150話 宝石の日々【1】

 ガッシャーン!


「キャーッ!」


 陶器が割れる音とほぼ同時。

 女性使用人頭マノールのけたたましい悲鳴が、静かだった初夏のファンデール侯爵家に響き渡る。


『何事かだ⁉』


 急ぎ音のした部屋へと駆けつけたアーレス=トウ=ラ=ファンデール。

 彼が目にしたもの。

 開かれた窓から勢いよく飛び出していく赤と金の小動物だった。

 床になにか散乱している。

 ホンの数秒前までは花瓶だった代物だ。

 その前でマノールが両手を口にあて、ワナワナと震えている。


『確か、あの花瓶は……』


 アーレスは花瓶がこの屋敷にきた経緯を頭の中で遡った。

 この時。

 彼は、まだ二十代後半。

 穏やかな光が宿る、切れ長の目に茶色の瞳。

 そして短く刈り込まれた髪の色も、瞳と同じ茶色。

 標準よりやや高めの身長。

 それに釣り合うバランスのとれた筋肉質の体躯の持ち主であった。

 両親共にまだ健在。

 侯爵家は繁栄と栄華を誇っていた。


 そんな彼から少し遅れて部屋に到着した影。

 親友のラルヴァ=セイ=テ=シュレイダーだった。

 そちらへ振り返ることなくアーレスはしんみりと呟く。


「ひとりでいる時は、そうでもないというのに。ふたり一緒になった途端、小悪魔と化すのは何故なんでしょうな? ラルヴァ……」

「また、か……」


 帰ってきた声には落胆の色が濃かった。

 そしてふたり同時に大きな溜息を漏すのだった。

 そのふたりの後ろから、のんきな声がかけられる。


「あらあら……。今回も豪快ね」


 ふたり同時に振り返る。

 そこにはニッコリと微笑む、アーレスの妻レリアの姿があった。

 小柄で折れんばかりに細身。

 金色の髪に水色の瞳持つ美しい女性である。


 彼女はこのファンデール侯爵家に嫁いで直ぐ、最初の子供を流産した。

 そののち体調を崩し、ずっと寝たきりの状態が続いていた。

 そして子供はもう望めないとも、医師から告げられていたのである。


 だが、暫くしてから突然ジーグフェルドを授かった。

 それからというもの徐々に健康を取り戻す。

 最近では自分で立って歩けるようにまで回復していた。

 今ものんびりとではあるが、騒ぎのあった部屋にやってきたのである。

 そして更に楽しそうに言った。


「あら。その残骸は……。まあ可哀相に。わずか半年の運命でしたわね」

「笑っている場合じゃありません! レリア。ここは目をつり上げて怒る場面です」


 レリアの更に後ろから声がした。

 ラルヴァの妻、アイラである。

 子供が悪さをしたというのに笑っているレリア。

 彼女を呆れ顔で見て、両手を腰に当て叱った。


「そうですよ。レリア殿。あ奴らが毎回なにかやらかす度。アーレス殿か私。どちらかの親に謝罪に行かなければならない我らのことを考えて下さい」


 ラルヴァが泣きそうな表情で抗議する。


「あらまあ。でもそれは彼らがいてくれてこそですもの。楽しいと思わなければ」

「レリア……」


 脳天気なのか。

 豪傑なのか。

 理解できないレリアの思考にラルヴァもアイラも項垂れる。


 先ほどのレリアの言葉の裏に。

 笑顔のかげに。

 隠された本当に意味を、ふたりは気付かなかった。

 何故なら彼らは真実を知らないから。


 小悪魔の片割れジーグフェルド。

 彼が実は現国王ラナンキュラス陛下より託された子供であることを。

 そしてどんなに慈しみ愛しても。

 皇太子エルリックの身になにか不幸なことが訪れた際。

 手放さなければならないことも。


 ふたりが。

 いやこのファンデール侯爵家が常に不安を抱えながら、ひとり息子を育てている。

 そのことを誰も知らなかったのだから。

 そんなレリアの肩をアーレスが優しく抱いた。

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