第16話

 到着したのはそれから2日後だった。かつてこの塔の入口は海面にあり、船で入れたという。しかし温暖化の影響で水面が上昇し、今では塔の入口は海底に沈んでいる。


 橋から塔までの距離が最も近くなるところでは、魚人族の男が帝国旗を振っていた。僕と人間になったコムギが車から降りたところ、魚人族の男は僕たちに駆けてきた。


「これはこれは、巫女様と従者様でしょうか? お待ちしておりました」


 僕は頭を下げる。


「遅くなってしまい、申し訳ありませんでした」


「お車が故障したのですよね。報告は受けております。それではさっそく我々の領内の塔にご案内します。あとについて来てください」


 男はそう言いながら、橋の側面にある階段で海に向かって下りていく。


「あのー、領域って海の中ですよね? 我々は人間種ですので水中には……」


「心配はいりません。これまでの巫女様は、球型の水中探索用ロボに乗って、海底にあります塔の入口までの移動をして頂いておりましたが、現『道具使い』のジョブ持ちの従者様より2世代ほど前の道具使いの方が、開発された魔道具がございます」


「魔道具ですか?」


「はい。なんでも、水中でも息ができるようになる、という効力を持っているそうです。H2O(水分子)を体内で分解し、O2(酸素)を生成させるという『豆型』の魔道具『水中吐息』です。さらには水中の振動音を聞き取る力も増大させる効果もあるそうですよ。どうぞご確認になられてください」


 僕は男から豆を3つ渡された。


「そのような便利なものが開発されてたのですね。すごいじゃないですか。僕は知りませんでした。さあ、姫様、召しあがりましょう。道具使いの僕は触れるだけでその道具の効力が分かります。確かに説明にあった能力を、この豆型の魔道具は備えております」


「魔道具、感謝致しますわ」


 僕とコムギは豆を口に入れ、ポリポリと食べた。ホケにも食べさせて、一緒に海に潜る。たしかに水の中でも呼吸ができた。海底は透き通っており、差し込む光はサンゴや小魚たちの大群を照らしていて、とても美しい。僕は言った。


「すごいですね! こんな便利な魔道具が開発されているにも関わらず、表に出ていなかったとは」


「先々代の道具使いの方が作られた魔道具は、素晴らしいですわ」


「巫女様、従者様。私は完成しているとは一言も口にしておりません。ゆえに、市場にはまだ出回っていないのですよ。というのも唐突に、効果が切れてしまうという欠点が残ってますからね。ギョギョギョ」


「えーーーー」


「しかし、心配しないでください。我々がついています。魚人族はそのような魔道具の力を借りずとも、水中でエラ呼吸できますから。危険が訪れたならば、もう一つの道具で救助します」


「つまり、なんとかしてくれるわけですね?」


「はい。心臓が止まりましたら、すぐにこの機械で電気ショックを与えて、蘇生させます」


 男は、バッグからその『機械』を取り出した。


「心臓が止まることが前提ですか? その機械……『AED』と表記されていますが、それって水の中で使ってもいいものなのでしょうか? 駄目なものではないのですか?」


「さあ。使ったことがないので、分かりません。そもそも、私達魚人族は、溺れることがないので、使う必要がないのです」


「怖いですよー。水中で電気ショックだなんて、無茶ですって」


 僕は思い出した。2世代前の道具使いは確か、機械系の魔道具の開発を得意としていた人だ。そして、この豆型の魔道具は明らかに、僕が開発を得意としているバイオ系に属する魔道具である。基本的に『道具使い』は、自分の得意とする系統以外の魔道具の開発は苦手としているのだ。僕が、壊れた車の修理を出来なかったように。


 僕は口の中に魔道具をもう一粒、忍ばせておくことを提案した。魔道具の効果が切れた直後に、口の中の豆を呑み込めばいいのだ。男は僕に拍手を送ってきた。


「さすがは従者様! 御聡明でいらっしゃる。我々は電気ショックによる蘇生法しか、念頭にございませんでした。ギョギョギョギョ」


「水の中でそんな機械を使ったら、周囲の方々の心臓も止まっちゃいますからね」


「はて? 説明書には、停止した心臓が再び動き出す、と記載されてありますが?」


「それは陸上限定ですっ。水の中で使ったら駄目ですっ!」


「おお! さすがは従者様。お詳しい!」


「いえいえいえ。常識ですからねっ」


 海の中に入るとすぐに魚人族の居住区が見えた。海底にある魚人族領を見た時の僕の第一印象は、近代的、というものだ。海の中には無数のビルが建ち並んだ、海底都市があったのだ。道路も立派だ。これらのインフラは世界中の海に橋を建築することで得た財で作られているのだろう。ネオンがキラキラと輝き『海中車』と呼ばれる乗り物が行き交い、ヘッドライトの光が蛇のように連なっていた。海中車を見るのは初めてだ。


「どうでしょうか? 折角ですので、このまま塔に行かれる前に、我々魚人族の領内をご観光なさいますか?」


 男の提案に、僕はかぶりを振って応えた。


「いいえ。丁重にお断り申し上げます」


「ギョギョギョギョ? それはなぜ?」


「いつ、魔道具の効果が消えてしまうか心配だからで……ごぼごぼ」


「どうなさいましたか?」


「はあはあはあはあはあ……話していたところで、ちょうど魔道具の効果が切れてしまったようです。口の中に備えておいた豆を呑み込むのが遅ければ、溺れていたところでした」


