第6話


 夜になって窓も防壁も全て締め切られた寝室、ベッドの上ではレイが呼吸に合わせて毛布を上下させながら、穏やかな寝息を立てて横になっている。だがニーナは寝室に置かれた作業台に向かっていた。

 載せられたランタンが机の周囲だけをぼんやりと照らしている。机の上には分解されたコルト社製M4A1が置かれ、ニーナは使い古して黒ずんだブラシでボルトキャリアを磨いている。ガシガシと動かされるブラシで黒い油や発砲で生じるゴミを取り除いていく。

 ニーナのぼんやりとした目はただ視線を手元に向けているのみで見てはいない、虚ろな表情で機械的に体に染み込んだ動きで銃の手入れを進めている。彼女にとってこの作業はもう数えきれない回数繰り返してきたものだ、少しでも銃を使えばその後にはすぐ分解して汚れを取り除いて異常がないか確認する。いつもは使った日の夜に手入れをするはずだったが、今回はいろいろと立て込んでいてそうはいかなかったと思い返し、ニーナは振り返って安らかな表情で目をつぶって熟睡するレイの顔を見た。

 彼女は射撃ルームで見た幻影について考えていた、それはどれだけ思考を別の方向に向けようとしても不可能だった故の諦めでもあったが。

 もう長い間たった一人で、特に大きな目的も無く一人で生活していれば幻覚幻聴、白昼夢に多少の妄想は大した問題でもないと彼女は考えていた。しかしあの時の幻覚はそう簡単に無視できなかった。

 ニーナがレイに銃の扱いを教えているというタイミング、彼ら全員が一斉に現れてしかもあの男はニーナを見て嘲笑していた――彼女は確実にそう感じていた。

 あの男、もう見たのは一体何年前なのか思い出せない、ここの生活では変化に乏しく何日なのか意識して思い出すのも苦労するくらいなのだ。

 ニーナは無表情な横顔をランタンの明かりに照らされながら、過去の記憶をぼんやりと引き出そうとする――。


 確かあの時はまだ、生存者がこの街にそれなりに残っていたはず。武装した暴徒に傷を負った市民、なんとか人をまとめようとする軍人に警察、消防士に医療関係者。あの男は警察官だったんだろうな、服装から見て明らかだったが今思えばその言動からして本人の意思もまだ警察官のままだった。

 街が完全に封鎖されて出入りが不可能になった結果誰もが絶望し、それでも諦めなかった者たちがなんとか脱出、またはこの街で生き残ろうと必死だった頃だ。私はその時すでに街の中で軍人として治安維持、つまり市民の誘導や感染者の撃退を行っていたが、街に取り残されてなんとか生き残る方法は無いかと、他の人間と同じように必死に探し回っていた。

 感染者が溜まっていた学校での殲滅作戦で、私は寄せ集めだった部隊を失った直後、他の部隊と合流することが叶わずたった一人だった。それでも幸いだったのはまだ装備を持っていたという点であろう。

 私は全力で道路の真ん中を走っていた、既に逃げ出そうとした車が至る所で停車し、街灯やガードレールに衝突してフロントを歪ませたままのものまでが道路上で散乱し、道を塞いでしまっていた。私は車の上を走って隣のボンネットへと飛び移っていき、まるで猫か忍者のように逃げていた、背後を振り返れば連中が波の様に押し寄せてきていたんだからな。

 全員を迎え撃って殺しきるなんて不可能だ、だから私は急いで使えそうな車をなんとか見つけようと考えていた。

 その時丁度道の先で何も転がっていない空白の地帯にパトカーが一台残されていた、実際放置されているパトカーなんて珍しくはなかったが、まだ動き出せそうな場所にあるのが幸運だったんだ。私は車列の絨毯から飛び降りてパトカーに走り寄っていった。

 すると私は卒然と横の道から声を掛けられた。あの時は私も焦っていたのもあって用心が足りなかったんだろうな、パトカーばかりに意識を持っていかれてしまっていた、持ち主も別の道から近づいていたことにまるで気が付いてなかった。

