応援コメント

第01話 午前三時の小さな冒険」への応援コメント

  • 丑の刻まいり。実は自分もそれしか思い浮かばずに書いていたので、興味を持って読ませていただきました。同じものをテーマにしているのに、読んでみたらやっぱり全然違いました。
    人のどろどろした感じがよく出ていると思います。残酷な感じがあって、特に於夏が不憫ですね。
    史実を元にされていたそうですが、考えながら読んでも分からなかったです。一体、元はどんな話だったんでしょうか。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    於夏が丑の刻参りを行ったのは、823~4年を想定してます。

    元の話は、『平家物語』の読み本系異本の「剣巻」より。
    wikiの『橋姫』に掲載されてました。

    「嵯峨天皇の御代に公卿の娘が~」なので、ギリギリ違うのですが、緒夏の父親の藤原内麻呂は公卿です。

    史実部分。<実名>
    ①:藤原良房と緒夏は、異母叔母と甥の関係である事。
    ②:高津内親王が廃妃され、815年に橘嘉智子が皇后、多治比高子が妃にそれぞれ立てられた事。
    ③:嵯峨天皇が譲位する時、藤原冬嗣は、凶作(旱魃)が続き、財政負担が大きいと反対した事
    ④:源潔姫が、良房の元に降嫁した事。
    ⑤:多治比高子の死亡年が825年。
    ⑥:橘嘉智子が、遺体が腐乱して白骨化していく様子を人々に示した事。


    推理部分。
    ◎:緒夏が嵯峨天皇の夫人になったのは、冬嗣による②の功績以降。

    フィクション部分
    ◎:緒夏が貴船神社で丑の刻参りを行った(行わされた)。

    ◎:橋姫の正体
    妬み=橘嘉智子
    肉体=藤原緒夏
    実行者=伊邪那美(黄泉津大神)
    「宇治川に21日間浸る」部分を伊邪那美が補完したって感じでしょうか。

    ◎:伊邪那美が緒夏の肉体を自由に使役できる程馴染む迄に1~2年かかった設定。

    …って感じで考えました。