3 少女の絶望と希望

「デイブ!?」


 私は目の前でかれた男の名前を叫ぶ。


 だが当然返事はない。

 車はデイブと白いガスマスクの2人を轢いても止まらず、そのまま無造作に停められていた他の車にぶつかりようやくその動きを止めた。


 あたりには車から漏れ出たのかガソリンの独特の匂いが漂い、自動で鳴りだした車のクラクションの音が響きだす。


「……あぁ……お母さん……お母さん……」


 接近してくる車を間一髪で避けた私の腕の中では、椎名さんがなんどもお母さんと呟き続けている。


 椎名さんの顔は蒼白で表情は抜け落ちていた。

 轢かれた2人の安否を確認しなくてはいけないが、流石に腕の中の椎名さんをこのままにはできない。


「うわあぁぁあああああ!!?」


 次の行動をどうするか迷っていると、公園方面から叫び声が上がる。

 咄嗟に声のした方向に顔を向けるが、すぐに顔を向けた事を後悔した。


「やめぇええええ!」


 黒いガスマスクをした男、服装からして先程のメガネをかけた優男がどこからか現れたゾンビに足を掴まれ地面に倒れていた。

 掴まれている足のふくらはぎからは血が流れ出ており、どうやら噛まれてしまったようだ。


「一体いつの間に現れたってのよもう!」


 椎名さんを抱き起こしながら立ち上がる。

 私にされるがままに椎名さんは立ち上がるが、私が支えるのをやめたらそのまま倒れてしまうだろう。


「椎名さん! 自分で立って! 動いて!!」


「…………」


 椎名さんはとうとう何も言わなくなってしまった。

 いや、口を見ればかすかに動いているが言葉が出ていない……。


「ああぁぁああやめで! いだいだいいぃぃい!!! アバッ……食べないでぇぇ……! 足を、手を食べないでぇ……やめぇ……」



 グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ――。



 泣き声の混じった悲鳴が段々と小さくなるのに比例して人を肉塊に変えていく音が大きくなる。


 少し目を離した隙にあのメガネの優男には何体ものゾンビが群がっていた。


 もう、あれは助からない……。


「いやぁぁあああ!!」


「うるさい! やめてよ!!」


 私が優男だったものから視線を逸らすのと同時に、突如悲鳴と怒号が聞こえだした。

 この声は先程の女子中学生2人のものだ。


 声がする方向を見れば公園にあった変なオブジェクトのもとにあの2人の姿が確認出来た。


 だが声で反応するのは私だけではない。


 騒ぐ中学生2人に、優男の肉にあり付けなかったゾンビが向かいだす。


「あぁぁぁもぅ! あんたのせいでこっちきたじゃない!! このっ!!」


「あっ!」


 そう言い、悲鳴をあげるポニーテールの背中をツインテールは思い切り押した。


 友人に背中を押され体勢を崩したポニーテールの少女は受け身も取れずに無様に転がる。


「私に近付かないで! そこに倒れてるじゃない! そいつを襲えよ!! 襲えって!!」


 ツインテールの少女は仲の良かったはずの友人を指さしながら我を忘れたように叫ぶ。


 私はそこに『友情』の限界をみた気がした。


「あ、あああぁああ!! なにすんのぉぉおお!」


「うるさいあんたがいけないじゃない!!」


「ふざけんなぁ! ……あぁぁやめて気持ち悪いお願い足が痛くて動けないのこないでこないでこないで!!」


「おい何でこっちくるんだよ!? そこに倒れて動けない奴がいるのが見えないの!?」


 状況を上手く理解してないのか2人は怒鳴り合いのけんかをしだす。


 その怒鳴り声がゾンビをさらに集め、とうとう2人はゾンビに囲まれだした。


「あぁもう!」


 このままではあの2人も先程の男のようにゾンビに食べられてしまう!!


 とにかく私がすぐに2人とゾンビの間に割って入って守らなければ!!