 声を掛けられた私は反射的にスリングで下げていたHK416を持ち上げ、声の方向にいた男に照準を合わせる、相手もグロック19の銃口を向けていた。

 その大柄な黒人の警官は後ろに老人を連れていた、恐らくこの歩行すら難しい道路から連れ出したところなのだろうとその瞬間にぼんやりと考えた。

 だが私の人差し指は引き金にしっかりと力を込めていた。例え意識が胡乱な考えを浮かべていようが、戦闘と生存に適応、特化されたような私の本能はその一瞬に全てを悟っていたのだ――あいつを殺して車を奪う、そうする他に自分が生き残る術はないと。

 銃のサイトを覗く私の視界外からは感染者たちが走りよじ登り、ぶつかり、叫ぶ音が一切緩むことも無く近づいてきていた。

 雷のような激しい銃声が街に轟いた、まだ昼間だったからマズルフラッシュは殆ど見えなかったけれど、サイトの向こうに見える男は頭を小さく仰け反らせて背中から地面に倒れ込んだ。私にはその顔にボコンボコンと穴が開くのも見える程度の距離だった、幸い相手は引き金を引くこともできずに即死し、一部始終を見ていた老人は茫然と立ち尽くしていたよ、倒れた警官の死体、次に私をじっと見ていた。それから背後から飛び出してきた感染者に飛び掛かられて地面に叩きつけられていた、あれで死んでいるのが一番望ましかったのかもしれない。

 私はパトカーに飛び込んで、連中がドアに体当たりしたり殴りつけている間に車を走り出させた、バックミラー越しに血を吐きながら叫ぶ老人を見ていたよ。その時ふと目に入ったのは、車内に置かれているボロボロに使い込まれたレミントンのM870だった。


 記憶はしょせん擦り切れて過ぎ去った過去でしかない、だが私の心はそんな記憶に想像以上に引っ張られていた。記憶は、それから形作られる深層意識は自分の本当の望み、本当の考えを垣間見せるのだろう、あの男が私を嘲笑っていたのはつまりそういうことだ。

 散々自分のために、何も無い自分のために。何かが、意味があったであろう人々を殺してきた私が彼を助け、銃の使い方まで教えているのだから。あの男と一緒に並ぶ連中も怒るどころか笑うわけだな。


 ――


 寝室には目覚まし時計などという喧しいものは置いていなかったが、レイにとってはニーナが寝室の防壁を開く音と、差し込む日差しが目覚まし時計の代わりみたいなものであった。だが自然と目を覚まして薄っすらと目を開くとまだ防壁は開かれておらず、殆ど真っ暗なまま。

 すると毛布を被っていた胸元に違和感を抱き、毛布を恐る恐る持ち上げると彼の胸元で赤子の様に小さくなったニーナが寝息を立てていた。

 レイは一瞬驚き固まる、だが彼女の悲し気な表情と目元から伝ったのであろう涙の痕に気が付くと、彼女の頭を自分のほうへとさらに抱き寄せ、毛布を掛け直してもう一度目をつぶった。彼は彼女が自分と同じように寝ることが苦手だと語っていたのを思い出す。ニーナがこうしているのは彼女がそうすべきだと、恐らくはそうしたいと願ったからだ、そう彼は考えて静かに彼女と同じようにもうしばらく眠ろうと決めた。


 ――


 二人が一緒に暮らし始めてから一か月以上経ったある日、二人は地下の倉庫で背中を向け合いながら、スチール製ラックに収められたプラスチックの収納ケースを漁っていた。

 倉庫には様々な缶詰が収納しきれず部屋の隅に積まれ、ラックには箱に収められた電子部品や使えそうなものから壊れている電気製品までもが放り込まれている、銃器のパーツが詰め込まれているものもあった。

