3 「理由」
「……吐きそうだからトイレに行っていいか?」
『外』の景色を見るのをやめ、俺らはソファに座り直す。
その時、
「椛ってさー。気付けば吐いてるよねー。」
「吐いてるよねーって……。いいかサイコパス
椛は無遠慮に校長の座る席に着く金髪中学生の名前を呼び捨てにして言う。
メイドのアンナが主人を呼び捨てにされたことに不快そうな顔をする。
だが、呼び捨てにされた当の本人はさほど気にした様子はなく少し考えるそぶりを見せてから口を開いた。
「いいわよ。ここで椛さんに吐かれるのは嫌だし。ただ、アーニャと一緒に行ってもらうけどね。」
「はぁ? 別にいいぞメイドはついてこなくて。ここは学校なんだからトイレの場所くらい覚えてる。」
「残念だけど私はまだ椛さんを1人にする程信用はしていないの。アーニャにはあなたが逃げたり、余計なことをしないように監視してもらうわ。」
「ケッ。用心深いこったな。で、その余計なことって例えばどんなことだ?」
「そうね。例えば」
「御姉様。」
ジュリアが何か言おうとする前に紗希が声をあげる。
「邪魔すんじゃねぇよ紗希。」
それにまっさきに反応したのはジュリアではなく椛だった。
邪魔って何だ?
「……邪魔ってなに?」
ジュリアも俺と同じ疑問を持ったらしく、俺の代わりに聞いてくれた。
「御姉様。椛とはあんまり会話をしない方がいいですよ。こいつは頭は悪いですが頭の回転は良いんです。例えば今のようにさりげなく余計なこと、すなわちやられたら困ることを聞きだそうとしたりとかですね。」
……あー。確かに椛のやりそうなことだな。
『相手が嫌がることは直接相手に聞けば効率よく嫌がらせが出来る。』
ゲームをする時とかに椛が得意げによく言っていたっけか。
「……わかったわ。椛さん。あなたの事は私の仲間たちには要注意人物として伝えておくわね。」
「ついでにイケメンで彼女募集中だってことも皆様に伝えておいてくれや。」
ジュリアの重い口調に椛は軽口で応える。
こういう舌戦だと椛は途端に心強いな。
「椛さん。あなた本当に吐きそうだからトイレに行きたいの? 実はここから抜け出すための嘘なんじゃ」
「いやそれは本当。もうずっと気持ち悪い。限界間近だ。トイレに行かせてくれ。じゃなければゴミ袋をくれ頼む。」
まったく心強くないな。すっごい弱弱しいしなんなら身体が小刻みに震えている。
情けなさ過ぎてほんとに恥ずかしい。
「はぁ……。なんか紗希とは違った方面で疲れるわ……。アーニャ。はやくトイレまで連れて行ってあげなさい。」
「ですが御譲様。そうなると御譲様を守ることができません。」
心配そうにそう言いジュリアから離れることをアンナは渋っている。
その口ぶりからするとアンナはただ身の周りを世話するだけのメイドじゃなく、ジュリアの護衛も務めているようだな。
まぁためらいなく銃の引き金が引けるんだからただのメイドな訳がないか。
「安心してくださいアンナさん。御姉様の安全は僕が保証します。」
親指を立てながら、幼女をずっと抱きかかえ続ける紗希がアンナに言う。
メイドは紗希をチラリと見る。
「早乙女様と佐藤様が暴れ出さないとも限りませんし。」
「おや? さては僕も危険視されているな?」
紗希が「困ったぞこれは」と笑顔で首をかしげている。
そんな紗希を見るアンナの目がなぜか冷たい。というか冷たいを通り越して敵意がある。
なにをやらかしたんだ紗希は……。
「あー、大丈夫だからアーニャ。早く行って来なさい。椛さんがもう顔色酷いから、そんな顔でいられたら私も話しづらいし、それにもし高希さんと紗希が暴れても私だったら何とかできるわ。」
「かしこまりました。」
アンナはジュリアの呆れたような、もうめんどくさいというようなその態度を見ると先程までの反対が嘘のようにすんなりと返事をして行動を開始した。
具体的には座る椛の前に立ち、顔色の悪い椛を立たせるために手を差し伸べている。
そこまでの行動がまるで舞台に立つ役者のように優雅で気品にあふれていた。ただし、後ろにいるジュリアからは見えないであろうアンナの表情はめっちゃ椛を見下している。
この人あれだ。裏表めっちゃあるタイプの人だ。
椛もこのメイドの性格が大体掴めたのか見下されていると言うのに笑顔だ。
見下されて笑顔とは変態さんなのか?
