第11話

 まもなく祈りの儀式の時間となる。日の出が近づいてきた。世界中の『塔』の9階層に祈りの間という部屋が必ずあるのと同様に、10階層以降はモンスターが闊歩するダンジョンになっている。食物連鎖はどうなっているのか。フンの処理はどうなっているのか等々の興味は尽きない。塔の中なのに青空があった、辺り一面が沼地だった、塔の敷地面積よりも広かった、などの心惹かれる冒険者の証言はたくさん残っている。


 氷結族領の塔の祈りの間である第九階層から天井を見上げる。十階層に続く階段がそばにあり、どうなっているのか覗いてみたい気もするが、絶対にダメだと大臣に言われたばかりだ。僕の隣に立っているその大臣に、もう一度だけ頼んでみた。


「大臣……どーしても、駄目なのですか?」


「駄目です。この上の階は、信じられないでしょうが、草原のような空間になっておりまして、肉食系の危険なモンスターが徘徊しているのです」


「草食のモンスターもいるのですか?」


「過去に行った実地調査では『いる』との報告を受けています。ただし、草食だからといって害がないわけではありませんよ。大型のゾウのような草食系モンスターは我々を見ると、踏み潰そうと襲ってくるのです。あと、食人植物もおります。そこらへんの雑草にも注意しなくては命とりになる、そういった場所なのです」


「ふむふむ。なるほどなるほど……」


 ……とても興味が惹かれる。


「ちらっと覗くだけでも……」


「だーめーですっ! 巫女様の従者様に、万が一のことがあれば、種族間問題に発展しかねませんからね」


「うぅぅ……そう言われると、何も言い返せません」


「……とはいえ、10階層の写真でよければ、お見せすることはできますよ」


 大臣はそう言って、自身の体を覆う雪の中にズボリと手を入れ、1枚の写真を取り出した。


「用意がいいですねっ! 大臣は、僕が10階層に興味を持つことをよく予想することができましたね……ってこれ、セクシー写真じゃないのですか?」


 大臣が僕に手渡してきた写真は、顔だけが雪だるまの、女性のセクシー写真だった。


「あららら。失敬失敬。これは私を『パパ』と呼んでいる子の写真でした。10階層の写真はこれです」


 大臣は再び、体を覆う雪の中に手を入れ、写真を取り出した。


「10階層も気になりますが、どっちの意味の『パパ』なのかも大変、気になりますねー!」


 僕は渡された写真を見た。写真には草原が写っていた。


「おお、これがこの塔の10階層ですか。本当に草原なのですね」


「従者様が今、親指で押えているところも見て下さい。きっと、危険さの度合がより分かるでしょう」


「はい?」


 親指を離したところ、そこには、2人の雪だるまが写っていた。


「これは私ですよ。そして、隣の子が先程の写真の子です」


「えええ? 普通に記念撮影してるじゃないですか。一体、これのどこが危険なんですかー」


「とても危険なのです。ほら、写真の右下の地面をよーく見て下さい。目のようなものがありますでしょ。我々をじっと見つめています。これはモンスターが地面に『擬態』しており、この写真撮影の直後、私達は襲われ、その子は食べられちゃいました」


「えっ?」


「実は前もって写真を用意していたわけではありません。実はこれ、この子の形見の写真なのですよ。いつまでも私の心の中から忘れないようにしようと思いまして、持っています。死というのは2度ある、というではありませんか。1度目は肉体的な死。そして2度目は記憶から忘れさられる死」


「そ、そうだったのですか……。大臣の娘さん、残念でしたね……」


「いえいえ。この子はただの愛人です。10階層で逢引していたのです。だって誰も来ませんからね。あっ、このことは内緒ですよ。ちなみにこの子、行方不明ということで処理されています」