 ニーナは持っていたバックパックに缶詰を放り込んでから、積み上げられた未開封の拳銃が納められたケースからレイに合いそうなものを探し、一方レイは電子機器が乱雑に詰め込まれた箱を興味津々に掻き回しては手にとって眺めている。

「ニーナさんはこうなる前までは何をしていたんですか?」

 レイは半田ごてが施された緑色の基盤を摘まみ上げて見つめつつ、背中越しに問いかけた。

「唐突だな」

「ここまで完璧な準備ができる人の過去ってあんまり想像が付かないので」

「まあ、そうか。軍人だよ、国のために働いていた」

「軍人……流石ですね、通りでかっこいいし、強いわけだ」

 レイがそう言うと少しムスッとした表情でニーナが振り返る、その動きを感じてレイも振り返って二人は向き合う。

「だがこれでも学生時代はバレエをやっていたんだぞ、何もずっと戦ってサバイバルをしていた訳じゃない」

「え?」

 素っ頓狂な高い声を上げると目を見開いて硬直したレイ、そして彼を見たニーナはさらに不服そうな表情でバックパックを床に置いた。

 するとニーナは左足を膝から九十度程曲げて片脚で立ちながら、両手も九十度ひじから曲げて腹の前に手を添え、それから両手を大きく広げながら、全く軸のブレを感じさせない三回転のビルエットを披露する。回転を終えると両脚を真っ直ぐと伸ばして爪先立ちになり、背中を殆ど直角に弓なり曲げ、大きく胸を反らせて翼の様に両手を床へと真っ直ぐに伸ばす。顔は穏やかな表情で目を瞑り、天を仰ぐように上を向くカンブレのポーズで静止した。

 上半身を持ち上げて真っ直ぐと立ち直ると両手を腰に当て、自慢げに口端を釣り上げた笑みを向ける。

「意外です……」

「全く、意外だなんて心外だ。まあハイスクール時代に友達に教えて貰った程度だったんだがな。私としては今でもバレエは好きなんだ」

「どうしてバレエを?」

「小さいころに白鳥の湖の絵本を読んでたんだ、それがとても悲しい話だけど綺麗で大好きだった」

「でもバレエダンサーにはならなかったんですか?」

「あれは金が掛かるからな、私の家は貧しかったからそんなことをする余裕は到底なかった。だから軍人になったんだよ、すぐにでも稼ぐ必要があってな。レイはどうだったんだ」

「僕は……ただの学生でした。学校に行って、普通の授業を受けて、友達と喋ったりゲームをしたり……」

 そこでレイは表情を暗くさせて少し目線を下げた、過去の記憶を思い出すのが難しくなっていたのだ、脳裏で薄れていく記憶はボロボロと形を失っていき、抽象的なことしか浮かばなくなってしまう。

 ニーナは彼の表情を見てからバックパックを肩に掛ける。その表情は彼女にも見覚えがあった――それは鏡に映るニーナ本人の顔でもよく見るものだった。

「よし、戻るぞ」

 地下の廊下は灰色のコンクリートで塗り固められている、天井には蛍光灯が剥き出しのまま吊り下げられ、通風孔を空気が流れる音だけが聞こえる。二人はトレーニングルームに繋がるドアの前を横切り、スチール製の階段を上がっていき一階の廊下に出た。

「昼食の準備をしよう」

「はい! でも僕がやるのでニーナさんはリビングで待っていてください」

「わかった」

 ニーナは料理本を抱えたレイにバックパックを渡し、リビングに入っていく。リビングは以前まで本やゴミ、工具や衣服で散らかっていたが、暇な時間を見つけてレイが率先して整理をした結果、物は多くとも乱雑とした印象は受けない程に片付けられていた。

 ニーナはソファに深く腰を下ろすと様変わりしたリビングを見渡す。

 その時ズボンの中が振動する、ニーナは先程までのリラックスした顔から緊迫感を滲ませたものに変えてポケットからスマートフォンを取り出した。

 とうの昔にスマートフォンの電話サービスは無くなっていたが、スマートフォンに入っているソフトを利用して、街のセンサーに反応があればバイブレーションで通知するように改造していた。

