手にすることにした。
ペティナイフを腰に隠していくつか作った料理の皿を盆に乗せて向かう。
「お待たせしました。こちらから、チャーハン、エビチリ、キクラゲと卵のスープ、小籠包です。」
「わぁ、すごい!いただきます!」
皿をテーブルに置く無防備になるときは一層気を付けたものの、彼女は動く気配もなかった。
それどころか料理を見た瞬間にタイミングよく聞こえた腹の虫にうっかりコケそうになる。
料理に目を輝かせる目の前の女性が危険人物に見えなくなってきた。
まさか本当に一般人なんだろうか…
チャーハンを蓮華に掬い、大きな一口。
一粒ずつ感じる米を噛み締めてその歯ごたえ、米が纏う焦がしたネギの香ばしい風味に感動する。
スープに入っている茶色い食材がキクラゲだろうか。知識としてこれがキノコの一種だというのは知っているのだが食べるのは初めてだ。
出汁の効いたスープと共に、つるりと口の中に入ってくる。
奥歯でキクラゲを挟んだ時の弾力。
咀嚼しているときに感じるコリコリとした、他のキノコ類とは全く違う新食感。
「面白い食感です!スープも鳥の旨味を感じます、美味しい!」
「ありがとうございます。…ところで、今日は誰かの紹介でいらしたのですか?」
店の位置も大通りからは目につきにくい場所にありますし、と自然な会話を心掛けつつ探りを入れる。
ところが、バッ!っと彼女の左手が向けられる。
つい反射で腰のペティナイフに手が伸びるが、よく見ると彼女は手の平をこちらに向けているだけだ。
鋭い眼で睨まれる。右手の人差し指を唇に当てて、静かにしてというポーズをとっていた。
…もぐもぐと口を動かしながら。
「………失礼しました、今はエビを静かに感じていたかったんです。あまりにぷりぷりとして美味しかったので。で、何でした?」
「エビを感じる…いや、ありがとうございます。誰かの紹介でいらっしゃったのかなと思いまして。当店は入りづらいところにありますし」
お腹がすいていていい匂いがしたのでというのもなんだか間抜けな話だが、そう答えるしかない。
だって気づいたらこの店にいたんだもん。
元々店を知っていたのかとか、知り合いがいるかとか、いくつか質問に答えていると料理長らしきその人はあからさまに肩の力を落とした。
どうしてだろう。
「そうでしたか。…こちらの小籠包、自信作です。ぜひ召し上がって下さい。」
小さい竹籠を開けてもらえば、湯気と共に白い小包が現れる。
箸で食べようとしたが蓮華を使うことを勧められたので、蓮華に乗せてそれを観察する。
もちもちした厚めの皮の中に具が包まれているらしい。
熱いので気を付けてくださいと言われてドキドキしながら皮に歯を立ててそれを破れば、急にじゅわりと洪水のようにスープが溢れてきた。
「ん!?あち!はふ、…すごい!こんな小さな包みの中にお肉もスープも沢山入ってる!皮がちょっと甘くて、中身の塩味とのバランスもちょうどいいし、どうして液体が皮に染みちゃわないんでしょう?」
まるでびっくり箱みたい!
一口食べただけで長々と感想を述べた彼女に料理長は目を瞬かせる。
確かに自信作としての自負はあったものの、ここまで素直に真っ向から評価してもらえたのは初めてだ。
重役たちに提供するときは会議だったり腹の探り合いで、料理どころの話ではないしこちらも戦闘になれば参戦しなくてはならない。
一般客に提供しても、気に入られてはいるのだろうがこうして目の前で感想が聞けることなど今までなかった。
料理だけを色目なしに評価されることが新鮮で、他の料理も美味しそうに平らげる彼女を見ているとなんだかこちらも自然に口角が上がってしまう。
すっかり毒気も抜かれ、もっと食べている彼女が見たくてサービスで杏仁豆腐を出してみた。
杏仁豆腐を見た彼女の顔がぱっと明るくなりキラキラと目が輝いたのでつい声を出して笑ってしまう。
ああ、これはやられた。
「な、なんですかこれは!?ミルクみたいな、でも鼻に抜ける風味が独特です!プリンともゼリーとも違う不思議なデザート…これも美味です、ごちそうさまでした」
「気に入っていただけて何よりです。もし次回来ていただけるようでしたらこちらに連絡を。自信作を、心を込めてご提供します。」
料理長として名刺をテーブルに滑らせる。
滅多なことで一般客に渡すものではない。本来は明るい意味ではないカードだ。
名前だけの自己紹介を互いに済ませ、会話に花を咲かせる。
「なるべく一人でいらしてください。私がお相手しますから。」
「料理長直々にですか?忙しいでしょうに、いいんでしょうか」
「時間は指定するかもしれません。よければ、新作開発の試食にも付き合ってください。」
都合が悪ければ断っていただいて結構ですから、と言う料理長。
だがお店の新作開発に関われるなんてまたとない機会だ。
しかも食べるだけ。なんて気楽な仕事だろう。
私でよければと二つ返事でOKしてごちそうさまでした、とお暇させてもらった。
「一般客だったよ、あの子。」
「なんだか嬉しそうですね?料理長」
次から俺が相手するから、と皿を流しに置いた料理長に何があったのかとスタッフはぎょっとする。
どうしたんですか!?と全員が驚くと、料理長は置いた皿を指さしてそのまま次の日の仕込みに入った。
スタッフが灰田の食べた皿を覗けば、どういう訳かエビチリのソースさえも綺麗さっぱり食べつくされていた。
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