第5話

 太陽が地平線の下へと潜り、無数の星明かりに飾られた夜空。一切の照明が地上から消え去った街からは何処からともなく怒りに満ちた叫び声が響き渡っていた。

 光量を抑えてオレンジ色の照明で薄暗く照らされた寝室、そのベッドの上でレイはぼんやりとした表情で座っている。ニーナは卒然と彼のすぐ隣に腰を下ろし、覗き込むように彼に目を合わせた。視線を微かに持ち上げた彼が視線を静かに受け止めるとニーナは口を開いた。

「やっぱり寝るのは怖いか」

 ニーナは穏やかな夜に溶け込む声で問いかける。

「はい……わかるんですか?」

「勿論だ、お前のその暗い表情を見ればというのもあるが。私だって寝るのはあまり好きじゃないしな」

 ニーナは笑みを浮かべ、ため息をつきながら虚空に視線を移す。

「寝ることというよりも、夢だな、私が嫌なのは。夢ってやつはいつまでも過去を見せてくるし、それは私が見たくない物なのが殆ど、しかも私自身がそう思えば思う程深刻な見せ方をしてくる。タチが悪いよな」

 ニーナの影の差した表情を見上げているレイだったが、彼女の言葉を受けて俯く。

「そう、なんですか。でも僕も、怖いのは寝ることというよりも、暗い何も見えないというのが嫌なんです」

 ニーナは悲しみを帯びた目で彼を見下ろす。暗闇という身近にあって決して存在を消せないものに恐れを抱き、憑りつかれてしまっているその姿に深い哀れみを覚えずにはいられなかった為だった。

「じゃあこんな暗闇はどうだ?」

 暗闇という言葉に反射的に恐怖を滲ませる表情で見上げたレイの視界が突然、暗闇に包まれることとなった。だが同時に柔らかく程よい弾力の感触に顔が包まれ、呼吸すると甘い香りが鼻腔を抜けてその奥に染み渡る。

 ニーナはレイの頭に両腕を回して彼の顔を、薄いタンクトップ越しの自分の胸に押し付けてきつく抱きしめていた。

「あの、ニーナさん。これ――」

「こういう暗闇も怖いか?」

 レイはそう聞かれて不思議と体に震えもなく、それどころか胸の中に沸き立つ恐怖の感触も無いことに気が付いて驚きを感じる。

 瞼は閉じられて視界は暗くとも彼女の鼓動が、香りが、その息遣いが彼を暗闇と共に包み込んでいた。

「気が紛れないか? こうしていればいつか、お前も怖がらないようになれば良いんだが」

 暗闇を恐怖の根源と定められてしまったレイだったが、その根源をさらに遡り、原因を辿って姿を見せるのは恐ろしく凶暴な感染者たち。闇に潜み、咆哮と血に満ちた目が彼を畏怖させる。

 だが今ではニーナがその恐怖の源流を揺るがしていた。心が恐れの暗い海に沈み込み、実際の状況もまた最悪だった彼が目にしたニーナの、正確無比な銃撃と巧みで迷いの無い身のこなしで戦う姿。彼女に次々と屠られる感染者たちという情景は、彼の恐怖に犯された心を掬い上げることになっていたのだ。

 ニーナは戦いで彼の身を救い、その慈悲で心をも救っていた。

「僕がこんなことを言うのも変だけど。ニーナさんの寝るのが怖いっていうのも、いつかなんとかしてあげたいです」

「ふふ、確かにこんな状態じゃ、少し説得力に欠けるな」

 にこやかにそう答えるニーナ、眼前には彼女の豊満な胸に包まれ挟まれて色濃く赤面を浮かべて見上げるレイがいる。すると彼女は右手を彼の腹に添え、少しずつ下へと下腹部に向けて滑らしていき、やがてその下に達した。彼女は抱きしめられた彼のその部分が微かに膨らみ、動きを見せていることに目ざとく気が付いていた。子猫を撫でるようなゆっくりと優しい手で撫でる、それは布の下で固さを増して膨らみを大きくさせている。

「あ、あの」

「いいんだ、良いことだ。それはお前がまだ生きたいって願っているということの証明だし、これで元気を出してくれるなら私は嬉しい」

「でもニーナさん」

 言葉を続けるより先にニーナの手は彼のズボンの中に潜り込み、さらに下着の中へと入り込んでいった。

 レイは顔を上気させてきつく目をつぶり、彼女のタンクトップをしっかりと握りしめながら上体を抱きしめた。彼はニーナの胸の中で呼吸を激しくさせていくが、もうパニックを起こしておらず、閉じられた視界を占める暗闇に恐怖を感じてもいない。

