世界の半分は化け物

古新野 ま~ち

第1話 

「音をあげてくれ」

「こっちに来なよ」

「無理、臭いもん」

言われるままにヒメはタブレットの音量を最大にした。少し離れて彼女に背を向ける安藤武史にも聴こえるようにするためだ。

臭いというのはヒメが使用している除毛クリームのことだ。たしかに薬品の臭いはあるものの、臭いといわれると不愉快であった。


―女がムダ毛処理しているのを見たくないなら、はっきりそう言えばいいのに。


再生中の音楽はAwichのアルバムである。リリックは高圧的、フローは繊細であるという魅力的なラップをするヒメの最近お気に入りのラッパーだ。


「ラップって何言ってるか分かんないね」

「彼女の曲は聴きやすいよ」

「うん、それは分かるよ。時々英語が混じると意味を理解するのが難しくてね」

「ベンキョーすれば」

「そうだね」武史は力なく笑って「よくわからないけど、セクシーでいいと思うよ。ヒメはやっぱり趣味が良いね」と付け加えた。

「セクシーって、おっさんみたいなこと言うね」

「おっさんだし」

10月が終わりかけた今日、ハロウィンムードに狂ったのか馬鹿みたいにお菓子を買い込んできた武史はジャック・オ・ランタン模様のチョコをむさぼっている。

「お菓子をくれなきゃいたずらするよ」

「じゃあいたずらで」

「……つまんないな。やさしくしてよ」

武史は音楽に耳を傾けて、できるだけ歌の構造を分析しようとしている。だから無意識に菓子を口に運んでいるだけで味わってはいない。

無性に、からかいたくなるほど無防備な様だった。


「武史」と呼びかけた。

そして振り返る彼に手鏡の反射した光をあてた。まぶしいなと武史はゆるーく怒った。しかし眼鏡の下の瞳には、一切の怒気が感じられなかったのでヒメは安心した。

武史は鏡にうつる自分を見つめて笑っていた。



 灯りを消すと眠れずにスマホで漫画を読むヒメを無視して、武史はすぐに熟睡した。

 眼鏡をはずした彼の顔は5歳は老けたようにみえた。スマホの明かりを、閉じた目のあたりにあてると枕に顔をうずめて光から逃げるのが面白かった。

―この眼鏡、すごいな

老け顔の恋人を同世代くらいに見せることのできるアイテムだ。

そう彼に言ったことがあった。ヒメの化粧とおんなじだよというから、頬をつねった。

―自分には似合うかな

ヒメは彼の眼鏡をかけて洗面所に行ってみた。

黒ぶちでレンズの大きい眼鏡は、どことなくアホな子にみせる威力があった。

ぶりっこみたいだ。くすくす笑ってベッドに戻る。


巨大なワニが彼女のベッドにいた。


―は? 


彼女は理解できず、灯りをつけた。そして布団をはぎとると、まぎれもなく、パジャマから出た手足は鱗に覆われていた。武史の着ていたパジャマだ。

しかし、武史はいなくなっていた。いや、正確に言えば、かすかに武史が見えるのだ。

眼鏡のなかでは鱗の肌が黒ぶちの外に出るや人肌に、武史のすこし褐色の肌がみえる。

眼鏡をはずせば武史がいた。眼鏡をかけると爬虫類になった。

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