第3話

 帝国城内にある大広間では出発祈願祭が行われていた。現在のコムギは、コロポックルではなく、人間になっている。彼女は24時間のうち6時間ほどだけ自由に人間になれる。コロポックルの血が強いためか、人間でいられる時間のほうが短いようだ。誰であろうと問答無用で忠誠を誓いたくなる聖女のオーラは、彼女が人間になっている時のみ出現する。ただし、このオーラは、どういうわけか僕には効果がない。おそらく幼少の頃から浴び続けていたせいで、免疫のようなものが出来たのだろう。


「さあ、到着しました。姫様、挨拶のほう、よろしくお願いします」


「わかりましたわ」


 2人でいる時の言葉遣いはラフだが、公式の場では互いに敬語を使い合う。会場に入ったコムギはフラッシュの中を堂々と歩いていった。そして一国の王女らしき、威厳を感じさせる佇まいでスピーチを始めた。こうした姿を見ると、先程の彼女とは別人だ。


 しばらくして会場に盛大な拍手と歓声が溢れた。コムギの出発のスピーチが終わったようだ。白銀のドレスをまとった彼女は美しく、オーラに免疫のある僕ですら、時々見惚れることがある。


 コムギは会場を後にして、城の外に出た。城前の広場にはコムギの姿をひと目見ようと、市民たちが集まっていた。僕はリュックの中からミニチュアのワゴン車を取り出し、それを地面に置いた。しばらくして、そのミニチュアのワゴン車はポンと煙を出して、巨大化する。観衆から声があがる。このワゴン車も『魔道具』と呼ばれる道具の一つで、大きさを自由に変える特性を持つ。僕の6世代ほど前の『道具使い』が作った魔道具だが、製作方法を公にしなかったので現品限りとなっている。見た目は普通のワゴン車だが、かなりの高額ゆえに、市場にそれほど出回らず、珍しいのだ。


 僕はワゴン車のドアを開けるとコムギを中に入れた。


 これから巡礼の旅が始まる。300年に一度の、世界中の種族が待望していた瞬間が、運転席に座ったこの僕が、アクセルを踏むことで始まろうとしている。コムギに記念すべき出発を知らせようと思った。運転席と後ろの居住空間はカーテンで仕切っている。そのカーテンの中を覗いたところ、僕は目を剥いた。コムギはこの僅かな時間でドレスを脱ぎ捨て、コロポックルに戻っていた。ハスの茎を抱き締めながら、敷いていた布団の上で、ぐてーっとしていたのだ。ちなみに、ワゴンの窓はマジックミラーとなっており、外からは中が見えないようになっている。僕は顔を戻すと、見送りにきてくれた方々に笑顔で会釈をしながら、エンジンをかけた。車を走らせる。同時に後ろでぐてーっとしているコムギに話しかけた。


「おいこら、みなさまが、見送ってくださってんだぞー。助手席にきて手を振るぐらいしろよ」


「面倒臭いからやーだもん。あー、しんどー。本当にしんどー。もう、今日はなにもしたくはないよ。私さー、大勢の前に出たり話したりするのって、あまり得意じゃないんだよね」


 ………………。


 僕は人々に手を振りながら言う。


「だったら、今はゆっくりしていてもいいよ。けどさ、夜には帝国領の塔に到着するから、そこでは、しゃきんとして祈りを捧げてくれよ。頼むぞ。あと、塔でも歓迎会が開かれるそうだから、スピーチの文言を考えておけよ」


「げええええええ」


 後ろから、コムギの本気で嫌がる声が聞こえた。


 『巡礼の旅』の二日目。深夜を過ぎた頃に、僕達は帝国領の『塔』についた。コムギは巫女の正装で塔入りする。どの塔にも9階層に『祈りの間』と呼ばれる外壁がぽっかりと開いた部屋がある。その部屋で祈りの儀式を行う。今、僕とコムギはその9階層の祈りの間にいた。日がまだ出ておらず、周囲は薄暗い。そうした日の出前にも関わらず、巫女の祈りの儀式を見ようと、塔の周りには多くの人々が集っていた。