「……そんな女の子の写真を持ち歩いているのは色々とまずいのではありませんか?」


「従者様は、写真が警察に見つかることを心配されているのですか? もちろん見つかれば、私の立場は悪くなりますね。不倫していたことや、立ち入り禁止の場所に足を踏み入れて逢引していたこともバレてしまいますから。しかし、そのハラハラ感も、なんと言いますか、素晴らしいもので……」


 僕は首を傾げた。


「うーん。お悔やみを申し上げていいのか、どのような気持ちを抱いていいのか、分らないですね。ただ、僕のような初対面の者に、あまりにもブッチャケ過ぎかと思いますよ? 最初は普通の氷結族の方と思っていましたが、随分と僕の中での大臣の印象が変わりました」


「あははは。従者様だからお話したのです。私の言いたかったことは、ようするに『だからこそ10階層は危険なので、決して足を踏み入れてはいけません』ということです」


 確かに10階層の危険の程度は分ったが、もっと他の説明方法はなかったのだろうか。人間の世界の常識では、完全に逮捕ものだが、種族ごとに法律も常識も違う。僕はこの話を切り上げることにした。


「……まもなく、時間になりますね」


「おお、まさしく! 日の出の時間となりますっ」


 僕たちの目の前で、コムギはすでに祈りのポーズをとっている。日の出の方角を向いて、両手を組んでいた。


 そして――御来光が現われた。


 キラキラと輝く光が祈りの間の天井から溢れてきた。光は雪の結晶のような形をしながら、室内をゆっくりと落ちていく。


 『おおおおおぉぉぉぉ』という歓声が、塔の外からも聞こえた。塔の外でも、何らかの超常現象が起きたようだ。早朝ではあるが、塔の周辺では氷結族の方々が祈りの儀式の瞬間をひと目見ようと、集まっていた。


 祈りの儀式を終えた後、僕とコムギは会食に出席した。食後、コムギは会見に臨み、氷結族のリポーターからの質問を受けた。この時のコムギは、僕の知るコムギではない。威厳のあるたたずまいに、リポーターは緊張し、マイクを持つ手を震わせていた。そして僕たちは、大勢の氷結族の歓声を浴びながら、再び大きくした車に乗り込んだ。


 僕は運転席から発車を告げようと後ろのカーテンから中を覗いた。するとそこには、ぐてーっとしているコロポックルのコムギの姿があった。


 ………………。


 僕は無言でエンジンをかけ、道路の脇から声援を送ってくる雪だるまたちに手を振り、車を発進させる。後ろからは、コムギの声が聞こえた。


「ねーねー。桃くん、ゲームしよーよ」


「わりーけど無理。今はおめーの代わりに、氷結族の方々に、手を振ってお別れの挨拶をしてんだからな。さらに僕は今、何してると思う?」


「『暇』してる?」


「運転中だー」


「そんなの分かってるわよ、桃くーん。外はどんな感じなの?」


「みなさんが、帰国する海外の大物俳優を空港で見送るような感じ。ってか、おめーの姿を見に来てるんだから、人間に戻って助手席にきて、手を振ってやれよ」


「やだぁあああああ。死んでもやだ」


「どうして?」


「だから言ったでしょ。私は大衆の前に出るのが苦手なタイプなんだって。うぅぅ。胃薬、飲もうっと……もう、こりごりだよー。ねーねー桃くん、そんなことより、ゲームしよーよ」


