第5話
数分ほど経つと、コムギが訊いてきた。
「はひぃーはひぃー。まだ、つかないの?」
「まだ、ワゴン車から500メートルほどしか離れてないじゃないか。これくらいで音をあげるなんて、運動不足だぞ」
「私はインドア派よ。そもそも48センチの低身長の私の歩幅を考えなさいな! くやしい! ワゴンの中でずっとゴロゴロしているだけでいいと思って巡礼の旅に同意したのに、まさかこんな目に遭うだなんてー」
「たかが500メートル歩いただけで、愚痴が多すぎるぞー。もう、おめーなんて、置いてけぼりにして、一人で先に行っちゃおうかなー」
「は、はあぁぁ? 私は巫女だよ? 私がいなくちゃ、世界が大混乱するんでしょう。ふふーん。桃くん、私をお姫様だっこしていきなさい。ちょうど私は本物のお姫様でもあるんだからさー」
「やだ。疲れるんだもん」
「この無礼者ぉぉ! おぶってくんなきゃ、巡礼の旅を続けないよっ! 私、もう一歩も歩かない! 凍死したら、従者の桃くんだって困るんでしょ?」
「あっそ。そー言うのね」
「ふーんだ。わかったのなら早く、お姫様だっこしなさーい。私をお姫様だっこして運びなさーい」
コムギは勝ち誇ったような顔を向けてきた。僕はそんなコムギに言った。
「ちなみにさー。巫女が死んだことがこれまでにも何度かあったんだけどさー。ある時、従者が巫女の遺体を運んで、祈りのポーズをさせながら塔めぐりをしたところ無事、巡礼が成功と見なされて、後の300年は安泰だった、という史実もあるんだってー」
「………………そ、そうなの?」
「それじゃあねー。僕は死にたくないから、先に行くよ。おめーとは、ここでお別れみたいだな。じゃーな」
「……勝手に行けばいいわっ!」
僕はそのままコムギを残して西に向かった。コムギは置いてけぼりにされない自信があったようだが、すぐに追いかけてきた。
「ま、待ってよー。本当に私をおいてくだなんて、冗談はよしこちゃんだよー」
僕とコムギは、そのまま数時間、歩き続けた。途中でコムギが本気で力尽きたようなので、要望通りに、お姫様だっこをしてやった。
そして。
「おおい。なんでこのタイミングで人間になるんだー。オメーは、コロポックルの方が、軽いんだよ。コロポックルに戻れよ。雪に足がめりこむっ!」
コムギはお姫様抱っこをしている僕の腕の中で、コロポックルから人間に戻った。なお、コムギが着用している普段着などは全て、僕がわざわざ彼女のために品種改良させた『蚕』が生み出す絹――魔道具『伸縮自在シルク(特許取得中)』と、同じく品種改良させた『蜘蛛』が生み出す糸――魔道具『伸縮自在クモノイト(特許取得中)』で編まれた衣類である。そのため、体格が変化してもフィットし続けるのだ。なお、彼女がコロポックルになっている時にはいつも、謎の大きなハスを抱き締めているのだが、このハスは彼女が生誕時から持っているコロポックルの能力で召喚しているものらしい。抱き締めていると落ち着くとか、なんとかで。
「仕方ないじゃない。私ってコロポックルであると同時に、人間でもあるんだからさ。桃くんは、私のことを人間に変身することのできるコロポックルだと思っている節があるけれど厳密には、それ違うから! コロポックルでい続けたら人間にならなくちゃいけない時間も必要になるわけなのよ。強制的にこの姿になっちゃうの。まさか、こんな事態になるだなんて思っていなかったんだもーん」
「人間の歩幅になったのなら、もう自分で歩けっ!」
「やだやだやだ。足が動かないの。足の筋肉に、乳酸が溜まってるんだもーん」
そう言いながら、コムギは僕の首にがしっと抱きついてきた。自分では歩かない、という意思表示だ。
………………。
「そろそろ、回復したんじゃないの?」
「足の筋肉がプチンプチンと千切れちゃったから無理! 知ってる? 筋肉がつく前には、筋繊維が壊れるんだよ。今の私の足は、筋繊維が壊れてグッチャグッチャな状態になっているの」
「歩きたくないからといって、適当なことを言ってごまかすな。どうせ人間になる時間が必要だったのなら、さっき、自分の足で歩いていた時、人間に戻って歩いておけよー」
「めんごめんご。頭がまわらなかった。えへへ。桃くんにお姫様抱っこされていると、楽ちんだなー。幸せだなー。次の電柱まででいいから、このままでいさせてよ」