 『祈りの儀式』の手順はシンプルである。『巫女が祈りの間で日の出の瞬間、太陽が昇る方角を向いて、じっと手を組んでいる』という、ただそれだけの内容だ。この儀式が成功した場合、塔の内部と外壁で、超常現象が起きるという。


 儀式の最中、僕は部屋の中からコムギを見守った。


 しばらくすると、真っ暗だった空にグラデーションがかかり始める。その数分後、太陽が地平線から現われた。コムギは、手を組みながら御来光に向かい、じっとしている。ふと、気付くと、祈りの間の壁に幾何学模様が浮び始めた。そこから光をまとった昆虫のようなものが溢れ出てきて、部屋中を飛びまわった後、塔の外へと出ていった。とても神秘的な光景だった。


 太陽が完全に昇ったところで、祈りの儀式は終了となる。御来光時は拝めた太陽も、今は眩しくて、直接見ることができない。僕は祈りを続けているコムギのそばまで行って、声をかけた。


「姫様、御苦労様でした。儀式は無事、成功したようです」


 コムギは目を開き、こくりと頷いた。


 その後、僕たちは車に戻り、人々に見送られながら『帝国領』を出た。


 運転の最中、コロポックルに戻ったコムギが、カーテンからひょっこり出てきて、助手席に座る。眠そうに目をこすった。


「おう、どうした?」


「別にー。暇だったからさー」


「今日はお疲れさまでした」


「本当にお疲れさまさまだよ。めっちゃ眠たいよー。なんで、儀式は早朝なの?」


「僕に訊かれてもね。眠けりゃ今から、眠ればいいじゃねぇか」


 コムギはとても疲れている様子だ。祈りの儀式をすることで、特別な負担でもかかるのだろうか。


「ねえねえ」


「なに?」


「疑問があるんだけれど、あんなので本当に効果があるの? 私、手を組んでいただけなんだけど」


「効果はあったんじゃないのかな? だって、光るヘンテコな虫たちが壁からうじゃじゃ出てきて、部屋から外に飛び立っていったぞ」


「ゲゲゲ? キモ! 目を閉じていたから、全然気が付かなかったっ」


「キモいというか、むしろ神秘的で綺麗だったけどなー」


「ねーねー桃くん。思ったんだけど、本当にー私がしなくちゃダメなのかな? 誰か代理をたてて巡礼も儀式も全部してもらっちゃうの。バレたりしないんじゃないの?」


「まだ言ってんのか、おめーは。いやいやいやいや、バレるバレないの問題じゃなねーぞ。ちなみに、これは史実にも残ってる話だけど、過去にもコムギのように面倒臭がりの巫女がいてさ、代役を立てたんだって。すると、とんでもないことが起きたんだ」


「とんでもないこと? その時はどーなったの?」


「その10年後、謎の伝染病が流行った結果、300年かけて全世界の全種族の総数の10分の9が死に絶えたらしい」


「……マジでぇ?」


「あとな、僕たちはワゴン車で世界中を巡るけど、飛行機とか空を飛ぶ乗り物で巡礼した巫女もいたんだって。その時は3年後に、歴史的な飢餓が起きたんだ。その後、巫女が陸路で巡礼をやり直した途端にピタリと飢餓が収まったらしい」


「車はいいの? 車もやばかったりしないの? 私、やり直しとかヤダからねっ!」


「車は大丈夫さ。一説によると、陸地を移動する際に大地の力を得ているとかなんとか……ってか、おめーも巫女なんだから、それくらいの基礎知識はしっかりと事前に頭に叩き込んでおけ」


「うぅぅぅ……」


 コムギは苦虫を噛んだような顔をした。


「ちなみに巫女が巡礼中に死亡した場合もあってさ、色々と問題が生じたらしいぞ」


「巡礼って危険なの?」


「世界の滅亡を望んでいるキチガイはどの時代にもいるってことだろうな。とはいえ、出くわす可能性はかなり低いだろうけどさ」


「ふーん……」


「まあ、キチガイが現われたら、僕が命に代えても守ってやるから心配するな。あはははは」


「不安だよ。桃くん、ザコっちいからとっても不安だ」


 ………………。


 こうやって1年近くをかけて世界中の塔を巡る、僕達の巡礼の旅が始まった。

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