 あの2人は1度でもゾンビに噛まれたらおしまいだが、『人類進化薬』を投与されたことにより噛まれてもゾンビ化しなくなった私が囮になれればまだ助かる余地はあるはず!!


 椎名さんを背中に背負って私は走り出す。


 だが、やはり私とあの2人の間には距離がありすぎる。


 そして私が2人の所につく前に、倒れている少女にゾンビの1体が手を伸ばした。


 このままでは間にあわない!!


「何してんだクソガキが! 寝てる場合じゃねぇだろ!?」


 そこへ倒れる少女をゾンビが掴む寸前で抱えあげる男が現れた。


 その男は渡されたガスマスクを結局付けなかった、あの無精ひげの男だ。


「田中さん! そいつらに少しでも噛まれたら終わりですよ!!」


 最後に残っていた白いガスマスクも田中さん――無精ひげの名字だったはずだ――と叫びながら走り寄っている。


「そうは言うがよ、どこもかしこもこいつらしかいねぇじゃねぇか!」


「それは」


「あぁぁいっぱい! いっぱいきてるよぉぉお!!」


「あなたは少し落ち着いて下さい!!」


「何だお前触んなよぉ! 痴漢! この人痴漢です!!」


「静かにしてください! お願いします!! 痴漢ではありません!!」


 白いガスマスクは暴れるもう1人の中学生を抑えていた。


 つまり、2人の男が2人の少女に手いっぱいで無防備なのだ。


 そこにわらわらとゾンビが群がろうとしている。


「あなたたち早くそこから逃げて!! 囲まれるわよ!!」


「大友さんに椎名さん!? 良かった! 無事でしたか!!」


 椎名さんを背負いながら近づいて来る私に気付いたのか白いガスマスクは手を振ってくる。


 私はその白いガスマスクに椎名さんを投げた。


「椎名さんを射出した!?」


 そう言って白いガスマスクは一瞬固まったが、なんとか私が投げた椎名さんを身体で受けとめおさえていたツインテールの少女と共に後方に転がっていく。


 ……もしかしたら運よくぶつかっただけかもしれない。


「1回しか言わないからよく聞いて! 椎名さんは再起不能! デイブともう1人の白いガスマスクは車に轢かれてどっか行った多分死んだ!! ここからは私が時間を稼ぐけど絶対少ししか稼げないからその間に早く逃げて!!」


 私はまくしたてるように用件だけを言い腰にさしたままだった特殊棍棒を振りぬく。


 特殊棍棒はカシュカシュと小気味の良い音を立てて2~3倍ほどの長さに伸びる。


 特殊棍棒が伸びきって固定されたのを確認した私は、走っていた勢いをそのままに無精ひげと少女の近くにいるゾンビの頭を殴った。


「おま、なんなんだ!?」


 目の前に急に現れ、ゾンビの頭を思い切り殴打する私を見て無精ひげが驚きの声をあげる。


「うるさいからあっち行って! 私にあなたを守りながら戦えるほどの技量はない!!」


「あぁん!? 女のガキに守られろってか!?」


「足手まといなの! それともあんたはその中学生と一緒に無駄死にしたいの!?」


「な……んだよ畜生!」


 無精ひげは一瞬迷うが、すぐに私の言い分の方が正しいと判断して中学生を抱えたまま白いガスマスク達の転がっている方向に走り出した。


 それを確認し私は2体目のゾンビを殴る。


 ガゴッという何とも言えない不快な手ごたえを特殊棍棒から掌に感じながらも私は3体目のゾンビを殴る。


 そして4体目を殴ろうとした時に左足首に痛みが走った。


 すぐに視線を下げる。


 そこには最初に殴ったゾンビが地面を這った状態で私の足を掴んでいた。


 殺し切れてなかった!?


