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素戔嗚─俺は母上様に会いに行く
第05話 サヨナラ、小さな罪 【大法螺葦原神話】
それは、ヒンドゥー教の神話『マハーバーラタ』の
巨大亀クールマは
「ヴォォオオオオオアアアアッーーーーーッッ」
泣き叫ぶような咆哮を上げたのはダツで、残りの七つの頭は、左右、どちらにも回されて、へろへろになり叫び声をあげられる状態には無かった。。素戔嗚によって翻弄された頭と尾は、渦を起こして上昇し、穏やかな天候とは裏腹に、波を激しく揺らし、日本全土──
「父上が、来るな」
素戔嗚尊はそう呟き、八岐大蛇の身体を引き剥がして、海底に放り投げた。周囲は、噴煙が上がったようになり、それが収まると、舞残る砂がゆらゆらと八岐大蛇の身体の上に降りかかる。
「素戔嗚尊様…」
声を出したのは、ダツであった。他の頭達は、とっくに目を回して失神していた。
「ダツ。教えてくれた事に感謝する。俺は、母上に会ってくるよ」
そう言って、素戔嗚尊は膝を曲げ、海面を蹴ろうと膝を曲げ、上方に首をやった。
「お待ちくださいませ」
「ん?」
声をかけられた素戔嗚尊が、頭を向けると、ダツは、山の様な胴体から生えたダツだけが持つ半身をのろのろと起こし、口を海上に向けて大きく開け、剣を一振り、吐き出した。
「お納め下さいませ」
素戔嗚尊は、鞘付きのその剣を拾い上げた。
「これは…俺の子か?」
「はい。私は、貴方様の妻になったのですから、子供を産むのは当然の事でございます。…素戔嗚様…背の君」
ダツは、力尽きたように、砂の上に倒れ込んだが、彼女の目はうっとりと素戔嗚を見つめていた。
素戔嗚は、口をぽかんと開け、呆れた眼を向けると、小さく「ぷっ」と吹き出し、それが堰を切る合図であったかの様に、ゲラゲラと腹に手をあてて笑った。
「なっ」
ダツは、素戔嗚から嘲笑され、顔を紅潮させた。
「はっ。妻? 何を馬鹿な事を。妻を、あのように
そう言い残すと、素戔嗚は、帯に剣を巻き付けて、今度こそ海上へ戻っていった。
八岐大蛇──彼女は、水の
❖◇❖◇❖
「
海面へと上がって来た素戔嗚の立つ岩場にやって来たのは、
「これはこれは、父上。お久しぶりでございます」
「悠長に、挨拶などせずとも良い。委細を申せ」
「もう。せっかちだなぁ。委細も何も…俺、この仕事、辞めようと思って」
素戔嗚は、畏まった態度をとるのを止め、頭の後ろで両手を組んだ。
「はっ?」
「そういう訳で父上、俺を、勘当してくんない? 海上にも聞こえてたんだよね。あの声。あれ、俺の声なんだ。俺、母上に会いに行こうと思う」
「あの唸り声は其方の仕業か。あの波は、葦原国にも押し寄せたのだぞ。何? 母親だと? 其方。
黄泉国とは、伊弉諾神の別れた妻の
「さあ。どうだろうね。いいから、勘当してよ。…あ、そうだ。母上に男を紹介してもいいかなぁ? 父上とはもう別れたんだろ? いいよね」
❖◇❖◇❖
ゴウンッッッ
天地がひっくり返る程の揺れが、
それは、宮殿の裏にある宝物殿であった。
「これは……一体」
宝物殿の中に最初に踏み入った大日孁貴神は、中で行われていた事を知るやいなや、後続して来る者達が入って来ないように、扉を閉じてしまった。
「姉上。お久しぶりでございます」
「
「…その事なんですが…実は、父上様から、勘当されてしまいました」
「勘当?」
「はい。一人で海にいると母上様への思慕が募り、堪えようもなく泣いておりましたら、『出ていけ!』と」
「…そう。それで、どうして今、そんな事になっているのですか?」
「いやぁ。流石、姉上の髪飾りですね。彼女の玉の緒は、父上様から頂いた物ですか? 実に素晴らしい」
元は純白であった珠は、赤珊瑚の色に染まっていた。
大日孁貴神は、大声を出して百寮・群臣を招き入れる事も出来たが、遅れてやってきた彼等を宝物殿に入れると、あられもない姿の髪飾りの恥になると思い、宝物殿に結界を張ったのだ。そして、平静を装って怒りを抑えていたが、素戔嗚の言葉に、ビクリと身体を硬直させた。
「首飾りの玉の緒と思ってましたが、髪飾りにされたのですね。…ああ、彼女を責めないで下さい。彼女は、本当に
大日孁貴神は、素戔嗚の言葉に緊張を緩めた。だが、それと同時に、ふつふつと湧き上がる怒りが再燃し、今度は、とても抑えきれなかった。
「其方の方は、自分が何をしたのかを解っているのですね」
「ええ、もちろん。私は、姉上の髪飾りを掠め取ったのです」
