115話 静かな夜【7】

 それも当然のことであろう。

 ラティオ=ロウ=ザ=クロフォード公爵は四代前の国王スカレーナの弟だ。

 ジーグフェルドからみれば大叔父に当たる。

 彼の公爵に意見できる者など、今まで国王以外にはいなかった。


 更に性格も真っ直ぐな人物だった。

 公爵という肩書権力の威光ではなく、その人柄からも貴族達より厚い人望を得ている。

 崇拝する者や取り巻きはいまだに多い。

 そんなクロフォード公爵をバカ呼んだのだから一大事である。

 あのプラスタンスでさえ、あまりのことに驚いて青ざめ顔を引きつらせていた。


「罠があると知らせたにもかかわらず、そこに突っ込んで行こうとする者を、バカと呼ばずにどう表現すればいいのかな? お教え願いたいものだ」


「おのれ……。一度ならず二度までも。この私をバカと呼んだな⁉」


 おそらくそう呼ばれたのは初めてであろう。

 クロフォード公爵は顔を真っ赤にし、拳を振るわせ烈火の如く怒っている。


「行きたければ行くがよかろう! しかし、私はそんな愚かな戦いはごめんだ! ここで見物させて貰う」


 イシスのこの発言に、固まっていた一部の貴族や地方領主達からざわめきが起こった。

 当初から戦に参加していた北西域の者達である。

 奇跡の快進撃立て役者が戦に参加しないとは、不吉としか言いようがないのだ。


「何が卑怯だ⁉ 当然ながら戦は起こった以上、勝たなければ意味がない! そして指揮官であるならば、味方の被害を最小限にし、敵に最大限の被害を与える方法を常に考えろ‼ 兵士達だって一人一人が自分のために生きる権利があり、お前の自由にしていい命じゃない。一度失えばその命に変わりはないんだ。ボンクラ指揮官の下におかれた兵士ほど可哀想なものはない。頭は生きているうちに使え! 将にはそれだけの義務と責任があるんだ‼」


 過去にはあり得なかったイシスの立て板に水の如き早口攻撃である。

 口を挟む隙もなく、一方的に怒鳴られるクロフォード公爵であった。


「うむむ……」


 確かに発言されていることは、貴族である彼からすれば一部を除き正論である。

 そのことに関しては反論のしようがない。

 しかし、だからといってバカと侮辱されたのだ。

 クロフォード公爵とて黙っているわけにはいかない。

 それは彼の取り巻き達とて同じであった。

 自分たちの崇拝する公爵を侮辱されたのである。

 イシスに対して非難囂々ひなんごうごうである。


「……か……」


「陛下!」


 ジーグフェルドの耳にプラスタンスの声が聞こえた。


「はっ!」


 馬上で意識を飛ばしていた彼が我に返る。

 その時にはもう収集が付かないくらい周囲は騒然となっていた。

 怒鳴る集団。

 周囲で宥める者。

 どうしていいのか分からずオロオロとする者。

 それらの存在すらも消し去ったように馬上で無視を決め込むイシス。

 

「ふうぅ……」


 ジーグフェルドは小さく溜息を吐いた。


『誠に……。同じ方向を向いていない団体さん程、扱い辛いものはない……』


 彼は心底そう思う。


『いや……。ある程度は向いているのだろうが、まだまだ定まっていない……と言うべきかな?』


 戦闘で対峙した際。

 開戦時のルールというものは存在する。

 敵からすれば好機としかいいようがないこの状況下。


『頼むからまだ仕掛けてこないでくれよ……』


 ジーグフェルドは北東域連合軍にそう願いつつ祈るような視線を投げる。

 呼吸を整えて出来るだけ穏やかな口調で声を発した。


「皆。静まりなさい」


「しかし。陛下!」


 怒り治まらないクロフォード公爵が、恐ろしい形相で彼の方を向いた。

 剣の柄に手をかけている。

 今にも抜いてイシスに斬りかかりそうな雰囲気だった。


「クロフォード公爵。発言は私の許可を得てからにして頂きたい」


 丁寧で普段通りの彼の口調ではあった。

 だが、その言葉には有無を言わさず従わせるような強い意志が感じられた。


「陛下……」


 確かにファンデール侯爵家の嫡男として育ってきたのだ。

 今まででも十分に威厳や品格はあった。

 しかし、今回は全く違う空気を漂わせている。

 敏感に感じ取ったクロフォード公爵は、目を大きく見開きジーグフェルドを凝視した。

 そんな二人の様子に、周囲もシンと静まりかえる。


「皆に伝えておきたいことがある」


 彼は馬上から周囲にいる者全てに視線を巡らせた。


「まず第一に! この軍の将は私です‼ ここにいる以上は、何人たりとも私に従って頂きます!」


 それは当然のことではあった。

 だが、今のあまりにも統制とれていない軍勢に改めて宣言する。


『ランフォード公爵によって否応なしに始まった戦であり、 言ってしまえばくだらない内戦だ……。しかし、自分のための戦いであり、そのために多くの者達が力を貸してくれている。自軍の者も敵兵も、同じメレアグリス国の民なのだ。出来ることならどちらも犠牲は最小限に押さえたい』


 そして以前口にしていたように、この際であるから抵抗勢力は徹底的に潰しておく必要もある。

 この後のためにも。

 故に、次の宣言となるのだった。


「この戦において、今ここに集ってくれたことには大いに感謝する。本当に。心から!」


 ジーグフェルドは再度全ての者に視線を巡らせる。


「しかし、私を信じてここにいるのならばよい。だが、単になどと思って配下にいるのならば、即刻立ち去るがよい! そのような助力は無用だ! 望んではいない!」


 自軍に対しての戦線布告ともとれる発言である。

 静かに彼の言葉を聞いていた群衆が驚きでどよめいた。

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