「次の電柱って、見渡す限り、雪と氷以外ここには何もないのを知った上での発言だよな。僕は、乗り物じゃないぞっ」
「だったら、氷結族の町まで!」
「今度は、ストレートで言ってきたな。結局、目的地に到着するまで、運んでくれってことかよー」
「だってさー。そもそもこんな状況になったの、桃くんのせいじゃないの」
「え? なんで? なんで?」
「車が故障するなんて、もはや運の問題だよ。桃くんの運が悪かったせい。すなわちそれは、桃くんのせい!」
「僕のせいっていうけどさ、同乗者であるコムギ、おめーの運のせいという言い方もできるんだからな!」
「むむむっ!」
僕はコムギをお姫様抱っこしながら、さらに進んだ。午前中から西に向かって歩き出したが、すでに日が落ちかけている。夕陽は圧巻の美しさであったが、次第に空に雲がかかり始めた。まもなく、予報されていたブリザードがやってきそうな雰囲気となる。
再びコロポックルに戻ったコムギが、僕の腕の中で、空を見上げながら言った。
「ね、ねえ。桃くん、なんか、やばくない? 天候が……」
「だな。風も強くなってきたし、そろそろくるかなー。ブリザード」
「なんで、そんな楽観的に言うのよー。まだ地平線のかなたまで、何も見えてないじゃない」
「おっかしーなー。さっきの電話で移動速度的に、ブリザードがやってくる、ぎりぎりには氷結族の町に到着できるだろう、って言われたんだけど……。あっ、わかった」
「なに? 理由がわかったのなら、対処しなさいよー」
「おめーを運んでるからだ! そのせいで、遅くなったんだ」
「いやいやいや。桃くん、そんなレベルじゃないでしょう。地平線の先にすら見えない、まだまだ、はるか彼方にあるのに!」
「どちらにしろ、今回の場合の対処は、おめーを自分の足で歩かせることだな。あっ、でも逆におめーは歩くのが遅いから、置いてけぼりにするのが、ベストな対処法になるのかなー」
「そんな対処はしなくてもいぃぃぃです。むしろ、しないでください、ほんとにっ!」
僕たちはさらに西へと進んだ。道中、ブリザードがやってきて、本気で死を覚悟した。しかし、それからしばらくして、氷結族の町を見つけた。なんと、幅6キロはあるだろう巨大なクレパスの真下に、その町があったのだ。通りで、遠方からは見えないはずである。
「あ、あった。町だぞ。氷結族の町だっ」
コムギはくしゃみをしながら、クレパスの下を覗いた。
「へっくち。へっくち。夢? まぼろし? それとも、蜃気楼?」
「蜃気楼はこんなところに出ないぞ。あははは。コムギは、蜃気楼が現われる原理すらわからないのかよ。今どきの小学生ですら知ってるぞ」
「本気で言ったわけではなーい。いちいち、相手の発言の揚げ足を取らないの! そんなの、今はどうでもいいわ。早く向かいましょうよ。これで助かるわけね!」
「おう! 僕達はこれで助かったんだ」
「いやったーい。いやったーい。ブリザードがひどくて、本当に死を覚悟してたわよ」
「おう! 僕だって、おめーを置いてけぼりにすることを、何度も覚悟したぞ」
「ふふーん。残念だったわね。その覚悟を実行できなくて。本来なら、そんなことを言われたら、罵倒の嵐を浴びせてやるところだったけれど、今は助かったという喜びのほうが大きいからチャラにしてあ・げ・る。チュ」
コムギは僕の頬にキスしてきた。
「うわっ。おめー、あまりの寒さで、頭がラリったか。僕の頬に汚い唾液をくっつけるんじゃねー! 唾液が凍るっ!」
「へらず口ね。本来なら死刑ものよ。でも、それも見逃してあげるわ。今はそんなことより助かる方が大事。桃くん、なんでさっきから立ち止まっているの? 早く町に入りましょうよ」
「うーん。それについてなんだけど、一つ問題がある」
「問題? なにそれ?」
「どうやってこのクレパスの下まで降りるか、だ」
「降りるって、普通に坂道を下って町に……って、そういえば、見当たらないねぇ」
クレパスは垂直な200mほどの高さとなっている。まさに断崖絶壁といえた。町はそんな断崖絶壁の下にあるのだ。
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