155話 零れ落ちた真珠 射抜かれた心【1】

 アフレック伯爵家に到着したその夜。

 ジオは脱走した。


 モンセラ砦から屋敷までの道中は簀巻き状態だった。

 そのため逃げるに逃げられなかった。

 だが、解放されれば如何様にも出来る。

 それだけの知恵も技量も、今日までに十分培ってきた。


 小領主と言えば少しは聞こえがいい。

 しかし実際のところ領地など無いに等しい。

 上のご機嫌次第で首の替えなどいくらでもきく。

 大貴族の下にウジャウジャといる働き蜂のようなもの。

 よって、家計はいつだって火の車であった。


 そのため彼は一家の養い手として、十五歳の時に兵士として志願した。

 モンセラ砦に配属されたのである。

 そして今日までの十五年間。

 幾度も戦闘を経験し、その中で武勲を挙げてきた。

 そして砦の司令官補佐にまで昇進したのである。


 それ故、小さくともプライドがあった。

 このような事態に到底我慢できるはずがない。

 深夜になると、少しばかりの金銭と馬を一頭失敬した。

 モンセラ砦へ向けて取って返したのだった。


 本当なら昼夜を問わず馬を走らせ、速攻でモンセラ砦に帰りたかった。

 だが、それでは馬どころか、疲労しきっている自分も身体が保たない。

 一日近く走ったところで、ジオは仕方なく宿をとったのだった。


 そこはフィソオリー街道とリェージュ街道が交差する場所。

 モンセラ砦へと延びている街道があり、比較的大きな宿場町である。

 町には活気があり、とても賑わっていた。

 宿屋の食堂で食事をすませ、酒を飲みながらジオはぼんやりと考える。


『そう言えばこの辺も、アフレック伯爵家の領地だったなぁ……』


 町がこれほど賑わっているということは、彼の伯爵がうまく治めているということに他ならない。

 ジオの実家であるレイマニー家もこの近くである。

 もう少し先まで足を伸ばせば、妹レリアがいるファンデール侯爵家だ。

 昔からこの両家の悪い噂は聞いたことがない。


 妹がそんな片方の家に迎え入れられたことは幸運であったと思える。

 流産してのち、ずっと体調を崩したままではあるらしい。

 だが、実家に帰されるどころか。

 夫のアーレスは妾も持たず、変わらずレリアに愛情を注いでくれている。

 不思議とその後に授かった男の子も、元気に育っていると聞く。

 それでよかったはずなのだ。

 なのに、何がどこでどう逸れてきたのか頭を悩ませるジオであった。


『ああ! もう! 何だってこんなことになるんだよっ⁉』


 大貴族の息子に小領主の娘が、美貌などを理由に見初められる。

 妾ではなく正妻として向かえて貰えたのは幸運である。

 レリアの場合そこまで珍しいケースではない。


 だが、自分の場合はかなり違うと言っていい。

 いや、皆無であるのではなかろうか。

 お世辞にも容姿がよいとは言えない。

 髪は焦げ茶でバサバサ。

 身体はゴッツイので、熊か猪と表現したが相応しい。

 十八歳の娘から見れば、小汚いオッサンである。

 あれ程の大貴族が跡取り娘の夫に自分などを選ぶ理由。

 それがジオにはどうしても理解出来ないのだった。


「何で、オレなんだ……?」


 そう呟いた時である。

 周囲がざわめき、ジオの背中に冷たい風が当たった。

 何だろうかと視線を動かした彼の目に、驚く光景が飛び込んできたのである。

 全ての根元がそこに立っていた。

 プラスタンスである。


 既に弓を構えている。

 その切っ先は真っ直ぐこちらを向き、恐ろしいまでの形相で睨み付けていた。

 血の気も凍るとはまさにこの瞬間を言うのではなかろうか。

 ジオは手に持っていたコップを床に落とした。


『さよなら。オレの人生……』

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