第6話

 どうやって降りようかと悩んでいた時、コムギがクレパスの向こう側の崖を指して言った。


「桃くん。あれだよ! あっち側に、蛇口した道があるよ」


「本当だ! よく見つけたな。確かに町に降りることのできる道があるな。約6キロ先の、クレパスのあっち側の崖にね。こっち側の崖にも同じよう坂道はないのかな?」


「うーん。ないみたい。……あら? なんだか細い糸のようなものも見えるけど」


「どこどこ?」


 コムギが指したところを、僕も見つめた。


「ほら、あそこ。クレパスの端と端に、何か細い線のようなものが見えるじゃない」


「本当だ。よくこのブリザードの中、見つけられたな! でかした、コムギ!」


「きっと橋よ。向こう側の崖に渡るための橋なのよ。このままここにいたら凍え死んじゃうから、早く向かいましょう。橋を渡って、蛇口した坂道をおりれば、町に到着よ」


「おう! 分ったぞ」


 僕たちは、橋が架かっていると思われた『細い線のようなもの』に向かった。そして、その正体を突き止める。これは橋ではなくハシゴである。ものすごく長いハシゴがクレパスの端から端に横に置かれているだけである。僕とコムギは、じっとこのハシゴを見つめた。


「これ……橋ではないよね?」


「だな」


「桃くんさー。このハシゴ……幅は30~35センチくらいかな? そして長さは約6キロ? よく途中でポキっと折れないわね。大道芸人が、何かをするために設置したのかしら」


「それじゃあ。おさきにー」


 僕はこれまでお姫様だっこしていたコムギを雪の上におろした。そして、ハシゴに手をかけて渡ろうとした。すると、コムギが僕の背後で叫んだ。


「え? え? ちょっと、待ってええええええ。桃くん、待ってぇぇえぇえええええええー」


「なんだよ。ブリザードがひどくて、早く町に行きたいんだよ。コムギ、おめーも僕のあとについてこい」


「ってか、何をしようとしてんの。あんた?」


「だから、向こう側に渡ろうとしてんだよ。決まってるじゃねーか」


「アホかあああああー。こんなハシゴ渡れるかあああああ」


「じゃあ、仕方がねー。おめーを置いていく覚悟を今、しなくちゃいけないってことか」


「待ってよ! 本気でそんな覚悟は決めないで! 私、高所恐怖症なのよっ」


「権力者ってのは、高いところから民を見下ろすのが、好きなんじゃないのか?」


「私、はっきり言うわ! 確かに高いところから人々を見下ろすのを好む権力者は、たくさんいるでしょうね。私だって高い場所から、山のふもととか、ライトアップされた街並みを見下ろすのが好きよ。でもね、それとこれとは話が別よ! こんな安全性も置かれている意図も不明な高さ推定200メートルの町の真上にかけられているハシゴの上を渡りたがる権力者は、いなぁああぁぁぁぁぁーい。だから、待ってよぉぉぉ。おいてかないでよー」


「ばいばーい」


 僕はコムギを残してハシゴを渡っていく。ブリザードが強いが、ちょうど真後ろからの風のため、バランスを崩して落ちる、という心配はなさそうである。


 500メートルほど進んでから振り向いたところ、これまで躊躇していたコムギも、ようやくハシゴに手をかけて、渡り始めたようである。彼女もようやく長さ6キロのこのハシゴを渡るしか、生き残る術はないと判断したのだろう。


 僕はコムギがそばに来るまで待ってやることにした。下を見ると、落ちたら確実に死ぬと実感できる高さだと分かる。しかし逆に、落ちなければ死にはしない。しばらくして、コムギが追いついた。


「おー。やればできるじゃねーか」


「あほー。ばかー。なんで、従者が巫女である私を置いてけぼりにしようとしてんのよ。桃くんのあほばかやろー」


「だって、こうでもしねーと、おめーは何も行動を起こそうとしなかっただろ? 人間は死ぬ気になれば、何でもできる!」


「いーえ。できませーん。くっそぉぉぉ。覚えてなさいよ、あんた! 今日という日のことは決して忘れないからね」


「ふーん。ほうほう。そんなことを言うわけねー。だったら、これでもくらえ」


「あわわわわわわ。やめてええええ」


「あはははは」


 僕はハシゴをグイングインと揺らした。ハシゴは僕を起点に波打つ。ハシゴを掴んだ時に気が付いたが、このハシゴは魔道具である。たしか『2つ星ハシゴ』という名前で、僕が幼少の頃に作ったものだ。魔道具であるこのハシゴの特徴は『どこまでも伸び続け、滅多に折れない』というもの。研究の末に開発した『生きている金属』と名付けた光沢のある植物細胞は、柔軟性の高い新素材だ。太陽光と空気中の様々な成分を取り込んで『ハシゴ』のような形状のまま成長するようにDNAを弄ってある。欠点は植物の体細胞分裂で成長するゆえに、伸びるのに時間がかかる点。そして、伸ばした後、伸びきったまま元に戻らないという点。この2つの欠点のためにハシゴとしての人気は薄く、僕が開発し、特許を取得した魔道具の生産期間において、最短記録を樹立して打ち切られた。


「おーちーるうううう」


 コムギはがっしりとハシゴに掴まっていたが、予期せぬことに、まだ揺れもおさまっていないところで、とことこと渡ってきて、僕の背中にしがみついてきた。


「お、おいこら! 何してんだよ」


「もう無理! 怖い思いをしたから、一人ではハシゴの上を進めない。代わりに進んで!」


「えええー」


「早くしなさい!」


「へいへい」


 僕は背中にナマケモノのごとくにくっついているコムギを乗せて、四つん這いのまま、ハシゴを進んだ。ブリザードが先程より強くなっており、急いで渡らないと危険な気もしたのだ。真後ろからの風向きも変わると、危ない。


 1キロ、2キロと進み、そしてようやく渡り切った。6キロ歩くだけでも、そこそこ疲れるが6キロのハシゴを渡るというのは、かなりの重労働だった。


 渡り切った後、僕の背中からコムギの声がした。


「あー。疲れたわー」


「おめーがそれを言うか? 僕の背中にしがみついていただけなのに?」


「それだけでも疲れるのよ」


「コムギはあれだな。車や電車に4~5時間も乗って、疲れたっていう人だ。一番疲れてるのは、車さんや電車さんなのに! 感謝の気持ちを常に持つべきだと、僕は思うんだよなー」


「なに馬鹿なことを言ってるのよ。車や電車って機械だから、疲れるわけないじゃない」


「もうストレートに言うぞ。僕はな、おめーを背中に乗せていたせいで、通常の倍も疲れたんだ。つまり、車や電車を例えにして、僕に感謝の気持ちを示せ、と暗に言ったんだよ! 無理やり感謝しろとは言わないけど、ねぎらいの言葉の一つや二つくらいは言うの、常識じゃないのかなー」


「ははぁー。ありがとうございました」


「分かればよろしーい」


 その後、僕とコムギはクレパスの側面で蛇口している下り道をおりて、氷結族の町に到着した。その時には、ブリザードの勢いがさらに激しくなっており、なんと、1メートル先が見えなくなっていた。この現象をホワイトアウトと呼ぶ。ホワイトアウトの中、かろうじて見える光に向かって歩いた。なお、ハシゴの上から見えた氷結族の住居は、人間種が暮らす家とは違い、かまくらを連想させるような半球体な建物のようだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る