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2020年5月25日 23:51
丑の刻まいり。実は自分もそれしか思い浮かばずに書いていたので、興味を持って読ませていただきました。同じものをテーマにしているのに、読んでみたらやっぱり全然違いました。人のどろどろした感じがよく出ていると思います。残酷な感じがあって、特に於夏が不憫ですね。史実を元にされていたそうですが、考えながら読んでも分からなかったです。一体、元はどんな話だったんでしょうか。
作者からの返信
コメントありがとうございます。於夏が丑の刻参りを行ったのは、823~4年を想定してます。元の話は、『平家物語』の読み本系異本の「剣巻」より。wikiの『橋姫』に掲載されてました。「嵯峨天皇の御代に公卿の娘が~」なので、ギリギリ違うのですが、緒夏の父親の藤原内麻呂は公卿です。史実部分。<実名>①:藤原良房と緒夏は、異母叔母と甥の関係である事。②:高津内親王が廃妃され、815年に橘嘉智子が皇后、多治比高子が妃にそれぞれ立てられた事。③:嵯峨天皇が譲位する時、藤原冬嗣は、凶作(旱魃)が続き、財政負担が大きいと反対した事④:源潔姫が、良房の元に降嫁した事。⑤:多治比高子の死亡年が825年。⑥:橘嘉智子が、遺体が腐乱して白骨化していく様子を人々に示した事。推理部分。◎:緒夏が嵯峨天皇の夫人になったのは、冬嗣による②の功績以降。フィクション部分◎:緒夏が貴船神社で丑の刻参りを行った(行わされた)。◎:橋姫の正体妬み=橘嘉智子肉体=藤原緒夏実行者=伊邪那美(黄泉津大神)「宇治川に21日間浸る」部分を伊邪那美が補完したって感じでしょうか。◎:伊邪那美が緒夏の肉体を自由に使役できる程馴染む迄に1~2年かかった設定。…って感じで考えました。
丑の刻まいり。実は自分もそれしか思い浮かばずに書いていたので、興味を持って読ませていただきました。同じものをテーマにしているのに、読んでみたらやっぱり全然違いました。
人のどろどろした感じがよく出ていると思います。残酷な感じがあって、特に於夏が不憫ですね。
史実を元にされていたそうですが、考えながら読んでも分からなかったです。一体、元はどんな話だったんでしょうか。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
於夏が丑の刻参りを行ったのは、823~4年を想定してます。
元の話は、『平家物語』の読み本系異本の「剣巻」より。
wikiの『橋姫』に掲載されてました。
「嵯峨天皇の御代に公卿の娘が~」なので、ギリギリ違うのですが、緒夏の父親の藤原内麻呂は公卿です。
史実部分。<実名>
①:藤原良房と緒夏は、異母叔母と甥の関係である事。
②:高津内親王が廃妃され、815年に橘嘉智子が皇后、多治比高子が妃にそれぞれ立てられた事。
③:嵯峨天皇が譲位する時、藤原冬嗣は、凶作(旱魃)が続き、財政負担が大きいと反対した事
④:源潔姫が、良房の元に降嫁した事。
⑤:多治比高子の死亡年が825年。
⑥:橘嘉智子が、遺体が腐乱して白骨化していく様子を人々に示した事。
推理部分。
◎:緒夏が嵯峨天皇の夫人になったのは、冬嗣による②の功績以降。
フィクション部分
◎:緒夏が貴船神社で丑の刻参りを行った(行わされた)。
◎:橋姫の正体
妬み=橘嘉智子
肉体=藤原緒夏
実行者=伊邪那美(黄泉津大神)
「宇治川に21日間浸る」部分を伊邪那美が補完したって感じでしょうか。
◎:伊邪那美が緒夏の肉体を自由に使役できる程馴染む迄に1~2年かかった設定。
…って感じで考えました。