 ニーナは立ち上がってMEUピストルを引き抜いてから慌ただしくキッチンに向かう。

「レイ、銃はあるな?」

 すると彼は黙って頷くとシンクに向かい合うように置かれたテーブル、その上にある拳銃を見た。

「何かあれば大声を出して知らせろ」

 ニーナはレイの返答を聞くことも無く廊下を走り抜けて階段を駆け上がる、それからいつも二人が使う寝室に入ると奥のドアを開いた。その部屋は元々書斎だったので窓に向き合うように机が一つ、その背後には壁を覆うように本棚が並んでいる。

 だが今では机の上とその周りは多くのモニターが設置されている、机の足元にはデスクトップPCが置かれていた。

 片隅に番号が表示されたモニターは時折切り替わり、屋敷の敷地内各所と屋敷に通じる道や建物を映していた。

 机の中央に置かれたメインモニターに警告の文字と共に映るのは、ヴィクトリア建築の家に挟まれて車で埋まった大通り。ニーナは駆け寄りモニターを凝視する、大通りにはセンサーと遠隔カメラ、それに爆薬と自動式の火炎放射設備がある。

 モニターに映る大通りに異常は特に何もない、動物も感染者も動くものは全く映っていない。ニーナはセンサーの誤作動かと訝しむ。手製の簡易なセンサーなので誤作動は今まで何度もあった、だが彼女は毎回相応の警戒心を持って対処してきた。

 するとモニターの隅、緑色の壁の様に植えられた木々の中で何かが動いた、木を形作る小さく細い枝が生む影で何かが。そして彼女はそこが遠隔式地雷を敷設した場所だと思い出す、やがて動きは見えなくなりカメラのアングルから追えなくなるとキーボードを操作して別のモニターで別の角度から動きが無いか調べる。

 すると通りをしゃがみながら進む女性の姿があった。ボロボロのジャケットを羽織ってバックパックを背負い、キョロキョロと辺りを見回しながら確実に屋敷に向かっている。

 メインモニターに映すカメラの映像を忙しなく切り替え、机の周りに置かれたモニターも見つつ女性が何から逃げているのかを探る。すると逃げている女性と同じように、やや低姿勢で慎重な動きで歩く男が映った。持っているポンプアクション式ショットガンのM37らしきものの銃口を、辺りに向けながら通りを進んで女性の後を追っていた。

 さらにモニターを切り替えていくと三人の武装した男達が女性を追跡し、その距離は確実に縮まりながら屋敷の方向に双方とも向かっているようだった。

 ニーナは小さなモニタールームから飛び出すとガンロッカーからナイツアーマメント社製SR25を取り出し、スリングを肩に背負ってライフルを背に回しつつ、防壁の開かれた窓を開けて屋根の上に立つ。二階を形作る壁には後から設置した簡易な梯子が二階の屋根に繋がっている。

 屋敷で一番高い屋根の上に立って背中に回していたSR25のチャージングレバーを勢いよく引いて構えた、排莢口を覆うダストカバーが跳ね落ち開く。そしててLEUPOLD製Mark 6サイトでモニターが女性と武装した男達を映した方向を見つめた。

 屋敷の周りには庭園が広がり、また庭園を囲む壁の周りには放棄された装甲車や仮設の建物はあっても住居は少ない、また同じような屋敷が近くに幾つかあるがどれも似たように広い庭があるので屋根の上からの視界はある程度開けていた。

 ライフルの照準にはこけながら逃げ続ける女性と、彼女を見つけて道路を埋める廃車の隙間をジグザグに走り抜ける武装した者たちが映る、距離はおよそ200メートルと見て視差調整ノブを小さく回して調整し、パワーリングで倍率を完全に正確とは言えないがある程度切り替える。

 切妻屋根の上で両脚を踏みしめつつダミーとして作られた煙突に左手で押し付ける様にSR25のハンドガードを保持し、グリップを握った右腕の脇を締めつつ引いてバットプレートを肩の近くに押し当てた。

