【大法螺葦原国史】…と銘打ってみた話
葛城皇子─いつか必ず華にしてやる
第03話 初会 【大法螺葦原国史】
「母上。あれは、誰ですか?」
男の方は、背も高く、がっしりとした広い肩幅があり、女の方も、豊かで女らしい、円やかな肉付きをしている事が見てとれた。女の方はともかく、母親の邸宅に、男が住んでいるのはいただけなかった。
『
言わずとしれた『大化の改新』の第一歩である。
大方の理由は、天皇家の威光を
息子として、母親の生生しい部分は考えたくは無かったが、宝皇女という女性は、とにかく男前というものに目が無く、それを隠そうともしなかった。
入鹿が、男妾であったという噂までは信じてはいないが、夫という枷を失くしていた事や、入鹿を失った後、一気に老け込んだようになった宝皇女の様子に、『或いは』と、考えないでもなかった。
それでも、入鹿の場合は、自分の豪邸に帰宅していたようであるし、彼が宝皇女の住む後宮内に足を踏み入れたとは聞いた事が無かったが、今、葛城皇子の視線の先にいる男は、東ノ舎に住む付いているように見えた。
目の前から葛城皇子がいなくなったとみるや、侍女に盛って来させた完熟の桃にしゃぶりついていた宝皇女だったが、敷居から、
宝皇女は、食べかけの桃を高坏に戻し、その上に、果汁でベトベトになった両手をかざした。彼女が、口の中の桃を咀嚼している間に、別の侍女が彼女の両手を浄め、それが終わってから、ようやく、肘掛を握り「よいしょ」と、椅子から尻を浮かせた。
彼女の年齢は、もうすぐ還暦というところだ。動作の一つ一つが鈍くなるのは仕方がない。とくに、目の前で寵臣を殺害された事で、一気に老け込んだ。歩くのに杖を突くのは勿論だが、万が一にも転ばぬ様に、両横の侍女は、宝皇女に歩幅を合わせて歩き、片方の侍女の腕は、彼女のもう一つの杖となり、逆側の侍女は、彼女の背中を支える。
ゆっくりと、面倒臭そうに濡れ縁に近寄りながら、
「なぁに? 誰がいるの?」
と、言って、敷居を跨ぎ、侍女の腕を離して、濡れ縁を廻る
二つの並んだ影を捕らえ、それまで、いかにも鬱陶しい様であった宝皇女の目は、曇天の空から一斉に雲が吹き去った様に、生き生きと輝き、まさに夏の青空の如く晴々とした笑顔を浮かべた。
「まぁ。
宝皇女は、高欄に手を置いたまま、胴を後ろに回し、
「誰か、大海人をこちらに呼びなさい」
と、弾む声で命じると、すぐに遠目にいる大海人皇子へと視線を戻し、恋する乙女の眼差しで彼等を追った。
宝皇女は、杖役の侍女の立っていた場所に立つ葛城皇子の顔を見る事もなく、件の男女についてを話し始めた。
「そうね。貴方が知らないのも無理もないわ。あの子は大海人。貴方の
そうして話ている内に、宝皇女の采女が二人の元に辿りつき、彼女の案内で、二人が身舎に近づいてきた。
大海人皇子は、右腕を振り上げ、ゆったりと手を振った。その頃になってようやく、二人の容貌が、葛城皇子にも認識できた。
葛城皇子も、自分に同母弟がいる事は聞いていた。ただ、彼が生まれた頃、丁度、彼等の父の
「
そう言って、宝皇女は、恋しい男に応えるように、持っていた杖を振って返した。それまで、零れんばかりの笑みを大海人に向けていた彼女だったが、ふっと、顔を陰らせて、葛城皇子の顔を見上げ、
「ねぇ。……あの子を殺したら、私は絶対に貴方を許さない。……本気よ。覚えておいてね」
と、言った。
子供は可愛いものだ。しかし、どうしても性の合わない子供というのものが存在してしまう事も確かだ。愛せない自分がおかしい事も、理性では解っているのだが、だからといって、どうする事もできない。まして、より可愛い子供が他にいれば、その溝は、もう埋めようが無い。
宝皇女にとって、葛城皇子はそういう子供だった。それでも彼女は、大海人皇子と、普段は別れて暮らしていたので、どうにかしようと努力はした。しかし、彼が乙巳の変を起こした事で、彼女は、自分のしてきた事を水泡に帰されてしまったと感じ、仮面を被る事もやめてしまった。
