第23話
祈り儀式の直前、天使族の粋を凝らした二度目の食事会が予定されていた。『腹が減っては戦ができない』という人間の社会に伝わるコトワザを真に受けた王が、祈り儀式の前にも是非とも精をつけてもらいたい、と考えて催されたそうだ。儀式の後に朝食会が開かれることは多々あるが、儀式前に開かれることは珍しい。普段は何も口にしない時間帯だが、妙にお腹が空いており、楽しみにしていた。コムギも、お腹をグウっと鳴らしている。おそらく先程の立食で、そんなに食べれなかったのだろう。
「桃くん、私は食事会にはいかないわ。お腹は空いてないもの」
「今、ぐぅって鳴ったよな?」
「ええ。鳴ったわ。お腹からそんな音が鳴ったけど、お腹は空いていないのよ。理性が空腹を越えているの! というか、食べる気が起きないわ」
「どうして?」
「さっき、あんなのを見せられたのよ。食事会場にはもう行きたくない」
「でもなー。おめーが主賓なんだぞ? 祈りの直前にエネルギーをつけてもらおうっていう、天使さんの粋な気配りであるわけだ。なーに、さっきのように、自分たちを食べてくれ、だなんて言わないように、厳重に注意しておいたから安心しろ。あははは」
「桃くん! あんたは、よく笑ってられるわね。あんなセンセーショナルな光景を見た後に! まあ、いいわ。お腹は空いてないけど、野菜ぐらいなら食べてもいいわ」
「あとちょっとの辛抱だから、我慢してろよ! 失礼のないようにしておけよー」
「分ったわ。祈りを済ませて、早くこの領域から離れましょう」
僕とコムギはお面をつけた後、ホケと共に、再び5階層の食事会場を訪れた。すると、前回とは内装が変わっていて、辺り一面に畳が敷かれていた。前回と同様に王・大臣・首相の3人が僕たちを出迎えた。
「巫女様、従者様、先程は大変失礼いたしました。ヒューマン社会の常識を欠如しておりました。それで、急きょ、空輸といいますか、ロケット輸送にて巫女様ご一行のために、帝国の現地で作った『畳』を輸入しました。ヒューマンの文化を十分に学んでおかなかった失礼、この食事会にて名誉挽回とさせていただきます」
「やることが、半端ないですね……数千畳が敷かれてますけど本当に急きょ、輸入したものですか?」
「我々天使族は、発電の仕事でたんまりと稼いでおりますからね。この畳も、普通の畳ではありません。よく御覧になってください」
「え? どこをですか?」
「畳なるものは本来イグサという草から作ると聞きました。しかし、我々は巫女様と従者様を『草』なるものの上に座らせては大変失礼かと思いました。なので、この畳は人間社会で流通しております『万札』というもので、本職の畳職人たちに作らせましたもので、出来立てほやほやでございます」
僕は足元の畳をじっと見つめた。
「えーと……ああああ、本当だ。お札がクルクルと細く丸められてて、それがイグサの代用として使われてる」
「これが天使流のお・も・て・な・し。おもてなし、ですっ!」
3人の天使は声を揃えて、同時に合掌した。
「金の掛け過ぎですー。ぶっちゃけ、さっきの会場のままでも構いませんでしたよー。そして、よく間に合わせれましたねっ!」
コムギを見ると、軽くフラフラしていた。理解を越えた事態に直面し、混乱しているのだろう。
「な、なんと! 先程の方が宜しかったですか? でしたら、これらの畳は全て燃やして撤去してしまいましょう。そしてすぐに、先程と同じ内装に戻しますがゆえ」
「いえいえいえ。お金が勿体無いです。このまま、このままでお願いします」
「お金というものは湯水のごとくに生まれるものですので、遠慮は無用ですのに……」
「そう思っているのは天使族のあなた方だけですからね! 現在、世界中で流通しているエネルギーを無から生み出せる天使族にとっては、そうなのでしょうけれど普通の種族は、湯水のごとくにお金を生み出せませんから! 汗水垂らしてようやく、手にするものですからね、お金って!」
「カ、カルチャーショックっ!」
「こっちが、カルチャーショックですわっ!」
僕は叫んだ。