「…そう…では、其方は、高天原への野望があるという事ですね」
「えっ? いやいや。そんな面倒な役目は…」
「問答無用!」
大日孁貴神の
「姉上様。この剣は、私の子です。私は、『髪飾りの婿になる』と
元結は、きつく結ばれる為に切れにくい。特に、大日孁貴神の元結は、彼女の神力の暴走を戒める封印の役割も併せ持つ。その為、素戔嗚が口上する間にも、破れてはいたが、切れる事は無かった。
大日孁貴神は、素戔嗚から剣を受け取ると、それを鞘から引き抜いた。抜き身となったそれは、若かりし
「アアーーーーーーーーーーーーーーーッ」
大日孁貴神は、内なる極楽浄土に身を委ねた。
閉ざされた宝物殿の外、中を伺う事の出来ない数多の神々は、突如、芳しくなった高天原にザワついていたが、ようやく開いた宝物殿の扉から、腰に、剣をぶら下げた大日孁貴神の姿を見て、
「皆、恐れる事はない。誓約によって、
大日孁貴神の後ろから素戔嗚は現れ、彼女の少し前まで進み出ると、彼女の方に顔を向け、片膝をついて頭を下げた。
そうする様を、大日孁貴神は見て、頷き、再び八百万の神々に向かって、
「これなるは素戔嗚という。彼に、
と。宣言した。
❖◇❖◇❖
「其方、誓約を忘れたか」
高天原にある宮殿の最奥。許しを得る迄は、
「突然、何を仰るのです。私は、髪飾りの婿となり、5人の
「髪飾りは、此度の事を受け止めきれず、
「は? 何故? 此度の事? 私は、何かいたしましたでしょうか?」
大日孁貴神の髪を束ねる水引が、一本、プツッと切れた。
「え? なんですか? お教え下さいませ。私には、とんと検討がつきません」
「…其方、
素戔嗚は、しばらく考えこみ、そして、ようやく思い出したのか、手を打った。
「ああ、あの演技の上手い女ですか。いや、あの女は私に、いつも熱い秋波を送ってきており、髪飾りに嫉妬していたのですよ。余程、髪飾りに成り代わりたいと考えていたのでしょう。ですから、私も、何も無い内に、私をめぐんでやろうと思ったのです。それが、暴れて大声を出そうとするものだから…」
「あの機織女は、髪飾りを慕っていたのです。其方にではありません」
「えっ?」
「それよりも、何故、其方が慕われると思ったのですか! 髪飾りの婿になったのを良い事に、田畑を荒らし、糞尿をまき散らし…勝手、気ままをしていただけではありませんか。無垢なまま其方の妻となった髪飾りも、其方を知るうちに懊悩するようになっていたのですよ」
「え? ですが…あの女の方から私に近づいてきたのですよ」
「それは、髪飾りの懊悩を其方に諭す為です。其方に汚された機織女は、自らを恥じて亡くなり、髪飾りは、その事で自分を責めて、射干玉となって砕け散り、玉の緒は、私の元に還ってきました」
大日孁貴神の髪を束ねる水引が、もう一本、プツッと切れた。
「……それは…、貴女の胎に還ったという事ですか? 母上」
「えっ?」
扇のように開きかけた大日孁貴神が、鎮まった。
「髪飾りは、この高天原で作られた、私の妹なのでしょう? お二人は、
「なっ? 何故?」
「それはいいでしょう? ただ、わた……俺は、それを知っているというだけだ。父上は、
大日孁貴神は、カタカタと震え始めた。
「母上。貴女が知らない事も、俺は知ってるんだ。
「いやーーーーーッ!!!!」
大日孁貴神の悲鳴に遮られ、素戔嗚は、大日孁貴神への“トドメの一言”を発せられなかった。
『貴女は、自身の母を甚振った男を愛したのだ』
と。
この後、大日孁貴神は、天の岩屋に隠れ、素戔嗚は、この事を高天原の百寮・群臣に責められて追い出された。
素戔嗚にしれみれば、自分を婿とした女がいなくなったので、高天原に留まる理由は無かったし、良い事をしてあげたと思っていた機織女が、自分の勘違いのせいで死んでしまった事に、小さな罪悪感を感じ、高天原にいたい。とも思っていなかった。
髪飾りの産んだ素戔嗚の息子達は、玉の緒と同化した大日孁貴神の子供となり、大日孁貴神の産んだ素戔嗚の剣の娘達は、誓約は果たされなかったとして、剣の子供となり、剣は、素戔嗚に付き従って、高天原を出た。
❖◇❖◇❖
母を討ちのめした事に満足した
しかし、奇稲田姫は、彼女の姉を七人も生贄として怪物に捧げさせられており、この数日後には、彼女も食われる事に決まっていた。素戔嗚は、その話を聞く内に、怪物の正体が、
生贄を食らいに来た八岐大蛇だったが、そこにいたのが素戔嗚であった事に驚いた。
「背の君…何故、ここに」
「やあ。ダツ。久しぶりだね。……まだ、俺の事をそう呼んでるんだ。余程、俺に未練があるんだな?」
