159話 零れ落ちた真珠 射抜かれた心【5】

「ふぅ……」


 王宮滞在用の屋敷へと戻ったプラスタンスが小さく溜息を漏らした。

 アフレック伯爵領の城を離れ。

 この屋敷でひとり生活するようになって、もう五ヶ月が過ぎようとしている。

 だが、いまだにスカレーナ陛下から、ジオとの婚姻の許しは頂けない。

 それどころか最近は面会すらして貰えない状態が続いている。

 それでも諦めるわけにはいかないので、日に三回、必ず王宮に出向いていた。


『ったく。あのクソババア……』


 額に怒りマークを乱発させて、プラスタンスは遅い夕食をとったのだった。

 ドーチェスター城からロストック海のエッセン港にかけて開かれている城下町。

 そこは深夜まで賑わっている。

 プラスタンスの寝室からも消えることのない明かりが見えた。


 最初は自分の城周辺とあまりにも違う環境を鬱陶しく感じた。

 しかし今ではもうすっかり見慣れた光景となっている。

 今宵も酒の入ったグラスを片手にテラスへと出た。

 消えることのない町の明かりを肴にするのだった。

 そして彼女は、ジオと初めて会った時のことを思い出していた。





 プラスタンスが十七歳の時。

 父レオナルドを拝み倒して付いて行き初陣を向かえる。

 この日はクリサンセマム国との戦闘。

 ローバスタ砦を中心にシュレーダー伯爵家。

 アフレック伯爵家。

 それにもう少し南に領地を構える貴族達の連合軍で構成されていた。

 北西域で有事が起こった際。

 お馴染みの顔ぶれである。


 ファンデール侯爵家の軍勢は、毎回アスターテ山脈を越えるか迂回するかで来ることになる。

 そのため此度も到着が少し遅れていた。

 だが、待っていることも出来ない。

 敵が戦闘を仕掛けてきたからだ。


 拝み倒され。

 というか脅迫されて。

 戦場にプラスタンスを連れてきはした。

 たったひとりの子供の保身を第一にレオナルドは考えた。

 彼女が弓を得意としていたこともあり、数十名の護衛に周辺を固めさせる。

 なおかつ陣の後方へと配置させた。


 だが、今回は不運だった。

 別の場所からシュブラタ大河を渡ってきたのであろう別働隊。

 それがプラスタンスのいるアフレック伯爵軍の側面から奇襲を仕掛けてきた。

 周囲は混乱。

 プラスタンスは父レオナルドと完全に切り離される。

 更に多くの護衛達ともはぐれてしまった。


 この日初陣を向かえたばかりの彼女。

 混乱を収拾するだけの力はまだない。

 どうすればよいのかと狼狽えるプラスタンス。

 そんな彼女の耳に、少数ではあるが鬨の声が聞こえた。


 モンセラ砦の旗を掲げた軍勢が、敵兵の中央を突破してくるのであった。

 まさに天の救いである。

 全滅することからは逃れられそうだ。

 しかしプラスタンスの一陣は依然として窮地に立たされていることに変わりはない。


 彼女たちとモンセラ砦の軍勢。 

 ふたつを合わせても敵の兵力には及ばない。

 そのうえ相変わらず剣を交える音と、弓矢が周囲を飛び交っている。

 プラスタンスも弓から剣に武器を変えた。

 向かってくる敵に対し必死に応戦する。

 そんな彼女の背後めがけて、一本の矢が綺麗な弧を描いて飛んだのだった。


「危ない‼」


 叫び声に振り向いた彼女の視界が瞬間的に真っ暗となる。

 次に見たものは大きな背中と馬。

 そして大地に突き刺さる折れた矢であった。


 男の服装からモンセラ砦の指揮官クラスの者であることが分かる。

 彼がプラスタンスの前に騎乗した状態で走り込み。

 片手に持っていた鉄製の盾で、飛んできた矢を防いでくれたのであった。

 盾を敵軍方向に向けたまま、男は振り向き彼女に声をかけてくる。


「大丈夫か⁉」

「あ……。ええ」


 地面から視線を男に向けたプラスタンス。

 その顔を見て、男は驚いて目を大きく見開く。


「女?」


 騎乗していることから。

 その女が高い地位にいることは容易に想像できる。

 アフレック伯爵家の旗の元にいたのだ。

 その地域の者であることも判断できる。

 しかし、思いっきり若い。


『何でこんな小娘が戦場ここにいるんだ?』


 理解できず、男は顔を顰めた。

 訪ねたいところであるが、状況がそれを許さない。

 事態は何ら好転してはいないのだから。

 自分の率いてきた部隊。

 そして指揮官を見失いオロオロするアフレック伯爵家の残存部隊。

 それに向かって男は大声で指示を出す。


「慌てるな! ここは戦わずに一旦引け‼」

「えっ⁉」

「北だ! 北の本陣へ合流しろ‼ 走れ‼」


 足元に群がってくる敵兵を切り伏せながら、男はプラスタンスの腕を掴んだ。


「ほら! あんたも早く!」

「どうして?」


 引くことはそれ即ち敗走。

 という概念しか持ち合わせていなかった彼女。

 至極当然な質問であった。


「どうしてって……。不意打ち喰らって、皆混乱している。こんな状態で戦っても勝ち目はない。死人を増やすだけだ。だったらとっとと引いて、より大きな陣形にして応戦する。がむしゃらに戦うばかりが戦闘じゃない。状況を見極め、引くことも大事だろ? 兵士は替えのきく品物じゃないんだ」

「…………」


 そう言って。

 その男はそのままプラスタンスの横に並ぶ。

 本陣に合流するまでの間、付き沿い守ってくれた。

 彼女にはその姿がとても勇ましく、凛々しく感じられたのであった。

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