第2話

「寝不足?」武史は少し小馬鹿にしたように言う。「漫画ばっか読んでるからだ」

「……うん。まぁ大丈夫」

ヒメの事情などお構いなしに仕事の時間は迫ってきている。

「もししんどかったら休めば?」武史はコーヒーを飲み「俺は今日休みだし、家事とかは任せてよ」

「大丈夫だからっっ」ヒメの脳裏には、横たわる爬虫類になった武史がこちらを向いて大きな牙から滴る粘つく唾液が浮かんだ。

ヒメは眉根を押さえて深呼吸した。忌々しい頭の中の映像が全身に染み渡る気がしたのでチューブの中身を絞り出すようにして体外に排出しようとこころみた。

ヒメがいきなり語気を荒げたので、武史はたじろいだ。

「まあ、それならいいんだ」


―今日の最下位はおとめ座のあなた。隠していた秘密がばれてしまうかも。はやめに謝っておくのがいいかも。ラッキーアイテムはグラスです。


「ヒメ、最下位だね」

朝の占いは滑稽な外し方をしていた。


「本当に元気がないというか、ため息が多いというか」

「分かりますか」

「うん。覇気がないよね」

「なんというか、帰りたくないというか」

恋人が謎の爬虫類でしたぁ、などと言えるはずもなく悶々としているが、上司の行松はそれを痴話げんかと捉えたようで

「謝らしたらいいんやって。電話ででもして、とにかく謝れって言ったら男とかすぐに謝るやろ」

「行松さんはそんな男としか付き合ってないからですよ」

「それな。なんでクソみたいな男ばっかなんやろうな」

あの、とおどおどした後輩の浦見三摩の細い手にかたを叩かれた。ヒメの耳元、息が孔のなかに吹き込むところで「とっても大事な話なんですぅ」と言った。

浦見に手をひかれるまま給湯室につれていかれた。ウォーターサーバーの水を飲みつつ彼女が話し始めるのを待っていると退席時間が長すぎると行松に怒られるかもしれない、そんな心配をしていると、意を決したらしく話始めた。

「驚かないでください。単刀直入に、先輩は恋人が人間じゃないでしょ」

紙コップを落とした。その反応がすべてを物語ったように思えたが、ヒメは馬鹿馬鹿しいと一蹴した。

「父も弟もそうなんです。普段は人間なのに実は人間じゃない、恐竜のような生物なんです」

「仮にあなたの家族がそうだったとして、どうして私の……私の武史もそうだって言い切れるの」

「言っても信じないでしょうが、ヒヨドリの群れがそう伝えていきました。先輩が正体に気が付いたと」

「すぐに、病院に行きなさい」

「先輩は、世の中のことを分かっていない」まだ寒さは本格的に始まっていないにも関わらず厳冬のなか裸で放りだされたかのように震えはじめた後輩を抱きかかえた。

「明日、護生の会の方々がウチに来ます。先輩は絶対に来てください」

「新興宗教の誘い? いい加減にして」

「先輩の命に関わることなんですっ」

「ちょっと、大声出さないで」

「来ないなら、引きずってでも縄で縛ってでもスタンガンを使ってでも連れて行きます」

「……武史も一緒にいい?」

「冗談はやめてください」彼女はヒメの首を掴んだ。

「もし連れてきたら二人とも……」握る力が強くなり爪が食い込み始めたので、わかったとなし崩し的に答えた。

彼女がそそくさと部署にもどるので、その後を追う形で給湯室を出た。ヒヨドリの集団が電線にとまっていた。

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