第10話

 翌々日、氷結族の塔に向かっている最中、助手席に座ったコムギが訊いてきた。


「ねーねー。桃くん、氷結族の塔には、あとどれくらいで到着するの?」


「もうちょっと」


「もうちょっとって、昨日だって『もうちょっと』って言ってたじゃない! あと何時・何分・何十秒なのかが知りたいのっ! 私はそこんところが知りたいのっ」


「知らねーよ、そんなの。僕だってこんなところに車で来たのは初めてなんだぞ。でもな、確かにもうちょっとで到着する。それだけは信じてくれ」


「……その根拠はなにさ?」


「勘かなぁ」


「あーあ、あーあ。あれだよ。あと5分で起きるって言っておいて、結局ずるずるやって、5分以上かかるってあれだ。もうちょっともうちょっと、と言っておきながら、あと何時間かかるのやら。桃くんのもうちょっとって何時間ほど? 3時間? 5時間? それとも9時間かっ」


「おめー、まじでメンドクセーやつだな。僕は地図の通りに一本道を進んでいるだけで、現在位置がどこなのか、わかんねーんだよ。周りがずっと雪原で、目印もなにもないから、今どの地点にいるのかが、わからねーんだ」


「桃くん、6時間以内には到着しなさいよねっ!」


「お、おめー、僕の今した話、聞いてたんか?」


「スピードアップ! スピードアップ! アザラシさんにも追い抜かれてるじゃないっ。ペンギンさんにも抜かれてるっ! どういうこと? それって、どういうこと? 遅すぎぃぃ!」


「氷で出来てる道だから、安全運転しないと危ないんだよ。また故障でもしたら、僕たちはいっかんの終わりだぞ」


「安全運転のしすぎだぁあああああー」


 そんなやりとりがあってからちょうど3日後、僕たちは氷結族の塔に到着した。


 そびえ立つ塔が見えてくると、僕たちの護衛にきたと思われる犬ぞりが周囲に並んだ。僕は後ろにいるコムギに声をかけた。


「おい、護衛の方々が来てるから、一応は注意しとけよ。いきなり助手席にコロポックルの姿で出てくるんじゃないぞ」


「しかばねは話せません」


「うん?」


「どんだけかかってるんだーってことです。待たされ続けた私は、待ち疲れたことによって、すでにしかばねになって風化したため、話せません」


「………………普通に、話してんじゃん」


「それは、霊の声でしょう。あまりにも待たされ続けたことに対する怨念と、旅に出なければよかったという未練を残した怨霊の切実なる声です」


「まだ怒ってるのか? 僕が悪いのか? 八つ当たりすんなよー。しかたねーだろー」


「激オコぷんぷん丸のすけっ!」


「なんだそりゃ……」


 その後、何度か話しかけたが、コムギからの返事はなかった。


 いよいよ塔が近づくと、塔の側面に描かれた模様がはっきりと見えてきた。塔の前には、大きな広場があり、入口まで階段が続いている。広場には雪だるまのような『健康器具?』をかぶった大勢の氷結族の方々が、旗を振って出迎えてくれていた。僕は後ろにいるコムギに言った。


「おい、コムギー、そろそろ到着するから、ちゃんと準備しろよー。おーい、聞いてるのかー。起きてるかー」


 返事がない。


 ………………。


「……コムギのバーカ」


「バカだという人が、真のバカなのっ! バカバカバーカ」


 ………………。


「聞こえてるのなら返事ぐらいしろよ。コタツで涎をたらしながら、寝てるのかと思ったぞ。もうすぐ到着するから、準備だけはしておけよ」


「言われなくても、もう準備は終えているわよ。うぅぅー、それにしても、お腹が痛くなってきた。これから大衆の前に出ると思うと、お腹が痛くなってきたわ」


「うんこは今のうちに、ちゃんと出しとけよ」


「痛みの原因は、便意じゃなーい」


「はて? 僕は腐った食事は出していないけどなー。さては、お菓子の食い過ぎか!」


「お腹が痛くなってるのは、お菓子の食い過ぎでもなんでもないわ。私は大衆の前に出ることに、ストレスを感じるタイプなのよ。あー、いやだいやだ。なんでそっとしておいてくれないのかしら」


「300年に1度のイベントだからだろ。巫女であるおめーの姿をその目で見たいんだよ。大勢の人だと思うから緊張するんだ。そういう時はあれをするといいらしいぞ。頭の中で、周りの相手の顔をカボチャとか、じゃがいもとかスイカに置き換えるんだ」


「置き換える以前に、みんな雪だるまの顔だし……」


「だったらシロップがかかったところを想像して、かき氷だと思えばいい」


「想像する顔を、無理やり食べ物にしても、効果があるとはとても思えないっ! 今の私が欲しているのは、桃くんのアドバイスなんかより、胃薬よっ! どこにあるのか教えてちょーだい」