 等間隔に垂直な線が横切っている大きな十字がサイトの中央に浮かぶ、その中心を見据えつつ先程の武装した男をもう一度視界に捉えた。

『クソ……なんでこんな時に……』

 ニーナは心の中で音も無く毒づく。一体どういうわけでこちらにあの女性が逃げてきているのかわからないが、そのせいでニーナとレイは危険な目に遭っていた。

 屋敷に繋がる大通りや路地、建物の中に設置されたトラップはどれも音が大きく、また目立つものばかりでニーナとしても最悪の場合の手段だと考えていた。しかもそれは感染者を考慮して用意したものであった、彼女が屋敷を守る設備を準備をしていたころにはもう生きた人間は全く見かけなかった故だったが、それが今回厄介なことになってしまった。

 親指でセフティーレバーを弾きライフルを射撃可能にする。彼女の覗くサイトの先では通りを走るニット帽を被るM4らしき銃を持った男を捉えた。

 走る男の進行方向に数インチ照準をズラしてから間髪入れず引き金を引いた、ファイアリングピンが150グレインの炸薬を抑えるプライマーを叩き。ライフルを押し返しながら弾頭に並ぶ牙のような切れ込みの入った308口径のPP弾が薬室から飛び出した。

 弾丸はマズルフラッシュも無いままに、高圧な空気が放出されるような後を引く破裂音だけを鳴らし、黒い滑り止めが施されたサプレッサーを抜けて射線に沿って飛翔する。薬莢が目にもとまらぬ速さで薬室から蹴り出されて屋根にぶつかり、軽快に小さな鐘のような音を響かせて落下していった。

 走る男の右首筋に触れた弾丸は、まるで皮膚が硬質な壁の如く弾頭を歪ませつつ押し進み、腐りかけの花のように開いた弾頭は皮膚を引き裂いて首に潜り込む。秒速800メートルを超える弾丸が射入孔へ血と掻き回した肉片を引き摺りこみながら、筋肉や血管、脂肪を粉砕していき、やがて左首筋から爆発痕のような射出孔を残し、血と肉を伴って噴出した。

 絶命した男は全身を脱力させて弾かれたように地面に倒れて転がる。

 ニーナは弾丸が男の命を刈り取るより早く、次の男に照準を定めると同時に引き金を引いた。

 前方を走っていた仲間が首から血潮をほとばしらせながら倒れる姿を見た男は、驚きの声を上げながら立ち止まり銃口を振り回しながら辺りを見回していた。

 その男は胸に飛び込んできた弾丸の衝撃で後方に吹き飛ぶ。弾頭を歪ませてもシャボン玉程度の抵抗もできなかった皮膚を貫通した弾丸は、肋骨を撃砕すると骨片と千切れた弾頭を胸の中で拡散させた。弾丸が放出する衝撃波が肺と肺胞を弾き、心臓を完膚なきまでに破砕する。

 歯を食いしばって眉間に力を込めた険しい眼でサイトを覗き込み、ライフルを支えながらとても小さな動きで照準を動かす腕に全神経を集中させるニーナ。下半身を銅像のように一切動かさぬまま、機械的なブレの無い上半身と腕の動きで発砲し、その反動を受け止め続ける。

 最初の男が射殺された直後、必死に逃げていた女性は空気が抜けるような銃声で頭を抱えてしゃがみ込んでいたが、屋根の上で狙撃するニーナの姿を見つけると屋敷に向かって走り出していた。

 ニーナは二人目を射殺してから一秒ほど三人目の男を探して照準を巡らしていたが、やがて放置された廃車を盾にするようにして駆けている姿を見つける。距離はもう200メートルを切っている、偏差射撃をしようと照準はもう男の体から数インチ横に添えられたまま。