 ニーナも目をつぶって彼の頭を左手で胸に押し付ける様に抱きしめながら、その右手が感じる激しい血流と熱い体温に彼女も昂ぶりを誘われ、頬を染める朱色が段々と色濃くさせていく。

 彼女の手の動きが激しさを増し、同じくレイとニーナの呼吸も共鳴して深く激しくなっていく。レイは全力で彼女にしがみつき悲し気な子犬のような喘ぎを漏らし。ニーナは抱きしめる彼の頭に顔を擦りつけながら、目をつぶってじっとりとした甘い吐息を胸の奥底から絞り出す。

 二人の視界は暗闇に支配されていたが、その暗闇を支配していたのは二人の感触だった。互いの体温が互いを包み、腕が互いを離さんとする。ニーナの手は彼を激しく優しく、そして深い慈悲を彼に与える。無意識な奉仕を続ける二人、表層意識ではもう相手のことなど残っていない、それでも二人の感覚を染め上げる肉の感触は相手の行為によるもの。

 やがてレイの呼吸が激しさを増し、最後には体を激しく震わせると一瞬硬直させる、それから脱力して荒い呼吸のままニーナの体に寄り掛かった。

 突然彼女が両手を離し、彼の両肩を押し込んでベッドに背を預けさせた。レイは両脚をベッドの端からダラリと垂らし、少し驚いた表情で彼女を真下から見上げる。彼に覆いかぶさっていたニーナは上体を持ち上げ、汗を掻いて体に張りついたタンクトップを一気に脱ぎ去り、床へと放り投げて下半身の下着だけを身にまとった姿で彼に向き直った。

 彼女の肩を上下させる獣じみた呼吸と共に胸も上下する、透き通るように白く両手で握りしめられないほどに大きいニーナの乳房。ついレイの視線は釘付けになってしまう、いつもの彼女ならそれをからかいそうなものであったが、彼女自身が既に彼の目に釘付けになっていた。

 ここまで与える側であったニーナだったが、今では求める側となって口腔から息を漏らし、彼の体に圧し掛かって互いの下腹部を擦り当てていた。

 そんな状態であればレイも当然、具体的なことがわからなくとも彼女が彼に求めていることは察する。彼は脱力してベッドの上に投げ出していた両腕を持ち上げ、ニーナの前に空っぽの両手を見せた。

「何もできない僕はニーナさんに与えられてばかりです。それでも、もし僕にできることが、あなたに与えられるものがあれば、僕は決して拒絶しません」

 今度はレイが、慈母のような笑みをニーナに向ける番だった。

 ニーナはその顔を見ると両目を潤わせ、ゆっくりと上体を降ろして彼と体を重ね、向かい合った彼の唇に自分の唇を押し当てた。彼女は目を開いていたが、レイはただ静かに目をつぶってこれから起きることを受け入れようとしてた。

 ただ唇を押し当てていたニーナはその表情をじっと見つめる、そして両手を彼の顔に添えて彼の赤髪や頬を撫でつつ、相手の唇を優しくついばんでいた唇を少し開き、舌を差し込んでレイの口腔内を愛で始める。

 蛇の如く蠢くニーナの舌に口腔を撫で上げられて生じる甘美な感触、レイは体を喜びと快感に体を震わせ始めた――。

 薄暗い寝室で微かな照明に照らされたニーナの背中、腰から肩へと波打つようにうねらせる動きを続ける、真下には彼女の脚に下半身を挟み込まれているレイ。彼は必死に歯を食いしばり、ベッドのシーツに爪を立てて煮え立つ欲求を堪えていたが、やがて体を弓なりにして大きくとろ飴のような息を唇の間から放出した。

 彼に跨るニーナも背を大きく逸らせて目を瞑り、喘ぎを僅かに漏らす。そして同時に下腹部に広がる熱、染み渡る感触を味わい、今度は無意識に自分の腹筋から下腹部へと手を撫でおろしていた。


 ――


 寝室の窓から太陽の光が差し込み、レイは眩しそうに瞼を薄く開いた。彼はベッドで横になったまま毛布で首まで覆われて包まっている、窓の方向に向いていた彼の顔に届く光はベッドの端に座るニーナの肩越しに差し込んでいた。

