第28話

 それから数分後、目的地の駅に到着する。魔国領の温泉地である。


「うわぁ。体中がべっちゃべっちゃだっ。なんて日だっ! どーしてこうなるんだっ!」


「よいではないか、ちょうどここは温泉地じゃ。体のべたべたは消化液じゃから、早めに洗い流さないと溶かされるぞ。どれどれ応急処置として、強酸性なPHを弱めるため、アルカリ性の液を振りかけてやろう。フルーツ缶詰はな、あれは塩酸とアルカリ性溶液で……」


 などとウンチクを説明しながら女はプシュープシューと霧吹きで液をかけてきた。


「消化液だけじゃなく、茶色いのも混じってるんだけどー」


 魔列車が僕たち消化しようと試みた時、悪魔の女は粉のようなものを周囲に撒いた。すると、魔列車の壁がグニョングニョンと揺れ出して、僕たちは魔列車の後部から外へ放り出されたのだ。


「あれは一体なんだったんだよ? あの白い粉は」


「あれは下剤じゃ。おほほほほ。運が良かった。目的地が遠かったら、空からポイされていたところじゃった」


「げげげ。こえー。魔列車ってなに? 一体、なんなの?」


「正体はな、魔国領の塔10階層から連れ出してきたモンスターじゃ。赤ん坊の頃から育てておるんじゃが、まだまだ懐かなくて困っておる。ちなみに今は、3歳になったばかり」


「懐く懐かないの問題じゃねーと思うな、僕はー」


 魔列車は僕たちを地上に降ろした後、というか放出した後、再び温泉地なるこの場所に設置されている駅の線路を経由して、シュポポポーっと空へ飛んでいった。


 魔列車――不可解な生き物である。


 なお、魔国領には観光地としての温泉街がある。巨大な露天風呂が特に有名で、帝国領のテレビ番組でも時々、特集されていた。今回、僕たちはその巨大露天風呂を訪れた。風呂は半径だけでも200メートルはある。男湯に入った僕は、桶で体の粘膜を洗い流した後、風呂に浸かった。湯の温度は43度くらいで丁度よい。ようやく、休日らしくなってきた。自然と大きな欠伸が出る。


「ふわぁぁぁ。気持ちがいいなあ。良い湯だなあ。床の白っぽいのは、湯の華か? でも、あそこの床は青色だし、あそこは赤色をしてる。すっげーな。一体どうなってるんだ、この露天風呂は」


「おほほほほ。これぞ魔国領名物の『巨大レインボー露店風呂』じゃ。魔国領で一生に一度は訪れたいランキング堂々1位の代表的な観光施設でもあるぞ」


 振り向くと、バスタオルを巻いただけの悪魔の女がいた。


「え? ええええ? なんで、あんたがここにいるんだよ。ここ、男風呂だぞ」


「知っておる。ソナタのチョンチョンをひと目、見ておこうと思ってな。ほらほら、夫婦になることも見据えたならば、夜の生活も大事じゃろう? それに、わらわは男性のチョンチョンをこれまで見たことがないので、この機会に写真に撮っておこうとも思うておってのぉ。おほほほ」


「はっきり言うなー。だが、僕は見せるつもりはないっ! 撮らせるつもりも、当然ない! おめーはデリカシーにかけてる。いや、常識がかけてるぞ」


「およよよよよ?」


「男湯から早く出ていかねーと、警察に通報されるぞ。魔国領に警察がいるかどうかはわかんないけど」


「おほほほ。警察のような存在はおるよ。しかし今回のケースであれば、心配はない。なぜならば、わらわが男湯を貸し切っておるからじゃ。だから二人以外はいないのじゃ」


「貸し切ってるの? ここを?」


 確かにこの巨大な露天風呂に僕しかいないのは不思議に思っていた。温泉街は、魔族だけではなく他の種族も大勢いて賑わっていた。そうした観光地の中でも特に有名なスポットである露店風呂ならば、他にもたくさんの利用者がいておかしくない。こうした場所を貸し切ることができるとは、一体この悪魔は何者だろうかと、改めて思った。


 その後、しつこく見せてほしい、とねだってくるので、僕は仁王立ちになって立ち上がった。すると、悪魔の女は鼻血を盛大に吹き出しながら倒れた。自分から見たい見たいと言ってきので「仕方ねえな」と見せたのだ。


