第9話

 翌日、何だかんだで居心地がいいのか、コムギはぐーたらしていた。


「ああ、もう。私、ここに住めるわ。料理も美味しいし、温かいし、温泉でのんびりできるし、南極大陸の秘境に、こんなにも快適な施設があっただなんて、あなどっていたわ」


「そっか? じゃあ、そろそろ出発するか?」


「はへ?」


「本来なら数日かかるところを、氷結族の技術者さんたちの協力もあって、昨日のうちにワゴン車を回収してもらい、修理までしてもらったんだ。ほら、これ」


 僕はコムギにポケットから取り出したミニカーを見せた。


「………………なに、これ?」


「僕たちのワゴン車だって。修理が済んだら、無事に魔道具の力も復活したんだぞ! さーて、昨日の道まで戻って、出発すっぞ。ブリザードも思いの外、すぐにおさまったみたいだし」


「え? え? ここらへんに別の道はないの? この町、観光に力を入れてるんでしょ? 他種族のみなさんで賑わってもいるじゃない?」


「この町には空の便で観光に訪れる客が殆んどなんだって。南極の端からシャトルバスならぬ、シャトル飛行機が出ているそうだ。ただし、陸の交通網については全くない」


「だったら私達も、シャトル飛行機に乗せてもらえばいいじゃない? 空の便で戻ろうよ」


「だから巡礼の旅では空を飛ぶ乗り物は禁止なんだって。過去にそれで失敗してるから、僕達は距離があったとしても、来た道を戻る場合であっても、飛行機は使わないから」


「へ? へ? 私てっきり、この町の近くから車に乗って再出発するのかと思ってた。またあの、クレパスにかかった怖いハシゴを渡って、一日近く歩いてきた道のりを、Uターンして戻るってこと?」


「そういうことになるな」


「……やだぁー。私、ここから一歩も動かないから。ダラダラしていたーい。ここでずっとダラダラしていたーい」


 コムギは、そう言ってコタツの中に頭から潜り込んだ。


「おいおい。おめーの仕事は巡礼の旅を無事にやり遂げることなんだぞ。氷結族の技術者さんがせっかくブリザードの中、ワゴン車を回収して修理までして、届けてくださったのに、その行為を無下にするなよ。僕たちのために、徹夜してくださったんだ」


「ぷーんだ。いやよ」


「どちらにしても、あと30分ほどでチェックアウトの時間だからな。もう僕は、宿泊費を払い終えたから」


「えええ。なに勝手なことしちゃってるのよ。私はチェックアウトなんて認めないから」


「認めても認めなくても、とにかく、僕は宿の外で待ってるから。もうすぐ、掃除係のおばちゃんが来るから、おめーも人間になって早く出てこいよ。さっき仲居さんから聞いたんだけど、巫女と従者の僕たちがここにきていることを、車を修理してくれた氷結族の方がどうやら言っちゃってさ、あっという間に町中に広がったらしいんだ。それで今、旅館の前ではチェックアウトをした僕たちを、大勢の町の方々が出待ちしているらしーから」


「むーむー。卑怯者ぉー。鬼ぃー」


「僕に言うなよ。僕は関係ねえ」


 僕は部屋を出ると、玄関に向かった。外は晴天だ。


 宿の外には大勢の方々が集まっていた。巫女が訪れているという情報は本当に、町全体に行き届いたらしい。たくさんの雪だるまがずらりと立っている。その中から、見覚えのある雪だるまが近づいてきた。ブリザードの中、この町にやって来た時に、最初に出会った氷結族だ。雪だるまが話しかけてきた。


「快適に過ごされましたか? 従者様」


「おはようございます。はい。あと、昨日は助けてもらい、宿にも案内してくださって、ありがとうございました」


「とんでもありません。それより、お金を使わせてしまい、大変恐縮ですよ。巫女と従者である身許を隠しておられるようなので、何も言いませんでしたが、身分を明かされたなら、宿代など不要でしたのに」


「え? 隠してる? どういうことですか?」


「私、こちらで仲居として働いておりまして……ほら」


 そう言って、雪だるまは頭の雪をゴロンと取った。すると、雪の中から昨晩から僕たちを担当してくれていた仲居さんの顔が出てきた。


「え、えええええー。それ、かぶりものだったのですかぁー?」


「これですか? この雪は氷結族の健康器具のようなものです。別に人間種と同じ温度でも、生きていけるのですが、こうやって、雪で体を覆って氷点下まで冷やすのは、健康にいいのですよ」


