弊宅キャラオンリー
日常
前に見つけたパン屋さん、あそこのチョココロネ美味しかったな。
仕事の合間、近くの窓の外を眺めてぼーっとそんなことを考える。
やりたかったシステムセキュリティの入れ替えも、他の社員から頼まれた製造プラントへ送る部品設計の最終確認も終わった。
一段落ついたところだ。せっかくだから休憩を入れようと腕を上げて伸びればポキポキと肩や腰が音を立てる。
これはこの世界の近代化に大きく関わる電子技術の一流企業に勤める、とある女の子の話。
灰田優、22歳。イヅナ精密電子、半導体や電子技術のトップ企業に籍を置く。
通常時の治安維持や緊急時も出動する法務部、拠点防衛や要人警護の特務部、そしていわゆる事務処理全般の総務部。灰田は総務部だ。
もちろん総務といっても幅広く様々な業務ごとの班があり、従事する内容もそれぞれ違う。
彼女は戦闘支援班。法務部らが戦闘の現場に出る際には彼らと連絡を取りそのバックアップを行い、敵情を探り、時に妨害する。
そして彼女には特定の界隈で畏怖される二つ名があった。
『イヅナのスーパーコンピューター』
電子の海においてツクヨミとイヅナを傷つけることは不可能だと言われるほどに、高い情報処理分析能力をもつとされる。
攻めれば標的の情報を欠片も残さず抹消し、守ればイヅナの数字一桁も盗み見ることは適わない。
電子の世界で、イヅナのスーパーコンピューターの正体は実際には見えない。
高度なAIなのではないか、実はツクヨミからの脱走者なのではないか、はたまた海外の技術が持ち込まれたのではないかと噂は尽きない。これが実はただの人間で、まさか
「うーん、思い出したら食べたくなってきた…」
「灰田ちゃん、お昼とってきたら?」
「いってきます!」
…こんな人間だとは誰も思うまい。
同じ部署のメンバーに促され、意気揚々と会社を飛び出す。
商業街区に上がって目的の方向へ。歩くには少し遠いが、買って会社に帰ってから食べればちょうどいいだろう。
もしたくさん置いてあればみんなにも一つずつくらい買ってもいいかもしれない。
これから会えるチョココロネを思い浮かべて灰田はハイである。
路地に入って甘い香りに誘われて。扉をくぐり、チョココロネとご対面…
「おや、この間のお嬢さん。ごめんね、チョココロネはさっきのお兄さんで最後だったさ」
「………チョコ…コロネ…」
“人気商品 チョココロネ”と札が立てられたトレイの場所にはひとつもその名を冠するものが乗っていなかった。
あまりのショックに崩れ落ちる。灰田は灰になってしまった。
大層悲しんでいる女の子を見かねたオーナーが、つい先ほど焼きあがったメロンパンを試食用に小さく切ってくれる。
差し出されたメロンパンにいいの?と見上げた彼女は小動物のよう。
美味しく焼けたからと、笑って頷くオーナーは慈愛に満ち溢れていた。
口に入れたメロンパン。焼きたて特有のいい香りが広がる。中は高級綿のようにふわふわ、上には芸術品のようにさくさくのクッキー生地。
とろけるようなチョココロネを作るパン屋が、美味しく焼けたと言ったパンは美味しい。美味しいのだ。美味しくないわけがない。
聞かずとも目を輝かせ雰囲気全力で感想語る女の子にオーナーも満足げだ。
そうして彼女は部署人数分の焼きたてメロンパンといくつか他のパンも購入し、ほくほくと上機嫌で会社に戻る。
「戻りました!」
「あ、灰田ちゃん良いところに。ちょっとトラブルがあって…」
帰った灰田を見つけた社員から声がかかる。
キサラギ化成に大口で売ったコンピューターのシステムがいくつか不調だと戻ってきたようだ。
一言二言助言して、自分の席に戻る道すがら他の人にも相談事や頼まれごとをする。
少々時間がかかりつつも自席に戻れば、眼前には何やら積まれたものが見える。
ふと後ろを見れば何人かが申し訳なさそうに頼むジェスチャーをしていた。
わなわなと震えているとさらに別部署の部長が設計図を手に彼女に声をかけた。
「極東重工からの発注でこれ、悪いんだけど灰田にしか頼めなくて…」
「……むむ、確かにちょっと複雑な要求ですね…でもこれ」
既存のプログラムの応用でなんとかなりませんか、と言おうとした灰田に”明日の朝までなんだ”と困り顔を披露された。
灰田は戦闘支援班、しかし戦闘の起こらない限り総務部の一端でもある。
メロンパン片手に仕事に取り掛かる。今夜はお泊り決定、こんな日常が通常運転。
翌朝、机に突っ伏して死んだように動かない灰田を見て上長がひとこと。
「灰田が廃になっている。」
これはイヅナを支える一社員の仕事風景を切り取ったほんの一部のお話である。
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