 露店風呂から出ると、脱衣場で髪の毛をタオルで拭いた。スマホを確認したところ、3件の不在着信があった。全て帝国の王からだ。すぐに新しい着信が鳴ったので電話に出た。


「もしもし、王様か? どーかしたの?」


『おお、やっと繋がったか。で、どうだったか? 桃くん、ぜひともわしに感想を聞かせてくれ」


「感想って? なんの?」


『わしの電話が繋がらない間、別のところと繋がっておったんじゃろう? 分っておるぞぉ。わしには分かっておる。しちゃダメだと言われたら、逆にしたくなるものなのじゃ。わかっておる。さあ、さあ、教えておくれ。具合は、よかったのか?』


「? ? ? なんの? 僕にはさっぱり分からないんだけど、具合なら、いいぞー」


 僕の体調は万全である。具合が悪いわけではない。


『な、なんと! それで……これから大事なことを訊くのじゃがな、血は……血は出たのか?』


「血?」


「だから、おぬしの、こん棒でホスト役を務めている彼女は……血を出したのか、と聞いておる。これによって一つの事実が明らかになるのじゃ。遠回しな言い方ですまないが教えてくれんかのお。とても、気になるのじゃよ」


「こん棒って、チョンチョンのことか?」


『……そうとも言う』


「王様、よく知ってるなー。あははは。もしかして、衛星で空からこっそり覗き見してたのかー。魔国領は年中雲っているのにさ! たしかに、僕のチョンチョンでアイツ、血を出したぞ。僕、驚いたよー。あんなに血が出るとは思っていなかったもん」


『い、意外にも、出る子は出るものなんじゃよ……。そうか、そうじゃったか。このラッキーな奴めっ!』


「なんだよそれ? 何でラッキーなのか、よくわからねーけど、王様、僕はこれでも結構、心配なんだよ」


『うん? 何がだ?』


「アイツ今、失神して風呂場で倒れているんだけどさ」


『そ……そんなに激しかったの……か?』


「うん。びっくりするぐらいに激しかったっ!」


 まるで噴水のように鼻血を出したのだ。


『若さゆえだな……』


「どびゅューゥゥゥゥンって出したんだぞ。避けようとしたけど、僕にもたくさんかかっちまったよ」


 鼻血が。


『か……かかったのは難儀じゃったな。お互いどのような体勢だったのか想像に難しじゃが……あっ、言わんでええぞ。わしが勝手に想像する! しかし、ふむふむ……確かに、それは心配だな。場合によっては新たな生命が生まれるかもしれないからな……』


「逆だぞ? 生命が途絶えるかもしれねーんだ。一応、寝かせたまま、丸めたティッシュを入るだけ穴に突っ込んで、そのまま仰向けにしているけど、大丈夫なんかな?」


『一体、どういうプレイをしているんだーっ! すまん、わしには分からん! もう分らんっ! わしには、そんな経験がないっ!』


「僕、一応、病院に連れていこうかとも思ってるんだけど」


『いやいやいや。いやいやいや。そんなに早くは結果は出んじゃろうよ。3ヶ月ぐらいじゃないのか? 診断が出るのは』


「そんなにかかるのかー? うっそー?」


『人体のことだからのお』


「確かに人体のことだからなぁ……って、彼女は人体というより、魔体だよ?」


『とにかく、わしはとても気になっておる! また、何かあったら報告をしてもらいたい。桃くん、よいか?』


「わかった。逐一の報告を約束するぞ!」


『楽しんでいるようで、なによりじゃ……しかし、ハメを外すのはほどほどにするのじゃぞ』


 王はそう言って着信を切った。すると、ちょうど露天風呂から、悪魔の女がふらふらとやってきた。体に巻いているバスタオルは血だらけだ。僕が鼻に詰め込んだティッシュも、真っ赤になっていた。


「おめー、気がついたんか。大丈夫なんか?」


「お……おほほ……ほ。わらわとしたことが、あまりのショックで、気絶してしまったようじゃ。みっともないところを見せてしまったのぉ。まさかゾウさんがマンモスで、あんなにもグロテスクだとは思わなんだ。想像の範疇を、遥かに越えておったよ」


「おめーが見せろってうるさかったから、僕は根負けして見せてやったんだぞ。本当は見せたくなかったのにさ。一体、どんなのを想像してたんだよ、失礼なやつだな! あと今な、僕んとこの王様から電話がかかってきて、おめーのことをとても心配していたぞ。病院に行っても診断は3か月はかかるだろうってよ」


