127話 勝利の予感【3】

 夕食後の会議。 

 ドーチェスター城へ向けて進軍を開始することになった。

 ジーグフェルドが気にしていたファンデール侯爵アーレス。

 車いすに乗って会議室にやってきた彼の容態はとても良かった。

 これもイシスのおかげである。


「では。明日の朝食後にここを出立します。各陣営用意をお願いします」


 ジーグフェルドはそう締めくくった。

 そのあと直ぐにアーレスの元へと行く。

 ここ数日彼の部屋に行けていなかったので嬉しかったのだ。


「父上。顔色もよくなによりです」


 この言葉にアーレスの眉がピクリと動く。


「何度お伝えすれば、改めて下さるのですかな? 陛下」


「あ、う……」


 アーレスの眼光にジーグフェルドは一瞬ひるむ。

 しかし開き直ったのか負けなかった。


「私も何度も申し上げました。それ以外の呼び方を知りません!」


 アフレック伯爵プラスタンスやシュレーダー伯爵ラルヴァたちが退出の足を止める。


『また始まった……』


 ふたりの会話はいつまでたっても堂々巡りであった。


『本当に血の繋がりはないのかな? 頑固なところは、呆れるくらいにそっくりだ……』


 一向に進展しない両者の間に溜息をひとつ吐いたイシスが割り込んだ。


「では、こう考えてみたらどうだ? ジーク」


「?」


「ジュリアをアフレック伯爵令嬢と呼ぶだろう?」


「ああ」


「では、ジュリアがカレルと結婚したとしたら何と呼ぶ?」


「えっ⁉」


「なに⁉」


 ジュリアとカレルが同時に嫌な顔をする。

 仮想でも不本意なのあった。

 だが、とりあえず話を進めるために無視をする。


「シュレーダー伯爵夫人」


「だろう? ならばファンデール侯爵のこともそれと同じだよ」


「?」


「周囲の者がその人を呼ぶ名前を変えようとも、彼女がアフレック伯爵の令嬢であったことに変わりはないし。呼び名が変わっても彼女自身の中身が変わったわけではない。そうだろう?」


「あ、ああ……」


「要は、その人間の本質はなんら変わらないということだ」


「まあな」


「つまり、ジークが父上と呼ぼうが、ファンデール侯爵と呼ぼうが、アーレス殿自身がジークを今まで慈しみ育ててくれた人間に変わりはない。彼は変わらないが、ジークの立場は変わった。それによってほんの少しだけ、呼び方を変えなければならないだけだ。結婚して姓が変わったのと同じようなものだよ。だからファンデール侯爵の体裁も考えて、都合上ジークが譲ってやれよ。たかが呼び方じゃないか。そうだろう?」


「イシス……」


「その名前もそうだ。記憶がなく、自分の名前すら思い出せなかった私に、ジークが付けてくれた仮の名前だ。きっと親が付けてくれた本当の名前がある。しかし、どちらの名前で呼ばれようとも、私が私であることに変わりはない。違うか?」


「ああ……。そうだ」


 ジーグフェルドは溜息をひとつ吐いた。


「分かったよ。そなたの言う通りだ。どのような名前で呼ぼうとも、彼が私を今まで育ててくれた父であることに変わりはない。本当に、そうだな」


 ジーグフェルドはアーレスの顔を見る。

 彼はゆっくりと頷いた。


「しかし、十九年間。父上と呼んできたのだぞ。急にはなかなか難しい」


「そのくらい速攻で慣れろよ。融通の利かない奴だな」


「それはちょっと、ひどくないか?」


「じゃあ、石頭の方がいいか?」


「いや……。それもかなり……」


 間髪入れずに容赦なく攻撃される。

 少しへこみだしたジーグフェルドを見てイシスが優しく笑った。


「よしよし。よく折れたな。偉いぞ」


 そう言ってジーグフェルドの頭を軽く撫でた。


「そなたは……。オレは子供じゃないんだぞ」


「その態度で大人だと?」


「悪かったな……」


 ジーグフェルドは完全に拗ねてしまった。


「そんなでかい図体で拗ねたって、誰も慰めてくれないよ」

 

「あはははは」


 周囲にいた者たちが笑いだす。


「ありがとう。イシス殿」


 アーレスが頭を下げる。


「いえ、そんな。特別なことは何もしていませんよ」


「一件落着だな」


 カレルの言葉が終了の合図となった。

 直後ジーグフェルドとアーレスの周囲にはワラワラと主要人物が集まってくる。

 たちまち賑やかになった。

 その様子を窓辺の壁に背を凭れかけ、イシスはボンヤリと眺める。


『そうだよ。たかが名前じゃないか。周囲にはこんなにもジークを思ってくれている人達がいる。相談できる人も心配してくれる人もたくさんいる。羨ましいよ……。』


 そして彼女は徐ろに窓から明るく差し込んでくる月を見上げる。

 双満月が近い。

 美しく輝く双子月とは反対に、何に思いを馳せているのかイシスの表情は暗い。


『記憶が無いときは、自分が何者なのかという不安が常に付きまとっていた。けれど記憶が戻った今、失っていた時の方がよかったのではと考えてしまう』


 イシスは両の手で自分の肩を強く抱いた。


『こんなに苦しいのだったら、いっそ思い出さない方が、よかった……』


 彼女は今にも泣き出しそうである。

 悲しく苦しそうな表情を一瞬浮かべ、そのまま部屋の外へと滑るように出ていった。

 そんな苦悩しているイシスを心配そうに見つめる瞳が二つあった。


 ひとつはファンデール侯爵アーレスである。

 出会った頃。

 少女と思わせる幼きその容姿とは裏腹に、賢い光を放つ鋭い瞳と快活な明るさ。

 そして打てば弾くように瞬時に響く知的さが好きだった。

 その彼女が何かにずっと悩んでいるようだ。

 常に影を背に背負っているように見える。


 二つ目はアフレック伯爵プラスタンスである。

 なにせ自分の娘と同じ歳であるが、謎と不思議が多すぎる。

 ジーグフェルドの気持ちも重なり複雑だ。

 自然とイシスのことを気にするようになっていたのだった。

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