「そ、そんな事はない。…君を忘れている時間が長くなった…ああ、そうだ。君の姿を見る迄、すっかり忘れていたよ」
「へぇ。そうなんだ。…まぁ、いいさ。今宵、ここにお前が来ると聞いて待ってたんだ。共に、呑み明かそうじゃないか」
そう言って、素戔嗚は、八つの酒の甕を、それぞれの頭の前に運んだ。
「俺が、自ら運んできた酒だ。まさか、断らないよな」
素戔嗚は、居丈高にそう言うと、自分用の酒の甕に酌を突っ込み、椀の中に注ぎ、それを口に運ぶと、一気に
「…君は、しばらく見ない間に、とても小さくなった」
ダツは、他の頭達が、素戔嗚が飲み干したのを合図に、目の前の甕の酒を、ごくごくと飲み始めたが、ダツは、少しづつしか飲まなかった。
「うん? ああ、先日まで、高天原にいた。お前の教えてくれた事のお陰で、俺は、母上に会えた。だから、これでも、お前には感謝してるんだ……それにしても、ダツよ。お前以外の奴等の
ダツは、顔の事を言われ、素戔嗚に顔を晒す事が恥ずかしくなり、甕の中に頭を突っ込んだ。
八岐大蛇の他の頭達の顔は、奇稲田姫の姉達の顔だった。ダツは今夜、奇稲田姫を食らい、彼女の面を手に入れる筈であった。
八岐大蛇は、素戔嗚に『醜女』と嘲笑された後、葦原国を巡り、彼が好むであろう面を持つ8姉妹を探した。そして、美しい顔を手に入れた後、素戔嗚を探し出し、今度こそ妻として認められようとしていた。
素戔嗚は、次の椀の酒からは、ゆっくりと呑んだ。
「ふん。お前が、醜女なのは、今更のことだ。俺は、高天原で、俺に相応しいと思った女を妻にしたが、その女は、
思いがけぬ素戔嗚の言葉に、ダツは、酒をごくごくと勢いよく呑んだ。
「お前は、今の話し方の方が良い。海原で、お前に襲われて返り討ちにした時を思い出す。お前は、俺に媚びるような言葉を使わなかったのに、俺がお前を女と見抜くと、急に
素戔嗚は、立ち上がると、八岐大蛇のそれぞれの頭が、本当に寝入っているかを確認した。
「許せよ。奇稲田姫の事もあるが、それより何より、あの事を知っているお前を生かしているわけにはいかないんだ。恨むなら、自分の口の軽さを恨め」
そう言うと素戔嗚は、剣の鞘を捨て、七つの頭を胴体から斬り分け、最後にダツの首元に剣を当て、
「今度は言えるといいね『さみしかった』って」
と、斬り落とした。
斬り落とした後、その衝撃を受けたのは、剣の方であった。
「ち…父…う…え………」
剣は、そう言って喀血し、その身には、
「むっ! どうした」
「わ、解りま…せん。です…が、私は…もう、
素戔嗚は、剣が、剣であるうちに細切れにしてしまう事にした。
胴体から八つの尾を切り取り、そして、胴体の腹に剣を突き立て、皮を掻っ捌いた。それから、更に深い所まで、剣を突き立てると、今度は、何か固いものに当たり、剣は粉々になった。
素戔嗚は、その切れ込みに腕を入れて、固い物を掴み出すと、それは、粉々になった剣よりも立派な、剣──
それは、粉々になった剣の双子剣であり、八岐大蛇の腹の中で、彼女の素戔嗚への愛情によって、充分に鍛えられていた。
素戔嗚は、全てが終わった後になって、粉々になった剣に親殺しをさせた事に気が付いた。そこで、粉々になった剣の欠片を、椀の中に入れて、酒を注ぎ、一気に飲み干して、三人の娘達を、自分の子供にした。
完
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後書
自主企画
主催者:香鳴裕人 様
[第2期] 同題異話SR -Sep.- 『サヨナラ、小さな罪』
自主企画
主催者:八幡西県研究室 様
【お題形式企画】指定セリフを入れて
● 「今度は言えるといいね『さみしかった』って」
● 「君を忘れている時間が長くなった」
参加用書下ろし作品です。
祟られたくないよぉ…。
祟られたくないよぉ……。
祟らないでください。
祟らないでください。
この話は、嘘ですよぉ。筆者の妄想の塊以外、なにものでもありません。
ついにここまで戻ってしまった。
「もう、ここより前の時代に戻る事はないでしょ」
と、思われるかもしれないが、困った事に、ここに至る設定の妄想は、脳の中にあるのだ。次のお題タイトル次第で、出す事になったらどうしよう。
嗚呼、祟られたくないよぉ…。
【歴史系短編集】大法螺葦原国史 久浩香 @id1621238
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