「なんじゃ、それは? なぜ3か月もかかるのか?」


「いきなりあんなに大量の鼻血を出したんだから、もしかして、悪い病気にかかってるかもしれねーってことだ。ちゃんと、検査しろよっ! 一か所で問題ないと言われても、他の病院で見つかるかもしれねーから、3か月は色々な病院をまわれよ! 王様も心配してて、検査結果を教えてくれって言ってきてるから、おめーからも報告しとけ!」


「そ、そうなのか……いやはや。申し訳ない限りじゃ。確かにあんなにたくさんの鼻血が出るとは、思うておらんかった。わらわの最大の不覚じゃ。そこでお願いがある」


「なんだ?」


「もう一度見せてはくれぬか? 慣れじゃ! 慣れることで、このような失態は、もうしなくなるはずじゃ。協力を頼むっ」


「おめーも懲りねえやつだな。もう見せないからな。また、鼻血を盛大に出されて倒れられたら僕、困るもん。とりあえずレバーでも食って、出した分の血を補給しておけよっ」


「お、おほほほほ……」


 その後、僕は悪魔の女に魔遊園地、魔動植物園、旧魔王城などを案内され、観光を楽しんだ。健康ランドのような施設で仮眠もとった。そして現在、遠くに魔国領の塔が見える高層ビル89階にあるレストランの窓際で、ソフトクリームを食べていた。時刻はまもなく日の出となる。魔国領の都市部は眠らない街だとも言われているだけあって、ガラス窓から見下ろせばネオンが輝いていた。


「どうじゃ? 魔国領は?」


「もう人間領と対して変わらないねえな。住んでいる者の種族が違うだけでさ」


「わらわのような高位の悪魔には、それほど影響はない。しかし、下位の魔族は巫女の祈りによって、人間と同じような知性や理性が生まれるのじゃ」


「そう言われているね」


「魔国領はわらわの自慢の領じゃ。わらわはこの地に生まれ、平和に暮らしてこれて、幸せだと思うておる。しかし外の世界も見て回りたいとも思うておるのじゃ」


「それなら旅をすればいいんじゃないの?」


「それが出来れば、どれだけよかったか……」


 魔族の女は、頬杖をつきながら塔を見つめた。すると、ある現象が起きた。


「おや……雲が散っておるのぉ」


「本当だな」


 年中曇りである魔国領から、月が見えた。そして、まもなくして御来光が姿を現した。レストランにいる店員たちも、ガラスに張り付くようにして御来光を眺めた。続いて、塔の祈りの間と思われるところが輝き始め、光の洪水が溢れ出た。更には、塔全体が眩い青光を放ち、側面からは光の蝶のようなものが大量に飛び立つ。光の蝶は、この高層ビルまで飛んできて、ガラスをすり抜けていった。なるほど……祈りの儀式では、塔の外部からはこのように見えるのか。


 ふと、悪魔の女が、僕をじっと見つめていることに気付いた。


「ん? どうしたんだ?」


「のお、ソナタよ。巫女の巡礼の従者は、1人でなくてはならぬのだろう?」


「そういう掟だけど」


「だったらペットはどうなのじゃ? 文献によると、これまでの巫女らの中にペットを同行させていた者もいると聞く」


「ペット?」


「こいつじゃ。こいつは『デーモンウグイス』と呼ばれている鳥じゃ」


 女の肩に乗っかっている鳥が、ピーピーピーと鳴いた。


「これまでの巫女の旅に動物が同行したことがある、という記録もあるから、ペットなら問題はないと思うな。考察上、巫女を守れるだけの力を持った者が2人以上いた場合のみ、これまでの巡礼は失敗に終わっているね」


「だったら、こいつを、わらわの代わりに、連れていってはくれぬかの? この広い世界を、わらわの代わりに見せてやってはくれぬか?」


「うーん。でもなー」


「頼む。この通りじゃ。わらわの一生に一度の願いじゃ。連れていってやってくれ」


「いいよー」


「そこをなんとか……、っていいのかえ? 本当か?」


「おう。でも、どうやって連れていけばいいんだ? 鳥かごにでも入れておけばいいのか?」


「いいや。こやつは、賢いのじゃ。かごに入れずともよい。むしろ、入れてはならぬぞ。おほほほ」


「大丈夫かなー、逃げても知らねーからな」


「……ソナタよ、そろそろ塔に向かう時間ではないのか? 巫女と合流するのであろう?」


「そっか。おめーはホスト役で、全てを知ってるんだっけ。祈りの儀式が終わるまでが僕の休暇だから、これで終わりってことか。なんだかあっけなかったな。でも、おめーのおかげですごく楽しめた。サンキューな」


 塔を見ると、すでに光は止んでいた。

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