【暗躍】

 淡い紫色の髪を後ろで束ねた少女が学校の廊下を歩いていた。


 時刻は21時過ぎ。


 この学校は渡り廊下をはさみ、普通教室がまとめて配置されているA練と職員室や音楽室などの特別教室がまとめられたB練とで別れている。


 白いガスマスクをした研究員や傭兵たちはこの時間には食堂か体育館に急造された研究施設におり、また学校の外へ生きてる人間や物資を探しに行く生徒達ももうすでに23部屋ある普通教室で布団を敷き眠る準備をしているため少女が歩くB練の3階には一切人気はない。


 そんな誰も通らない静かな廊下を、B練1階の保健室で直接会話をした『要観察対象者』のデータをまとめるために美術室という名前の自室へと少女は一人歩く。


 そして、少女が自室にたどり着きドアを開こうとしたところでその静寂は破られた。


「ティアさん!!」


 淡い紫色の髪をした少女、『ティア』に声がかかる。


「……なによ?」


 ティアは声から男性だと判断し、気だるげに振り返る。


 声をかけた人物は白衣をし、白いガスマスクをしていた。


 因みにこの姿は『研究者』の正装である。


 白衣は研究をするものの服であると『人類最終永続機関じんるいさいしゅうえいぞくきかん』を作った人物が発言したことにより、『人類最終永続機関』では白衣を着るのが暗黙の了解となっていた。


 白いガスマスクは、少しでもゾンビウィルスから身を守るためにしている。


 学校内には至る所に赤い箱型の空気洗浄機『赤角君』があるので別にガスマスクをしなくても良いのだが、研究者は少しでもゾンビにならないようにと殆どの者がつけているのだ。


 そしてガスマスクには白の他にも普通の黒色をしたガスマスクがある。

 黒色のガスマスクは一般人用で、白は研究者用と分かりやすいように区別されていた。


「……よかった。ティアさんを探していたんですよ」


 ガスマスクは何故か少しだけ間を開けてから話しだす。


「私を探してた?」


「はい。少しおかしなゾンビの個体が発見されたようで」


「ふーん? ゾンビ事態おかしな存在だけど、さらにおかしい個体がいたの?」


「はい。話によればそのゾンビは音や匂いで人間の位置を割り出し襲いかかる普通のゾンビと違い、音が鳴り響く中でも匂いを感じないはずの距離にいる人間をジッと見ていたそうです」


 ティアはその白いガスマスクの言った言葉に腕を組み思考を巡らす。


「それはおかしいわね。音や匂いに惑わされないだけなら眼が機能してるだけでそんなにおかしなところはないわ。でもジッと見てるのはおかしい。目標を補足してるのならゾンビは一目散に目標を襲うはず……」