葛城皇子も、自分が宝皇女から良く思われていない事は知っていた。しかし、弱弱しく、何事も他人まかせにして、自分は満開の花苑で埋もれ暮らしている様な彼女から、殺意を込めた瞳で睨まれた事は初めての事だった。
背筋に、ゾクリを悪寒を感じたところで、大海人皇子と額田王が、高欄の下までやってきた。
「母上。お召に従い参上いたしましたよ」
「宝皇女様。御加減はいかがですか? この
そう言ったのは、額田であった。彼女は、元々、宝皇女に仕えていた。大海人皇子に見初められ、添臥役から妻となったのだが、侍女であった頃と変わらず、姑となった宝皇女の身体の事を慮っていた。
その姿は、眉目秀麗。円やかな身体に整いすぎる程整った顔。色香の面では未発達と言えなくもないが、右目の目尻の先に泣き黒子があり、それがなんとも色っぽかった。
宝皇女は、大海人皇子と額田に、葛城皇子を紹介した。
大海人皇子は、秋から
宝皇女の譲位を受け、現在の天皇となったのは、彼女の実弟であったから、葛城皇子を通す必要は無かった。
自邸に戻った葛城皇子は、寝台の上に仰向けになり、大海人皇子と額田の事を考えていた。
『ようやっと、あの子の気に入る娘が出来て』
肉親である事の気安さからか、大海人皇子は、初めて会う兄の前だというのに、片方の手は額田の手を握り、もう片方の手は彼女の腰に回し、彼女の身体を寄り添わせ、隙あらば、彼女の顔へと視線を戻した。
(母上が言ったように、大海人は女に惚れているのだろう。だが、あの額田という女はどうだ?あれは、本当に大海人に惚れているのか?)
大海人皇子の目配せを、額田が受ける事は一度も無かった。大海人皇子の彼女を触る手は、時に力を込められる事もあっただろうに、彼女の細く長い首は、常に上を向いて、濡れ縁に並び立つ、宝皇女と葛城皇子の方を向いていた。
(あの女…こちらを見る自分の唇が、いかに綻んでいたか…気づかなかったのだろうか?…………母上を隠れ蓑に、私を見ていた?)
「ま、これ以上、母上に嫌われるのも、こたえる…か」
そう口走ると、葛城皇子は身体を起こし、自分の身舎を出て、妻の一人である
彼女の父の
彼女は、葛城皇子の腕の中で、朝顔の蕾のように自らをきつく絞り腐ろうとしていた。他に想い合う男がいたのだ。葛城皇子は、大郎女をその男──蘇我
自分を愛さぬ人形になど興味は無かったし、これで身刺を手駒に使えるのなら、安いものだった。大郎女は、迎えにきた身刺に抱えられ、蕾を緩め、風を受けた帆のように瑞々しく花開いた満面の笑みを見せた。
(大海人の目にとまってしまった
姪娘は、唇に飼っている雛が、ようやく帰ってきた親鳥に餌をせがむかのように鳴いている。
(女は華だ。誰の腕の中でも咲ける女もいるが、土壌を選ぶ華は、ただ水をやるだけでは、美しくは咲かぬ。そして、あの女を咲かす土壌は私だ)
寝台の軋む音に呼応して、姪娘の放つ芳香が強くなる。
(いつか必ず、あの女を華にしてやる)
身刺の密告で、倉山田石川麻呂は自害した。それは後に、間違いであった事が解ったが、右大臣となった彼が、第二の入鹿になりかけていた事も事実だった。身刺は、筑紫大宰帥として筑紫国に向かう事になったので、世間では、
倉山田石川麻呂は、身刺と大郎女の密通を知り、失くした血判に代わり、
その例に倣い、葛城皇子は、額田王の代わりに長女の
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後書
くっ。
ついに、ここまで歴史を逆行してしまった。
おかしい。平安時代が、遠い。
大海人皇子の胤が誰なのかは…結構、どうでもいい。
額田王の恋心の所在は…書きたいんだけど、上手く文章が纏まらない。
倉山田石川麻呂の身刺に奪われた娘の名前は、名称不明なんですが、長女の事を大郎女と言うらしいので、それで良いかなぁ。と。
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