「安心して下さい。心臓が止まったら、この機械で蘇生させてあげますから」


「だから、その機械は水の中で使ったらだめなんですって。豆をもう一つ下さい。そして塔の入り口に案内してください。空気のある階層に早く上がりたいのです」


「ギョギョギョギョっ!」


「頼みますっ」


 僕たちは魚人族の男に案内され、水中車に乗って、塔の前までやってきた。海底から見上げる塔は、射し込んでくる光や泳いでいる魚などで、神秘的に見えた。水は透き通っており、神々しい空間を演出している。塔の前にある広場の周囲には魚人族の方々が、コムギを一目みようと集まっていた。


「ごぼごぼごぼ」


「姫様、豆を! 口の中に入れてある豆をお食べ下さい」


「はぁはぁはぁ……し、死ぬかと思いましたわ……」


「大丈夫ですか、姫様」


「ピーピー……ごぼごぼごぼごぼ」


 コムギに続いてホケも苦しみ出した。


「ホケちゃん、豆を呑み込むんだ」


「ごぼごぼごぼ」


「もしや、くちばしの構造上、すでに飲み込んでしまった?」


「ごぼごぼごぼ……ぼぉぱぁあああああああ」


「ホケちゃあああああああん」


 僕は自分の口の中の豆を取り出して、ホケの口に入れた。


「ホ……ホホホ、ホケ……」


「大丈夫か? 生きてるようだな」


 ホケが生還した。


「あのぉ、巫女様と勇者様。最後にもう一度だけ確認させていただきたいのですが……本当に、魚人族領の観光は宜しいのですか? 美味しい名物もたくさんございますが?」


「いいですー。僕たちが溺れ死ぬ前に、早く塔の中に入れてくださーい」


「ギョギョギョギョ。心臓が止まったら蘇生させてあげますのに。この機械を使って」


「もう、それはいいですからっ。何度言っても、分らないのなら一度誰もいないところで使ってみて、その身で感電しなさいっ!」


「ギョギョギョギョ?」


 僕たちは塔の入口に急いだ。そして、浸水している1階層、2階層、3階層の階段をのぼり、ようやく海面より上に位置している4階層に到着した。僕は胸いっぱいに空気を吸って安堵する。


「ここまでくれば、魔道具の効果が唐突に消えても大丈夫だ」


「ピーピーピー」


「死ぬかと思ったってか? あははは。もしも死んだら、コムギが焼鳥にして食ってくれるさ」


「ピーピーピー」


「冗談はよしぞうくんだって? 怒んなよー」


 僕がホケと話しているのを見て、魚人族の男が不思議そうな顔で訊いてきた。


「おやおや。まさか、従者様は鳥語を解せるのですか?」


「いえいえ。なんとなく、そう言っているように聴こえるだけです。ところで、巫女の祈りは日の出の時刻に行いますので、それまで時間がありますよね。僕たちは、どちらで待機していれば宜しいですか?」


「部屋をご用意してます。そちらでお休みになられたらよろしいでしょう」


「おお。それはありがたいです」


「では2階層に戻りましょうか。待機室として準備しましたお部屋は、2階層にございますから」


 ………………。


「従者さま。御心配なさらずに。そのような困ったお顔をなさらないでください。また、魔道具の効果が切れましたら、豆を食べればいいだけのことです。豆はたくさんございます。心臓が止まったら、この機械を使って蘇生させていただきますので」


「あなたは、どーしてもその機械を使ってみたいようですね。もう、いい加減くどいですっ!」


「ギョギョギョギョ?」


 待機のための控室は5階層に新しく準備してもらった。控室に入るとコムギはすぐにコロポックルに戻った。


「ひどい目に遭ったわ。あまりにもイライラして、素の自分が出そうだったくらいよ。暴れ回るところだったわ」


「あははは。それも見てみてーな。外では八方美人なコムギのそんな荒れた姿を」


「理性がそれを抑えるんだろーけどさ。あと、桃くんや。帰りはあの不良品の魔道具を食べずに橋まで戻る方法を、考えておいてちょうだい」


「あの魔道具はすっげー革命的なものだけど、不完全だもんなー。巡礼の旅が終わったら、僕が完成させることにしよう」


「ピーピーピー」


「ホケちゃんは祈りの間からそのまま外に出るだって? それは良案だね! ホケちゃんは、祈りの間から飛んで、大橋まで帰ればいいさ。そうだ! 僕たちも祈りの間からロープで海面に降りて、そこから船を出してもらおうか?」


「賛成ぃぃー!」


「でも、めっちゃ高い場所だから、儀式の後にどうするか判断しよう」


 ホケは鳥ゆえに空を飛んで車にまで戻れるので、再び水中に潜る必要はなさそうだ。僕たちも祈りの間から外に出られるが、9階層にある祈りの間の高度は数百メートル規模だ。なのでロープで海面に降りるのは、現実的な案ではないのかもしれない。


「ところで、この塔の10階層ってどーなってんだろう。僕、ちょっと覗いてみたいなっ」


「桃くん、覗いてきちゃう?」


「おや。今回は妙に乗り気じゃねーか。いつもは、危険だと言って反対するくせに」


「桃くんがいつも、行きたい行きたいって言うから、私も興味がわいていのよ。ちらっと覗くだけなら、きっと大丈夫よ」


「おう、なら行くか!」


「ピーピーピー」


 僕たちは控室を出ると階段をのぼって10階層に向かった。

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