第2話
▼瑞鹿山円覚寺 選仏場 未の刻
【さて、前のお話で雲八と水熊が準備していた食事は、今やすべて無事に終わっております。準備を終えた二人も、他のお坊さんたちと一緒に神妙な面持ちで食べました、いや、修行しました。朝の粥座、昼の斎座と過ぎまして、今は未の刻、午後二時過ぎ頃であります。寺の中では、読経、座禅、作務と釈迦牟尼への奉仕をつつがなく行っております。掃除も支度もすべて作務となる禅寺で、先程の二人はというと、選仏場での掃除や張替など保全の作務を担っているところ】
雲八 <熊さん、そこの須弥壇の彫ってあるところ、そこに積もる塵にもご注意くださいね>
水熊 <そうか、危うく見逃すところでした。ありがとう。ここの掃除が怠ってると怒られるからね。老師もよくもまぁ、こんなところまで見てると思いますけどね>
雲八 <本当に>
水熊 <細かいというか、目ざといというか>
雲八 <今ここには私たち二人だけ。そう言っても何らの心配もございません>
水熊 <ははは、いないからこそ言えますな。おっと、薬師如来様の薬壷に塵芥は入れちゃいけません。その払子、じゃなくてハタキで払ってくださいな>
雲八 <はい、ただいま>
水熊 <ハタキをもった八さん。作務の迅速たること。お姿はまるで払子を持った千手観音様の化身ですな>
雲八 <そんなこと言われますと、はりきっちゃいますな。ほれ、ほれ、ほれ>
水熊 <あら、いけませんよ、持物を落とす、あるいは腕を落としてしまったら即刻で破門の憂き目>
雲八 <わかっております。気を付けないとね>
水熊 <床の石も、畳も、いやはや冷たい>
雲八 <これからが真冬で、寒さの本番。まったく嫌ですなあ>
水熊 <朝が思いやられますよ>
雲八 <さて、二龍も須弥山全体も我々の法力できれいにし終えたところで、次は障子に取り掛かりますかな?>
水熊 <はい。まあ糊も冷め切っておりますよ>
【選仏場に張り巡らされた襖と障子の張り替えも作務のひとつ。続いて二人は少し黄ばみの目立つ障子を真新しいのに張り替えることを行うそうで】
雲八 <あ~あ、よく見ると桟もささくれ立ってるところが多い。指に刺さらないようにお気を付けを>
水熊 <はい。ありがとう>
雲八 <北面の障子から取り外しましょう。手を貸してくださいな>
水熊 <よし>
雲八 <よし、じゃあゆっくり、そこに置いて>
水熊 <悪いことじゃないのですが、古い障子を破ってゆくのも、一抹の不安がありますな。普段禁じられていることを、こんな如来さまが見ている前で>
雲八 <とおっしゃりながら、顔には笑みが>
水熊 <いやいや、やめてください。よしこれで、古い障子を破り終え、いや、はがし終えました>
雲八 <じゃあ、糊と新障子の出番ですな。ここから慎重にいかないと。しっかり押さえておいてください>
水熊 <はい>
雲八 <そ~っと、そ~っと。よし、うまくいきました。やっぱり障子紙は濃州寺尾の産物に限りますな。これも実に貼りやすかった>
水熊 <お、出ましたな>
雲八 <これはこれは期せずして。濃州と>
水熊 <障子紙といえば美濃紙です。美濃の国寺尾でありましょう?>
雲八 <ご名答>
水熊 <そういえば、ほら、こないだ法事で訪れた、駿府のお侍さまの屋敷の黒書院、覚えておいでですか?>
雲八 <ええ>
水熊 <あそこの障子、日輪が雲に隠れても、ましてや雨が降ってきても、見劣りなく光を透き通らせておりましたな?>
雲八 <そうそう、思い出した。たしかに、たしかに、うまい造りをしておりました。お庭も小堀遠州だったとか>
水熊 <まさに、駿州藤枝の武家屋敷に、遠州の作庭>
雲八 <語呂遊びが始まりそうな>
【朝から時が経って、水熊も雲八とのやり取りのなかで国の名前の呼び方、使い方の要領を得始めた様子。この日本には、国それぞれに中心地や特産など、彩り豊富な特色がございます。ここ相州鎌倉の禅寺から一歩も出ずに、二人は各国を言葉で旅でもするのでしょうか。掛け合いがますます旺盛になってゆく次回のお話で】
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