「なるほど」


 僕は頷いた。仲居さんはそんな僕の耳元に口を近づけて、言った。


「巫女様がコロポックルの姿に化けられて、身分を隠していることについては、私は他言はしませんから。きっと危険なことも多い大変な旅なのでしょう。理由がおありなのですよね? それに、仲居には守秘義務もございますから」


「は、はい。宜しくお願いします、ね」


 僕は頭を下げた。なるほど……。仲居さんと僕たちを助けてくれたあの雪だるまは、同一の氷結族だったのか。そうなると、コロポックル姿の巫女と人間の姿の巫女が同一人物であることは、この宿で彼女が僕達の担当の仲居になった時点で、知られていたことになる。なぜなら、一番最初に民家を訪れた時も、案内されてこの宿にやって来た時も、僕達は2人だけだったからだ。


 しばらくしてコムギも宿の玄関から出てきた。宿の前に集まっている雪だるまたちをゆっくりと見渡し、ニコリと微笑んだ。人間の時の『聖女』としての彼女の能力は、人外の種族にも適用する。そのため、彼女から発せられるオーラを浴びた雪だるまたちから、感嘆の声が漏れた。


「みなさま方、見送りに来ていただき、どうもありがとうございます」


 現在のコムギは、王女としての威厳をまとっている。僕はコムギの前で跪いた。


「姫様、あちらの方々が壊れました魔道具を回収し、徹夜で修理してくださいました。どうぞ、お言葉をお与えください」


 僕は4体の雪だるまに手を向けた。コムギは、そんな雪だるまたちに近づいて、深々と頭をさげた。雪だるまたちは、とても驚いている様子だ。


「修理のほう、ご苦労様でした。おかげで私達は旅を無事に再開することができそうです。感謝いたします」


 氷結族の技術者たちも、次々に頭を下げて言った。


「無事に塔の巡礼を終えていただくことは氷結族、我々だけではなく全世界の種族の願いでもあるのです。勿体無いお言葉です」


 僕は続いて、仲居さんに手を向けた。


「姫様、あちらの方は昨晩、遭難しかかっていた我々を助け、食事を提供してくださった方でもあります。どうぞ、お言葉をお与えください」


 コムギは彼女の元まで行き、お辞儀した。


「ありがとうございます。あなたのおかげで、無事にお勤めを再開できそうです。宿も紹介していただき、長旅の疲れもすっかり取れました。癒されました」


「巫女様、どうぞ巡礼の方、頑張ってください」


 雪だるま姿の仲居さんはペコリと頭を下げた。感激したのか、目の辺りの雪が湿っている。


 ………………。


「……では姫様、そろそろ出発しましょう」


 小さい雪だるまたちが、巫女を直で見ようと、僕達の周りに集まり、雪だるまの顔をポコンポコンと取っていく。子供達の目は憧れで輝いていた。そんな子供たちに続いて、大人の雪だるまたちも頭の雪の塊をポコンポコンと取っていく。その様子を、ぼーっと見つめていたコムギはボソリと「こうなっていたのね」と呟いた。


 なお、『二つ星ハシゴ』を再び渡ることはなかった。氷結族の方々が用意してくれた『ロープ・大きな籠・クレパスの上に作った支柱』を使い、人力エレベーターのごとく、僕たちを200メートルの高さのクレパスの上まで持ち上げてくれたのだ。僕とコムギはクレパスの上に立つと、200メートル下方の氷結族の方々に手を振ってから、彼らの視界から消える。


 その次の瞬間、ポム、と音がした。コムギがコロポックルに戻ったのだ。


「おいっ。まだその姿になるのは早いぞー。注意するんじゃなかったの?」


「だって疲れたんだもん。ねーねー、抱っこしてよ。だっこするにはコロポックルの方が軽いし、楽なんでしょ」


「おめーは、少しは自分の足で歩け」


「いいじゃん。いいじゃん。とーう」


「こらー」


 コムギはジャンプして、僕の服にしがみついてきた。仕方がないので、そのままだっこして運んでやった。再び丸1日ほど歩いて、氷の道にまで戻ると、魔道具のワゴン車を大きくした。辺りはもう真っ暗だ。コムギは、さっそく車の中に入っていく。


 僕も居住スペースに入った。すると中ではコムギが、スピースピーっと鼻ちょうちんを出しながら眠っていた。なんという早さ。僕も布団に入ると、すぐに眠りについた。


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