 凄い握力で私の左足を握りつぶそうとするゾンビの頭を掴まれていない右足で踏みつける。

 だがそうしてる間に違うゾンビが私に手を伸ばしてきた。

 もうすぐで髪を掴まれるところを身体を後ろにそらしてすんでのところでかわすが、私の足を掴んでいたゾンビが動きの邪魔になり尻持ちをついてしまった。


 そうなるとゾンビ達も私にのしかかろうとそのまま倒れ込んでくる。


「あぁもう!!」


 私は身体を勢いよく回転させ足を掴むゾンビから逃げだし、同時にその回転を利用し横に転がって倒れこんできたゾンビ達から逃げ、跳びはねるような勢いで立ち上がる。


「ハァッ! ハァッ!」


 1分にも満たないであろうこの短い攻防で、私は既に息を切らしだした。


 身体はゾンビに向けたまま視線だけを動かし生存者4人を確認する。


 4人は先程の場所からすでに移動しており、何とかゾンビの包囲網の外に逃げていた。


 まぁその代わり、私がゾンビの包囲網のど真ん中にいるのだけど……。


 ……ああぁもう!


 噛まれてゾンビ化しなくても、足を噛まれたら動けなくなるし、腕を噛まれたら抵抗できなくなるし、首を噛まれたら死ぬのってのに!!


 状況を嘆きつつも私は特殊棍棒を構える。


 とにかく今は不幸を嘆くよりもこの修羅場を生き残ることに集中しないと!


 私はそう気合いを入れ直すが、それをあざ笑うかのように突然大きな音が響き熱風が吹きすさぶ 。


「ッ!?」


 どうやら最初のデイブを轢いた車が爆発したようだ。


 耳が一瞬機能を無くすほどの音と爆発の衝撃で倒れそうになるのを何とかこらえる。


「あぁもう次から次へと!」


 私は炎をあげる車を恨めしく見る。


 そこで気づいたのだが、うるさかったクラクションはいつの間にか鳴りやんでいて、クラクションに意識を向けていた多くのゾンビ達が私の存在に気づきこちらに向かって歩き出しているのが分かった。


「ゾンビのおかわりとか……」


 あまりの絶望に足から力が抜けそうになる。

 だが、ここで膝をついたら確実に死ぬ。


 ゾンビ達は遠慮という言葉を知らないのだ。


「あぁあああ死にたくない死にたくない死にたくないいんだ死ぬわけにはいかないんだ!!」


 私はわざと声をあげ自分を鼓舞し、とにかく生きるために特殊棍棒を振りまわした。



―――――――――――――――――――――――――――



 あれから7体ほどのゾンビの頭を潰し時間を稼いだが、とうとう終わりが来たようだ。


 私が持っていた特殊棍棒は真ん中から綺麗に折れ曲がり、後ろも見ずに後退をし続けたせいか背中には固い壁の感触がある。


 武器がなくなり、後ろにももう下がれなくなった。


 ゾンビはまだまだ沢山いる。


 私に残っているカードは、こんな状況じゃ役に立たない『副作用』だけ。


「あぁああぁぁあああ」

「わぁあぁああ」

「がぁああぁぁああ」


 ゆっくりと、だが確実にゾンビ達は私に近付いて来る。


「あぁ。もう、やだ……」


 とうとう口にしないようにしていた弱音が口からこぼれた。


 弱音がこぼれた瞬間に私はもうどうする事も出来なくなってしまい、身体に力が入らなくなる。


 そして死を完全に認識した私は、意識せずに『あの日』と同じ言葉を呟いた。








「……助けて……」































「だぁっぁああらぁぁぁぁっしゃぁぁぁあああい!!!!」





 絶望に屈してしまいそうになったその時、そんなバカみたいな声と共に燃え上がる炎の壁を突き破って『誰か』が目の前にいたゾンビ共にぶつかり遠くへ吹き飛ばす。


 その『誰か』はゾンビ共を吹き飛ばしても動きを止めず、私の横を通り過ぎ壁にぶつかって砂煙を起こした。




「…………へ?」


 私はあまりの事に思考が止まる。


 そんな中私の身体だけがその『誰か』を確認する為に視線を動かした。


 そして私の視線に映ったのは、


「ッ~!! ……よっしゃ生きてる!!」


 身体が何故か逆さま状態になっている『あの人』だった。


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