「やはりそうですか」


「他に何か特徴は?」


「表情がありました」


「表情?」


 少女はそんなまさかと訝しげにガスマスクを見た。


「はい。ニマニマと笑いながら、こちらを見ていたそうです。それとこれはその個体を見た者の気のせいかもしれませんが……」


「気のせいでもいいわ。早く教えなさい」


 ティアは少しでも情報がほしいのか歯切れの悪い研究者に話しの先を促す。


「……そのゾンビは口を動かしていました。それは何かを食べているようにも見えたようですが、その者いわく


『いつか迎えに行くからな』


 と言っている動きにしか見えなかったようです」


「そんなことありえないわ。それはホントにゾンビだったの?」


 ティアは即座に否定した。


 ゾンビが喋る。そんなことはありえない。ありえてはいけないのだ。


「はい。片腕はちぎれ、首は折れていたそうです。そして、ゾンビの群れの中にいても襲われていません。もしかしてなのですが……」


 そして、ガスマスクはこれが一番重要だと言うように間を開けて言った。


「ゾンビになっても理性・人格が残る者がいるのでは?」


「『ゾンビになった者は絶対に元の人間には戻らない』」


 ティアは少し大きな声で言った。

 少女の見た目とは合わない、否定を許さない強く厳しい口調だった。


「これは私達が数え切れない程実験をして得た常識よ。忘れないで」


「……はい」


 白いガスマスクもそれ以上は続けなかった。


「ただそのゾンビは気になるわね。確保したの?」


「いえ、そのゾンビはすぐにどこかに歩いて消えました。追うにもゾンビの数が多く不可能だったようです」


「そう。もし見つけたら最優先で捕まえなさい。他の研究者や班のリーダー達にも伝えておいて」


「かしこまりました」


「他に用件は?」


「あと、ジュリアさんがこの件で『ゾンビ』についてもう一度確認がしたいからティアさんに頼んで書類等を貰ってきてと私に頼まれました」


「ジュリアちゃんが? そうね『ゾンビ』の書類なら化学準備室の」


 そこで不意にティアは言葉を切った。


「どうかしましたか?」


 不自然に言葉を切ったティアに疑問を覚えたのか、白いガスマスクは不思議そうに声を震わせる。


「待って。あんた誰よ」


 だが、ティアはその言葉に応えず白いガスマスクをつけ白衣を着た『誰か』を強く睨みつけ姿勢を変える。


「……え?」


 対する『誰か』は、ただ困惑気味に声を出すだけであった。


「そんな、いきなり何ですかティアさん?」


「ジュリアちゃんが頼みごとをするのはアンナちゃんだけよ。ましてやそれが『ゾンビ』絡みの重要なものだったら尚更ね」


「……急ぎだったみたいで、メイドのアンナさんは近くにいなかったようです」


「アンナちゃんがこの時間にジュリアちゃんを1人にするわけないじゃない」


「どうやらアンナさんはトイレに行ったようでして」


「トイレくらいなら戻ってくるまでジュリアちゃんは待つわよ」


「いや、いつまでたっても戻ってこないようでして」


「ならトイレに迎えに行けばいいわ」


「行ったらしいのですが、トイレにはいなかったようです」


「だったらジュリアちゃんはアンナちゃんを探すことを優先するわ。あんたに頼み事してる場合じゃないわよね?」


「……」


 白いガスマスクはここで初めて口を閉ざした。


「ねぇ。あんた、誰なの? ……私に『ゾンビ』って言う時点でおかしいと思うべきだったわ。というかまず私の名前を知っているのは私の部下と、一部の人のみのはずなんだけど?」


 ティアは内心舌打ちをする。


 男のことは覚える価値が無いと常々思っていたことにより、目の前にいる男が自分の知らない奴だと判断するのに遅れた。


 白いガスマスクで顔も見えず、白衣のせいで体型が分かりにくいのも考慮しておくべきだった。


「……カカッ! なるほどな。『ジュリアはアンナにしかものを頼まない』。良い勉強になったぜ!!」


 ガスマスクをした謎の人物は声色・態度全てががらりと変わる。


「勉強代としてあんたの正体を教えなさいよ」


 まさか拠点と言える学校内で不審者に出会うとはと顔を歪めティアは警戒を強める。


 だが、一応の訓練を受けているのかティアは隙のない構えで不審者を正面から見据えた。


 さらに、目の前にいる不審者からは見えないがティアのきている青いコートの袖口には小型のスタンガンを仕込んである。


 もし攻撃をしてきたなら合いうち覚悟でスタンガンをおしつけようとティアは気合いを入れた。


「やなこったバーカ!」


 それに対し不審者は全力で走りだした。


 ティアがいる方向から逆に向けて。


「……は? あちょ、待ちなさいコラ!!」


 まさか逃げ出すとは思わず、一瞬追いかけるのが遅れる。


 だが不審者は足が遅いのか、少女のティアでも走って追いつけそうだ。


 不審者は下に降りるための階段へと消えていく。


 それに数秒遅れてティアが階段を何段も飛ばしながら急いで駆け降りる。


 しかし、下の階まで降りたときにティアは不審者の姿どころか足音さえも消えている事に気付いた。


「くそっ! あの不審者はどこに行ったの!?」


 誰もいない廊下で、ただティアの疑問の叫びだけが木霊した。





















 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――


「ハァ! ハァ!! 死ぬ!! ガスマスクしたままの全力ダッシュは死ねる!!」


 階段の踊り場にある窓から再び俺様は学校の中に入る。


 その際、着ていた白衣とガスマスクは外に投げ捨てた。


 この学校の生徒でも殆ど知らないことだが、実はこの2階と3階をつなぐ階段の踊り場にある窓の下にはちょっとした出っ張りがあり、窓枠を掴みながらその出っ張りに足を乗せればこうして隠れる事が出来るのだ。


 これで何度追いかけてきやがる先生と生徒をやり過ごした事か……。


「……ハァ……ハァ……。……あー、クソッ。俺様、こんなに体力なかったっけか……」


 体力がないのは昔からだったが、最近特に落ちてるような気がするぜ。


 だがまぁ、苦労の甲斐はあったみたいだな。


 割と情報が手に入った。


 まず、あの大坂の攻めてるおばちゃんみたいな紫髪の少女が『ティア』。


『人類最終永続機関』のもう1人の最高責任者か。


 纏ってる雰囲気がおかしい奴に片っ端から盗んだ白衣と白いガスマスクして『ティアさん!』って声をかけてたが、まさかあんなガキが最高責任者とかやっぱ終わってんなこの機関。