 そして引き金が引かれた。排莢口から空の金色に煌めく薬莢が跳ね上がり、ライフルはニーナの肩を激しく押し返す。タイヤがパンクしたような発砲ガスが噴出する音と共に飛び出す弾丸、それは一瞬で男の二の腕に着弾した。しかしPP弾は皮膚に触れた段階で己の持つ運動エネルギーで歪んでから皮膚と脂肪と筋肉を掘り進めるが、上腕骨を寸断しかけるほどに砕くと男の後方へと弾け飛んでいった。

 獣に食いちぎられたように真っ赤な肉が千切れ飛んで、今にも肘と前腕が落ちそうな腕をかばう姿勢で男は被弾の衝撃から吹き飛んで地面に転がった、それでも男は止まることなく必死に地面を蹴って再び走り出す。腕を庇いながら低姿勢で走る男の姿は完全に道路を埋める車の陰に隠れてしまう。

「クソッ!」

 ニーナはすぐさまこれ以上は狙撃できないと悟り、SR25を背中に回すと梯子を下りて屋敷に内に戻る。寝室から飛び出しつつ手元を見ないままにMEUピストルを引き抜く、腰のベルトにはHPの45ACPが7発装填されたマガジンが2本刺さっている。階段を駆け下りつつセーフティーを外したMEUピストルのスライドを右手だけで少し引き、薬室の初弾をハッキリと目で確認してから両手のローレディで保持して玄関に向かう。

 するとサプレッサーが装着されていてもそれなりの音になったSR25の銃声でキッチンから出て来たレイが不安げな目をニーナに向けていた。

「ニーナさん今のは……」

 レイが言い終える前に、彼に対して怒っているわけではないが怒号のような声で吠えた。

「絶対に屋敷から出るな、窓にも近づくんじゃないぞ!」

 ニーナは体当たりするように打ち壊すような勢いで玄関を押し開け、不安と怒りが綯い交ぜになった表情でMEUピストルを前方に構えつつ正面ゲートに向かって行く。

 ゲートの向こうから微かに女性の助けを求める声が聞こえてくる、その声は確実に大きくなってこちらに近づいていた。

 ゲートに体を寄せるとMEUピストルのグリップをきつく握りしめ、ニーナは歯を食いしばって目を見開いたまま悩む。だが彼女はふと顔を上げ、屋敷から出ないまま玄関に立って見つめてくるレイの姿に気が付いた。

 それから彼女は大きく息を吐いて、MEUピストルをホルスターに押し込んだ、そして留め金を押し上げ、ゲートを引いて人間が一人かろうじて通れる隙間を作った。

 SR25を構え直してゲートの隙間から外を端から端へと半円状に射線を巡らせ、照準の中に映る風景に目を凝らした。屋敷のゲートへと通じる車列二本分以上の広さを持つ大通り、その真ん中で両手を振りながら、大声を上げながらゲートに向かって走ってくる女性が目に入る。

「お願い助けて! 撃たないで――」

 女性の助けを求める言葉が言い終わる寸前、サプレッサー越しの銃声が轟いた。女性は咄嗟に頭を抱えてしゃがみ込むが、その体に痛みは一切ない。すると背後で肉が裂ける、血が撒き散らされる、そして肉体が倒れ込む音が聞こえて女性は振り返った。

 背後の数メートル先に男が倒れていた、右腕が千切れかけながら胸からは洪水時のマンホールのように赤黒い血を垂れ流している。女性は恐怖におののきながら、まだかろうじて息をしていた男に目をくぎ付けにさせられていた、だが次の瞬間にもう一度銃声が鳴り、男の頭部が三分の一弾け飛ぶ。大きなザクロが裂けたような頭部の一部だけが、真っ赤に染まりながら地面に落ちる。

 女性はゲートの方向へ振り返ろうと立ち上がる、しかしその後頭部に熱された鉄ごてのようなものが押し当てられ、反射的に短く高い叫び声を上げながら仰け反って倒れる。そうして振り返った女性が見上げる先には、硝煙を漂わすSR25の銃口を突きつけたニーナの姿があった。


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