「だからか、お別れの挨拶しながら運転中だって言ってんじゃんか。おめーは学習しねーやつだなー」


「むー。運転しながらでも、氷結族の方々に手を振りながらでも、できるゲームはたくさんあるよっ。例えば……脳内将棋っ!」


「うーん……」


「しよーしよー。桃くん、思い立ったが吉日っていうじゃないか」


「確かにいうけどさ、『思い立ったが吉日』というのはゲームをする時に使う慣用句じゃないと思うんだな。もっと、違うことをする時に使う言葉じゃないのかな?」


「桃くんは、いつから言葉博士になったのよー。じゃあ私が先手でいくよ、『8・八・角』」


「いきなり。飛び越えてるから! おめーんとこの歩だけじゃなくて、僕んとこの歩も飛び越えてるからっ!」


「あははは。冗談、冗談。頭の準備運動だよ」


「今のはどう考えても頭の準備運動になってないだろう」


「よし、じゃあ……私から先手でいくね……えーと……」


 ………………。


 ふと、僕の中でコムギとの一番古い思い出が蘇える。まだ2~3歳の幼い頃、王と妃に預けられた僕を、遠くからじっと眺めていた女の子がコムギである。当時はコロポックルではなく、彼女は24時間ずっと人間だった。コムギは僕より1歳年上だ。人見知りの激しい彼女は、ずっと遠くから僕を観察しているだけだった。


 その後、どのように仲良くなったのかは覚えていない。気づいた時には、コムギはお姉ちゃん風を吹かせていた。僕はそんなコムギに懐いていた。幼稚園ではいつも一緒にいた。しかし、僕が小学生3年生になった頃、コムギがコロポックルに変身するようになった。それから彼女は学校には通えなくなった。コムギは家庭教師から勉強を教わり、主に部屋の中だけで毎日を過ごすようになった。秘密を抱え、さらに王女という身分のため、心の許せる友人もできなかった。思い返せば、コムギは結局のところ、ずっと一人ぼっちだった。


「ねーねー。早く早くー」


「え?」


「だから、次は桃くんの番だって。脳内将棋なら、運転しながらでもできるでしょ?」


「お、おう……で、なんだっけ?」


「聞いてなかったの? 信じられなーい。『3・三・歩』、だよ」


「じゃあ、僕は……」


 僕は運転しながら、脳内で将棋の駒を動かしていく。そして……。


「王手!」


「桃くん、待ったっ!」


「待ったはなし!」


「じゃあ将棋は飽きたから、他のゲームをしよう! 将棋の勝負はここで、脳内卓袱台返しね」


 ………………。


「残念ながら、卓袱台返しをさせないよう、がしっと、僕は脳内で盤を押さえたからな」


「なに馬鹿なこと言ってるのよ。脳内で盤を押さえられるわけないでしょ」


「そっくりそのまま、同じ言葉を返すぞ。いさぎよく敗けを認めろー。王手だ、王手! もう、おめーができることは『まいった』と言うだけだ」


「王がやられない限り、私の将棋王国は不滅よ! 王がやられる前に、脳内ネットワークを強制切断をしたから、この勝負はお流れとなったわ」


「おめーみたいなのをなんていうか知ってるか? クソガキっていうんだぞ?」


「むむむ。まぁ、いいや! ねーねー。じゃあ、次は囲碁をしようよ。脳内囲碁」


「やだよ。だってコムギ、おめーは敗けそうになったら、また一方的にヤーメタ、いちぬけたって言うじゃん」


「言わない言わない! 用紙に誓って言わないから」


「せめて用紙じゃない方の、カミに誓えよ」


「私、トイレットペーパーに誓って、言わないっ!」


「神様に誓うのならわかるけど、うんちをした後に尻を拭くトイレの紙に誓っても、全然言葉に重みが加わらないぞ」


「あははは。じゃあ、私からいくね」


「仕方ねぇなぁ。受けてたつか」


 僕とコムギは脳内囲碁を始めた。そして……。


「ま、待った! 桃くん、待ったっ!」


「囲碁には待ったはないっ。もうおめーに出来るのは『ありません』と言うだけだ」


「嫌だ嫌だ! 絶対に言わない! 私が次の一手をするまで、この勝負は止まったままなのだ。つまり、何もしなければ私の負けはないっ!」


「ほーら、やっぱり負けそうになったら、そー言うじゃんか」


「今度は一時的な中断よっ」


「おそれいった! よく、考えつくもんだ」


 ………………。


 そんなこんなで、僕とコムギの旅は続いていく。


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