 彼女は何も身に着けないまますぐ横にMEUピストルを置いてベッドに腰を下ろし、全身を露わにしたままぼんやりと窓の外を眺めながらタバコを吸って、時折ゆらりとした紫煙をため息の様に吐いていた。

 彼女の古傷だらけであっても、美しい真っ白な肌に覆われた背中はレイにとって広く見えた。鎧の如く肩に被さる三角筋が力強さを滲ませ、背中で無駄なく絞られた僧帽筋によって肩甲骨の形が浮きだっており、うねる脊椎に沿った脊柱部が深い溝となっている。それでいて骨盤と肋骨の間は明らかにくびれているので、シルエットは優美な女性そのものであった。

 するとレイは毛布の中から右腕を出し、彼女の背中へと伸ばしていく。やがて背中の少し下、そして臀部のやや上方に指先を添えた。指先が触れたのは彼女の透き通るような滑らかな、それでも傷跡が沢山残った肌でも何故か際立って見える、やや薄いピンク色の直径一センチ程の円形の銃創。

 彼が人差し指と中指でその傷跡を黙って撫でていると、彼女の左手が彼の手を上から覆いかぶせられた。レイには見えなかったが正面の下腹部にも同じような傷跡があり、それはライフル弾による貫通銃創であった。

 ニーナは彼の手を傷跡から離すと、無意識に自分も指先で触れ始めた――。

 傷に触れた時の剥き出しになった真皮の神経に走る感触は、視界を霞ませる砂ぼこり、角は丸いが全体的に直角な石造りの建物が並ぶ村、悲鳴と弾丸の喧騒。そして元アフガニスタンの兵士であり、また今では国際的なテロ組織のメンバーとなった者が発砲した、AK104の7.62mm弾が砂漠用迷彩が施されたズボンを貫通。それから皮膚を貫いて内臓を衝撃波で切り裂き引きずり回した挙句、骨盤に孔をあけて後ろから飛び出したあの感触が蘇る。

 その時は反射的に撃ち返して兵士を射殺したが、直後に下腹部から駆け上がってくる気持ち悪さと熱っぽさ、そして激しい痛みで地面に倒れ込んだのだ。それからは外傷性ショックによってぼんやりとした意識の中、援護射撃の嵐を拭き荒らす仲間たちに引きずられていった記憶だけが断片的にあるだけ。

 かつてアメリカ海兵隊の武装偵察部隊、ニーナ・ハーロウ大尉であった頃の情景が脳裏に流れ落ち、そして瞬く間に記憶の底に消えていく。

 レイの手を握りながらその記憶が目の前に浮かび上がり、当時の感触、そのあとの虚脱を伴った拒絶、というものが彼女の表情を暗く影に沈めていた。

 その刹那に我に返ったニーナだったが、既に背後から見つめるレイの表情もまた暗く寂しげであった。

 彼は当然ニーナが悲しそうな、それどころか辛そうな表情を見ると悲しみに心を焼かれるような気持ちだった。だが彼はそれ以上に、自分を大きく変えてくれたニーナの今の表情を、なんとか変えられないだろうかという想いを、大きく心の中で躍動させて膨らませていた。

 ニーナは立ち上がって履いたズボンの腰にMEUピストルを差し込む、その姿を見たレイもベッドから立ち上がり、脱ぎ捨ててしまっていた服を拾いとりあえず身にまとう。

「まずはトレーニングをして、それからシャワーを浴びるぞ。レイも一緒にやるか?」

 彼は予想だにしていなかった彼女の問いかけに目を見開いて驚き、それから喜びを滲ませた顔で答える。

「はい!」

 それから二人は地下のトレーニングルームに向かい、ニーナが日課のメニューをこなす傍ら、レイにはトレーニング機材の説明や効率の良いやり方を教えた――。

「大丈夫か?」

 やっとニーナがトレーニングを終えたころには、レイは顔を上げることもできないくらいに疲れ果てて座り込んでいた。ニーナは想像以上に頑張るなと嬉しく思いつつ彼に指南していたが、彼の体はその立派な気合に追いつけていない様子だった。汗を額から垂らし、明るい赤髪を顔に張り付かせて肩で呼吸するレイ、彼の様子を見るニーナの表情は明るかったが逆に彼の表情は暗いことに気が付いた。

