118話 静かな夜【10】
北西域連合軍が火矢を用意した光景に、北東軍将達は最初失笑した。
この周辺地形のことを、十分に分かっていたからである。
しかし、無風だった風の向きが一変した時。
その笑いは固まり、瞬く間に恐怖へと変わった。
そう、知り尽くしているからこそである。
「なんだと⁉」
「このタイミングでか⁉」
この時期。
風は常に自分達のいる北の山側から吹くのだが、時折無風状態が発生する。
その無風状態から一転し、南からの風に変わった場合。
凄まじい突風となり数時間ほど野山を吹き荒れる。
北東軍指揮官の発する恐怖の空気は、瞬時に兵士達へと伝染した。
ざわめきと動揺が走りだす。
兵士達もこの状況が、どれ程恐ろしいことになるのか十分に知っているからである。
「放て!!」
そしてジーグフェルドの一声。
放たれた火矢が一斉に飛来する。
そして目の前の枯れた草を舐めるように焼いて、自分達に向かってきた。
その光景は、死への恐怖以外の何者でもない。
更に火災が発生した場合。
一番恐ろしいのは煙である。
強風に
迫り来る煙と炎を見つめる東方域連合軍。
将も兵士達もどうしたらいいのか、完全に分からなくなっていた。
そこへ国王軍の勇ましい声が響き、火矢の二射目が降り注ぐ。
一射目よりも距離を縮めているのか、前戦の兵士達に直接火矢が当たる。
その場で絶命したり、炎に包まれる者達が続出した。
「う、うわぁ‼」
「ひぃっ‼」
煙で視界の聞かない中。
火だるまになって悲鳴を上げ、地面を転がる兵士達の姿は壮絶であった。
同時に肉の焦げる異臭も漂う。
「ひっ‼」
そして、金縛りから解き放たれた兵士の一人が、声にならない小さな小さな悲鳴を上げた。
震えながらぎこちない動作で、ゆっくりと身体を反転させる。
「うわぁぁぁぁぁぁ!」
彼は強張った声で雄叫びをあげ、一目散に駆けだした。
無論。
ジーグフェルド達のいる国王軍とは全く反対の山手の方へである。
その手からは既に武器が消え失せていた。
それを切っ掛けに兵士達が次々と駆け出す。
「うわぁ!」
「逃げろ‼」
「こらっ! お前達‼ 踏み止まらんかっ‼」
煙で視界の悪い中。
山へと逃げる兵士達の声を聞き、慌てた部隊長が剣を振り上げ叱咤する。
だが、彼の声はもはや兵士達には届いていない。
前戦兵士達の殆どが武器を投げ捨てた。
馬上で怒鳴り声をあげる将の横を、必死で後方へと走る。
その間も、矢は絶えることなく飛来し、多くの者が犠牲となっていく。
兵士達に「踏みとどまれ」と言った部隊長も、アッという間に火矢の犠牲となった。
残念なことにジーグフェルド達の位置から、それを見ることが出来ない。
前面はあまり緩急のない平地である。
激しく立ち上る炎と煙で、完全に視界が遮断されてしまっているからだ。
しかし、この風に煽られての炎と煙である。
敵兵から全く反撃がないことからも、北東軍の状況は容易に想像がつく。
「あらら……」
つい先ほど。
司令官バインが自軍に対して心配していた光景が、敵陣に発生しているのである。
「まさか速攻で、この光景を見ようとは、な……」
司令官バインは頭をクシャクシャと掻いた。
「凄い!」
そんな司令官バインの隣。
ローバスタ砦司令官補佐アラム=ソア=デ=ダーウィンズが、感嘆の声を漏らしている。
風は自分達の後ろから吹くというイシスの予言は当たった。
以前。
ローバスタ砦にジーグフェルドとイシスが立ち寄った際。
出立しようとした時も彼女は嵐を予言した。
その時もイシスは鳥が話していたと言っている。
雨すら殆ど降らない土地だっただけに、そんな筈はないと思った。
だが、ジーグフェルドだけは信じて出立を延期する。
そして彼女の言葉通り凄まじい嵐がローバスタ砦を襲った。
「奇跡だ……。戦女神の起こす軌跡」
この内戦においても、今まで何度も人智を越えた不思議な出来事は起こった。
更に改めてイシスの力に感動するばかりである。
それは火を放った後。
戦況を見ていた国王軍の誰しもが同じ心境であろう。
イシスの発案した作戦に対し。
真っ先に異を唱えたテュービンゲン伯爵とブロッケン伯爵は、一言も発することが出来ず驚愕していた。
「こんな……」
「ありえない……」
先ほどイシスと壮絶な口論を行ったラティオ=ロウ=ザ=クロフォード公爵。
彼を筆頭に、孫息子のイズニックや公爵の取り巻き達。
この光景をただただ無言で見つめるのみであった。
窪地に潜んでいた敵兵士達は、その殆どが煙による窒息状態で地面に倒れ伏す。
「キィーーーーイ」
その時、遙か上空から鷲の甲高い声が聞こえてきた。
浬である。
その声を受けイシスが即座にジーグフェルドへ進言する。
「ジーク! 炎が敵の潜んでいた窪地を抜けた。草原の兵も森林の兵もバラバラに逃げている。仕掛けるなら今だ!」
「分かった‼」
ジーグフェルドは全軍に向かって声をあげる。
「今。炎が通過した地点にある窪地に気を付けながら全軍進撃! 煙の向こうにある森林を左右から包囲する! 敵は混乱している! 慌てず、確実に仕留めろ!」
「おおっ‼」
「我らに勝利を‼」
「戦女神に勝利を‼」
勇ましい声が兵士達から返ってくる。
火を放つ前に森林などの地形は頭に入っている。
各軍の将は迷うことなく進軍を開始した。
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