 ……まぁそれは置いといて、適当に聞いたが『ゾンビ』の書類はやはり存在したのか。


 しかもそれが化学準備室にあるらしい。はやく行って回収して目を通さないとだな。


「……『ゾンビになった者は絶対に人間に戻らない』か」


 俺様はティアが言った言葉を繰り返す。


 だが俺様が見たあのゾンビは明らかに『知性』を持っているように感じた。


 いや、あのゾンビじゃないか。


 あの俺様達の親友、『入間いるま まこと』は、か……。


 一緒にいた高希は気づいてなかったようだが、あいつはバカだし真も変わり果てた姿をしていたから仕方ない。


 まさかあいつがゾンビになるとはな。

 真は高希と同じで仲間思いの奴だったし、どうせ人助けでもしようとしてゾンビに噛まれたのだろう。


 闇鍋の時もあいつだけ常識的な食材を持ってきてくれていたしな。


 ……クソッ。


 やっぱ気のせいだったのかあの口の動きは。


 もしかしたらって思ったが、そりゃゾンビになってんだ。知性・理性がある訳ない……か。


「真……。なに死んでんだよバカ野郎が……」


 親友の死はやっぱりくるものがある。


 ……いや、待てよ?


 俺様はこんなに死に慣れていたか?


 ……そうだおかしい。


 紗希ならともかく、俺様や高希みたいないち高校生がこんな死者が蔓延る世界でなんで普通の精神状態でいられる?


 ましてやゾンビといっても人の形をしたものを何故躊躇いなく攻撃できる……?


 ……もしかして人類進化薬が、身体だけでなく精神にも影響を与えているのか?


 クソ。こりゃ人類進化薬の情報も集めないと。


 それともう1つ、ティアの言ったあの言葉。


 あの言葉、妙に引っかかる。


 なぜあいつは俺様の言ったあの


「はい椛つーかまーえた」


「ひょぇええ!?」


 すぐ後ろから声をかけられいきなり腕を掴まれる。

 まさか先程俺様を追いかけていたティアが来たのかと思い後ろを見る。


 だがそこにいたのはティアではなく紗希と、紗希に手を引かれた幼女エレナだった。


「な、なんだ紗希かよ驚かせやがって!」


「勝手にそっちが驚いただけでしょ?」


「後ろからいきなり腕を掴まれたら誰だって驚くだろ!」


「もーなんでそんなピリピリしてるのさ。というか、なんで手袋してんの?」


 紗希はいつも通り微笑みながら俺様の言葉を流す。


 そういや俺様は手袋をしたままだったな。

 窓枠を掴む時に素手だと滑って落ちる可能性があるのでポケットに常備していたのだ。


「あー、まぁいいだろ。とりあえず、何か俺様に用か?」


「ん? いや特にないよ。……そうだ。これから一緒に食堂にでも行かない?」


「食堂? この時間でも開いてるのか?」


 確か今は21時過ぎのはずだが……。


「僕もそう思ってたんだけどね。なんでも夜の見張り組は丁度食堂でご飯を食べてるはずなんだって」


「はーんなるほどな。夜の奴らの為にも開いてるのか。食堂のババアと密入国者のケーシィもよく働くなぁ。……あん? でもお前さっき飯の時間に肉まん食ってなかったのか?」


「いや、どうやら高希が目を覚ましたらしくてね。副作用を使ったからお腹が減ってるんだって。だから今から食堂に行って天ぷらうどんを貰って差し入れしに行こうかなって」


「高希が目を覚ましたのか!?」


 あの怪我でもう駄目かと思ってたが無事目を覚ましたのか!!


 心配していた訳じゃねぇが、相変わらずゴキブリみたいにしぶとい奴だぜ。


「わかった。それなら俺様も行くぜ。丁度小腹も減ってたんだ。カレーでもつまむか」


「カレーってどうつまむのさ?」


『ゾンビの書類』には早く目を通したいが、とりあえずは後回しだ。


 それにすぐに理科準備室にいったとしてもティアが待ち伏せしているかも知れねぇ。

 時間は少し開けた方がいい。


「決まりだね。じゃぁ行こうかエレナちゃん」


「うん!!」


 紗希はそう言い元気に返事をする幼女の手を大事そうに引いて歩き出した。


 俺も紗希の隣に立ち歩こうとするが、そしたら幼女が俺様をスッゲー目つきで睨んできたのでやはり3歩後ろを歩くことにした。


「そういえば、あんなに驚くって事はまた暗躍でもしてたんでしょ?」


 紗希は笑いながら言う。


 全く。腹が立つが、今回のことは正直には言えねぇな。






「カッ! ただの野暮用だよ。」




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