「まあ最初から頑張りすぎるなよ、お前はまだ子供なんだし」

 当たり前の理由に当たり前の結果、そして果敢な動機とニーナにはさして悲観的なものではないと捉えていた、しかしレイの表情は暗いままで深刻であることを隠せないでいた。

 すると不意にレイはハッとした表情で顔を上げ、ニーナの目の前に走り寄っていく。

「銃の扱い方を教えて貰えませんか!」

 今までの彼からは考えられない鬼気迫る勢いで前のめりにニーナに懇願する、肉体を鍛えて彼女を手伝うことが難しいと悟った彼は、銃を用いてニーナの手助けになろうと考えたのだった。彼女はレイの気迫にやや驚きと困惑を覚える。

「まあそれは構わないぞ、前に教えてやると約束したしな」

「よろしくお願いします!」

 敷地にはニーナが生活する屋敷とは別に、かつての屋敷の持ち主が趣味の音楽鑑賞を嗜むために建築した別邸がある。室内にはトイレや簡易的な調理場といった最低限の設備は当然として、最高級のスピーカーといった音楽設備にレコードが設置され、そして完璧な防音仕様が施されていた。

 ニーナはスピーカーや音楽再生機を部屋の片隅に積み上げ、代わりとして壁際に穴だらけのマネキンを置いている。その反対側には一つの椅子と普通の作業台にハンドロード用の装置が幾つも載せられた机、それにガンロッカーと弾薬の箱が詰め込まれているスチールラックが並べられていた。ニーナの身長は180㎝弱、ガンロッカーはほぼ同じ程度の大きさだった。

 ニーナは足元に転がる金色の薬莢を足で払いながら部屋に踏み込んでいき、その後をレイが恐る恐る付いていく。

 防音の元音楽鑑賞室の奥には壁を覆うかのように土嚢が積み上げられ、高さの異なるマネキンが均等な距離で並べられている。

 高い天井に埋め込まれた照明は特殊な半透明のプレートで覆われ、ぼんやりと部屋を照らしている。

 ガンロッカーを開けたニーナは上部の棚から小さなポリマーで作られたピストルケースを取り出す、ロッカーはライフルを仕舞う縦長の棚とその四分の一ほどの高さの棚二つから成っていた。ニーナが開けたガンロッカーの上部には先程のピストルケースが一つ、その下にはM870ポンプアクション式ショットガンだけが納められている。M870は酷く使い込まれた様子で全体的に傷だらけ、木で作られたフォアエンドは所々深くえぐれており、その隙間には僅かに赤い血が固まって詰まっている。

 ピストルケースを作業台に載せるとパチンパチンと音を鳴らしつつロックを外して開く、中にはSIG製P938-22 Target Micro-Compactが納められていた。

 そのすぐ横には隙間からスプリングが見える十発装填可能な黒いマガジンが一本、そしてクリーニングロッドがシリコンクッションにP938と共に嵌め込まれている。

 それから彼女は22LR弾が詰め込まれた箱も取り出す、箱から引き出されたケースには細長い金色の薬莢に銅色の弾頭が収まった22LR弾が敷き詰められている。

 P938を取り上げてグリップを握り、スライドを引いてそのままロックすると空っぽの薬室が大口を開けた排莢口から露わとなる。P938は全体的に長方形が二つ縦と横に組み合わせたシルエットに近かった、木製のパッドが取り付けられたグリップは付け根からバンパーまで細い直線。グリップの上に横たわるスライドとも直線的なデザイン、スライド後部のすべり止めも縦に真っ直ぐの切れ込みなので格子状とも言えた。

 元々は捜査官や個人がコンシールドキャリーするために設計されたので全長十五センチと全体的に小さく、特にスライドは短めに切り詰められているのでニーナの手にはすっぽりと収まってしまいさらに小さく見える。

 バレルだけは交換されてスライドからネジ山が彫り込まれた銃口が飛び出していた。

「これはSIGのP938 22LRモデル――と言ってもあんまり関係ないよな、ともかくこれは結構優れた拳銃で。精度は高いし故障も少ない、使う弾は22LRと呼ばれる細長いもので初めて撃つとしてもそこまで反動もきつくない、練習にはもってこいだ」

 ニーナは掌に載せたP938をレイに示す。マガジンも刺さっておらずスライドも後退したまま、だがとても小さいといっても黒いフレームとスライドが鈍く反射光で光るそれは十分に威圧感を醸し出しているように彼には見えた。