何にせよ、雰囲気はまるで旅館の大広間のようになっている。舞台があって、カラオケ器具も置かれていた。確かに他国領の者を来賓として迎えた時、こちら側ではなく、相手側の郷土料理でもてなす場合がある。これは天使なりの歓迎の印なのだ。僕たちは指定されている席に座った。そこには料理がすでにセッティングされていた。鍋のようなものがあり、仲居風の衣類を着た天使の女がチャッカーマンで、鍋の下の燃料に火をつけた。
料理はとても美味しかった。ただし、コムギは出されていた卵料理だけには手をつけていないようだ。そのことに気付いた僕の心に、意地悪な企みが浮んだ。
「姫様、卵料理に手を付けておられないようですが、如何なされたのでしょうか?」
僕がそう言うと、首相もコムギに訊いた。
「もしや巫女様は、卵がお嫌いだったのでしょうか?」
「……私は卵が……。そうです! 実は私は卵が……」
「姫様の大好物なのですよね」
と、僕。
「へっ?」
「おおっ! それは良かった。シェフが腕によりをかけて作りました逸品の卵料理です」
コムギは素っ頓狂な口を開けながら、僕をじっと見つめてきた。僕は、コムギが卵を食べずに済まそうとしていることを察知し、先手を打ったのだ。首相は不安そうに僕とコムギを見つめる。
「……どうされましたか? もしや、お口に合わなかったのでしょうか。それでしたら無理に召し上がらなくても構いませんが」
「実を言いますと、首相……」
僕は続けた。
「姫様は美味しいものを最後まで残しておく派なのですよ。そろそろ、お食べになられても構わないのですよ?」
「おおっ! そうでしたか。巫女様のこの天使の卵は、私の妻が産んだばかりのものです。鮮度は良好です。さらには、これは無精卵ではありません」
「はい? どういうことでしょう?」
「有精卵です。いやはや、実は私のDNAがスパイスとして、更にコクを高めているのですよ。私のDNAが入った卵は、これまた評判がよろしくてですね、市場でも高値で取引されているのです。巫女さま、これはここの名物料理でもありまして卵が好物ならば、ぜひとも食べてもらいたいのですが……。この私の『DNA』がたっぷりと混じった、卵を……はぁはぁ、はぁはぁ。う、うふふふ」
「ど、どうして、息が荒くなっているのですか? どうして、微笑なさっているのですか?」
コムギが不安そうに首相に訊いた。首相の代わりに僕が返す。
「姫様、そんなことどうでもいいではありませんか。失礼ですよ。天使の卵、天使領の名産品です。さあ、姫様の大好物の卵料理、お召し上がりください。テーブルに出された食べ物は全て食べなくては、お行儀が悪いです。めっ!」
「むむむ……」
コムギはにっこりと僕に微笑みかけてきた。今、お面をあげて口の部分のみ露出させている状態で、コムギの頬が緩んでいるのが分かった。しかし、目は笑っていないだろう。
僕は更に追い込みをかけることにした。
「みなさぁぁーん。姫様がぁぁぁぁ、卵を食べられまぁぁーすっ! 感想を語られまぁぁーす。ぜひとも、御試聴くださいませぇぇぇっ!」
「おおっ! 我らが特産品を召し上がっていただくのか」「どんなご感想を頂けるのか、気になりますわ」「コムギ様。私が産みます卵も美味しいですわよ。お気になっていただければ、すぐに産みますわっ!」
僕のアナウンスで、会場がザワツキ始めた。コムギはそんな天使たちにニッコリと頬の筋肉を緩めてみせた。そして、ガタガタと震える手で箸を持つと、卵料理を掴み、口の高さまで持ち上げた。
そして……パクリ。その後の一言は。
「あっ……美味しい……。これ、すっごく濃厚で美味しいです。こんなに美味しい卵、初めて食べましたわ……」
「おおお、良かった。良かったですっ!」
パチパチパチ、と拍手があがった。コムギは更に、パクリパクリと卵料理を口に送り込んでいった。
「姫様、良かったですね」
「ええ……『今回』はとても良かったです。ただし……あとで、大事なお話があります。大事な大事なお話です」
「……御意です、姫様」
美味しいという感想は本音だろうが、長年の付き合いで僕には分かる。コムギは今、猛烈に怒っている。
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