「出来るだけ早く戻るように致します。もし何かされそうになったら叫んでください。飛んで戻ってまいります。」
「はいはい。はやく行ってらっしゃい。」
こうして椛とアンナさんは校長室から出て行った。
「……で、まぁ椛さんとアーニャを待ってる時間も勿体ないから本題に入らせてもらうわね。」
「本題? 今の外にゾンビがはびこっているって話が本題じゃなかったのか?」
「その話は前提。高希さんと椛さんにはこれから『外』に行ってもらうわ。」
「は? 外に行ってもらうだって?」
「同じことは2度言わない。高希さんと椛さんには『外』に行ってもらうわ。」
「同じこと2度言ってるじゃねぇか。っじゃなくて待ってくれよ!? 『外』ってお前が今ビデオカメラで見せたようにゾンビで溢れてんだろ!? なんでわざわざそんなことになってる『外』に行かなくちゃならないんだよ!!」
「人類を未来につなぐためよ。」
ジュリアに詰め寄ろうと立ち上がりかけるが、妙に冷静なジュリアの言葉が俺の動きを止めた。
ジュリアの表情は真剣そのもので、決して冗談で今の言葉を吐いたわけではない事がわかる。
その冷静な口調と真剣な表情は俺に話しくらいは聞いてもいいと思わせた。
息を吐き、俺は立ちあがるのをやめる。
「……はっきり言うけど、少なくても人類の60%は昨日のうちにもうゾンビになっていると思ってくれていいわ。そして、ゾンビにならなかった人類もこうしている間にゾンビになっていってるか、命を失っているでしょうね。」
ジュリアは俺の動きを観察し、少し間を開けてからまた話し始める。
「60%だって? 何でそう言いきれるんだよ?」
「ゾンビは、簡単に言えば生死を問わず人間が『ゾンビウィルス』に感染して産まれているの。そして、遅かれ早かれゾンビウィルスに感染している人間は必ずゾンビになる。」
「……つまり、『ゾンビウィルス』が全人類の60%に感染しているからってことか?」
感染者が絶対ゾンビになるのならそういうことだよな?
どう調べたかはわからんが、ジュリアが嘘をついてる様子もないし信じていいのかもしれない。
「いえ違うわ。全人類の99.99%はゾンビウィルスに感染していたわ。」
「99.99!?」
99.99って四捨五入したら100%じゃねぇか!