「とりあえず握ってみて、このグリップ側面に掌を押し当てて指でグリップ全体を包み込む。でも人差し指だけは真っ直ぐに保って、ここのトリガーの上にあるフレームの側面に人差し指の腹を押し当てておく、これは癖になる必要がある、暴発事故を防ぐためにも」

 開かれたレイの右手にP938を乗せてゆっくりと布で巻く様にグリップを握らせる、彼は緊張した様子で体を硬直させたまま手に集中している。グリップを握りしめた彼の右手を掴み上げ、人差し指を摘まんでフレームの側面に当てさせた。

「まず握り方はこんな感じ、発砲した反動で銃が踊らないようにきつくしっかりと掴んでおく、なるべく手は上のほうに移動してグリップの付け根に寄せる」

 ニーナはP938を掴んだ手と銃両方を慎重に動かして調整し、感触でどう握るべきか教えていく。

「銃口はここ、絶対に覗いたり指を近づけたり、自分の体や向けちゃいけない場所に向けないようにしっかり常に銃口の先に気を付けて。あとこのスライドの上に大きく開いた穴、スライドが前後するときにここから空の薬莢が飛び出したりするから、指とか服を挟まないように気を付ける、拳銃を握ったらその周りにある程度のエリアを意識するように」

 彼女はそこでいったん説明を切り、P938を握って慎重に右手をゆっくりと動かすレイを見つめる、その動きを見ていれば銃口をきちんと注意しているのがわかった。

「マガジンを差し込むのはここ、マガジンを抜くときに押すボタンはここ――」

 ニーナは細かな部分まで丁寧に、そして一つ一つ間をおいてレイが混乱しないように慎重に説明し、銃底の感触にまず慣れて記憶してもらおうとした。

 二人は奥にマネキンが並ぶ射撃場と、ロッカーや簡易調理場のあるスペースに挟まれる位置にある作業台の前で並んでいたが、ニーナは不意に視線を背後に回した。

 するとそこには壁沿いに並ぶはずのロッカーは無く、その代わりにロッカーと同数の人が直立して彼女を見つめていた。

 彼女は石の如く体を硬直させ、驚嘆の表情で目を見開く、しかしすぐに思考は落ち着いて考えがハッキリと理性的に蠢き始めた。

 並ぶ人たちの服装は様々だった。チェックのシャツを着た休日の散歩をするかのようなメガネを付けた男性、薄汚れた帽子を深くかぶり偏屈そうな細めた目の猫背の老人、それに薄い緑か青に見える迷彩服を着たまだ二十代後半であろう青年の海兵隊――誰もが街を歩いていても違和感のない人たち、一人残らずどこかに明らかな致命傷を負っているのを除いて。

 ニーナはその中である一人に目を向けて静かに見つめた。それは大柄で体が暗い青の警官の制服を押し上げている少し窮屈そうな丸刈りの黒人男性、彼もまた致命傷を負った姿で立ち尽くして彼女を見返している。黒人の警官は額と鼻筋に真っ赤な血をほとばしらせている黒い穴が開いていた。それは小口径のライフル弾によって穿たれたものだと見てハッキリわかる、それにニーナには見覚えがあった。

 鼻筋で黒く窪んだ弾痕から垂れる血が上唇に溜まり、やがて零れ落ちると制服に付着して黒いシミを広げていく。

 ニーナは眉間に深いしわを寄せて黒人の男を睨みつける、しかし男は薄い笑みを持って彼女の鋭い眼光を見つめていた。ニーナは腰のMEUピストルに手を添えて抜こうとする、その時不意に服を掴む感触で振り返って反射的に銃口を向けようとした。けれど銃を抜くより先に目を向けた先にはレイが、汗を掻き険しい顔で腰の銃に手を伸ばす彼女を怯えた表情で見上げていた。

 銃から右手を離して深く深呼吸してからレイの頭に手を置き、薄い笑みをなんとか形作って大丈夫だと伝える、そして再び視線を背後に戻すとその先にはもう人々は立っておらず、ただガンロッカーが整然と壁にそって並んでいるだけだった。

 黒人が立っていた場所はニーナが先程開けたロッカーの位置だった、薄く開かれたままのロッカーからは、傷だらけで拭い去れずに血が微かにこべりついたままのM870が覗き見える。

 

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