123話 静かな夜【15】

『自分がいつ生まれたのか知っている。それはもう完全に記憶が戻っているということなのか?』


 ランフォード公爵城でイシスが不思議な現象に遭遇して以降ずっと気になっている。

 本人に確認したくても、怖くて出来ないでいることだった。

 動揺してかジーグフェルドの動悸が更に速くなる。


「それに今は猿の毛皮があるし」


「さ…………」


 猿の毛皮とは何のことかと思う。

 ジーグフェルドは思案を巡らすが行き着く先は己しかない。


「それは、オレのことか?」


「他にあるか?」


 恐る恐る訪ねたジーグフェルドに、イシスの返事は呆気ない。


「非道い奴だな。猿はないだろう」


 苦笑しながら抗議する。


「じゃあ、熊?」


「…………もっと悪い……かも」


「出会って少ししてから悩んだのだよね。熊がいいか。猿がいいか」


 それはシュレーダー伯爵城でのことであった。

 城の中へ侵入する祭と、バルコニーを飛んで移ってきた時。

 ジーグフェルドの身のこなしが、あまりにも素晴らしかった。

 そのため、どちらの表現がピッタリ当て嵌まるのか思案したことがある。


「酷いな……。何かもう少しいい表現はないのか?」


「う~ん……と」


 悩んで首を傾げるイシスの姿が可愛らしいやら小憎らしいやら。

 全ての感情が詰まってしまう。

 言葉では表現しきらないような、そんな不思議な気持ちだった。

 そんなジーグフェルドの頬を冷たい風が撫でて行く。

 ホノボノとした世界から現実へと引き戻される。


「本当にここで、何をしていたんだ?」


「ん……。やっと二人とも一段落ついたので、寝る前に月明かりを浴びにね」


 ふたりとはアーレスとジュリアのことである。

 そう言ってイシスはジーグフェルドの腕の中。

 双満月に近くなった月へのんびりとその視線を移した。

 

「こんな時間まで、二人の治療を行っていたのか?」


「うん。まあ……ね。アーレス殿の治療の方は、ちょっと専門外で。不得意なんだよ。処方箋を見ながら薬を調合しているから時間がかかってね。まあ、仕方がない。焦って間違うよりましだし」


「それで身体を壊さないようにしてくれよ。そんなことになったら父上だって喜ばないぞ」


「分かってるよ。心配性だな」


 最近イシスは妙に落ち着いている。

 それは、精神的に安定していると思われる。

 喜ばしいことなのだが、裏を返せば先程考えたことに辿り着く。

 素直によかったと思ってやれない自分が嫌だった。

 しかし、彼女から言ってこない以上、自分から訪ねることはしないと決めていた。


『我ながら情けないな……』


 ジーグフェルドは再び苦笑する。


「父上に一体に何をしているんだ?」


 ジーグフェルドの腕に身を委ね、月を見つめたままイシスは答える。


「秘密だよ」


「教えてくれてもいいだろう」


「驚かせたいから、やだよ」


「ケチだな」


「何とでも言え。成功するまで絶対に教えないよ」


 悪戯っぽい口調で供のようなイシスにジーグフェルドは微笑する。

 すると突然、イシスが何かに気が付いたように声を発した。


「あっ!」


「どうした?」


「もしかして私がアーレス殿に、何かとんでも無いことをするんじゃないかと、心配しているのか?」


 イシスが不安そうな瞳で見上げてきた。

 自分の思いとは全く違う方向に進んでしまったイシスの思考に慌てる。


「あ、いや。そうではない。そなたのしていることを、疑ったり不安に思ったりしているわけではない。信用しているよ。今度は一体どんな奇蹟を見せてくれるのかとても楽しみだ。そしてそのために、あまり無理をしては欲しくないと思っているだけだ」


 ジーグフェルドの言葉に安心したのかイシスは笑った。

 ランフォード公爵城にてファンデール侯爵アーレスの治療を初めて行った際。

 ジーグフェルドがいま言ったのと同じ言葉を、彼も口にしていたからである。


「血が繋がっていなくとも、ほんとに親子なんだな。二人して同じことを言う」


「?」


 言われた言葉の意味が分からず、頭に花を咲かせるジーグフェルドであった。


「二人の信頼に応えられるよう、努力するよ」


 そう言って嬉しそうにイシスは微笑んだ。

 そんな彼女を見て、ジーグフェルドは二人目の患者について尋ねる。

 酷く心は重い。


「その……ジュリアはどうだ?」


 どうにか切り出した質問にイシスの表情が瞬時に曇った。


「まだ眠っているよ。朝までは大丈夫だろう」


 出来るだけ平静を装い答えたイシスの心遣いに感謝する。

 しかし、どっと負の感情が身体にのしかかる。


「そう、か……」


 そう返すのが精一杯のジーグフェルドであった。

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