「じゃぁもう全人類終わってるはずじゃねぇか!! なんでそれでゾンビになってない奴が40%もいるんだよ!?」
「ゾンビになっていない40%の人類は、感染はしているけど感染度合いが低かった人達なの。まぁでも感染事態はしているから、外部からゾンビ化した人に噛まれたりして活性化済みのゾンビウィルスが体内に侵入した瞬間には体内に元からいたゾンビウィルスも活性化して宿主はゾンビ化するわね。」
「いや活性化済みって、感染していたら必ずゾンビになるって今言ったじゃん!?」
「『遅かれ早かれ』とも私は言ったわよ。絶対にゾンビ化するけど、まだゾンビ化はしていないってだけ。」
「それでも、もう全人類がゾンビ化するのは時間の問題じゃ……。」
「いいから静かに話を聞きなさい。私達はゾンビウィルスの感染度合いを『0~5』までの段階に分けたわ。ゾンビになる確率は『1段階』で20%、『2段階』は40%って具合にね。」
訳が分からなくてショート寸前だった俺の頭は、『0~5』という単語に途端に冷静になった。
『0~5』。それは、椛と紗希、そして俺を苦しめたあの地獄に関係してる単語だ。
「顔つきが変わったわね。そうよ。高希さんの察した通り、『3段階』以上の、ゾンビになる確率が60%以上の生徒・教員はこの学校から事前にいなくなってもらったわ。」
「いなくなってもらった? 殺したんだろ、お前らが。」
つまり、あの地獄はゾンビになる確率が半分以上の奴を片っ端から殺すという暴論で生み出されたってことかよ。
「ここは人類最後の砦となるの。そこに不穏分子はいらない。……悔いはないわ。」
ジュリアは俺をまっすぐと見る。その青みがかった瞳はとても強く、俺を映していた。
そこからは絶対に視線を逸らさないという意思を感じた。
「『悔いはない』ね。……そうか。」
だから俺もまっすぐとジュリアを見る。
「ねぇ高希?」
隣に座っていた紗希が俺を呼ぶ。
チラリと紗希を見ると、ニコニコとしたいつもの可愛らしい紗希の顔がこちらを向いていた。
相変わらず、紗希のその黒い瞳には何も感じられない。
俺はいつの間にか力の入っていた身体から力を抜き、姿勢を崩した。
「大丈夫だ紗希。あぁ、大丈夫だ暴れないさ。」
紗希は俺の言葉を聞き、「それはよかったよー。」と言いながら表情を変えず目の前にあるテーブルに先端の長い『プラスドライバー』をコトリと置く。
……『プラスドライバー』をなにに使うつもりだったんだろうか?
「……右の耳……左の耳……刺し貫く……。」
紗希がぶつぶつと何か言ってるが聞こえなかったことにしよう。
今は紗希よりジュリアとの話に集中だ。
「なぁジュリア。聞かせてくれないか? なぜこの高校を人類最後の砦とやらに選んだんだ?」
「それは……『あなた』がこの高校にいたからよ。正確には、あなたを含めた8人の『奇跡の存在』がいたからね。」
「『奇跡の存在』? ……あぁ、確かそんな話しがあったな。」
あまり覚えていないが椛があの地獄でそんな風に言われてたな。
……いや、椛だけでなく俺と紗希もだっけ?
「信じられないけどこの学校には0.01%以下の人類がいたのよ。ゾンビウィルスにまったくかかっていない8人が。」
「え、じゃぁ俺ら3人はゾンビウィルスに感染してないのか? しかもそれがあと5人も!? この学校に? なんで? というかまずジュリア達はなぜそれが分かったんだ?」
「なんで全人類が感染しているはずのゾンビウィルスに高希さん達だけが感染していなかったのか自体はまだ不明なんだけど……。もう1つの質問、何故私達にそれが分かったかという質問には答えられるわ。ここの高校の健康診断をした病院を襲ったのよ。その時に診断書を盗み、そこから学校関係者がどれだけゾンビウィルスにかかっているかの割合を調べたの。」
健康診断?
……あぁ! 食堂で紗希と椛とで話したやつか!!
「病院を襲ったのって、お前らだったのか!?」
「えぇそうよ。他にも沢山の小中高の健康診断をした病院を襲ったけど、やっぱりこの学校の8人以外にゾンビウィルスに感染していない人間はいなかったわ。」
「他にも健康診断をした病院を襲ってたのかお前ら……。……? 小中高? 何でお前ら『学校』しか襲ってないんだ?」
健康診断って、小中高の学校以外にもやるはずだよな? 会社や大学とかもちゃんと健康診断とかやるんだよな?
……え? やってるよね?
「その理由こそが、高希さんに『外』に行って生存者を探してきてもらう理由よ。」
俺は疑念の眼をジュリアに向ける。
俺の勘が告げる。今からジュリアが言うことは、絶対にろくな話じゃないと。
「高希さんは、いえ、この学校で生き残った生徒達は全員
『ゾンビにはならない』のよ。」
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