「ひでぇーやつだな。僕の親身なアドバイスは胃薬に劣るのかよー。深く傷ついたぞ。ってのは、うそうそ。あははは。胃薬はタンスの一番上だぞー、おめーにはこれから頑張ってもらわなくちゃいけねーからな、しっかりと飲んでおけよ」


「はーい」


 それから数分後、僕は車を停めた。運転席から出た後、居住スペースのドアを開ける。中から巫女の正装に着替え終えたコムギが出てきた。周囲からは「おぉぉぉぉ」「なんて綺麗なんだ」などのどよめきが聞こえた。コムギは、ほがらかな笑みで、彼らに手を振った。拍手と喝采が湧きおこる。先程、腹が痛いとボヤいていたコロポックルとは、まるで別人だ。


 僕は犬ぞりで出迎えてくれていた氷結族の大臣と挨拶を交わし、巫女の儀式についての簡単な打ち合わせをした。その後、コムギに報告した。


「姫様、塔内に入りましょう。夜明けまで、塔内の部屋を、我々の休息場所として準備して頂いているとのことです。使わせていただきましょう」


「わかりましたわ。それでは、向かいましょう」


「御意でございます、姫様」


 僕はミニチュア化した車をバッグに入れると、コムギの後に続いて、塔への階段を登った。その間、広場に集まっている氷結族たちからの大きな歓声が鳴り止むことはなかった。


 塔の入口まで来た時、そこにいた一際大きな雪だるまが動き、僕はビックリした。大きな雪像と思っていたのだ。8メートルはあるだろうその巨大な雪だるまは、コムギに話しかけてきた。


「巫女様。はるばるお越しいただき、大変嬉しく思います。われは氷結族の王。名は『ユ・キダル・マ』と申します。ユ、とお呼びください」


 まんまじゃーん、と心の中でツッコむ。コムギはユに一礼した。


「お目にかかれて嬉しく思います、ユ様。そして、このような歓迎を受け、大変感激いたしております。全世界の平和こそが私の悲願ですので、無事にこちらに到着できたことに安堵もいたしております。ユ様、これからの地域安定のためにも、どうか私にこの塔で、祈りを捧げさせてくださいませんか?」


「巫女様、もちろんです。とても、ありがたく思います。われはこの巨体ゆえ、いつしかこの場から動けなくなってしまいました。ご案内できないことをお許しください。さあさあ、お部屋の準備は出来ておりますので、儀式のお時間まで、ごゆるりとお過ごしください」


「はい。感謝いたしますわ」


 コムギは微笑みながら塔入りした。氷結族の生態については、判明していないことが多い。まず、人間のように寿命が80歳前後であることなどは決まっていない。900歳まで生きる個体がいるなど、個体の寿命には大きな隔たりがある。中には氷結族の王のように成長し続けて、巨大化するものもいるのだ。


 僕たちは塔の控室にそれぞれ案内された後、そこで仮眠を取った。そして明け方が近づくと、僕はコムギを起こしに、彼女の部屋を訪れた。さすがに『もう少し寝ていたい。あと5分』などと駄々をこねたりはしなかった。むしろ、全く眠れなかったそうだ。


「意外だなー。僕はてっきり、おめーは『めんどくせーめんどくせー』とか言ってダラダラしているかと思ったのに、予想が外れたぞ」


「ここまできて、あれだけの方々に期待を向けられて、だらけてられる程、私の心臓に草は生えていないのよ! 小心者なのよっ!」


「なんだよ、それー。どうでもいいけど、そろそろ日の出の時間が近づいてきているから、準備しとけよ」


「うぅぅ……お腹が痛くなってきた」


 コムギはお腹を両手でさすった。脂汗も出ているようだ。


「だと思って、ほら、胃薬を持ってやったぞ」


「ち、ち……違うわ。今度は、おトイレの方よ。なかなか一人ではいけなかったのよ」


「なんだ、うんちかよ」


「はっきりと、言うんじゃなーいっ!」


「だから、ワゴン車の中でしておけって言ってたのに」


「便意って忘れた頃にやってくるものなのっ! 一人じゃ、なかなか行きにくいから、桃くんが来るのを待ってたのよ」


「子供じゃねーんだから、一人でいけよ。全く、変なところを気にするやつだなー、おめーは」


「巫女は排泄物を出さない、と思っている氷結族だっているかもしれないじゃない! そういう氷結族の夢を壊すのも、可哀相そうじゃない!」


「そんな氷結族、いないからー」


 僕とコムギは廊下に出て、塔内の仮設トイレに向かった。道中、見張りの者にどこに行くのかと尋ねられたので、トイレと言ったところ。


「み、みみみ、巫女様も、トイレを利用されるのですかぁぁぁ。がああぁあああーーーん」


 ………………。


 本気で驚いている様子だった。


「ほら、いたじゃーん」


「いたね……」


 なんにせよ、それから数分後、トイレから出てきたコムギはすがすがしい顔をしていた。

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